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沈黙の歌姫、影より来たる

昼下がり。

魔導窓から差し込む光は、やわらかくて、少しだけ眩しかった。

でも、わたしの心は、昨日からずっと張り詰めたままだった。


ルナの言葉が、頭の中で何度も反響している。

「どっちが“届くか”……それだけの話よ」


その“届く”という言葉が、わたしの胸をざわつかせる。

魔導鍵盤の前で、わたしは指を動かしていた。

でも、音はまだ“わたしの声”になっていない。


兄さんは隣で静かに魔導譜を書いていたけど、わたしの様子に気づいているのは、きっと間違いない。


そのとき――

魔導扉が、音もなく開いた。


「……いるのはわかっていた」


その声は、風のように静かで、でも確かに届いた。

振り向くと、そこにはシャリカが立っていた。


白地に薄紅の小花模様の霊衣。

まるで、異世界の静寂をまとっているような存在感。


「ようこそ……って、どうやって入ったの?」

兄さんが聞くと、シャリカは微笑んだ。


「君が私のために、扉を開けておいてくれたんだろう?」

「……そんなつもりはなかったけどな」

「ふふ。それはどうかな」


シャリカは、わたしのベッドに腰を下ろした。

わたしは、ちらりと彼女を見たけれど、すぐに目を逸らした。


「リュミナの歌、聴いたぞ」

「……どこで?」

「この前、君が流していた。魔導窓の外で聴こえていた。……窓、開いてた」


盗み聴き――そう言いたかったけど、言えなかった。

シャリカの瞳は、まっすぐだった。


「だけど、“心の底”までは、まだ届いてない気がする。私には」


その言葉に、わたしの指が止まった。


「だから、私も、歌う」

「……シャリカ?」

「前に言っただろう。“あなたの物語のヒロインは、私”だと」


わたしは、彼女の言葉を受け止めるしかなかった。

シャリカは、魔導ノートを開きながら言った。


「ユノから招待を受けた。“例の企画”に、参加してみないかって」

「ユノって……何者なの?」

「君もよく知っている人だよ」


その言葉に、兄さんが息を呑んだ。

わたしも、心臓が少しだけ跳ねた。


「彼女の目的は、“もっと声を届ける”こと。……君の声も、そこに含まれてる」

シャリカは、静かに言った。


「でも、私は思う。“届く声”とは、誰かを踏み台にして出すものではない。

隣にいる誰かと、正面から向き合ってこそ……生まれる」


わたしは、少しだけ目を細めた。


「つまり、自分もその“声”の競争に名乗りを上げるってこと?」

「そうだ。わかってるじゃないか」


シャリカは、兄さんの机の上の魔導譜に目を落とした。


「この曲。リュミナのためのものだろうが、私にも歌わせてくれるか?」


その言葉に、わたしの胸がざわついた。

でも、すぐに答えた。


「……いいよ。やってみよう。

わたし、負ける気しないし」


シャリカは、ふわりと立ち上がった。


「それでこそ、私の“ライバル”だ」


彼女が去ったあと、部屋には静寂が戻った。

でも、わたしの中には、確かな火が灯っていた。


「……やっぱり、わたし、あの人ちょっと好きかも」

兄さんが吹き出しそうになった。


わたしは、ローズ鍵盤に手を置いた。

くすんだ銀色の音が、ぽろりとこぼれる。


その音は、“誰かに負けたくない”気持ちと、

“誰かと並んでいたい”願いの両方を、静かに映していた。


夜。

ユノから魔導伝信が届いた。


『選ばせてもらうぞ。けれど、選ばれない声に意味がないなんて、私は思わない』


わたしは、それを見て、静かに言った。


「この人、敵じゃないのかもしれない」


──物語は、また一つ、音を重ねていく。



その夜、魔導ノートを開いたわたしは、ふとページの端に目を留めた。

そこには、魔導学園の霊出席記録の控えが挟まれていた。


「……これ、まだ出してなかったんだ」


兄さんが振り向く。


「霊出席日数の欄、空白が多すぎるな」


わたしは、少しだけ目を伏せた。


「……うん。わたし、ずっと“届かない”って思ってたから。

誰にも、何にも」


その言葉に、兄さんは何も言わず、そっと魔導ノートを閉じた。


「でも、今は違う。

誰かに届くって、信じられるようになったから」


その声は、静かで、でも確かに“未来”を見ていた。

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