第一章 5
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日頃から長期間の説明及び短期間での記憶に慣れている俺と桜崎は、中には実感が湧かない物こそあれど、十五分強の説明で大体のシステム内容を頭に叩き込んだ。今はちょっとした反復をしているところだ。
『NOT FOUND ONLINE』、通称NFOは現在日本が持てるVRの最先端技術を惜しみなく注ぎ込んで作り上げられた、まさに最新作だ。そのゲームフィールドはエリアに分けられるのではなく全体が一つのフィールドになっており、解像度も高いためほとんど現実と見分けがつかないという。シームレス、という表現を使うらしい。
設定上、ゲームの舞台はラグランジュと呼ばれる地球にきわめて近しい惑星だ。陸海空がちゃんと存在し、様々な特徴や文化を持つ種族達が各々暮らしている。金銭の単位はKと書いてコルと読む。現在解放されているフィールドは関東地方ほどだが、今後拡張が予定されているそうだ。
NFOにおけるグランドクエスト、つまり最終目的は世界のどこかにあるという世界を支える大樹、ユグドラシルを発見する事だ。不思議な事に、ゲーム概要には具体的に発見して何が起こるのかは明記されていない。まさに『NOT FOUND』(未知)だ。
このゲームの最大の特徴なのが、モンスターはいる物の、NPCが一人もいない事だと言う。通常どのゲームにも存在し、アイテムや武器などを売ってくれるノンプレイヤーキャラクターが、一人もいないのだ。武具屋、アイテム屋、レストラン。それらすべて実際の人間によって経営されているのだ。ラグランジュでの「生活感」を出すためらしいが、面白い発想だ。初期プレイヤーは苦労しただろう。
NFOのゲーム制度は俗に「どスキル性」と呼ばれる物で、プレイヤー間であまりにも差がつかないようにレベルという概念が存在しないのだ。かわりに、数十数百とあるスキルがその使用頻度によって自動で上昇して行くようになっている。確認は出来るが、任意に選択振り分けする事は出来ないに等しい。筋力やスピードはもちろんの事、聴覚や嗅覚や反射神経、索敵に投擲、調理から工芸まで様々な種類が存在する。仮想世界で文字通り「生活」するための物も多い。
プレイヤーは装備や戦闘スタイルによって大きく三つのジョブに分けられる。剣や斧、弓やボウガンなどのクラシカルな武器を使うウォーリアー、魔法を操るソーサラー、銃などの現代的・未来的な武器を使うブレイヴァーだ。これは更に装備する武器や防具によって細かくクラスに分けられるが、クラスは無数に存在するため、あえて詳しい説明はない。三つのジョブはそれぞれHP(体力)以外に、ウォーリアーならAP、ソーサラーならMP、ブレイヴァーならBPという物が存在し、強力な攻撃などはこれを消費して使うらしい。各ポイントごとに制度が大幅に異なるため、慣れるしかないと言いという。
最後に欠かせないのが、ネイションの存在だ。NFOでは、集団の単位は四つある。一人で行動するソロ、二人から六人までのチームを組むパーティ、パーティを束ねて組織化したギルド。そして確かな人員と落ち着いた領地、更には生活に必要な職人クラス(このゲームでは武具屋や道具屋を指す)のプレイヤーが十分に溜まると、ネイション、つまり国を作る事が出来る。しかしこれはかなり難易度が高く、中立の不可侵領域となっている首都ラグランシエリの外で落ち着いているネイションは二つだけだそうだ。
「よし、準備できたよ」
寺井先輩の声に俺ははっとして顔を上げた。どうやらぼーっとしていたらしい。ダイブする準備をしてもらっているのを忘れていた。
「はい!」
返事をすると俺は足早に教室の端にいる先輩の方へ向かう。
フルダイブと言うとどんな準備をするのかと思ったら至って簡単だった。先ほども登場したNEX-phereが有線LANに接続されているのが二台、後は普通の机と、
「枕、ですか?」
「あぁ」
歩み寄って驚く俺と桜崎に、寺井先輩は笑って言った。
「ダイブしちゃうと、現実の体は植物状態だからね。寝違えないように」
なるほど。そりゃそうか。
「じゃあ、準備は良いかな?僕は現実に残って、君たちのオペレータをやるから。がんばって!」
俺は一度桜崎と顔を見合わせると、頷いて椅子に座り、そこに置かれた円盤形の白いヘッドセット、NEX-phereを被る。黒いゴーグル部で目が隠され、サングラスをかけたように視界の明るさが半減する。ゆっくりと机に頭を下ろし、首が一番落ち着く角度で枕の上に置く。
「ログインパスはさっき伝えた通りだ。で、キャラ設定とかが終わったら、ラグランシエリ近郊のどこかにランダムで落とされるはずだから、頑張って自力で街までたどり着くんだ。君達が街に着き次第、僕も潜って合流する」
ちなみに「潜る」という表現ゲーム内にダイブするという言い回しから派生した物で、要するにプレイする事を指す。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「あの、先輩」
俺はふと思いついて寺井先輩を呼び止めた。
「なんだい?」
「名前、ってどうすれば・・・」
「あぁ、そうか。本名はだめだからな・・・」
先輩はしばらく考えるようにしていたが、
「ここの名前を取って行きな。君は今日からイクトだ」
コンピュータ室の名前を受け継いでもそんなに嬉しくない、と思ったが、実際、
「・・・かっこいいっすね!じゃあ!」
「うん。頑張って!」
俺はゆっくりと目を閉じる。隣で同じように机に突っ伏す桜崎と一瞬目が合い、すぐに逸らす。初めての仮想世界に、大いなる期待と、ひとつまみの不安を持って、魔法の呪文を口にする。
「リンク・オン!ダイブ!」
ついにダイブ!