【アップ✨】2025年11月23日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(星のカケラ)
https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/live/zScqNrAdrUI?app=desktop&feature=share
【ブログ】
聖書と讃美歌も閲覧できます。
お気軽にお立ち寄りください。
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12948536745.html
聖書
『ヨハネによる福音書』(第一四章一八〜二一節)
『詩篇』(第八九篇二〜一五節)
讃美歌〜♫
讃美歌273番b
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=l7dsXLFJpVM&pp=ygUW6K6D576O5q2M77yS77yX77yT55WqYg%3D%3D
讃美歌333番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=tAg_uKTfjM4&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yT77yT77yT55Wq
2025年11月23日 礼拝説教 聖書箇所
「わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
ヨハネによる福音書14章21節
「わたしが選んだ者とわたしは契約を結び わたしの僕ダビデに誓った あなたの子孫をとこしえに立て あなたの王座を代々に備える、と。」
詩編89編4,5節
はじめに
キリストの内なる信仰と希望と愛は一つ。最も大いなるものは愛なら祈りの道は?
1
「わたしの掟(命令)を受け入れ、それを守る人」とは、主イエスが遣わす弁護者でいます聖霊が内住する者たちが、愛と祈りの道において、絶えず、主イエスを信じ、従う者であることを明らかにする。その人こそ、「わたし(主イエス)を愛する者である」。「あなたの律法を愛する人には豊かな平和がありつまずかせるものはありません」(詩編119編165節)と告白されるとおりに、聖霊の結ぶ実は、完全な愛と平和。愛するとは、御言葉の全体を真理として尊び、それに反する「偽りを憎み、忌み嫌う」こと。そこで、不可欠なことは、愛の完全さに適わない者であることの自覚を持ちながらも、完全さに向かっていく信仰。それは、ただ、御子を惜しまずにこの世に遣わされた御父と、十字架の死に至るまで従順であられた御子と、御父と御子の愛を証しされる聖霊の内に現されている。「その人はわたしを宴の家に伴い わたしの上に愛の旗を掲げてくれました」(雅歌2章4節)と、ユダヤの家で、結婚式の日には、花嫁の上には、「愛の旗」が掲げられた。キリストの花嫁でいます教会の旗印は、十字架のみならず、「完全な愛」。この完全な愛をもって、主イエスは弟子たちを愛し、同じように愛し合うように命じられた。この愛こそ、契約の仲保者イエス・キリストにおけるモーセ律法と預言者の成就であり、真実の証し。「主よ、わたしは御救いを仰いで待ちあなたの戒めを実行します」(詩編119編166節)との祈りと告白は、主の霊の内住における真実の愛の目標。
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「わたしを愛する人は、わたしの父に愛される」とは、御父の愛に条件がある、あるいは、先に神が愛を求めている、という意味ではなく、本当の愛の内に生きる人は、御子と御父の愛を一つのものとして知っているということ。それは、御子の十字架の犠牲という「肉」において神との敵意、敵対心という隔ての壁を取り壊されたゆえに、神に近づく者とされたことを信じる、信仰による愛。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのは、なおさらのことです。」(ローマ5章10節)。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちを罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネ一4章10節)と、神の真実が示されているとおりに、福音を信じて生きる愛。
信仰の生活における多くのつまずきは、神の御心と真実をなおざりにして、人の思うところに早まること。「わたしは背く彼らをいやし喜んで彼らを愛する。まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。」(ホセア14章5節)と言われる主は、人の罪に従って愛する方ではなく、むしろ、ご自身の憐れみのゆえに、御子の唯一の犠牲と命ゆえに、背信をいやし、赦す方。
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「わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」と約束される主イエスは、「自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人」(マタイ13章21節)を知っておられる。しかし、「兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきが」ない(ヨハネ一2章10節)。真の愛は、「礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ」。じつに、主イエスは、土の器に過ぎない人間の内に、聖霊の恵みによって、御父と御子の愛を知るように働きかけ、従順と救いの完成に向かう道を備えておられる(フィリピ2章12節)。
おわりに
主は、背く者へ「なお、わたしは慈しみを彼から取り去らない」(89編34節)と約束される。《聖徒の堅忍》とは、ただ、主の慈しみの中で信じる、希望と慰めと忍耐の教理。
(Mynote)
二〇二五年一一月二三日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「体の甦りには、死からの復活の他どの様な意味がありますか。」
「辱め、悲しみ、痛み、乾き、弱さ、善と悪の対立など、あらゆる悲惨から回復する事です。」
イエス様は、ご自身が十字架に付けられる日が近付いた時、弟子達に改めて信仰を教えた。神殿が無くなる事も教えた。そして世の終わりの時の事を教えた。多くの人が「私はキリストだ」と言って人を惑わし、騙す。戦争の噂をあちこちで聴くだろう。民は民に対して立ち上がる。地震も各地で起こる。しかしこれ等は全て、産みの苦しみの始まりである。しかし信仰に生かされる人は天に挙げられ、救われ、全ての辱め、悲しみ、痛み、乾き、弱さ、善と悪の対立から解放される。
(公同礼拝)
『ヨハネによる福音書』(第一四章一八〜二一節)
『詩篇』(第八九篇二〜一五節)
この両箇所は、信仰に依る愛を教え、信仰の大事を改めて教えて居る。
「私の戒めを心に抱いてこれを守る者は、私を愛する者である。私を愛する者は、私の父に愛されるであろう。私もその人を愛し、その人に私自身を現すであろう」。イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、
「主よ、あなたご自身を私達に現そうとして、世には現そうとされないのは何故ですか。」
イエスは彼に答えて言われた、
「もし誰でも私を愛するならば、私の言葉を守るであろう。そして、私の父はその人を愛し、又、私達はその人の所に行って、その人と一緒に住むであろう。私を愛さない者は私の言葉を守らない。あなた方が聞いて居る言葉は、私の言葉ではなく、私を遣わされた父の言葉である。」
愛の反対は罪である。罪の反対を正確に言えば「本当の愛」である。「本当の愛」とは、キリストの御心に適った愛である。
御言葉を真理として受け入れる事が大事にある。
教会の中でも孤立や派閥が生まれる。人間の世界では、それがどこでも罪がある。だからこそ全ての人は、神様が全ての人に与え教えた信仰と、その信仰に依る愛と恵みが必要となる。それに依り初めて全ての人は、唯一誠のキリストに依り救われる。
罪人の罪の中ではこのキリストが憎まれ、イエス様の時と同じ様に、また聖書に在る他の(殉教した)預言者達と同じく、大衆は悪魔に惑わされ従い、争い、妬みや保身に徹底し、キリストとその信仰者を葬る。この事は聖書(歴史)に既に証明されて居り、罪人である人間がそれを実証して居り、その通りに在る。これ等を救い給うものは唯一、キリストの愛のみである。これを認める事が、人間の傲慢(罪)によりどれほど難しい事か。これはよくよく各自が自分に問わねばならない。信仰を吟味する時、他人の事ではなく、先ず見るべきものは自分である。イエス様はその事をも教えた。
高名で、信仰に厚いと人の間で噂されて居た人は祭壇の前に立ち、自分がそれまでして来た献身を自慢し、ここまで自分はやったとした上で、他人より数段上に立ち、その時ちょうど横に居た徴税人を見て「私はこんな人でなくて良かった。神よ、感謝します」と祈った。しかしその徴税人は自分のそれまでの罪深さを思い知らされて居り、祭壇にも天にも顔を向けず、ただ俯いて、自分のその罪深さを告白して懺悔した。イエス様はこの後者である徴税人の祈りが正義とし、その謙りを愛した。「先に居る者はあとになり、あとに居る者は先になる」天国へ入る時、全ての人はこの様になると、イエス様は教えた。
愛は謙りを生み、傲慢を生まない。教会に通って居る者でも、ただ自分で自分を「信仰の厚い者」と評価して、教会の外に居る人よりも、教会の内に共に居る兄弟姉妹より「自分の方が優れて居る」と、簡単に他人を非難し、見下し、愛さなくなる者がある。これは本当の愛でなく、イエス様を信じて居る様で信じて居ない。イエス様を信じると言う事は、イエス様が教えた事を守り、実践する事にある。誰でも一時の感情で、この様になる事がある。だから信仰に於いても絶えず、この事に注意せねばならない。全ての人は罪人である。その罪から救い得るものは唯一、キリストの愛と恵みである。この事についての人の救いは、全てキリストから来る。
信仰への道は、神様に全面的に屈する事から始まる。これは人間の傲慢・罪が打ち砕かれる事を意味する。この事に於いて、堅忍が必要になる事もある。これはクリスチャン・ノンクリスチャン問わずそうである。クリスチャンもノンクリスチャンも罪人であり、神様の下で兄弟姉妹に在る。神様とその人の、一対一の関係と愛と恵みが在る。その事に気付くタイミングは、人それぞれで違う。しかし確実にそのタイミングは在る。
本当の愛の内に歩めば光の中を歩む事になり、本来、躓く事が無い。しかし人は躓く。これに躓かなかった者はイエス様だけである。ここにイエス様と、他の全ての人(罪人)との差がある。詰り「躓く事」がその人の罪の表れであり、各自がその自分の罪深さを知り、その罪深さを挽回する事の難しさと向き合い、自分足る者がどの様な者かを問われば成らないのである。これが信仰への第一歩に成ろう。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
「カオスと秩序のせめぎ合い」アーサー・ホーランド師
(2023年1月13日収録/2月3日配信)
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=E8EuaJuqLPk&t=102s
どうして神はすべての人を救わないのですか。【3分でわかる!聖書】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=l2HSFS2kdb0&t=207s
Sting - Russians
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=wHylQRVN2Qs
Bruce Springsteen - Born in the U.S.A. (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=EPhWR4d3FJQ
星のカケラ
https://www.youtube.com/@星のカケラ-v5x/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




