魔導祝詞(しゅくし)の詠唱者(うたいて)たち
「……やっぱり、そうなると思ってたよ」
その声は、ふいに魔導工房の静けさを破った。
ルナは、魔導椅子の背にもたれかかりながら足を組み、魔導端末の画面を指でなぞっていた。けれど、その目はまっすぐこちらを向いていた。兄さんとわたしが、並んで座っているこの空気の重さを、ずっと見透かしていたような目で。
「てか、わたしって本当に時機が悪いよね。そういう話、するなら先に言ってほしかった」
そう言いながら、ルナは長い霊髪をくるりと指に巻きつけて、わざとらしく笑った。けれど、その微笑みの奥にある影は、簡単には隠せなかった。
「悔しいな。……あんたの隣に立つ詠唱者に、ずっと憧れていたんだけどな」
その言霊に、わたしはぴくりと肩を揺らす。兄さんも、咄嗟に言葉を失ってしまった。
「……ごめん」
「謝らないで。誰も悪くない。……って、頭では分かっているんだけどさ」
ルナは魔導椅子の肘掛けに肘を置いて、手の甲で唇をなぞった。なんてことない仕草のようでいて、妙に艶っぽい。そういう無意識の色気を持っている詠唱者だ。
「なんか……ずるいよ、あんたたち」
その声色には、ふいに滲んだ感情があった。ルナはわたしたちの顔を交互に見つめる。その視線に、わずかに涙の光が浮かんでいた。
「ふたりだけで、こんな場所まで来ちゃってさ。置いていかれたみたいで、ちょっと腹立たしい」
「ルナ……」
わたしが絞り出すように言うと、ルナは笑った。
微笑んで――そして、ゆっくりと立ち上がった。
「ま、でも最後くらいはさ、ちゃんと見届けさせてよ。どうせなら、いちばん近くで」
ルナはそう言って、魔導工房の霊木板に歩み寄ると、魔導霊筆を手に取り、大きく霊文字を書き始めた。
「リリカ・ノクティス魔導契り(こんしき)進行案――!」
兄さんとわたしは、同時に言葉を失った。
だって、ルナの動きに迷いはなかった。まるで――ずっと前から覚悟を決めていたみたいに。
「霊符(台本)はわたしが詠る。霊飾文字も入れるし、“ふたりの歴史ざっくりまとめ”もするし。来賓の言霊は魔導演奏家からもらって、新しい詠唱の披露もね」
「え、ちょっと、早すぎ――」
わたしが慌てて突っ込むと、ルナはクルリと振り返り、いたずらっぽくウインクしてみせた。
「だって、ふたりのこと、ずっと見守ってきたんだもん。わたしの方が、ふたりよりふたりのこと知っているかもよ?」
そのとき、ようやくわたしは気づいた。
魔導工房の隅。魔導照明(照明)の機材をいじっていたミレイが、いつの間にか立ち止まってこちらを見ていた。静かに、でもその瞳は微笑んでいた。
「……じゃあ、魔導映像と魔導照明は、オレがやろう」
わたしが驚いた顔を向ける。
「……ミレイちゃん、聞いてたの?」
「全部、な。ふたりの音楽、いちばん近くで照らしてきたから。今さら降りられないだろ?」
魔導工房の空気が、少しずつ変わっていく。
ルナが悔しさをかき消すように奔走して、ミレイがそれを静かに支えて――兄さんとわたしの決意は、もうふたりだけのものじゃなかった。
その温かさが、心の奥にじんわりとしみていく。
「……ありがとう、ふたりとも」
そう口にしたわたしの声が、わずかに震えていたのは、たぶん兄さんにしか分からなかった。
そしてその声に、ルナは背を向けたまま、ぽつりとこう呟いた。
「今日だけは祝ってあげる。あんたの隣に立てなかったわたしのこと、ちょっとでも思い出してくれるならね」
その背中に、わたしも、兄さんも、何も言えなかった。
でも、心だけは――たしかに震えていた。




