仮装演奏会と“本当のわたし”
「……収穫祭、やってみたいかも」
小さな声で最初にそう言ったのは、わたしだった。旅装束のような外套をすっぽり被ったまま、広間の隅で膝を抱えて座り、視線だけがちらちらと兄さんの方を泳いでいた。
「仮装演奏会って……どう思う?」
「え? リュミナが?」
兄さんが聞き返すと、わたしはすぐに視線を逸らした。
「……ルナが、言ってた。魔導放送とか映えるって……だから、別に、わたしは……」
そのとき、ルナがぱんと手を叩いた。
「いいじゃんそれ! “リリカの魔女たち”みたいなコンセプトで、話題になること間違いなし! ほら、白の魔女とか、小悪魔侍女とか――」
「……やめて」
わたしの声が、きゅっと小さくしぼむ。
「そういうの、へんだから……」
「えー!? リュミナなら絶対似合うって~! いや、ほんとに見たいもん。むしろ私が着たいし!」
わたしは耳まで赤くして、ぷいとそっぽを向いたまま、上衣の袖をぎゅっと握っていた。
だけどその数分後、こっそり魔導記録盤の触れ石を動かしているのを、兄さんは見ていたらしい。
数日後。
演奏の間に届いた衣装の箱。その中には、収穫祭の夜の闇を思わせる、黒と銀のドレスがあった。その冷たい布地が肌に触れた瞬間、どこか懐かしいような、それでいて新しい自分がそこにいるような感覚がした。
「……どう、かな」
わたしが、ゆっくりと兄さんの方を振り向く。髪がそっと揺れ、瞳が一瞬だけ、彼を真っすぐに見つめた。
息を呑む。言葉が出てこない。兄さんはただ、目の前のわたしを見つめている。輪郭はどこか儚く、美しかった。
「……へ、へんだったら……着替える」
すぐに視線を逸らす。
「違う、すごく……綺麗で、見とれた」
そう言うと、わたしは一瞬目を見開いて――
「……ばか」
と、ほんの少しだけ微笑んだ。
その横で、ルナがちゃちゃを入れる。
「はいはーい! じゃあ“トリック・オア・トリート”言ってみて! お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ~的な!」
わたしはびくっとして、上衣に手を伸ばしかけ――やめる。
「やだ……それ、ルナがやればいい」
「えー! やるよ? むしろ得意だし!」
シャリカがそこに滑り込むように登場する。
「私は“選ばれし亡霊の書記官”でいこうと思うの。やはり収穫祭には由緒が必要よね」
「ちょっと待って、シャリカそれ毎回意味わかんないけど、なぜか成立してるのすごくない?」
わたしはふっと笑った。その笑顔は、どこかいつもより軽やかだった。
祭典当日。
魔導放送の画面には感想文が踊る。
《リュミナちゃん尊い》
《仮装似合いすぎ》
《声の震えが逆に刺さる》
《シャリカは異界から来たの?》
その中で、わたしはそっと魔導音具を握る。少しだけ、震えた声で――
「……“トリック・オア・リリカ”。……お菓子か、お歌か……選んで」
感想文欄が一気に光の紋章で埋まっていく。その様子を見て、わたしはほんのわずかに口元を緩めた。
仮装の夜だからこそ、自分じゃない“誰か”になれる――でもわたしは、“本当の自分”でそこに立っていた。それは、誰かの真似ではなく、自分だけの仮面を被ることで、本当の自分をさらけ出すという、この夜だけの魔法だった。
演奏会が終わった控室。
わたしは上衣の袖を握りながら、ぽつりと。
「……恥ずかしかったけど……楽しかった」
「うん、すごく良かったよ。リュミナ、がんばったな」
「……兄さんが、いたから。……だから、できた」
それだけ言って、また沈黙。
でも、心の中には、確かに音が鳴っていた。それは、「自分は一人じゃない」と告げる、新しい旋律だった。




