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魔導の息吹、わたしだけの旋律

雨が止んだあとの夕刻。

魔導窓にはまだ薄く霧が残り、空気には湿り気と静かな魔力の揺らぎが漂っていた。

遠くで雷鳴の名残がくぐもった音を立て、空は灰と藍のあいだを揺れている。


わたしは、身体に沿う薄手の魔織衣を纏い、その上から旅装束のような外套を羽織っていた。

胸元には銀糸の刺繍が施され、首元には小さな魔導飾りが揺れている。

その飾りは、兄さん――セリオが選んでくれたもので、音に反応して淡く光る。


魔導演奏堂の一角。

わたしたちは、誰もいない小さな演奏室にいた。

石造りの壁には魔導音を吸収する結晶が埋め込まれ、外のざわめきはまるで遠い夢のように静かだった。


兄さんは、作業を終えたばかりで、少し疲れた顔をしていた。

それでも、わたしの隣に腰を下ろすと、ふっと微笑んでくれた。


「……少し、休んでいて。わたしが、起こすから」


そう言って、わたしは織布の膝掛けを手に取り、兄さんの肩にそっとかけた。

その布には、わたしの体温が少しだけ残っていたかもしれない。

兄さんは何も言わず、目を閉じた。


わたしは、魔導鍵盤――ローズの魔導ピアノに指を置いた。

その起動音は、静かで、まるで夜の空気に溶けるようだった。

鍵盤の表面は冷たく、でも指先に触れると、魔力がじんわりと伝わってくる。


わたしは、兄さんの寝息に耳を澄ませながら、旋律を紡いでいく。

低く、まだ形になりきらない音。

でも、それは確かに、兄さんの呼吸に寄り添っていた。


心拍の揺れ、喉の鳴る音、微かな寝返り――

それらすべてを、わたしは音に変えていった。

魔導の音が、兄さんの息に重なり、ひとつの旋律になっていく。


その音は、誰にも聴かせたくないほど繊細で、

でも、兄さんには聴いてほしいと思った。


「……録った。兄さんの息吹を、わたしの旋律に」


兄さんが目を開けると、わたしは魔導結晶に記録された音源を差し出した。

その結晶は、淡く光っていた。

兄さんの音が、わたしの魔力に染まった証。


「……これ、俺の音?」


「そう。でも、もう“わたしの音”でもある」


兄さんは、わたしの背後からそっと腕を回してきた。

その手の温もりが、魔導鍵盤の上でわたしの指に重なる。


「……この音、もっと聴かせて」


「だめ。兄さんが、また眠ってくれないと、続きを作れない」


「なら……眠るまで、こうしていて」


「ずるい」


「リュミナこそ」


指と指が、鍵盤の上で重なり、音がふたりの間を縫うように鳴り始める。

その音は、旋律というよりも、ふたりの心の鼓動そのものだった。


深夜一刻。

曲はまだ完成していない。

でも、わたしたちの間には、音楽よりも濃密な“なにか”が生まれていた。


それは旋律ではない。

言葉でもない。

ただ、触れ合いと息吹と、ふたりだけが知る静かな昂ぶり。


魔導灯が揺れ、影が壁に踊る。

わたしは、兄さんの肩にそっと頭を預けた。


「……今日の音、兄さんしか知らないから」


その声が、いちばん深く、わたしの心を震わせた。


そして、鍵盤の上で、ふたりの指がもう一度重なった。

音が、静かに、夜の空気に溶けていく。

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