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シルエット

作者: 苑宮 和葉

 暗闇の淵から紅眼の双眸を強烈にギラつかせ、快速電車が駅になだれ込んで来た。

耳障りな重苦しい金属音をかき鳴らしながらブレーキをかける。

ドア越しに見えた車内は、腹立たしいほどの中途半端な込み具合だった。

浴衣を着崩したお祭り帰りのカップルがベタベタと車内で抱き合い、仕事帰りの疲れた中年サラリーマンがどこかで一杯ひっかけてすでにほろ酔いを通り越している。そして何の集まりかわからない多国籍の外人が大声でやかましく耳障りな声で話す。

 この時点で俺の安らかな眠りが奪われたのは明白だった。

「くそ!厄日か今日は」悪態をつきながら網棚に鞄を投げ込むと両手で吊り革を握り、それに全体重を預けた。どこで花火大会があったのか気になり車内で視線を泳がす。

ちょうど俺の横で紺の浴衣をきたホスト系のにいちゃんがうちわの宣伝が目に入った。

『七夕祭り7月2日~7月7日まで』

明日の帰宅状況もだいたい想像がついて脱力感と苛立ちが湧き上がる。

今日から5日ほどこの地獄の帰宅ラッシュに巻き込まれる。なんだか死にたい気分になる。


しばらくすると疲労がピークに達したか、周りがスローモーションのようにゆっくり動いていた。吊り革をつかんだ右手が汗で滑り意識が覚醒した。40分ほどの時間もただ過ぎ去るのを待つのは拷問に等しい。

俺はいつも寝るつもりでいたから時間つぶしの用意は何もなかった。明日は暇つぶしに本でも持参することにしよう。

しかし、それにしても眠みい…非常に眠いぃぃ……今なら立ち寝の極意を会得できそうだ。

やはり睡魔に勝てずに再び微睡みはじめる。

 俺はまぶたが重くなり意味もなく視線を振り子のように泳がす。

ムカつくカップル、酔っ払い、うるさい外人、ガキども、うつろな俺の視界から次々溶けて消えていく。外野の雑音もドップラー効果のように遠方に溶けて流れていった。

そして完全に熟睡に入りかけた時、ガクンと俺の体を重力が無理やり引っ張り現実に戻された。電車が次の駅に到着したようだ。

居眠りをしていた俺には爆風を浴びたような衝撃で、衝撃のあまり驚きで目を前回に見開いて硬直していた。


そして目の前で口にピアスをした少女が銀髪を揺らしながらスケッチブックにせわしく何か描いている。そこにたまたま目が引き寄せられた。その少女は人目を引く風貌なのに存在感が薄い。なんとなく興味が沸き何気なく見てしまった。

その少女の首には黒いチョーカーがあり、そこに刺繍で【FUNNY DEVIL】とあった。意味はわからなかった。わかりたくもない……俺は日本人で十分だ。

俺は眠気覚ましと暇つぶしをかねて覗き込む。少女はひたすら人間のシルエットだけ描いていた。

それも何かの模様のように小さく、規則正しく、右から一直線に描き続けている。

よく見るとそれは何かの物語のようでもあった。何か俺の心の奥底で眠っていたのもが吊り上げられる。何ごとにも無関心な俺にしては珍しいと自分でも思う。急に興味がわき眠気が吹っ飛んだ。俺はしばらく傍観することにする。

最初は何かのデザインを思いつきで描いているように見えた。眺め続けるとそれとはすこし様子が違っていた。少女はしばらく車内を見渡すと視線を落としてスケッチブックにシルエットを描く。その行動を繰り返していた。しかもよく見るとモデルの様子を3コマほどでその動作を描き込んでいる。モデルを探していた少女の視線がまた止まった。少女がモデルを注意深く観察している。俺はその目線を目で追うと、その先には杖を抱えて背を丸め居眠りをしている老人がいた。すでにスケッチブックに目を下ろし、少女は器用に黒い水性ペンでぬりえをするようにモデルのシルエットを一つ描く。次々と流れるように続きを描き進める。そのストーリーは至って簡単で老人は居眠りをする。眠りこけて最後は姿勢が崩れて杖を落とすというものだった。

 なかなかうまいものだと感心して見ていると、俺の背後で杖の倒れる乾いた音が響いた。振り向くとモデルになった老人がスケッチブックのシルエットと同じく杖を落としていた。しかし少女は気にも止めず次のモデルの黙々と描き続けている。俺は頭の中が真っ白になり、今の出来事が偶然か予測か結論づけられないでいた。真剣に考えるうちに俺は新しいおもちゃを買ってもらった子供のように理由もなくうれしくなった。

「こいつ行動を予測しているのか。本当ならこのガキとんでもない洞察力をもっていやがる。」俺はとっさに思った。ひさびしに楽しくなってきた。

しかしどうやって予測している。俺はどうしてもその理由が知りたくなった。

暇つぶしのつもりがいつの間にか、目を離せなくなっていた。


 俺はスケッチブックを覗き込み、動いた少女の目線を必死に追った。少女はモデルを数秒見つめる。そしてまたスケッチブックにシルエットを描く。しかし今度のシルエットの描き方が先程と違っている。一番目を描いた後に何コマ分かの隙間を空けていた。しばらく考え込むようにあごを右手で触りそのまま停止している。10秒ほどの時間だろうかそれでも俺には永遠に等しかった。結局続きは書かずに別のモデルを描きしはじめた。俺は何コマ分の隙間がすごく気にはなったが、あきらめてすぐにその少女の目線を追い続ける。そして少女はいいモデルが見つからないのか、しばらく車内に視線を泳がしていた。

俺が少女の観察をはじめてどのくらいたったのだろうか。すでに電車がどこまで進んだのかもわからなくなっていた。もしかしたら目的の駅など過ぎたかもしれない。それでもその少女を観察することに価値を見出しいる。そうさせているのは「何故予測できる」その疑問だけだった。

そして少女はだいぶ空きはじめた電車の中からやっと次のモデルを見つけたらしい。それは一人の酔っ払いだった。スケッチブックに視線を落として描き始める。少女はここで初めて水性ペンを黒から黄色に持ち替えた。そのシルエットはふらついてとなりの人にぶつかる。さらにペンを赤にして酔っ払いが殴り倒されて床に倒れ込むシルエットモ描いていた。

 いくら洞察力がよくとも、こんな先の先まで予想出来るわけがないだろう。そう思いながらも俺は心の隅で別な俺は予測が当たることを期待している。そう考えていたとき今まさにシルエットは現実となる。


「ふざけんな!クソジジイ」罵声と同時に人を殴る鈍い音がした。俺のいるところからかなり離れたところでチンピラ風情の男に殴られて、泥酔したおっさんが倒れていた。その途端、十戒の映画のごとく人々が分かれた。男はそのまま馬乗りになりおっさんを殴り続けていた。次の駅までまもなくだった。かかわりを持ちたくない人々がクモの子を散らすように隣の車両へそそくさと逃げ出して行く。

 

「当たった、あいつやりやがった・・・」思わず呟いていた。

距離からして3mほど離れていて車内の人ゴミも減はしていた。しかし疎らに人が立ちとてもじっくりと観察出来る位置じゃない。これは人間技じゃない。


人間じゃない……『FUNNY DEVIL』……悪魔!

まさか俺はどうかしている。そんな馬鹿な。


 根拠のない不安を危惧しているといつの間にか次の駅に到着していた。チンピラは仲間といっしょに酔っ払いをホームに引きずりおろし、酔っ払いは袋叩きにあっていた。その後は誰でも予想できる最悪の状態だろう。俺は酔っ払いの運命などどうでもよかった。それは駅員に任せる。

ホームの騒動で電車の出発が遅れるアナウンスが流れた。少女は騒ぎなどどうでもいいのだろう。ひたすらモデルを探し続けている。当然俺も同じである。電車の発車ベルが鳴り響き、駅構内の自動アナウンスが「ドアが閉まります。列車からはなれてください」と鳴り響いた。

そして閉まる寸前にチンピラの騒ぎも無視して大柄な男が乗ってきた。パーカーを深々とかぶって顔を隠しているようだった。そいつは俺の前を横切っていく。その時、一瞬そいつと目があった。頬に大きな切り傷が目立つ。すれ違うときに男の重圧な気配が蜘蛛の巣のように張り付き俺を掠めていく。そのとき膝の力が抜けるほど全身に寒気が走った。そして浮世離れしているような男は奥の席に座るとうつむいて動かなくなった。その瞬間に少女の観察の目が男から外れた。しかし少女はスケッチブックに向かわなかった。そして別のモデルを探しはじめた。


チンピラの騒ぎも収まり、車内がまた静寂が訪れた。電車も郊外から離れて乗客もだいぶ疎らになっている。少女の視線もゆっくりと動き、手近なモデルを書き写している。七人掛けのいすを一人で占拠している酔っ払い。大音量で音楽を聴きリズムをとる学生。携帯ゲームを黙々と続けるサラリーマン。それぞれが見たままの姿を描いていた。それは物語というより一連の時間の流れをスケッチブックに閉じ込めているように思えた。


俺は少女の変哲のない行動に不満だった。あまりにも普通すぎる。久しぶりに感じたあの興奮の反動は大きかった。不満が次第に怒りに変化していく。何事もなく涼しい顔をしてスケッチブックに絵を描く少女を睨みつけていた。

突然、車内の電灯が激しく点滅した。夏の夜空に轟く稲妻のようだった。点滅の回数がエマージェンシーのアラートのように激しくなり限界を超えて車内が静寂と暗闇に包まれた。そしてすぐに何事もなかったように明るくなった。乗客全員の安堵のため息が聞こえる。俺も異常事態にならなかったことに安心した。

安堵とともの体に異変が起きた。急に目眩がしたのだった。ただの目眩ではなかった。例えれば魂を引っ張られたような感じだ。俺は腹に力を入れて何とか踏みとどまった。

そして俺は視線を感じてあわてて振り返った。スケッチの少女が俺を無表情で見上げている。少女の顔はまるで陶磁器かセルロイドの人形のようで、人工的に作られたもののように見えた。俺は背中に氷柱を刺されたような悪寒が走りまわった。魂が危険を感じていたが、少女の視線をはずせなくなっていた。全身が硬直して動けないでいる。操り人形のように。そしてまた体に異変が起こる。命を吸い取られるような不快な浮遊感を味わい続け胃の奥から酸っぱいものが込み上がり吐きそうだった。このとき少女はやはり人間ではない生き物ではないかと確信してしまった。それは妄想ではなく事実に思えた。

 恐怖の限界がギリギリまできたとき、少女はスケッチブックに視線を下げた。それでもファニー・デビルの魔法は続く、強制を強いられたように俺はいつまでも少女を目で追う。自分が自分でないものに操られる人形になったように。


 そして少女が一瞬だけ俺に微笑み、またスケッチブックに先ほどの空いたところに赤ペンで続きを描き始めた。

つり革にだらしなくぶら下がる男の行動を……

1コマ目:つり革の男は手にナイフを持ち、別の男の心臓を刺す

2コマ目:刺された男が仰向けに倒れている。あたりは血の海

描き終えた少女はまた俺を氷のような目で見つめた。その場を動けずどうすることも出来なかった。


 少女が書き終わると同時に、パーカーを着た顔に傷のある男が動き出した。男は少女にあやつられているかのように見事にスケッチブックのシルエットと同じ行動を取り出した。

シルエットと同じ……同じ行動をとる……そうか。

俺は少女の氷のような目をじっと見据える。

その後は映画を見るかのようにすべてが他人事のようだった。


俺は男の殺気立った歓喜あふれる悪意を感じ振り返るとそこで気怠るそう目で俺を睨む男と視線が合った。シナリオ通りに体が硬直して男を直視したままで凍りついた。身動きできず呼吸も止まったようだった。時間が何十倍にも感じられる。明らかにその男は俺に不快と敵意を持って睨み続けている。

どこからかナイフを取り出し周囲の人も物も区別なく平等に斬りつける。見えない糸に引きずられるように一歩一歩と俺に死の恐怖を振りまき近づいてくる。車内に悲鳴が響きだす。状況が理解できない乗客が唖然と狂気の男を眺める。

そして動けない俺の心臓にナイフが突き立てられたのは数秒もかからなかったのだと思う。俺が血まみれで倒れた姿を目撃して車内では人々が悲鳴を上げ逃げ惑う。肉食獣に襲われた草食獣が命からがら逃げだす光景に似ているように。しかし走行中の電車は閉鎖され逃げ場がない。次々と折り重なり倒れる人々を眺め続けていた。そして俺もとうとう意識が朦朧としてきた。少女は阿鼻叫喚の巷と化した車内と平然と描き続ける。それが至極当然というように。


 そして俺が最後に見たもの。

俺の顔をのぞき込むスケッチの少女の邪悪なほほ笑みと口元から覗いた肉食獣のような鋭い犬歯だった。大事そうにスケッチブックを抱きかかえながら電車の最後尾へと消えていった。

操り糸が切れたように開放感を感じる。これでやっと俺は悪夢から解放されるのであった。死の恐怖より安らぎの安堵を覚えた。暗闇がこんなに安らぐなんてはじめて知ったのだった。



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