修正と祈り――霊律に宿る決意
午後の魔導スタジオ。
外には、夏の終わりを告げるような重たい雲が垂れ込めていた。
けれど、わたしの視線は、ローズ型魔導鍵盤越しに見える兄さん――セリオの横顔に引き寄せられていた。
ローズ鍵盤は、金属音叉の霊力を拾って響かせる魔導楽器。
その音色は、柔らかく曖昧で、静かな午後の空気に溶け込むように響く。
兄さんは、何かを迷っているようだった。
魔導譜に指を添えながら、さっきから一言も発していない。
仮霊譜は、すでに完成していた。
音も、詞も、わたしたちの“祈り”そのもの。
けれど、魔導映像塔から新たな伝信が届いた。
「映像霊幕の構成が届いたよ」
兄さんが魔導窓を指差しながら言った。
「主詠唱の入り、少しズレてるかも。監督から、“もう少し疾走感が欲しい”って」
わたしは、困ったように眉をひそめた。
「疾走感って……この詠唱、静かな祈りだったのに」
「うん。でも、映像の霊律が速くて。登場人物の動きに合わせるなら、少しテンポを上げたほうがよさそう」
わたしは黙り込んで、天井を見上げた。
魔導灯の光が、白い天井に淡く反射している。
──その光の先にあるのが祈りなのか、迷いなのか。
「……“妹”って、誰かに届かないものだと思ってた。
ずっと名前を呼べなかった、誰かへの想い。
でも……魔導映像になるなら、誰かの目に触れるなら──
もう少し、前に出してもいいのかも」
その言葉を聞いて、兄さんの表情がふっとやわらいだ。
「アウトロは霊消音じゃなくて、霊断で終わらせるってさ」
「……潔いね」
「でも、潔さも“祈り”のかたちかもしれないよ」
わたしは兄さんの方をちらっと見て、笑った。
その笑顔が、少しだけ眩しかった。
魔導譜を開き、霊律のテンポを少し上げる。
イントロの鍵盤を削り、主詠唱の入りを映像に合わせて調整していく。
兄さんの手が、ふとわたしの手に触れた。
「あ……ごめん」
兄さんの頬が少し赤くなったのが、なんだか可愛くて、
わたしは笑いそうになるのをこらえた。
「この修正で、映像と合うはず」
兄さんは集中しているふりをしながら、魔導譜に霊力を込めていく。
「うん……でも、音楽としても納得できる。
これは“妥協”じゃなくて、“調整”だよね」
わたしは、魔導窓の進捗霊光を見つめながら、静かに言った。
「……音って、変えられるんだね」
「怖かったけど、今はちょっとだけ、嬉しい」
「うん。変えることで、届くなら──それも音楽だと思うよ」
魔導霊送装置にファイルをアップロードしながら、
兄さんの手が、またわたしの手と重なった。
今度は、わたしも引っ込めなかった。
「提出、完了」
兄さんが魔導窓を見ながら、そう告げた。
わたしは、じっと兄さんの方を見ていた。
そのまま、何か言いたげに、唇を開きかけて──そして、閉じた。
魔導スタジオの空気が、急に静かになった。
「ねえ、セリオ」
「ん?」
「……“妹”って、誰かのための祈りじゃなくて、
自分のための祈りだったのかも」
兄さんは目を閉じて、ゆっくり言葉を選んだ。
「……それ、すごく音楽っぽい言葉だね」
わたしは、兄さんの肩に、そっと頭を乗せた。
その重みとぬくもりに、胸の奥がふるえた。
音楽も、祈りも、霊契も――
すべてが、わたしたちの中で、静かに息づいていた。
そして、わたしたちはまた、次の音を探し始める。




