1話 黒カバンと男
pixivで書いたところを一部訂正して一日一話、予約投稿します。
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火星へと向かう宇宙船のなかで少年だけは青ざめた顔でいた。
原因は少年の隣の席に座っている男の存在にある。
その男、髪はぼさぼさで白髪まじり、目はするどく、その下にはくまがある。
服装は医者が着ているような白衣だ。
彼はその服には目立つ黒いカバンを持っている。
少年が恐れていたのは悪人面の男ではなくその持っているカバンにあるのだ。
少年は見ていた。
時間は少年とこの男が宇宙船に乗る前のことだ。
彼は急に気分を悪くしてトイレに駆け込んだ。
人は誰もいない。水が落ちる音が聞き取れるほど静かだ。
そこで彼は黒いカバンと出会った・・・まさしく、出会ったというほうが正しい。
そのカバンはひとりでに動いていた。
金具は外れて口のようになり、チャックが獣の歯のようだ。
その口から人の顔が見える。
血だらけの男が少年をカバンの底から見ていた。その目に生気はない。
男はすうっと消え、カバンは暗闇へと変わる。
少年はさっきまでの気持ち悪さがすっかり治っていた。
少年はカバンの中にある暗闇を見つめた。
この瞬間に少年は逃げるべきだった。
だけど、逸らせない、動けない、逃げれない。
カバンは近づく、少年のもとへ。ゆっくりと、
カバンが少年の足元へたどりつく。
「ひぃぃぃぃううううう!?」
少年はついに奇声をあげ動き出した・・・・・・だが遅い。
ナメクジのようなはいずりをしていたカバンは急に速度を変え、少年に絡みつき、捕食しようとした。
少年はこれが現実のことだと認識できなかった。彼はまだ子供、死について理解するには早過ぎる。
「こんなところにいたのか」
誰かの声が聞こえる。カバンは少年を喰う寸前で男のところに駆けだした。
カバンは忠実な犬のように男のところに戻る。
「また、喰ったのか・・・まあいいだろう」男は言う。
男はそのままトイレを出て行った。
「ああ・・・戻ってきたのね、さあ宇宙船に乗りましょう。奥でお父さんが待っているわよ」
母親は少年を見て、そう言った。
少年はここでようやくさっきの気分が戻り、母の前で吐いた。
「なにを言っているんだ」少年の父は怒鳴った。
少年はここにきて宇宙船に乗りたくない、帰りたい、と言ったのだ。
「いいか、この移住はおまえのためでもあるんだぞ」
この少年の父親は平凡なサラリーマンだった。
この少年の母親はただの主婦だった。
少年は体が弱いこと意外は普通の少年だった。
そんな家族が火星に移住する権利を手に入れた。
火星は富裕層と貧しい開拓者だけが住んでいた。
しかし、今回、一般市民枠を作ることがきめられた。
市民は、火星では富裕層と同じ生活ができる特権もあった。
食料の心配は今ではないし、むしろ地球より豊かな暮らしができる。
選ばれたのは少年だった。
この暮らしにあこがれたのは父親だった。
「今回はあきらめたら」少年の母は言う。
「バカな、今しかないんだぞ、このチャンスは。
火星にいけば、アキラの体を治してやれるかもしれない。
なによりいまより高収入の仕事でお前達を楽にしてやれるじゃないか」
そう言って、父は少年を無理やり宇宙船に乗せた。
こうして、今、少年はあの男の近くに座っていた。
少年は怖いのだ。またあのカバンが動きだしたらどうしよう。いまにここに乗っている人達を全員食べちゃうかもしれない。お母さんに相談したいけど、またお父さんに叱られる。最近、急に怖くなったんだ。
少年は男のカバンを見ている。人を喰ったあのカバンを見ている。
そうしていると、突然、カバンは宙に浮いた。
「御搭乗いただき誠にありがとうございました」
アナウンスが頭に響く。宇宙船は着陸態勢に入り、軽い振動が機内に走った。
少年は戸惑った。えっ、もうそんな時間、何も起きないのか。
男は黒いカバンを持って宇宙船を降り、火星の土を踏んだ。
「宇宙船に乗るの、楽しみにしてたのに、ずいぶんおとなしかったのね」
母親は少年に言ったが、少年には届かなかった。