その日が来るのが、少しだけ怖いけれど
「三日後、だね」
「……うん。三日後」
魔導暦の水晶盤を見つめながら、わたしは小さく息を吐いた。
『やさしい透明』――
わたしとユノが紡いだ、初めての“共鳴の旋律”。
発表から七日。
魔導通信網での再生数は十万を超え、反響も大きかった。
“新しいリュミナ”として、わたしの声は少しずつ広がっている。
そして、三日後には――
その旋律を、初めて“人々の前”で歌う日が来る。
「新曲、生で聴けるの嬉しすぎる」
「ユノさんとの曲、最高でした。ライブも楽しみ!」
「リュミナちゃん、がんばって!」
魔導端末に届く応援の言葉。
それは、確かに嬉しい。
でも――
「……がんばって、って、書いてあるのにね」
「何が?」
「わたし、今、がんばれてるのかなって」
声は、いつもより少しだけ細かった。
「なんかね……“自分の中の期待”と“外からの期待”の間に、ズレがある感じっていうか」
「プレッシャー、感じてる?」
「ううん。……嬉しいんだよ。すごく。
ちゃんと“聴いてもらえた”って実感あるし。
でも、たぶん……怖いの」
指先で魔導端末の画面をなぞる。
「次、間違えたらどうしようとか。
想像と違ったって思われたら、どうしようとか。
それよりなにより、“自分が思ってたように、歌えなかったら”って。
……それが、一番、こわい」
兄さんは黙って、わたしの言葉を聞いていた。
それだけで、少しだけ安心できた。
「……歌う前から、答え出そうとしてんだな」
「え?」
「不安ってさ、たいてい“未来のこと”だろ。
でも、未来はまだ来てないんだからさ、そこで悩んでもしょうがない」
「でも、“今”が“その未来を決める”んだよ?」
わたしはまっすぐ兄さんを見て、言い返した。
「歌は……録音じゃなくて、生だもん。
取り返しがつかないんだよ。ひとつでもズレたら、伝わらないかもしれない」
「……それでも歌うんだろ?」
その言葉に、わたしは目を見開いた。
そして、しばらく黙ったあと――
「……うん。
“やめる”って選択肢は、ないんだよね。不思議と」
「そりゃそうだ」
「うん。……わたし、歌うよ。ちゃんと。
こわいけど、それでも、“あの曲”は、自分の中から出てきたものだから」
わたしは立ち上がり、深呼吸ひとつ。
「リハ、付き合って」
「もちろん」
「……でも、その前に、チョコレート食べていい?」
「それ、ルーティーンになってるよな」
「うん、だから今日も崩さない」
小さな魔導菓子をひとかけ口に放り込んで、にやっと笑う。
そして、真っ直ぐ兄さんを見た。
「その日が来るのが、ちょっとだけ怖いけど、
……ちゃんと“その日”を迎える準備は、できてきたと思う」
その目は、まだ少し揺れていたけど――
確かに、“前を向いてる”目だった。
リハーサルは深夜まで続いた。
何度も魔音を止めて、何度もやり直して、それでも手は抜かなかった。
途中、何も言わずに魔譜を見つめる時間もあった。
けれど、わたしは最後の最後まで、自分の声を止めなかった。
「……やっぱり、いい曲だな」
リハーサルのあと、ぽつりと呟いたわたしの声は、
不安でも、自信でもなく――ただ、まっすぐだった。
「ねえ」
「ん?」
「もし、ライブで泣いちゃったら……どうしよう」
「それも含めて、ライブだろ」
「……そうだね。
わたし、ちゃんと歌う。泣いても、ちゃんと、歌う」
それは誓いでも、決意でもなく。
ただ、静かで、強い“覚悟”のことばだった。




