そして、またここから
魔導演奏会から、ちょうど一週間が過ぎた。
わたしは、魔導スタジオの片隅でローズ鍵盤の前に座っていた。指先が鍵盤に触れるたび、微かに震える。でも、それはもう“怖さ”じゃなかった。次の一歩を踏み出すための、静かな緊張だった。
「……今日、みんな来るんだよね?」
わたしがぽつりと呟くと、兄さんは魔導マイクのセッティングをしながら頷いた。「うん。ルナも、シャリカも、ミレイも。全員集合だよ」今日は、“リリカ・ノクティス”としての新章を記録する日。わたしたちの“これから”を、音に刻む日だった。
「……なんか、ちょっと緊張する」
「大丈夫。リュミナは、もう“ひとりじゃない”から」
兄さんの言葉に、わたしはそっと笑った。
午後。魔導スタジオの扉が、次々に開く。
「おっそーい! リュミナ、今日もかわいいじゃん!」
「……ルナ、うるさい」
「ふふ、でも照れてない。成長したな、リュミナ」
「シャリカ……相変わらず霊衣なの?」
「当然だろう? 今日は“門出”なのだから」
最後に、ミレイが現れた。
「よっ、主役たち。準備はいいか?」
わたしは、深く頷いた。
「うん。……今日は、“わたしたち”の曲を録る日だから」
録音が始まる。
タイトルは、まだ仮のまま――『またねの続きを』。ルナのコーラス、シャリカの朗読パート、ミレイの魔導オルガン。そして、兄さんとわたしのユニゾン。それぞれの“声”が、ひとつの音楽に重なっていく。
ミレイのオルガンは、ゆるやかにうねるような音で、曲全体に深みを与えていた。温かくて、少しだけ粘り気のあるその響きが、まるで感情の底をゆっくり撫でていくようだった。
「……すごいな、これ」
兄さんが言うと、わたしは頷いた。
「うん。まるで、最初から“この五人”で作る運命だったみたい」
わたしは、魔導マイクの前でそっと目を閉じた。
「この歌が終わっても、また始められる。……そんな気がする」
録音が終わったあと、スタジオのソファに全員が集まった。
「ねえ、次はさ――ライブ、五人でやらない?」
ルナの提案に、シャリカがすぐに乗った。
「いいな、それ。“リリカ・ノクティス feat. All Stars”って感じで」
「ださっ」
「またそれ言う!?」
笑い声が響く中、わたしはぽつりと言った。
「……でも、いいかも。“またね”の続きとして」
ミレイが、にやりと笑う。
「じゃあ決まりだな。次のステージは、全員で」
その夜。
ルナは、自分の部屋の魔導端末から、ふたりが録音したばかりの新曲を何度も繰り返し聴いていた。彼女の心臓は、まるで新しい旋律に合わせるかのように、高鳴り続けている。
「……ずるい」
ぽつりと、ルナは呟いた。
「どうして、あんな音が出せるんだろう……」
その才能に対する憧れと、どうしようもない悔しさが、同時に胸を締め付ける。ルナは、ふたりが作り出す「音の魔法」に、嫉妬にも似た感情を抱いていた。
でも、同時に、どうしようもなく心が温かくなるのを感じていた。
「わたしも、あんな風に歌いたい……」
ルナは、自分の声が、いつかふたりの音楽に溶け込むことを願って、小さく歌い始めた。
翌朝。
兄さんがスタジオに入ると、わたしはローズ鍵盤の前に座っていた。指先が鍵盤をなぞると、ぽろぽろと音がこぼれていく。
「……あれ? 久しぶりに弾くと、指がちょっと迷うな」
「でも、ちゃんと“リュミナの音”になってるよ」
兄さんは、魔導湯のカップを片手に微笑んだ。
「ねえ、兄さん」
「ん?」
「わたし、“リリカ・ノクティス”の中でも、“リュミナ”としてちゃんと歌える気がする。……そばに、兄さんがいてくれるなら」
兄さんは、少しだけ笑って、わたしの手を握り直した。
「リュミナが“リュミナ”として歌うなら、俺は“セリオ”として支えるよ。ずっと」
わたしは、照れくさそうに目をそらした。でも、その頬はほんのり赤く染まっていた。
「……じゃあ、次のライブ、ちゃんと“名前”も出してみようかな」
「“リュミナ”として?」
「うん。“リリカ・ノクティス”のステージで、“セリオとリュミナ”としての色も見せたい」
その言葉に、兄さんは少しだけ息を呑んだ。それは、ユニットの中でのふたりの役割を明確にする宣言であり、未来への新しいステージの始まりでもあった。
夕暮れの街。
少しだけ風が涼しくて、空は淡いオレンジ色に染まっていた。
「……ねえ、兄さん」
「ん?」
「わたし、次のライブ……“未来の声”で始めたい」
「いいね。……その声が、きっと誰かの“はじまり”になる」
わたしは、空を見上げて、そっと呟いた。
「この歌が終わっても、わたしは歌い続ける。だって、音楽は――“またね”の続きだから」
その声は、確かに未来を呼んでいた。そして、わたしたちの物語は、まだ終わらない。




