わたし、魔導音楽祭、出てみたい
「……魔導音楽祭、出てもいいよ」
そう言った瞬間、兄さんが魔導端末の水晶盤を割りそうになった。……そんなに驚かなくてもいいのに。
「……え? 今、なんて?」
「聞こえてるくせに、うるさい」
わたしは魔導譜の光から目を離さずに答えた。椅子の背もたれは倒しきって、ローブのフードを深く被って、脚を抱えるようにして座っている。いつもの姿勢。いつもの部屋。でも、今日はちょっとだけ違う。
「いや、ちょっと待ってくれ。それって“観客として行ってもいい”って意味か? それとも、“俺が出るなら見てやらなくもない”とか、“そのときだけ部屋から出て魔導水晶で見る”って意味?」
「“出てもいい”って言ったんだけど」
「……俺たちが、だよな?」
「そうだけど」
「お前が、“人前に出てもいい”って言ってる……のか?」
わたしは答えなかった。でも、足先がちょっとだけ動いた。それだけで、兄さんには伝わったみたい。
「まじかよ……!」
「うるさい」
「ごめん」
兄さんは魔導端末に向かって、魔導祭の招待文を確認していた。本当に来ていた。王都で開催される魔導音楽祭から、出演依頼の魔導文書。わたしたち――「リリカ・ノクティス」の名義で。
「なあ、リュミナ。理由、聞いてもいいか?」
「……演奏、どんな感じになるのか……知りたいだけ」
「それだけ?」
「……それだけ、じゃないけど」
魔導盤の上に手を置いたまま、わたしはうつむいた。兄さんが魔導舞台に立っていたときのことを思い出す。あのときの歌声。あのときの表情。その声は、わたしが耳を塞ぎたくなるような**「ノイズ」とは違った。それは、わたしの心を震わせ、安心させてくれる、たった一つの「音」**だった。
「兄さん……魔導舞台に立つとき、楽しそうだった」
「……あれは昔、魔導楽団にいたときの話だぞ。今はちょっと違うっていうか、あの頃みたいにノリでできるもんでも――」
「でも、楽しそうだった。……わたし、知らなかった。兄さんが、あんなふうに歌うの」
「リュミナ……」
「……だから、わたしも見てみたい。……一緒に」
魔導盤に映っているのは、わたしが作った新曲の魔導譜。まだ歌唱も、詠唱も入っていない。空白のまま。でも、コード進行だけでわかる。これは――兄さんの声を、前提にして作った。
「わかった。じゃあ、出演しよう。魔導祭の予定も合わせる」
「……うん」
わたしは、少しだけ頷いた。ローブの奥から覗いた兄さんの顔は、ちょっと驚いてて、ちょっと嬉しそうだった。
「でも……兄さんが横にいないと、無理だから」
「もちろん。絶対、そばにいる」
「……そういうこと、平気で言うの、ほんとやめて」
「照れてるのか?」
「うるさい。ばか」
その声が、ちょっとだけ震えていた。でも、わたしはちゃんと言えた。「出てもいい」って。
それは、たった一言の言霊だったけれど、わたしが閉ざしていた扉を、わずかに開ける音でもあった。それだけで、今日はちょっとだけ、特別な日になった。