第二章 3
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「氷騎(Frozen Knight)、展開(Set Up)」
攻撃が来たと思われる、洞窟の先を睨みながら、ルーシアは短く呟いて立ち上がる。一瞬遅れて乾いた電子音が響き、彼女の耳、上腕、臑の六ヶ所が、ノイズが走ったように大きく歪む。
「相手には心当たりがあるの。あたしが引きつけるから、イクト君は逃げて」
ノイズが消えると、ルーシアの両耳と四肢にはさっきまでは無かったアーマーが装着されていた。鋭く尖ったイメージを与えるそれらは、金属質な光沢を持ち、黒に極めて近い紺色に水色のラインが入った物だ。それらすべてが出現し終えると、最後に耳のアーマーからガラスのような水色の板が伸び、鼻先で繋がってアイシールドになった。タンクトップ、スポーツパンツ、スニーカー、グローブは元のままだ。ルーシアは誰かと握手をするように右手を水平にのばすと、
「VX2000」
言葉に続いて再び先ほどのノイズが発生し、アーマーと同様に紺字に水色ラインの大口径ハンドガンが出現する。ルーシアはそれを掴むと、今度は自分の左手を見るように軽く上げ、
「フラッシュ・クラッカー」
同じ現象。今度は缶ジュースの上にキーホルダー用の金属の円が付いたような物が出現する。名称から推測するにスタングレネードだろう。ルーシアは、肺から空気を押し出されてなおも咳き込む俺に向かって、ピンは抜かずにフラッシュ・クラッカーを放る。俺は慌ててそれをキャッチする。ルーシアは洞窟の通路の先を見たまま、
「ピンを抜いたら五秒で閃光と爆音。後ろを向いて目を瞑って、耳を両手で塞ぐのが一番安全よ」
「・・・ルー、シア」
一人で囮になろうとする少女に、俺はろくにでない声でその名前だけを呼ぶ。少女は倒れた俺を見下ろすと。
「フレンド登録メッセージはこっちから送るから。またどっかで会おうね」
少女は申し訳なさそうに小さく笑うと、
「生きて、また」
少女は暗い洞窟の向こう、例の湖の方を見やると、水色の残光を残して、恐るべきスピードでダッシュして行ってしまった。伸ばそうとしていた腕は、結局彼女の手を掴む事は無かった。
俺はしばらく動けずにその場に座っていた。攻撃の衝撃で焚き火の火は消え、辺りはほぼまっ暗だ。ただ洞窟の壁そのものが特殊な岩石なのか淡く紫に光っている。
「・・・逃げなきゃ・・・」
何も考えられなかった。何をすれば良いのか、どこに向かえば良いのか。俺は孤独に押しつぶされそうになりながら、ゆっくりと腰を上げ、ルーシアが向かった方とは逆の方向にゆっくりと歩き出し、
『いいのか、ここで逃げて?』
唐突に頭の中に声が響いた。視界の端に目をやると、『強制通話』という文字がある。
「誰ですか?」
『今は質問は受け付けない』
若い男の声だ。高校生くらいか?落ち着いた声色は、冷酷ささえ感じるほどに冷たく鋭い。返答しようとしない俺に男の声は続ける。
『お前は今、自分の命を救った女を盾にして逃げようとしているんだぞ』
「・・・そんな事言われたって!俺は戦い方もわからないのにっ!」
『言い訳はそれだけか?』
必死に反論する俺に男は冷たく返す。俺の足がすくんでいる理由を、この男は気づいているんだ。
『戦い方がわからないだけなら教えてやる。他に問題があるなら自分で解決しろ』
「でも・・・」
どうしても、足がすくんだ。数分前に見た床のクレーターが脳裏を過る。ルーシアに蹴られた痛みが生々しく蘇る。あんなのと本気で戦ったら、俺に勝ち目なんか無い。俺は男のオファーを突き返そうとして、
『それじゃあお前は変わらないままだぞ。梶原望』
「ッ!!?」
俺は一瞬確実に息が止まった。リアル割れ?ゲームの中では絶対に知られてはいけない現実での素性が割れてしまったのか。
『先ほどの質問に答えてやる。俺はゼノ。風見中学卒業、風見高校一年生で『MMO同好会』の会長野瀬春樹だ。梶原。お前の『龍王の司書』としての能力は我々に取って絶対に必要な戦力だ。無理に戦えとは言わないが、やる気が無いなら早急に退会してもらう。きさまに『司書』の能力を預けておいても無駄だからな』
俺はしばらく沈黙していた。一気に色々な情報を聞きすぎて頭の中がこんがらがっている。だから焦点を絞った。最初に言われた一言に。『俺は変われない』という、言葉に。
「・・・冗談じゃねぇ」
俺は小さく言った。ゼノは沈黙を守っている。
「俺は変わってやる。俺は梶原望じゃねぇ。俺は『龍王の司書』イクトだ!」
俺は勢い良く立ち上がると、地面を蹴る。通話の向こうでゼノが小さく笑った。
『『龍王の司書』の判明している限りの情報は俺がお前の脳の情報野に直接打ち込んでやる。とにかく走れ』
俺は全速力で洞窟の闇を駆け抜ける。首元の赤いマフラーが靡き、コートがバタバタと音を立てる。落ちこぼれ呼ばわりは、そろそろ飽きて来たところだ。