第1話 あと10分でサ終!? 空の「赤い線」が見えませんか
「……平和だ」
俺、アルトは、鍬を握りしめたまま、しみじみと呟いた。
目の前にはのどかな田園風景。足元には、俺が半年かけて育てたキャベツ畑が広がっている。
このキャベツ、ポリゴン数が少なくてやたら角ばっているし、遠くの山なんて書き割りのようにペラペラだが、そんなことは些細な問題だ。
ここには『納期』がない。
深夜三時に鳴り止まない電話もなければ、飛ぶ制作進行も、万策尽きたプロデューサーの土下座もない。
俺の前世は、日本のアニメ制作会社『スタジオ・ブラックホール』の制作進行。
月残業二百時間。帰宅は週に一回。主食はウィダー的なゼリー。
そんな生活を三年続けた果てに、三十五連勤明けの帰り道で電柱にハグして意識が飛び――気づけばこの異世界で農家をやっていた。
「もう二度と働きたくない。俺はこのまま、低ポリゴンの野菜を育てて一生を終えるんだ」
そう決意し、大きく伸びをした、その時だった。
ふと見上げた青空に、奇妙な『文字』が浮かんでいるのが見えた。
『うわ、まだやってたのこのアニメ』
『作画ひどw』
『主人公の顔、地味すぎない?』
「……は?」
まるで動画サイトのコメントのように、白い文字が空を横切っていく。
さらに、空の右隅には半透明のウィンドウまで浮いていた。
【現在の視聴者数:312人 ▼激減中】
嫌な汗が背中を伝う。
見なかったことにしよう。俺はただの農家だ。幻覚だ。疲れてるんだ。
俺は猛スピードで鍬を振り下ろし、作業に没頭しようとした。
だが、現実はそれを許してくれなかった。
「大変じゃー! アルト、逃げろー!」
村長が血相を変えて走ってきた。顔のテクスチャが荒すぎて、表情がいまいち読み取れないが、声は必死だ。
「どうしました村長。また牛が地面にめり込みましたか? バグならいつものことでしょう、再起動してください」
「違うんじゃ! 無くなったんじゃ! 東の森が!」
「は?」
村長に腕を引かれ、俺は村の東側を見た。
そして、持っていた鍬を取り落とした。
あるはずの風景が、ない。
森が、街道が、そこで草を食んでいた牛が、まるでペイントソフトの消しゴムで消されたように、真っ白な『虚無』に変わっていたのだ。
その白い空白は、じわじわと村の方へ侵食してきている。
「な……あの森が、データ削除みたいに消えてる……?」
震える視線で空を仰ぐ。
空の上から、巨大な『赤い線』がゆっくりと降下してきていた。
その線が地面に触れた場所から、世界が物理的に削除されている。
「嘘だろ……あの迫ってくる線……」
前世のトラウマが脳裏を駆け巡る。
スケジュール表に引かれた赤い修正線(赤字)。
そして、制作中止が決まった日にプロデューサーが言った言葉。
『今期のアニメ、枠落ちしたから(打ち切りだ)』
「まさか……あれは『打ち切り(デッドライン)』なのか……!?」
ここがアニメのような世界だということは薄々気づいていた。
だが、まさかその『終わり』まで再現されているなんて聞いていない。
「いやあああああ!! その線を見せるなあああ!! 俺はもう働きたくないんだあああ!!」
俺が頭を抱えて絶叫していると、その『虚無』の方角から、一台の馬車が猛スピードで突っ込んできた。
御者台に乗っているのは、この辺境には似つかわしくない豪華なドレスを纏った少女だった。
彼女の頭上には、なぜか【総監督】という役職プレートが見える。
「どきなさいモブども!! 尺が余ってるからって呆っとしてるんじゃないわよ!!」
少女は俺の目の前で馬車をドリフト停車させると、優雅かつ乱暴に飛び降りてきた。
「そこの地味な村人A! あなた、今すぐ面白いことをしなさい!」
「はあ!? いきなり何だお前!」
「見えないの!? 視聴者が飽きて離脱してるのよ! このままだと、あとAパートでこの世界は終わるわ!」
少女――エリスは、真っ白になりつつある世界を指差して叫んだ。
「終わるって……死ぬってことか?」
「もっと最悪よ! 『最初から無かったこと』になるの! アーカイブにも残らない、黒歴史としての完全消滅よ!」
その言葉に呼応するように、空のコメントが加速する。
『新キャラ?』
『ヒロインだけ作画良くね? 予算の偏りww』
『でも展開おせーよ』
『切るわ』
ゴゴゴゴ……と不穏な音が響き、赤い線がさらに一段階下がった。
「くっ……! コメントが辛辣すぎる……! もっとパンチのある展開が必要ね。そう、例えば……『突然の爆発』とか!」
エリスがパチンと指を鳴らす。
ドカーン!!
俺の背後で、大切な納屋が木っ端微塵に吹き飛んだ。
「俺の納屋アアアアア!! 何してんだ馬鹿野郎!! 意味のない爆発は視聴者が一番冷めるんだよ!!」
「うるさいわね! 派手ならいいでしょ! 次は『お色気』よ! 風よ吹け!!」
不自然な突風が吹き荒れ、エリスのスカートが捲れ上がる。
だが、そこには謎の白い光が鉄壁の守りを敷いていた。
『謎の光』
『無能』
『解散』
「なんでよぉおおお! サービスしたのに数字が下がるなんて理不尽よぉぉ!」
「……脈絡のないサービスシーンは、ただの尺稼ぎだと思われるんだよ。素人かお前」
「なっ……!? 素人ですって!?」
エリスが顔を真っ赤にして反論しようとした、その時だ。
白い虚無の中から、異様な唸り声が響いた。
「グルルルルゥゥゥ……」
空間が引き裂かれ、巨大な影が現れる。
俺は目を凝らし、そして絶句した。
「……なんだあれ」
現れたのはドラゴンだった。
だが、色がグレー一色で、質感がまったくない。さらに動きがカクカクしている。
「ひっ……! 『低予算ドラゴン』!? 打ち切り間際の世界に湧く、処理落ちモンスターよ!」
ドラゴンが口を大きく開けた。
口内には『FIRE_BREATH.wav』という文字が浮かび、そこから安っぽい炎のエフェクトが飛んでくる。
「きゃあああ!!」
エリスが悲鳴を上げて逃げ惑う。
村人たちも逃げるが、全員が同じポーズ、同じ速度で走っているため、まるでコピペされた集団のようだ。
「ひどい……ひどすぎる。あんな手抜き作画じゃ、緊張感のカケラもない」
俺は木陰に隠れながら、職業病とも言えるツッコミを入れざるを得なかった。
だが、状況は最悪だ。
エリスが覚悟を決めたように剣を抜く。
「私がやるしかないのね! 喰らえ! 王家秘伝・スターダスト・スラッシュ!!」
彼女は気合と共に剣を振るった。
しかし――何も起きない。
光も衝撃波も出ず、ただ「剣を振った」という事実だけがそこにあった。
「えっ!? エフェクトは!?」
【システム:現在、マナ(予算)不足のため、魔法エフェクトは使用できません】
「嘘でしょおおおおお!?」
直後、ドラゴンの尻尾がエリスを薙ぎ払う。
彼女は دمのない人形のように吹き飛ばされ、泥まみれになって転がった。
『弱っ』
『グダグダだな』
『もう見るのやめるわ』
空のカウンターが無慈悲に告げる。
――視聴者数、250人割れ。
ついに空の『赤い線』が、村の教会の塔に触れた。
塔は崩れることもなく、音もなくデータとして消滅した。
「あ……あ……。お父様……お母様……ごめんなさい……私の代で、世界が終わる……」
へたり込むエリスに、ドラゴンがゆっくりと近づく。
その口の中はモデリングされておらず、裏側のポリゴンが透けて見えていた。
俺はそれを見ていた。
逃げようと思えば逃げられる。
ここは俺の世界じゃない。俺はただの農家アルトだ。
関わるな。関わったらまた『あの地獄』だ。デスマーチだ。
でも。
目の前で、あまりにも酷い『作品』が垂れ流されている。
元プロとして、このクオリティは許せない。
「……あーーーーもうッ!!! 耐えられねえええええええ!!」
俺は木陰から飛び出した。
「そこの素人監督!! どけッ!!」
「えっ!?」
俺は虚空に向かって手を伸ばし、見えないキーボードを叩くように指を走らせた。
前世の記憶が、指先に宿る。
「【コンソール・オープン】! デバッグモード起動! 制作権限強制介入!」
ブォン、と俺の目の前に、複雑なコンテ用紙とタイムシートがホログラムのように展開された。
「な、なにその魔法陣!? 見たことない数式だわ!?」
「まずはそのクソ眠たいBGMを変えろ! トラック3、『処刑用BGM』を頭出しで再生!」
ジャジャーン!!
突如、空間に激アツなオーケストラロックが鳴り響く。
『!?』
『急に曲が神になったぞ』
『音響仕事したww』
「演出修正! ドラゴン! お前の動きは重すぎる! 中割りを抜いてスピード感を出せ! コマ打ちを3コマから2コマへ!」
俺が空中のシートを書き換えると、ドラゴンの動きが劇的に変化した。
ヌルヌルとした動きから、アニメ特有のメリハリのある鋭い挙動へ。
「敵を強くしてどうすんのよ!?」
「馬鹿! 敵が強くないと『逆転』が盛り上がらねえだろうが! お前はそこで突っ立ってないで、カメラのフレームに入れ! 右斜め四十五度、煽り構図だ!」
「こ、こう!?」
エリスが言われるがままに剣を構える。
カメラワークがローアングルに切り替わり、彼女の必死な表情と、背後に迫るドラゴンの巨大さが強調される。
『おお、構図かっこいい』
『作画は死んでるのに迫力が出た』
『主人公(仮)、有能か?』
視聴率グラフが、わずかに上向く。
「よし、数字が溜まった! エフェクト班、仕事しろ! ありったけの透過光を乗せろ!」
俺は懐から愛用の『鍬』を取り出した。
ただの農具だが、今の俺にはエクスカリバーに見えるような発光処理をかける。
「これが俺の……納品直前の……【火事場の馬鹿力】だあああああ!!」
俺は鍬を一閃させた。
画面いっぱいに広がるホワイトアウト。
一瞬だけ、ドラゴンの線画がバラバラに分解されるスタイリッシュなカットインが挿入される。
ズドォォォォン!!
高音質の爆発音が、世界を震わせた。
煙が晴れると、ドラゴンは跡形もなく消滅しており、地面にはドロップアイテムの石ころだけが転がっていた。
BGMが『勝利のファンファーレ(リコーダー版)』に変わる。
「はぁ……はぁ……。なんとか……完パケたか……」
俺はその場に膝から崩れ落ちた。
空を見上げると、『赤い線』は上昇し、雲の彼方へと消えていた。
視聴者数は『500人』まで回復している。
『なんだったんだ今の神演出』
『村人Aが全部持ってったww』
『とりま継続で』
『来週も見に来るわ』
「……あ」
流れる好意的なコメントを見て、俺は血の気が引くのを感じた。
やってしまった。
「すごい……すごわよあなた!!」
エリスが目を輝かせて俺に飛びついてきた。
「あの尺調整、BGMのタイミング! あなた、ただの制作進行じゃないわね!? デスク? いや、プロデューサークラス!?」
「……帰る。俺はキャベツの世話を……」
俺が立ち去ろうとすると、エリスが立ちはだかり、羊皮紙の契約書を突きつけてきた。
「逃がさないわよ。コメント見たでしょ? 『来週も見る』って。つまり、来週までに第2話を作らなきゃいけないの!」
「断る! 俺はスローライフを……」
「断れば、世界は打ち切り。あなたのキャベツも、スローライフも、全部『虚無』行きよ」
「…………」
俺は絶望の表情で空を見上げた。
そこには早くも『第2話待機』というタグが生成されている。
「……畜生ォォォォ!! なんで異世界に来てまで、自転車操業しなきゃなんねえんだよォォォ!!」
俺の魂の叫びが、美しい夕焼けに虚しく響き渡った。




