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『浮気くらいで婚約破棄とは大げさだ』 と言われたので

「浮気くらいで婚約破棄とは大げさだ」と言われたので、鈍器で殴ってから考えることにしました

作者: みやこ
掲載日:2026/10/26






第一章 公爵令嬢は鈍器を持っている


「浮気くらいで婚約破棄とは大げさだ!」


「そうか。じゃあ殴ってから考えるわ」


私はテーブルの上にあった銀の燭台をつかんだ。


「待て、エレオノーラ! 何をする気だ!」


「考えるって言ったでしょうが!」


ゴッ!!


いい音がした。


王宮の大広間に、実に気持ちのいい音が響き渡った。


第二王子アルフォンスの額に、見事な一撃が入ったのである。


王子は椅子ごとひっくり返った。


「きゃあああああ!」


隣にいた桃色のドレスの女が悲鳴を上げる。


私は燭台を肩に担いだ。


「あら、意外と丈夫ね。さすが王宮の備品」


「そっち!?」


誰かが叫んだ。


私は倒れた王子を見下ろした。


「で、婚約破棄の件なんだけど」


「殿下が死んでしまいますわ!」


「死んでないわよ。手加減したもの」


「手加減!?」


失礼な。


私はこれでも王国騎士団の武術大会で三年連続優勝している。


殴っていい場所と、殴ってはいけない場所くらい心得ている。


ちなみに今回殴った場所は、あまり殴ってはいけない場所だった。


そこは反省している。


ちょっとだけ。


「エレオノーラ様!」


近衛騎士たちが駆け寄ってきた。


私は燭台を置いた。


「はいはい。武器は置いたわ。治療師を呼んでちょうだい」


「殿下に何ということを!」


「浮気くらいで婚約破棄は大げさなんですって。だったら鈍器くらいで騒ぐのも大げさでしょう?」


「全然違います!」


「そう?」


私は首をかしげた。


なるほど。


世の中、なかなか難しい。














第二章 我慢にも限界がある


私の名前はエレオノーラ・フォン・グランヴェル。


十八歳。


王国筆頭公爵家の長女である。


好きなものは肉、剣術、昼寝。


嫌いなものは刺繍、長い説教、そして現在進行形で床に転がっている婚約者だ。


「お嬢様。背筋を伸ばしてください」


「伸ばしてるわよ」


「椅子に片足を乗せないでください」


「このほうが楽なのよ」


「肉を手づかみで食べないでください!」


「骨付き肉をナイフで食べるほうがおかしいでしょうが!」


幼い頃から、私は礼儀作法の教師を何人も泣かせてきた。


もっとも、作法ができないわけではない。


必要なら王妃の前でも完璧に振る舞える。


ただ、嫌いなのだ。


あんな窮屈なもの。


人間、背筋を伸ばして小鳥みたいな量の料理を食べるより、腹いっぱい肉を食べて走り回っているほうが健康に決まっている。


父はそんな私を見て、よく笑っていた。


「エレオノーラ、お前は本当に母親に似たな」


「母様も剣が好きだったの?」


「ああ。結婚前、父さんは三度ほど殴り倒された」


「なんで結婚したの?」


「四度目に勝ったからだ」


「へえ!」


「もっとも、結婚してから一度も勝てていないがな」


実に素敵な夫婦である。


そんな私が、どうして第二王子なんぞと婚約したのか。


理由は単純。


政治だ。


グランヴェル公爵家は王国最大の穀倉地帯を治め、国境を守る騎士団を抱えている。


王家としては、ぜひとも味方につけておきたい。


そこで私と第二王子の婚約が決まった。


十歳のときだった。


当時のアルフォンスは、まあ、悪い子ではなかった。


剣は下手だったけれど。


「エレオノーラ! お前は女のくせに強すぎる!」


「殿下が弱いだけじゃない?」


「うるさい!」


泣き虫で、負けず嫌いで、少し威張りん坊。


それでも、私が騎士団の訓練で怪我をしたときは薬を持ってきてくれた。


「お前が怪我をすると、僕が困るからな!」


「ありがと!」


「べ、別に心配してない!」


可愛いところもあったのだ。


だから私は、婚約を嫌だとは思わなかった。


王族というのは大変な仕事だ。


私が剣を振るって国を守り、あいつが王宮で政治をする。


悪くない組み合わせだと思っていた。


ところが。


十五歳を過ぎたあたりから、アルフォンスは妙な連中と付き合い始めた。


「殿下! 今夜は賭博場へ!」


「殿下! 新しい歌姫が入りましたぞ!」


「殿下! 男たるもの、女の一人や二人囲ってこそ!」


私は何度も忠告した。


「アル、あんたの取り巻き、ろくでもないわよ」


「僕の友人を侮辱するのか!」


「友人なら、あんたが財布を忘れたときにも一緒に遊ぶでしょうよ」


「何だと!」


実際、財布を持たずに賭博場へ行かせてみたら、取り巻きは一人残らず帰った。


なのにアルフォンスは言った。


「みんな急用があったのだ!」


馬鹿なのか。


いや、馬鹿だった。


でも、私は我慢した。


あいつが王子として立派になれば、国境の兵士たちも安心して暮らせる。


私の家の騎士たちも、王家との関係が良ければ余計な戦に駆り出されずに済む。


そう考えたからだ。


アルフォンスが私の誕生日を忘れても。


私が贈った剣を勝手に売り払っても。


私のドレスを「女らしくない」と笑っても。


我慢した。


ただし、売り払われた剣だけは買い戻した。


その際、アルフォンスの部屋の扉を蹴破ったことは、私の中ではなかったことになっている。


そして三か月前。


アルフォンスは男爵令嬢ミリアを連れてきた。


「彼女は僕の真実の愛だ!」


私は肉を食べていた。


「ふうん」


「嫉妬しないのか!」


「する理由がないもの」


「強がるな!」


「そのソース取って」


アルフォンスは顔を真っ赤にした。


私はそのとき、まだ婚約破棄を考えていなかった。


王族の浮気など、珍しくもない。


好きにすればいい。


ただし、公の場で私を侮辱するな。


公爵家に迷惑をかけるな。


そして何より。


私の仲間に手を出すな。


その三つだけは守れと伝えていた。


あいつは、全部破った。













第三章 私の兵士を飢えさせたのは誰だ


話は、婚約破棄騒動の十日前にさかのぼる。


私は公爵領の北部駐屯地にいた。


「お嬢! また来たんですか!」


「来ちゃ悪い?」


「悪くはありませんが、馬を三頭も乗り潰す勢いで走らせないでください!」


「馬は元気よ!」


「乗ってる人間のほうが元気すぎるんですよ!」


騎士団副長のガルドが、頭を抱えた。


四十過ぎの大男だ。


私が七歳の頃から剣を教えてくれている。


ちなみに私が十四歳のとき、初めて一本取った。


その日、ガルドは酒を飲んで泣いた。


「立派になったなあ、お嬢!」


翌日、私は三本取った。


ガルドはまた泣いた。


今度は悔し涙だった。


「ところでガルド。兵舎の食事、どうなってるの?」


「……それが」


ガルドの顔が曇った。


「今月も、王都からの補給が半分しか届きません」


「半分?」


「小麦も干し肉も足りません。冬の備蓄を崩しています」


私は眉をひそめた。


「おかしいわね。補給予算は増額されたはずでしょう?」


「書類上は、そのはずです」


「書類上?」


嫌な言葉だ。


私は書類が嫌いである。


数字がいっぱい並んでいるし、文字は小さいし、何より読んでいると眠くなる。


だが、書類の向こうで誰かが腹を空かせているなら話は別だ。


「帳簿を見せて」


「お嬢が帳簿を!?」


「その驚き方は何?」


「いえ! 失礼しました!」


帳簿を開く。


一行目。


補給費。


二行目。


輸送費。


三行目。


特別調整費。


「……何これ」


「特別調整費です」


「それは読めるわよ」


私は指で数字を追った。


「先月より、輸送費が三倍になってる」


「はい」


「でも荷物は半分」


「はい」


「じゃあ差額はどこに行ったの?」


「それが分からないんです」


私は帳簿を閉じた。


「ガルド」


「はい」


「これ、誰かが盗んでるわ」


「証拠はありません」


「証拠なら探せばいいじゃない」


私は立ち上がった。


「とりあえず倉庫に行くわよ!」


「王都の倉庫ですか?」


「そう!」


「お嬢! まさか殴り込みに!?」


「失礼ね! 話を聞きに行くのよ!」


ガルドは遠い目をした。


「お嬢の『話を聞く』は、だいたい誰かが床に転がるんですよ……」


心外である。


十回に三回くらいだ。


王都の補給倉庫には、山ほどの食料が積まれていた。


しかも、グランヴェル領に送るはずの小麦袋まである。


「これ、うちの紋章じゃない」


私は袋を指差した。


倉庫番の男が慌てた。


「そ、それはまだ輸送の準備が!」


「納品日は二週間前よ」


「輸送隊の都合が……」


「じゃあ、どうして袋に別の商会の札がついてるの?」


男の顔が青ざめた。


私はにっこり笑った。


「ねえ、おじさん」


「は、はい!」


「嘘をつくと、後で面倒になるわよ?」


「わ、私は何も!」


そのとき、倉庫の奥から声がした。


「おい! その小麦は今夜のうちにミリア商会へ運べ!」


私は振り返った。


「へえ」


ミリア商会。


聞き覚えがある。


男爵令嬢ミリアの実家が経営している商会だ。


「なるほどねえ」


私は笑った。


倉庫番は震え上がった。


「お、お嬢様……?」


「大丈夫。殴らないわ」


「ほ、本当ですか!」


「まだね」


私はガルドに言った。


「帳簿を押さえて。荷馬車の行き先も調べて。あと、この小麦は動かさないで」


「承知しました!」


「それから、騎士たちに夕飯を食べさせてあげて」


「はい!」


私は自分の腹をさすった。


「私もお腹すいた」


「お嬢、昼飯を三人前食べましたよね?」


「戦う女は燃費が悪いのよ!」


ガルドはため息をついた。


でも、その顔は少しだけ笑っていた。













第四章 王子様は馬鹿でした


翌日、私はアルフォンスを訪ねた。


「アル! 話がある!」


扉を開けると、アルフォンスはミリアを膝に乗せていた。


「あら」


ミリアが笑った。


「エレオノーラ様、ごきげんよう」


「ごきげんよう」


私は完璧な礼をした。


こういうことはできる。


やりたくないだけだ。


「アル。北部への補給が止まってる」


「今は忙しい!」


「見れば分かるわ」


「なら出ていけ!」


「補給費の支出命令に、あんたの署名があるのよ」


アルフォンスの顔がこわばった。


一瞬だった。


だが私は見逃さない。


剣術では、相手の目線、肩、足先を見る。


人間は嘘をつくとき、必ずどこかが動く。


アルフォンスは今、右手を隠した。


昔から、都合が悪いときの癖だ。


「……ミリアの商会にお金が流れてるんだけど」


「当然だ!」


「当然?」


「ミリアの実家は、新しい交易路を開拓している! 王国のための投資だ!」


「うちの兵士の食料を使って?」


「一時的な融通だ!」


「兵士が飢えてるわよ」


「多少の犠牲は必要だ!」


私は黙った。


アルフォンスは得意げに続けた。


「お前は剣を振り回すことしか知らんから分からないのだ! 国家の運営には大局的な視点が必要なのだぞ!」


「へえ」


「分かったら黙っていろ!」


私はミリアを見た。


ミリアは微笑んでいた。


綺麗な笑顔だった。


だが、目が笑っていない。


この女、私が怒るのを待っている。


そう思った。


ここで私が暴れれば、アルフォンスはきっと言う。


野蛮な女だ。


王妃にふさわしくない。


婚約破棄だ。


そしてミリアを新しい婚約者にする。


なるほど。


なかなかよく考えている。


「……分かったわ」


私は言った。


アルフォンスは鼻で笑った。


「ようやく理解したか!」


「ええ。よーく分かった」


私は踵を返した。


「じゃあね」


「待て!」


「何?」


「ミリアに謝罪しろ!」


「なんで?」


「お前の無礼な態度で、彼女が傷ついた!」


ミリアが胸に手を当てた。


「わたくし、怖かったですわ……」


私はしばらく二人を見た。


そして言った。


「アル」


「何だ!」


「昔のあんたは、もう少しマシだったわよ」


「なっ!」


「残念ね」


私は部屋を出た。


扉を閉める直前、ミリアの声が聞こえた。


「殿下、あんな乱暴な方をお妃にするなんて、わたくし心配ですわ」


アルフォンスが答えた。


「心配するな。あいつは公爵家の娘だ。婚約を破棄されれば困るのは向こうだ」


私は足を止めた。


そして、ゆっくり息を吐いた。


そうか。


そういうつもりか。


だったら。


もう、遠慮する必要はないわね。












第五章 婚約破棄の前に肉を食べる


私は公爵家に戻った。


「父様!」


執務室の扉を開ける。


父、レオナルド・グランヴェル公爵は書類を読んでいた。


「どうした、エレオノーラ」


「婚約破棄したい!」


父は羽根ペンを置いた。


「理由は?」


「アルが馬鹿だから!」


「それは以前からだろう」


「そうなんだけど!」


父は笑った。


「まあ座れ。茶でも飲むか」


「お肉がいい!」


「……昼食は?」


「食べた!」


「なら菓子にしておけ」


「肉の菓子ってないの?」


「ない」


残念だ。


私は椅子に座り、倉庫で見つけたことを説明した。


父の表情が変わった。


「……王家の補給費を横領したのか」


「たぶんね。ミリア商会が絡んでる」


「証拠は?」


「ガルドが集めてる」


「よくやった」


父は立ち上がった。


「エレオノーラ。婚約破棄は認める」


「本当!?」


「ああ。ただし、王家との関係を考えれば慎重に進める必要がある」


「分かった!」


「決して先走るなよ」


「分かった!」


「相手を殴るなよ」


「……分かった!」


父が目を細めた。


「今、少し間があったな」


「気のせいよ!」


父はため息をついた。


「お前の母親も、そう言ってからよく殴っていた」


「母様って素敵ね!」


「父さんは毎日胃が痛かった」


「でも幸せだったんでしょう?」


父は少し笑った。


「ああ。それは間違いない」


私は父の頬に口づけした。


「ありがとう、父様!」


「エレオノーラ」


「何?」


「無理をするな」


私は目を瞬いた。


父は静かに言った。


「お前はこの八年間、王家のためによく我慢した。もう十分だ」


……困る。


そういうことを言われると。


泣きそうになるじゃない。


私は慌てて笑った。


「何よ、父様! 私が我慢なんてするわけないじゃない!」


「そうか?」


「そうよ!」


「では、なぜ最近は剣の稽古が増えた?」


私は口を閉じた。


父は続けた。


「お前が苛立っているときほど、訓練場の案山子が壊れる。先月は十二体だったそうだな」


「……十三体よ」


「増えているではないか」


私はそっぽを向いた。


「だって、腹が立つんだもの」


「うん」


「あいつ、昔はあんな馬鹿じゃなかったのよ」


「うん」


「兵士たちのことだって、ちゃんと考えてたのに」


父は何も言わなかった。


私は拳を握った。


「私、あいつを立派な王様にしたかったの」


「そうか」


「……でも、もう無理」


父は立ち上がり、私の頭を撫でた。


「なら、やめればいい」


その言葉で。


私はようやく、肩の力が抜けた。












第六章 王宮の燭台は意外と重い


そして十日後。


王宮の夜会。


アルフォンスは、貴族たちの前で私を呼び止めた。


「エレオノーラ!」


「何?」


「お前はミリアに謝罪していないそうだな!」


私は皿に盛った肉を食べていた。


「そうね」


「謝れ!」


「嫌よ」


「何だと!」


「そもそも、謝る理由がないもの」


アルフォンスは顔を真っ赤にした。


ミリアが泣きそうな顔で寄り添う。


「殿下……わたくし、もういいんです。エレオノーラ様が怖くて……」


私は肉を飲み込んだ。


「ねえ、ミリア」


「は、はい?」


「その首飾り、綺麗ね」


ミリアは目を瞬いた。


「え?」


「大粒の青玉。北方産でしょう?」


「そ、そうですわ。殿下からの贈り物ですの」


「へえ。お高そう」


「ええ、とても!」


嬉しそうに答えたところで、ミリアははっとした。


私は笑った。


「北部の兵士三百人が、半年は食べられる値段ね」


周囲がざわめいた。


アルフォンスが怒鳴った。


「貴様! ミリアの贈り物にまで文句をつけるのか!」


「文句じゃないわ。感想よ」


「嫉妬深い女め!」


「私が欲しいのは首飾りじゃなくて、兵士の食料よ」


「黙れ!」


アルフォンスが私の腕をつかんだ。


強く。


私はその手を見た。


「離して」


「謝罪するまで離さん!」


「三回言わないわよ」


「何だと!」


「離して」


アルフォンスが鼻で笑った。


「女のくせに生意気な!」


私は手首をひねった。


「あだだだだだっ!」


アルフォンスが悲鳴を上げる。


私は腕を解放した。


「乱暴は嫌いなんでしょう? だったら人の腕をつかまないことね」


「こ、この野蛮人!」


「はいはい」


「お前など、婚約者でなければとっくに追放している!」


私はぴたりと止まった。


「……へえ」


「何だ!」


「じゃあ、婚約破棄しましょうか」


大広間が静まり返った。


アルフォンスは口を開けた。


「……は?」


「婚約破棄。私から申し出るわ」


「な、何を馬鹿な!」


「だって、私が邪魔なんでしょう?」


「それは……!」


「ミリアと結婚すればいいじゃない」


ミリアの目が輝いた。


だが、アルフォンスは慌てた。


「待て! お前との婚約は国家のために必要なのだ!」


「知ってるわよ」


「ならば!」


「だから八年間我慢したの」


私は皿を置いた。


「でも、もう嫌」


「浮気くらいで婚約破棄とは大げさだ!」


その言葉を聞いた瞬間。


私の中で。


ぷつん、と何かが切れた。


八年間。


ずっと我慢してきた。


こいつが馬鹿なことをしても。


私を笑っても。


兵士たちを蔑ろにしても。


国のため。


仲間のため。


そう言い聞かせてきた。


なのに。


「……浮気くらい?」


私は笑った。


「そう。浮気くらい」


近くのテーブルに、銀の燭台があった。


なかなか立派な代物だ。


重さもいい。


握り心地もいい。


私はそれを持ち上げた。


「じゃあ、殴ってから考えるわ」


「は?」


ゴッ!!


そして、冒頭に戻るのである。








第七章 私を捕まえるなら百人連れてきなさい


「エレオノーラ・フォン・グランヴェル! 王族への暴行は重罪だ!」


近衛騎士団長が叫んだ。


私は両手を上げた。


「知ってるわよ」


「ならば大人しく拘束されよ!」


「いいわよ。でも、その前に言わせて」


「何だ!」


「その人、国のお金を盗んでるわ」


静寂。


倒れたアルフォンスが、ぴくりと動いた。


「……な、何を言っている」


「北部補給費。三か月分。合計金貨八千四百枚」


私は指を折った。


「うち、実際に兵士に届いた物資は四割。残りはミリア商会に横流し」


「で、でたらめだ!」


「証拠もあるわよ」


私は扉に向かって声を張った。


「ガルド!」


「はっ!」


大広間の扉が開いた。


ガルドが、書類の束を抱えて入ってきた。


その後ろには、王国監査官と数人の兵士。


そして。


「エレオノーラ」


父がいた。


「父様!」


「……お前」


父は倒れた王子を見た。


次に、銀の燭台を見た。


最後に、私を見た。


「殴ったな?」


「……ちょっと」


「燭台で?」


「……ちょっと」


父は額を押さえた。


「母親そっくりだ……」


私は胸を張った。


「褒め言葉ね!」


「褒めていない!」


父は大きく息を吐き、監査官に合図した。


監査官が書類を広げる。


「第二王子殿下。王国補給費の不正流用について、説明を求めます」


アルフォンスは起き上がった。


額には治療師が布を当てている。


「わ、私は知らん!」


「殿下の署名がございます」


「それは……ミリアが!」


ミリアが息を呑んだ。


「殿下!?」


「お前が言ったのだろう! 交易路に投資すれば儲かると!」


「わ、わたくしは、殿下がよろしいと!」


「黙れ!」


私は腕を組んだ。


「うわあ」


思わず声が出た。


「見苦しい」


アルフォンスが私を睨んだ。


「エレオノーラ! お前が仕組んだのか!」


「何を?」


「この陰謀だ!」


「いや、あんたが盗んだんでしょうが」


「僕は王子だぞ!」


「だから?」


「王子には、国家の財を動かす権限がある!」


「へえ」


私は監査官を見た。


「そうなの?」


監査官は首を振った。


「ございません」


「だってさ」


「うるさい!」


アルフォンスは周囲の貴族たちに叫んだ。


「誰か! この女を捕らえろ! 王族に暴行を加えたのだぞ!」


誰も動かなかった。


当然だ。


私が強いから。


……というだけではない。


父がいる。


王国筆頭公爵。


国境軍の最高司令官。


その父が、冷たい目で王子を見ていた。


「殿下」


父が言った。


「娘の暴行については、正式に謝罪し、相応の処分を受けさせます」


私はちょっと肩を落とした。


やっぱり怒られるらしい。


「しかし」


父の声が低くなった。


「我が領の兵士を飢えさせた件は、別問題です」


アルフォンスは青ざめた。


「グ、グランヴェル公爵……」


「北部国境には、今も魔獣が出没しております。兵士が飢えれば、国境が破られる」


「そ、それは……」


「殿下は、それを理解した上で補給費を流用なさったのですか?」


アルフォンスは答えなかった。


父は言った。


「国を守る者の食料を奪う人間に、王位を継ぐ資格があるとは思えませんな」


そのとき。


「まったく、その通りだ」


低い声が響いた。


大広間の奥から、国王陛下が現れた。











第八章 王様だって怖くない


「父上!」


アルフォンスが駆け寄ろうとした。


「父上! この女が私を殴ったのです!」


国王陛下は息子を見た。


額の包帯。


床に転がった椅子。


銀の燭台。


そして私。


「……エレオノーラ」


「はい、陛下」


私はドレスの裾をつまみ、完璧な礼をした。


「お久しぶりでございます」


「……お前は、礼儀作法だけは見事だな」


「ありがとうございます」


「褒めておらん」


最近、みんなそれを言う。


国王陛下はため息をついた。


「なぜ息子を殴った?」


「腹が立ったからです」


「正直だな!」


「嘘をつくのは苦手ですので」


「知っておる!」


陛下は椅子に座った。


「事情は聞いた。補給費の件もな」


アルフォンスが慌てた。


「父上! 私は王国の利益を考えて!」


「黙れ」


たった一言だった。


アルフォンスは口を閉じた。


陛下は監査官に尋ねた。


「証拠は?」


「揃っております。補給倉庫の帳簿、商会への送金記録、王子殿下の署名入り命令書。さらに、関係者の証言も」


「そうか」


陛下は目を閉じた。


しばらく沈黙が続いた。


私は待った。


こういうときは、黙っているほうがいい。


さすがに分かる。


やがて陛下は目を開いた。


「アルフォンス。お前には失望した」


「父上……!」


「王族とは、国民の上に立つ者ではない。国民を守る責任を負う者だ」


「私は……!」


「その責任を忘れたか」


アルフォンスは何も言えなかった。


陛下は続けた。


「お前の王位継承順位を凍結する。王族としての公務も停止だ。調査が終わるまで、宮殿の一室に謹慎せよ」


「そ、そんな!」


ミリアが叫んだ。


「陛下! 殿下は悪くありません! わたくしたちは愛し合っているだけです!」


陛下はミリアを見た。


「愛し合っている?」


「はい!」


「では、王国の金を盗んでもよいと?」


「そ、それは……」


「お前の父親が経営する商会には、国庫から多額の金が流れている」


ミリアの顔が真っ白になった。


「商会の資産は調査のため保全する。不正に得た利益は返還させる」


「そんな! お父様が破産してしまいます!」


私は口を開いた。


「ねえ、ミリア」


「な、何ですの!」


「北部の兵士たちも、お腹を空かせてたのよ」


「だから何ですの!」


私は黙った。


ミリアは涙を流しながら叫んだ。


「わたくしは悪くありません! 殿下が全部やってくださったんですもの!」


アルフォンスが叫んだ。


「ミリア! お前!」


「殿下こそ! わたくしに王妃にしてくださると約束したではありませんか!」


「それはお前が、グランヴェル公爵家を味方につけられると言ったからだ!」


「そんなこと言ってません!」


二人は互いを罵り始めた。


私はしばらく眺めた。


そして、父に尋ねた。


「父様」


「何だ」


「帰っていい?」


「……まだ駄目だ」


「お腹すいた」


「我慢しろ」


「もう我慢は嫌なのよ!」


「肉の話と国家の話を一緒にするな!」


父は頭を抱えた。


国王陛下が、とうとう吹き出した。


「ははははは!」


周囲の貴族たちが驚いた。


陛下は腹を抱えて笑った。


「エレオノーラ! お前は本当に変わらんな!」


「ありがとうございます!」


「だから褒めておらん!」


また言われた。









第九章 婚約破棄は成立しました


その日の夜。


私は王宮の控え室にいた。


父と国王陛下が、婚約解消の正式な手続きを進めている。


私はソファに座り、焼き菓子を食べていた。


「……十七個目ですね」


声がした。


私は顔を上げた。


そこに立っていたのは、黒髪の青年だった。


背が高い。


肩幅が広い。


騎士の礼装を着ている。


腰には長剣。


見覚えのある顔だ。


「……あれ?」


青年は微笑んだ。


「お久しぶりです、エレオノーラ嬢」


「……誰だっけ?」


青年の笑顔が固まった。


「……覚えていないのですか」


「ごめん。顔は見たことあるのよ」


「三年前、北部国境で共に戦いました」


「あっ!」


私は立ち上がった。


「黒狼!」


青年は目を瞬いた。


「……その呼び名は、久しぶりですね」


思い出した。


北部国境で魔獣の群れが出たとき。


私と一緒に戦った騎士だ。


当時、私は十五歳。


青年は十九歳だった。


黒い鎧を着て、巨大な魔狼を一人で三頭も倒した。


「レオンハルト!」


「はい」


「久しぶり!」


私は駆け寄り、彼の肩を叩いた。


「大きくなったわね!」


「あなたも、お変わりなく」


「何よ! 私だって成長したわよ!」


「ええ。特に腕力が」


「そこ!?」


レオンハルト・フォン・ヴァイスベルク。


王国第一騎士団副団長。


そして、北方辺境伯家の嫡男。


三年前はまだ若い騎士だったが、今では王国最強の剣士の一人と呼ばれているらしい。


「で、何してるの?」


「あなたを迎えに来ました」


「私を?」


「ええ」


レオンハルトは私を見た。


「お怪我はありませんか?」


「ないわよ」


「殿下を殴ったと聞きました」


「うっ」


「燭台で」


「……うん」


「額を」


「……うん」


レオンハルトはしばらく黙った。


そして。


「ふっ」


笑った。


「ちょっと!」


「失礼」


「笑ったでしょう!」


「ええ」


「何よ!」


「あなたらしいと思いまして」


私は頬を膨らませた。


「私だって反省してるわよ」


「本当ですか?」


「……少し」


「でしょうね」


レオンハルトは私の手を取った。


「ただ、次からは気をつけてください」


「何を?」


「燭台は、重心が悪い」


「……え?」


「殴るなら、もう少し握りやすいものを選んだほうがいい」


私は目を輝かせた。


「そうなのよ!」


思わず叫んだ。


「持ち手が細すぎて、振ったときにぶれるのよ!」


「でしょう?」


「あと、飾りが邪魔!」


「分かります」


「やっぱり棍棒がいいわよね!」


「ええ。特に片手用の戦棍は扱いやすい」


私は彼の手を握り返した。


「レオンハルト!」


「はい」


「あんた、いい男になったわね!」


彼は一瞬、目を見開いた。


そして、ゆっくり笑った。


「……それは光栄です」


なんだろう。


少しだけ、顔が赤い。


暑いのかしら。











第十章 私に勝てる男がいた


婚約破棄は、正式に成立した。


アルフォンスは王位継承権を剥奪され、王族の身分も失った。


調査の結果、横領は私が見つけた分だけではなかった。


王宮の修繕費。


軍馬の購入費。


孤児院への寄付金。


あいつは、あちこちから金を抜いていた。


しかも、その大半を賭博と贈り物に使っていた。


ミリア商会も、不正な利益を得ていたことが判明した。


商会は営業許可を取り消され、資産を処分して賠償に充てることになった。


ミリアの父親は不正取引の責任を問われ、投獄された。


ミリア自身も帳簿の改ざんに関わっていたため、裁判にかけられた。


アルフォンスも同様だ。


かつて王子だった男は、王宮の豪華な寝台から、監視付きの粗末な部屋へ移された。


そして、すべてを失った二人は。


最後まで互いを責め続けたそうだ。


「お前のせいだ!」


「殿下が無能だったからですわ!」


「何だと!」


「わたくし、王妃になれると思ったからお付き合いしたのに!」


「この金目当ての女!」


「今さら気づいたんですの!?」


……うん。


お似合いね。


私は報告書を閉じた。


「ところで、北部の補給は?」


ガルドが答えた。


「全量、届きました!」


「よし!」


「お嬢のおかげです!」


「違うわよ。みんなが証拠を集めてくれたからでしょう」


「しかし!」


「私一人じゃ倉庫の帳簿なんて読めないもの」


「……それは、まあ」


「何よ!」


ガルドは笑った。


「いえ。お嬢らしいと思いまして」


私は鼻を鳴らした。


「当たり前でしょう。私は剣が得意なの。帳簿は得意な人が読めばいいのよ」


そう。


私は何でもできるわけじゃない。


勉強は苦手だ。


礼儀作法も嫌い。


細かい政治の話を聞いていると眠くなる。


でも。


悪いことをする奴の顔は分かる。


困っている仲間の顔も分かる。


誰かが腹を空かせていたら、食べ物を分ければいい。


誰かが泣いていたら、助ければいい。


誰かが悪さをしていたら、止めればいい。


難しいことなんて、何もない。


……と、思っていたのだけれど。


「エレオノーラ嬢」


ある日の午後。


訓練場にレオンハルトがやってきた。


「勝負しませんか」


私は目を輝かせた。


「いいわよ!」


木剣を二本用意する。


「手加減しないからね!」


「望むところです」


私は踏み込んだ。


速い。


自分でも、いい踏み込みだと思った。


だが。


カンッ!


レオンハルトは受け流した。


「おっ!」


私は笑った。


「やるじゃない!」


「あなたこそ」


二撃。


三撃。


四撃。


木剣がぶつかる。


乾いた音が訓練場に響く。


楽しい。


ものすごく楽しい。


アルフォンスは、私と剣を交えることを嫌がった。


負けるのが嫌だったからだ。


でもレオンハルトは違う。


私が本気で打ち込めば、本気で返してくる。


私が笑えば、彼も笑う。


「もっと速く!」


「では、遠慮なく!」


次の瞬間。


視界が回った。


「えっ」


足を払われた。


私は地面に倒れた。


そして、喉元に木剣が突きつけられた。


「……一本」


レオンハルトが言った。


私はぽかんとした。


負けた。


私が?


三年連続武術大会優勝の、この私が?


「……もう一回!」


「もちろん」


私は飛び起きた。


二戦目。


負けた。


三戦目。


負けた。


四戦目。


引き分け。


五戦目。


私が勝った。


「やったあああああ!」


私は両手を上げた。


レオンハルトは地面に座り込み、笑っていた。


「参りました」


「見た!?」


「ええ」


「私、勝ったわ!」


「お見事です」


私は彼の手をつかみ、引き起こした。


「ねえ! 明日もやりましょう!」


「喜んで」


「明後日も!」


「ええ」


「その次も!」


レオンハルトは笑った。


「毎日でも構いませんよ」


私は満面の笑みを浮かべた。


「約束よ!」


そのとき。


レオンハルトが、私の手を離さなかった。


「……エレオノーラ」


「何?」


「一つ、お願いがあります」


「何でも言って!」


「では」


彼は私の前に膝をついた。


私は首をかしげた。


「……靴紐でもほどけた?」


「違います」


レオンハルトは笑った。


そして。


「私と、結婚していただけませんか」


私は固まった。


「…………は?」


風が吹いた。


訓練場の砂が舞った。


遠くでガルドが叫んだ。


「お嬢おおおおお! 今度こそ幸せになってくだせええええ!」


私は振り返った。


「ガルド!? 何で泣いてるの!?」


「だって! だってえええ!」


「うるさいわね!」


レオンハルトが笑った。


「返事をいただけますか?」


私は彼を見た。


黒い髪。


灰色の瞳。


大きな手。


剣を握るときは恐ろしく強いのに、私の手を取るときは驚くほど優しい。


「……ねえ」


「はい」


「私、貴族らしくないわよ」


「知っています」


「料理もいっぱい食べるわよ」


「知っています」


「朝から剣を振るうし、泥だらけになるし、怒ると口も悪いし」


「ええ」


「それでもいいの?」


レオンハルトは笑った。


「それがいいんです」


私は目を瞬いた。


「……変な人」


「よく言われます」


「私、勉強も苦手よ」


「私が手伝います」


「刺繍なんて大嫌い」


「私も得意ではありません」


「私、たぶん……」


そこで、言葉が止まった。


なんだろう。


胸の奥が、むずむずする。


剣で負けたときとも違う。


お腹が空いたときとも違う。


私は困った。


こういうとき、どうすればいいのか分からない。


するとレオンハルトが言った。


「エレオノーラ」


「……何よ」


「私は、あなたが好きです」


真っ直ぐな言葉だった。


「三年前、北部国境で初めてお会いしたときから」


私は息を呑んだ。


「あなたは、負傷した兵士を背負って戦場を走っていました」


「……ああ」


覚えている。


あのとき、若い兵士が足を折ったのだ。


「自分も傷だらけなのに、あなたは笑っていました」


「だって、泣いてたら怖がるでしょう」


「ええ」


レオンハルトは頷いた。


「そして、敵の魔狼を倒したあと、あなたは言いました」


「……何て?」


「『腹減った! 誰か肉持ってない!?』」


私は顔を覆った。


「やめてええええ!」


レオンハルトは声を上げて笑った。


「私は、あの瞬間に恋をしたんです」


「なんでよ!?」


「こんなにも強く、明るく、生きることを楽しんでいる人がいるのかと」


私は何も言えなかった。


「あなたといると、私まで楽しくなる」


レオンハルトは私の手に口づけした。


「どうか、私の隣にいてください」


私は。


しばらく。


彼を見つめていた。


そして。


「……一つ、条件があるわ」


「何でしょう」


「毎日、剣の稽古に付き合って」


「喜んで」


「私が勝ったら、好きなだけお肉を食べさせて」


「ええ」


「あなたが勝ったら……」


私は考えた。


うーん。


何がいいかしら。


レオンハルトが微笑んだ。


「私が勝ったら、口づけを一ついただけますか」


私は真っ赤になった。


「なっ……!」


「駄目ですか?」


「……ずるい!」


「そうでしょうか」


「だって、あんた強いじゃない!」


「あなたも強いですよ」


「そういう問題じゃないわよ!」


レオンハルトは楽しそうに笑っている。


私は唇を尖らせた。


そして。


「……分かったわよ!」


私は叫んだ。


「結婚してあげる!」


レオンハルトの瞳が、大きく見開かれた。


「……本当に?」


「二度も言わせないで!」


彼は立ち上がった。


そして、私を抱きしめた。


「ありがとうございます」


私は胸に顔を埋めた。


……ああ。


何だろう。


この人の腕の中は、妙に落ち着く。


剣を振るっているときみたいに、気持ちがいい。


「……レオンハルト」


「はい」


「私、たぶん、あなたのこと好きよ」


「光栄です」


「でも、まだよく分かんない」


「構いません」


「……いいの?」


「ええ」


彼は私の額に口づけした。


「これから、ゆっくり好きになってください」


私は笑った。


「じゃあ、とりあえず肉を食べに行きましょう!」


「……今からですか?」


「お腹すいた!」


「先ほど、昼食を召し上がったのでは?」


「剣を振ったらお腹が空くの!」


レオンハルトは笑った。


「分かりました。王都で一番美味しい肉料理の店へご案内します」


私は彼の腕をつかんだ。


「最高!」


そうして私たちは、訓練場を後にした。












最終章 鈍器よりも大切なもの


それから半年後。


私とレオンハルトは結婚した。


式は盛大だった。


王族も貴族も、騎士団の仲間たちも来てくれた。


もちろん、ガルドも。


「お嬢おおおおお!」


「ガルド! 泣きすぎ!」


「立派になられてえええ!」


「鼻水を拭きなさいよ!」


父も泣いていた。


「エレオノーラ……幸せになれよ」


「父様も泣いてるの!?」


「泣いておらん!」


「泣いてるじゃない!」


「これは汗だ!」


「目から!?」


母はそんな父の背中を叩いていた。


「ほら、しっかりなさい!」


バシン!


「痛い!」


「娘の門出よ!」


「分かっている!」


……やっぱり、うちの両親は仲がいい。


私は笑った。


式のあと、レオンハルトが私を庭園へ連れ出した。


「エレオノーラ」


「何?」


「贈り物があります」


「お肉?」


「違います」


「じゃあ、剣?」


「惜しいですね」


彼が差し出したのは、細長い箱だった。


開ける。


中に入っていたのは。


「……戦棍?」


銀色の、美しい戦棍だった。


柄には細かな装飾。


先端には王国の紋章。


重心も、握り心地も完璧だ。


私は目を輝かせた。


「すごい!」


「あなたの手に合わせて作らせました」


「最高!」


私は思わず振り上げた。


「待ってください」


レオンハルトが笑った。


「ここで試し振りは危険です」


「大丈夫よ!」


「あなたの大丈夫は、あまり信用できません」


「失礼ね!」


私は戦棍を抱きしめた。


「ありがとう、レオンハルト!」


「どういたしまして」


「大切にする!」


「ええ」


「でも、何で戦棍なの?」


レオンハルトは少しだけ、悪戯っぽく笑った。


「王宮の燭台を壊すよりは、専用の武器を持っていたほうがよいかと」


私は吹き出した。


「あはははは!」


彼も笑った。


私は戦棍を置き、レオンハルトに抱きついた。


「ねえ」


「はい」


「私、あなたと結婚してよかった」


レオンハルトの腕が、私の背中に回る。


「私もです」


「毎日楽しいもの」


「それは何より」


「明日も剣の稽古しましょうね!」


「もちろん」


「明後日も!」


「ええ」


「ずっとよ!」


レオンハルトは微笑んだ。


「一生、お付き合いします」


私は彼の頬に口づけした。


「大好き!」


彼は一瞬、固まった。


そして。


「……エレオノーラ」


「何?」


「もう一度、お願いできますか」


「え?」


「今の言葉を」


私は笑った。


「大好きよ!」


彼は私を強く抱きしめた。


「私も、愛しています」


私は目を閉じた。


ああ。


幸せだ。


昔の私は、幸せというものを勘違いしていたのかもしれない。


国のため。


家のため。


仲間のため。


我慢して、我慢して、我慢して。


それが立派な貴族の娘なのだと思っていた。


でも、違った。


誰かを守ることと、自分を犠牲にすることは同じじゃない。


大切な人たちのために頑張ることと、馬鹿な男の言いなりになることも違う。


私は、私のままでいい。


剣が好きで。


肉が好きで。


ちょっとガサツで。


腹が立つと、つい拳が出そうになる。


そんな私を。


この人は、丸ごと好きだと言ってくれる。


「……ねえ、レオンハルト」


「はい」


「もし私が浮気したら、どうする?」


彼は少し考えた。


「そうですね」


「うん」


「まず、理由を聞きます」


「うん」


「それから、あなたと話し合います」


「……うん」


「それでも駄目なら、別れるでしょう」


私は笑った。


「殴らないの?」


「あなたに勝てるとは限りませんから」


「何よ、それ!」


二人で笑った。


するとレオンハルトが、私の耳元で囁いた。


「ですが、浮気するつもりはありませんよ」


「……何で?」


「あなた一人で、私の人生は十分に騒がしいので」


私は目を丸くした。


そして。


「あっはははは!」


お腹を抱えて笑った。


「何よ、それ!」


「事実です」


「失礼ね!」


「愛していますよ」


「もう!」


私は彼の胸を軽く叩いた。


レオンハルトは笑いながら、私の手を取った。


そして、指先に口づけした。


……まったく。


この男。


剣も強いし。


優しいし。


おまけに、口まで上手い。


ずるいじゃない。


私は頬を膨らませた。


「レオンハルト!」


「はい」


「今夜は勝負よ!」


「剣ですか?」


「そう!」


「望むところです」


「私が勝ったら、明日は一日デートして!」


「では、私が勝ったら?」


私は少し考えた。


そして、にやりと笑った。


「一日中、私を独り占めしていいわよ!」


レオンハルトは目を細めた。


「……それは」


「何よ?」


「どちらが勝っても、私の得ですね」


私は一瞬、固まった。


そして叫んだ。


「しまったああああ!」


レオンハルトは大笑いした。


私も笑った。


青い空の下。


新しい夫と、これから始まる毎日。


きっと、喧嘩もするだろう。


失敗もするだろう。


でも。


それでいい。


私はもう、我慢なんてしない。


好きなものを好きと言う。


嫌なことは嫌と言う。


大切な人は、自分の手で守る。


そして、悪い奴がいたら。


……いや。


さすがに、もう燭台で殴るのはやめよう。


あれは父様に、ものすごく怒られたのだ。


修理費も高かったし。


何より、国王陛下から正式にお説教を受けた。


「次に王族を殴ったら、いくらお前でも許さんぞ!」


そう言われた。


だから。


私は隣の夫を見た。


「ねえ、レオンハルト」


「はい?」


「今度、腹の立つ奴がいたらどうすればいいと思う?」


彼は少し考えた。


そして、微笑んだ。


「まずは私に相談してください」


「それから?」


「二人で、もっと賢い方法を考えましょう」


私は笑った。


「いいわね!」


「ええ」


「じゃあ、約束!」


私たちは指切りをした。


そして、手をつないで歩き出した。


ちなみに。


後日、私が王宮の燭台を殴打に使った事件は、騎士団の間で妙な伝説になった。


『銀燭台の公爵令嬢』


という、非常に不名誉な二つ名までついた。


私は抗議した。


「もっと格好いい名前にしてよ!」


するとガルドが言った。


「じゃあ、『王子殴りの戦乙女』で!」


「そっちのほうが嫌よ!」


レオンハルトは隣で笑っていた。


「私は好きですよ」


「どこが!?」


「あなたらしくて」


私は呆れた。


そして、笑った。


まったく。


本当に。


変な男を好きになってしまった。


でも。


それが、最高に幸せなのだ。


――おしまい。



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― 新着の感想 ―
ちょっとガサツで ↑ ちょっと? あと王子が馬鹿なのは大前提として、我慢してたのはエレオノーラだけじゃないと思うよw エレオノーラ相手じゃ普通の神経してたらストレスたまりそうだもんwww お父様やレ…
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