契約の旋律――物語に寄り添う詠唱を
『世界妹』の魔導映像化が、正式に発表された。
魔導伝信に掲載された登場人物の霊声と、魔導映像塔の制作名が明かされると、魔導界隈はまるで祝祭の花火のように沸き立った。
その瞬間、わたしと兄さん――セリオの中で、何かが確かに灯った。
――挑めるかもしれない。
そんな根拠のない衝動。でも、それは確かに希望だった。
魔導スタジオの空気も、どこか新しい始まりの匂いがしていた。
その匂いの奥に、ほのかに漂う香りがあった。
兄さんがふと目を向けた先――それは、わたしの髪に残る香草の香りだった。
わたしは膝に『世界妹』の第二巻を乗せながら、魔導譜制作装置を開いていた。
真剣な表情。その横顔。
さらりと落ちる髪が首筋にふわりとかかって、なんだか――
少し、胸が高鳴る。
「やっぱり、最初の“沈黙”って重要だと思うの」
不意にそう言ったわたしの声が、兄さんの耳に残ったようだった。
ささやくように。
「主人公が、妹と初めて二人きりになる場面。何も言えなくて、でも、何かが動き出す……あの“間”を、音で描きたい」
わたしの言葉に、兄さんは魔導筆を止めてうなずいた。
「……空白を音にする、か」
わたしは無言で魔導譜を操作し、ローズ型魔導鍵盤の音を小さく繰り返すように設定した。
その魔導残響が、まるで――
好きな人からの魔導伝信が届かないときのように、じわじわと心に染みてくる。
「……仮題、どうしようか」
唇を少し噛むような仕草で、わたしは兄さんを見た。
心なしか、上目遣い。
……いや、心なしかじゃない。
「“世界でいちばん、届かない”とか。ちょっと切ない感じで」
兄さんがそう言うと、わたしの瞳がきらっと光った。
「……いい、それ。すごく、合ってる」
笑った。その瞬間、胸の奥に鼓動が走った。
やばい、今の……恋が加速する。
ふたりの間に、静かな集中が流れる。
魔導詠唱の進行、霊力の流れ、言葉の響き、間の置き方――
音を重ねるたびに、兄さんの表情がやわらかくなっていくのが分かる。
そしてそのとき。
魔導端末が、机の上で震えた。
画面に映ったのは、シャリカの名前と投稿。
#世界妹
#提出完了
「もう……出してるんだ」
わたしがつぶやいた。
その横顔が少しだけ緊張しているように見えて、兄さんは思わずわたしの肩に手を伸ばしそうになった――
けど、やめた。
距離感、大事。いろいろと。
「シャリカ、動くの早いな」
そう言いながら、兄さんも内心では焦りを感じていたのだと思う。
でも、わたしは静かに言った。
「……関係ない。わたしたちは、わたしたちの音でいく」
その目はまっすぐだった。
不意に、さっきまで気になっていた髪の揺れや首筋の白さとか、そういうのがどうでもよくなるくらいに。
「“主題詠唱に、してみたいんだ”。この想いに、勝てる音を作る」
わたしの言葉に、兄さんはうなずいた。
「そのためなら、何度でも壊すよ。音も、自分も」
その言葉に、わたしはふっと笑った。
……やっぱり、ちょっと色っぽい。
魔導スピーカーが、ふたたびローズの音を奏でた。
まだ何も決まっていない魔導譜に、少しずつ、ふたりの物語が息を吹き込まれていく。
まるで――契約のはじまりのように。




