“ユノ”って、どんな人?
その夜、わたしはずっと水晶端末の魔導文画面を開いたまま、動けずにいた。
宛先は「ユノ」。件名も打ち込んである。
けれど――本文は、空白のまま。
机の端に置いた茶が冷めていくのを眺めながら、
何度も何度も同じ画面を見つめていた。
「……まだ書けてないの?」
兄さんの声が背中から聞こえてきて、思わず端末をぎゅっと抱きしめた。
「書こうとはしてる」
「でもさっきから同じ文面のままだぞ」
「だから、考えてるんだってば」
むすっと言い返してから、唇を噛む。
――わたし、何を怖がってるんだろう。
「“あのときのこと?”って、聞いてもいいと思う?」
ぽつりとつぶやくと、兄さんは少し考えてから、うなずいた。
「いいんじゃないか。向こうもそれっぽいことを書いてたし。
気になるなら、聞けばいい」
「……うん」
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
でも、端末を見つめる指先はまだ迷っていた。
「……わたし、たぶんユノのこと……」
声が小さくなった。けど、兄さんは待ってくれている。
「どんな人なんだ?」
「……なんとなく、居心地がよかった。
よくわかんないけど……話してると、自分が透けて見える気がして。
……それが、ちょっとだけ怖かった」
端末の縁を、指でなぞる。
わたしは続けた。
「でも、そのままにしてたのは、わたしの責任だと思う。
なのに、あの人は今日、ああやって魔導文をくれて……」
「だったら、今度はリュミナの番だな」
兄さんの声に押されて、わたしはやっと指を動かした。
魔導文字が、ひとつ、またひとつと光の帯になって並んでいく。
……深夜一刻。
「書いた。……送った」
送信の光がふっと弾け、静かに消える。
わたしは端末を胸に抱きしめて、小さく笑った。
* * *
翌朝。
寝ぐせのまま台所に駆け込んで、兄さんに叫んだ。
「来た! 返事!」
「え、もう?」
「暁の五つ鐘。早すぎない!?」
「ってことは、向こうもすぐに受け取って……」
「うん、多分リアルタイムだった。寝てなかったんじゃないかな」
胸を高鳴らせながら、画面を開く。
『魔導文ありがとう。
あなたが返事をやめたとき、少しさみしかった。
でもそのあと、また君の旋律に出会った。
言葉の選び方も、音の紡ぎ方も、
名前がなくても“君”だってすぐにわかった。
だから、こうしてまた話せて嬉しい。
わたしも今でも魔導譜を編んでいる。
ひとりで、ひっそりだけど。
もしよかったら――いつか一緒に、何か作ってみませんか。
ユノより』
読み終えて、わたしは端末をぎゅっと胸に抱いた。
「……ちゃんと届いてたんだ。わたしの音が」
声が少し震えたけど、その震えは、昨日までのわたしとは違った。
「……この人と、魔導曲、作ってみたいかも」
呟いたその言葉には、迷いなんてなかった。
ユノは、わたしの過去を思い出させる存在。
でもそれ以上に――これから先の“音”を、一緒に紡げるかもしれない誰かだった。
わたしはもう、ただ“詠うだけ”じゃない。
“誰かと一緒に魔導音を作ること”を、ちゃんと望めるようになっていた。