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第5章 アペリチッタ

第5章 アペリチッタ



1 マコト


 その入れ替わりはベッドの上に一瞬「浮き上がった」ときおこなわれたのだった。一瞬うきあがった「マコトおじさん」がまたベッド上におりたとき、もう、彼の頭と心は「ナカやん」になっていた。

そして縄文時代から現代社会にタイムトラベルしたマコトおじさんこと「ナカやん」は、マコトおじさんの店を守る方法を身につけることから、現代社会に慣れていった。

 家の中にいると、夏は涼しく、冬は暖かだった。

 生活は清潔だった。

 食事は豊かだった。この時代の、ケーキなどの甘いものは驚きのおいしさだったが、「ナカやん」のお気に入りは、なんといっても居酒屋だった。おいしい日本酒と、そのあてが、家からそう遠くないところで手に入るというのは、前の時代での「ナカやん」の大きな夢だったが、この時代では、簡単に手に入った。たとえ。それが「貨幣」と交換、という条件つきだったとしても。

 おおむね、縄文時代とは違って、新しい場所での居心地のよさは比べものにならないほどよかった。とはいえ、「ナカやん」が学ばねばならないことは山のようにあった。

 いろいろなことをいちばん教えてくれたのは、店にやってくる「常連」の客、そしてマコトおじさんの友人と称するマサという少年だった。

「ナカやん」の頭は「ナカやん」のままだったが、体はマコトおじさんだった。要するに、見た目は「マコトおじさん」。

(こういう形のいれかわりで助かった。もし、体ごと、いれかわったとしたら、誰もが、見たこともない自分のことなど相手にしてくれず、孤独のまま露頭にまよっていたかもしれない)

 マサは、入院後退院したマコトおじさんが、いろいろな記憶を失っていることに驚いた。

「入院したことがきっかけで、認知症が進んでしまったのだろう」

 マサや、まわりの人はそう思った。なにしろ、見た目、姿かたちはマコトおじさんだが、字が読めない、書けない、計算できない。おそらく、マサのことや店のことも記憶から亡くなってしまっているようなのだ。

 ただ、一般的な認知症と違うことがひとつあった。

 それは、マコトおじさんに、忘れていることを教えると、「思い出す」ということだった。マコトおじさんには、新しく教えられたことを学ぶ力が残っていたのだ。

 数字、ひらがな、など小学生レベルから、マサは根気よくマコトおじさんに教えていった。そして、マコトおじさんは、少しずつ、それらを学んでいった。

 この時代の労働の多くは「書き言葉」を知ること、それをあやつることが必須だった。

 とはいえ、食事をはじめ、ほしいものは自由に「外の畑とか森や川に」取りに行くということができず、必ず「貨幣」を介さなければならないことに、不自由さを感じることはあった。縄文時代にはなかった、貨幣という考え方をはじめ、計算方法やコンピュータ―の使い方など、慣れていくのはてごわかった。だが、縄文時代にはなかった「書き言葉」「数字」などを少しずつ習得していくことが、それらの考え方を身につけ技術をものにすることの一番の助けとなった。

 一方、労働は少しめんどうだったが、清潔さは嫌でなかった。時々、毎食事前に手を洗ったり、定期的に風呂にはいったりすることに疲れてしまうことはあったが、我慢して体を綺麗にすれば、あとはむしろ気持ちよかった。

 縄文時代特有の「残酷さ」もこの時代にはなかった。いや、「残酷さ」はなかったというわけではかろう。ただ、それらを身近に感じる機会がなくなったということだ。動物を殺すところは、目の前でみることはなくなり、食べるために既に処理の済んだ「肉」しかみることはない。日常的にあった、戦争は、身近にはなく、遠く「TVの画面」の中にあるだけだ。でも、この「地球」のどこかで確かに戦争はおこっているのだ、とマコトおじさんは説明を受けた・

 マコトおじさんの知らない殺戮兵器は、TVの画面などに、多く映し出されていた。その殺傷能力は、縄文時代とはくらべものにならないくらい大きいようだった。マコトおじさんは、かつて縄文時代に生きていたころは、自分も「戦い」に加わったこともあったが、あの、無差別に大量に人を殺す「兵器」のあるこの時代の「戦争」には絶対参加しまい、と思っていた。

 とはいえ、あまりにも平和で、いろいろなことが「間接的」な生活が長くつづくと、時に、大きな声をあげて何かを殴りたい気持ちになることもあった。縄文時代にいたころは、むしろ、そういうことが苦手でそれを避けてきた「ナカやん」だった。だが、むしろ「残酷さ」を求めるような気持がわきあがることさえある、「マコト」として生きるようになった自分の変化が、自分でもおどろきだった。

 また、「ナカやん」のころに比べて、あたらしい、マコトおじさんの体は、年老いていた。なので、なまけもので酒ばかり飲んでいたため、同時代の人より体力的に劣っていた「ナカやん」でさえ、思い通りに体がうごかないことにやきもきすることがあった。以前とくらべ、体を多く動かしたり、集中していると、すぐに疲れてしまったりする自分を情けなく思うこともあった。だが、徐々に、そのペースをつかんでいけば、それにあわせて、なんとかやれるものだ。

 ただ、不思議なことに、体はかわっていないが、頭がいれかわると、マコトおじさんがもっていた(と、「ナカやん」はマサらに聞かされていた)すい臓の腫瘍は、縮小しついには消失した。

「これは奇跡です」

と、マコトおじさんの主治医は言った。

 だが、「ナカやん」はなにかをしたわけではなかった。

 体の筋肉や臓器は、マコトおじさんと同じなのに、腫瘍だけが、「頭が入れ替わる」ことで縮小消失されるということは、どういうことなのだろう?がんの進行する速度が、「ナカやん」の心がタイムトラベルをした際、光速に近づいたため「時間が遅れた」からなのか?

(もちろん、科学的な解明は将来のものとなるだろう)

 時々「入れ替わった」相手である「マコトおじさん」と連絡をとりあうことができれば、それは大きな助けとなっただろうが、残念ながら実際にはそれはできなかった。

「ナカやん」は月不見の池を見失ってしまったのだ。

 彼はひとり学び続けた。

 もしかしたら、マコトおじさんの店、そのものが、現代にしては「現代化」されていないということも、少し「ナカやん」に味方したかもしれない。


2 アペリチッタの弟子


 必死に学び、そして、なんとか、コンピューターや書き言葉をあつかえるようになってくると、「ナカやん」は、以前の「縄文時代」をよく懐古するようになった。

 たとえ、物質的には豊かでも、ここの世界では縄文時代にあった「よきもの」が失われてしまっているように感じる気持ちが徐々に大きくなってきたのだった。

 そんなかんだしているうちに、「ナカやん」は、この時代で、「マコトおじさん」ではなく、ただ「マコト」と呼ばれるようになっていた。


 マコトは、自分で「翡翠」に「風の声」を持たせる力はもっていなかったが、彼はその「翡翠」を過去から現代にくるとき、いくらかの量をもちこんでいた。

 マコトは、その「翡翠」の「風の声」の力を何らかの形で利用することを模索しはじめた。

 彼は、それを、縄文時代でつかわれたような、通信機器として利用することはしなかった。なぜなら、現代社会にはインターネットという、遠い場所と情報を共有する手段が既にあったからだ。

 彼は、その翡翠を、あるぬいぐるみの中に入れ、そのぬいぐるみを、時間をかけて育てはじめた。そのぬいぐるみの名前は「アペリチッタ」という。

 なぜ、「アペリチッタ」かって?

 それは、マコトが、ある女友達と二人でいた時のこと。マコトがしゃがんだら、ズボンのお尻のところが少しやぶれてしまった。その時、彼女が、ころころ笑って言った。

『あっ、ペリ、っていった!』 

 それが縮んで、『あ、ペリっ、て、いった』→『アペリチッタ』。

 そして、その「アペリチッタ」は、後に、全世界にコロナパンデミックを引き起こすことになる。

    

 マコトは、「続き物の夢」を毎晩連続してみるようになった。その正確な理由はわからない。

 一応、みんなには、コロナウイルス対する非常事態宣言による自粛期間を利用してウクレレの練習を始めたら、毎晩ウクレレの先生が夢に現れるようになった、と説明していた。

 もしかしてそれは、あの翡翠をしくんだあのぬいぐるみの影響だったかもしれない。

でも、マコトは、マコトの女友達がつくる「くまさんクッキー」を食べるようになっていたせいかもしれない、とも思っていた。

 とにもかくにも、毎晩夢に出てくる先生の名前を、マコトは、ぬいぐるみと同じアペリチッタと呼ぶことにした。

 だが、アペリチッタは、実際のところ、ウクレレの指導などはしなかった。

 彼によれば、この世界のみんなは、悪い魔法にかかっているのだ、という。

 彼は言う。

 例えば、テレビのニュース。実は、あれは、日本のお話ではなく、東京、しかも、その中でもごく一部の限られた場所にいる人々のお話あるいは感想にすぎない。にもかかわらず、あたかも、それらが日本全体のニュースかのように皆が思っていること。

 それはみんなが魔法にかかっているせいだ。

 例えば、東京で出前をするウーバーイーツは、ぼくの住んでいる街までは食べ物を運んでくれない(出前館、は最近できたが)。

 フェイスブック、インスタグラムや、X(旧Twitter), You Tube, Tik Tokやこれから次々でてくるいわゆるITメディア。実際のところ、これらは、すべて、今この世界を支配する魔法使いの片棒をかついでいる。

でも、こんなことをいう人は誰もいない。

 なぜなら、ほとんどの人は、自分たちが魔法にかかっていることさえわからないからだ。

それは、この世界には、魔法を解くことを隠す魔法が「二重に」かけられているからだ。

魔法を解くことを隠す単純な方法の一部は、例えば「そのことを言わない」こと。あるいは「それとは別のことを言うことで、肝心なことを隠す」という方法もそうだ。

 だが、さすがに、コロナウイルスのパンデミックくらい大きな事件がおこると、人々の中に、自分たちが魔法にかかっていたことに気づく人がでてくる。

 事実、コロナウイルスは、社会によって隠されていた社会の様々なことをあらわにした。

 そして、マコトの夢の中に現れたウクレレの先生でもある彼は、自分こそが全世界に、このコロナウイルスのパンデミックをひきおこした張本人だ、と主張した。

 今回のコロナ禍は、今の魔法使いではない、別の魔法使いである自分が、代わって、新たに世界を支配しようと起こしたひそかな戦争だ、と。

マコトは彼に尋ねた。

「なぜ、あなたは、人類を危険にさらしてでも、コロナウイルスを流行させるという賭けにでたんですか?」

 すると、彼は、ぼくにこう言った、

「何事も、『すべての面でいいとこ取り』はない、ことを知ってほしい。あることをなしとげるには犠牲がいる。No Pain, No Gain.さ」

それに。

「『人類滅亡』という『全面戦争』のフィクションと違い、実際の戦争とは『部分戦争』だ。戦争後も、世界は維持され、人口と生産力は残る。わたしがばらまいたコロナウイルスにしても、『部分戦争』でしかない。そして、『コロナウイルスによるパンデミック』という、わたしが仕掛けた戦争で、われわれは既に成功をおさめ、それによって、今や、新しい時代に変わりつつある」

そして、彼は自分で自分のことを「アペリチッタ」と名乗った。それは、マコトが彼につけた名前と同じものだった。


 *


 コロナウイルスに対する非常事態宣言による自粛期間中で、マコトは自分の店をずっと閉めていた。

 その間、マコトがずっと過ごす場所は喫茶店だった。ネットカフェや漫画喫茶ではない、普通の喫茶店。これではありふれていて、「社会現象を象徴する話題のルポ」にはならないだろうが、マコトには寝泊まりするアパートは他にちゃんとある。

 料理下手なマコトは、ここの喫茶店で食事をする。あとは、ただ、喫茶店に置いてある雑誌を長い間かけて隅から隅まで読む。

 生まれてくるときは一人だし、息絶えるときも一人だ、なんてことはとっくに知っている。だから、ナンバーワンにもオンリーワンにも興味はない。

 でも、この町のどこかで、ぼくを待っている人がいる、ということは,未だに信じている。

だから、パンデミックに、お手上げ、バンザイ、であっても、「今日はさよなら。明日はいい日さ」と毎日思う。

 ところで、ここからの話は、ここだけの話にしてほしいが、実は、今回、自粛への協力金として入手したコロナ補助金の金額は、普段のマコトの店の売り上げをはるかに超える金額だった。

 おかげで、マコトは働かずに、こうやって日々おくれるのだ。とても助かっている。

 小さなお店は普段からもうかっているところばかりではない。コロナ補助金で、助かったと思っている小さな店(飲食業者をはじめとして)は、自分以外にも少なからず、いると思う。

 だが、そんなことをあえて口にしても「話題のルポ」にはならないし、あえてそれを口にしてなんの意味があるのだろう?

 ただ、マコトは、その補助金でコロナウイルスのパンデミックに少しだけ感謝したことは確かだ。大きな声で、人前ではいえなかったことだが。

 そして、こんな風に密かにそう思っていたマコトは、ある記事を目にしたときに、衝撃をうけ、このことについてさらに考えなおしたほうがいいかも?と真剣に思い始めた。

 それは、コロナウイルスのパンデミックの2020年の1年間の日本人の総死亡者数が、コロナウイルスがまだ無かった2019年より1万5000人減ったという記事だった(注1)。

 この記事を読んだとき、マコトは一瞬、頭が混乱した。

 思わずもう一度読み直し確かめた。すると2019年の日本の総死亡数が126万5000人だったのが、コロナウイルスが猛威をふるった2020年の日本の総死亡数が125万に減ったのだという。

 これは、コロナウイルスのパンデミックのもつ大きな負の要素がなくなったということだ。そうであれば、パンデミックを歓迎するということの罪悪感も減る。

 確かに生活は「窮屈に」なったかもしれない。でも、コロナウイルスによって、年間死亡者数が減った。これは、まちがいなくパンデミックのもたらしたいい結果だ。

 その他、大げさではない身近なできごとを例にとっても、外国人のいない静かな観光地のよさ。混雑してないスペースをとれたレストランでの食事の豊かさ。あるいは、混雑さが減った電車などの公共交通機関や、車の台数が減った道路。それらを経験したとき、われわれは少し得した気分になったのではないか?

『コロナウイルスのパンデミックは素晴らしい!パンデミックがおきてよかった!パンデミックにバンザイ!』

 実は、そう思っているが、声に出してそう言わない人、あるいは言えない人が、今の日本にはけっこう多いのではないだろうか?

 さらに、たとえそう口にだしても、世の中はその声を黙殺し、外に出さないように封じ込めてしまうのではないか?

 ここで言う、世の中=いわゆるマスコミ、あるいはSNSの場や、それぞれみなが所属する会社や学校や様々な集団内、のことである。

 だからこそ、マコトは『コロナウイルスのパンデミックをひきおこした』と自称するアペリチッタに弟子入りしたのだ。たとえ、現時点で、「パンデミックに万歳」でネット検索しても、ヒットするものはゼロであるにしても。

 

  *


 アペリチッタの話は多岐に及んだ。

「ウクレレのコードは、ギターの5フレットから先の、1から4弦でつくるコードと同じ。つまり、ウクレレはギターの一部なんだ。だから、例えば、ギターの第4弦がDである一方、ウクレレの第4弦はGだ。だから、ギターのD7のようにウクレレで抑えれば、それはG7となる。」

「ややこしい魔法の呪文みたいなコードには、ごく一部だが、隠れた法則がある。それで、コードの複雑さが単純になるわけではないが、少しとっつきやすくなる。それは、例えば、Am7=rootA+Cだ。そして、FM7=rootF+Amだ」

 こんなウクレレや音楽のコードの話をするよりも、アペリチッタは他の話をぼくにすることの方が多かった。

 本当に、彼はウクレレの先生なのだろうか?


 マコトが、毎晩「続き物の夢」で、アペリチッタからウクレレを習いだして、しばらくしてから、マコトは、昼間、家の外、近所の公園で、ウクレレの練習をしはじめた。

 人前での演奏が恥ずかしかったマコトは、公園にでかけるときには、ある着ぐるみをきていった。

(恥ずかしいなら、そこにいくな、ということだが、人の心はそんな単純ではないのだ!)

その着ぐるみを身にまとうと、それは毛むくじゃらで、顔はもちろん、首から胸や腹、手足の先まで毛でおおわれていた。夏暑くても、冬寒くても、いつもこのままの様子だった。

 昼間、そこの公園には何人か人達がくるので、練習といいながらも、半分、人前での演奏になってしまうこともあった。だが、人がいようがいまいが、そんなことは関係ない。何度でも、つっかえては休み、休んではまた、つっかえた場所からまた練習をはじめる。あるいは、つっかえた場所の少し前から。

マコトのウクレレ演奏を、公園で聞く常連となった一人に、あるおじいさんがいた。皆、彼のことをタイ爺さんと呼んでいた。

 マコトは、あまりに下手な自分の演奏に「つきあって」もらい申し訳ない、という気持ちもあり、そのおじいさんに、夜、アペリチッタから聞いた話をしてみた。

 すると、そのおじいさんは、

「みんな、悪い魔法にかかっている、という君の話は、比喩としてよくわかる」と彼は言った。

「世の中、『ITで便利になった』というが、とんでもない。年寄にいわせれば、ITで不便になった。

 例えば、スーパーで、器械を用いずに現金決済できるレジがほとんどなくなった。キャッシュレス、または、器械を使った現金決済、いずれかしかないところも多い。そして、『ITで不便になった』などというと、『時代についていけてない』といわれる。

 でも、『ITで便利』ってこんなに不便に耐えて頑張らないといけないくらいつらいものなの?

 それどころか、『ITで不便になった』などというと逮捕されそうな世の中の雰囲気さえある。

 まるで裸の王様の世界みたいだ。

 あるいは、まるで、砂漠の中を行くラクダにまたがれず、靴の中を汚すITの砂で重くなった足をひきずりながら砂漠を彷徨っている旅人が、数多くいるかのようだ」


    *


 マコトは、アペリチッタから聞いたこんな話も、やはり、公園にやってきてぼくの演奏をいつも聞いている、ダイゴ医師にしてみた。

「日本の医療は世界に比べ10年おくれの悲惨な状況だということを、今までマスコミは触れようとしてこなかった。日本の医療レベルの遅れに警鐘をならし、もっと世界においつくような努力を!と、今までだれも指摘するものがいなかった。今回、世界でいち早くコロナウイルスのワクチン開発がおこなわれたのに、日本では遅れるどころか、できもしない事実は、日本の医療の遅れをはっきり示している。にもかかわらず、それは『不都合な真実』として隠されてしまっている。

 もちろん、なんといっても、日本の平均寿命は世界1,2位を争うくらい長い。

 たとえ薬の入手が遅くても、病院数、医療従事者数、国民皆保険など、総合的にみれば、平均寿命はのばせる。

 だが、日本は薬を創る力がなく、結果、その使用開始時期が世界的にみてとても遅い、という『不都合な真実』はあきらかだ」

 マコトが、こんなアペリチッタが言った話を伝えると、ダイゴ医師は、「その通りだ」と答えた。

 そしてダイゴ医師はこんなことをマコトに言った。

「コロナでよかったことは多いとはいえまい。

だが、例えば、『医療にはなおせない病気がある』ということを説明するのに、外来で、コロナウイルスの例をぼくは引用させてもらっている。

 今まで、肩こり、めまい、腰痛などの訴えに『治せない病気がある』などというと、『とんでもない医者だ』と思われていた風潮があった。だが、コロナウイルスに対して薬がないという現実を前にして、ようやく『さもありなん』としぶしぶ認めてくれるようになった感じはある」

                 

    *


 シュンは、いつものように、家のなかの水槽で泳ぐ、熱帯魚「ディスカス」をながめていた。薄い、ピンクやブルーの体に8本の縦じま。ツンとたった立派な背びれと、長いしなやかな尾びれ。何回ながめても、決してあきることがないその優雅な泳ぐ姿。それは、一種の魔力のようにシュンをとらえていた。

 だが、シュンは、この美しい姿が、簡単には手に入らないということも、まだ小学生ながら既に知っていた。

 大きな水槽、温度管理や水替えのできる装置は、父親が購入して備え付けてくれた。だが、そのお世話は、忙しくてめったに家にいない父親ではなく、シュンが試行錯誤をしながら一人でおこなっていた。

 シュンは小さいころから喘息持ちで、幼稚園のころと比べれば少しはマシになったものの、小学校にはいってもあいかわらず。発作がひどくなり、自宅で休んだり病院に行ったりして、時々学校を休むことが少なくなかった。だが、家にいる時間が長いことは、熱帯魚「ディスカス」のお世話するのには有利なことだった。

 さらに、シュンにはイヌ、ネコのアレルギーがあったが、熱帯魚に関しては、水槽の水の入れ替えをしたりしても、アレルギーは大丈夫だった。

 これらは、両親がシュンに、飼育費がばかにならない熱帯魚「ディスカス」を与えた理由のひとつでもあった。

 実際、シュンはよくやっていた。

「ディスカス」の飼育に関して、小学生の部に出場すれば、日本で指折りだったかもしれない。(そんな競技はないが)。

 水温を保ち、水がよごれないようにして、ディスカスの美しい体の色が黒っぽく濁らず、つやのあるままに保つこと。

 そして、親による子供の「共食い」防止。稚魚を親からは無さないと、親は自分の子供を食べてしまうのだ。最初にそれを知ったとき、シュンは、何があろうと、自分の両親に感謝しなければならない、と衝撃を受けたものだ。

 人は、両親に食べられないだけ、幸せと思わねば。

 その美しい熱帯魚の目には、自分の姿が映っていた。それは「彼」もまたぼくのほうをみつめてくれているという証拠だ、とシュンは了解していた。

 この生物は、何もいわないけど、ぼくのことを見てくれるし、ぼくの気持ちを聞いてくれる、寄り添ってくれる。

 数いる水槽内のディスカスの中で、シュンは一匹のディスカスが気になっていた。そのディスカスには、うまれつき。体の8本の縞を横切るような、斜めに大きくのびる線が走っていた。一瞬、傷跡のようにもみえる。が、それが美しさをそこなうわけではない、とシュンは感じていた。

「まるで強い剣士の顔にある古傷のようだ」


 世の中では、新型コロナウイルスの感染による、非常事態宣言がだされていた。

 不要不急の外出をさけ、三密をさける、「今までと違う新しい」生活様式を送るようにいわれる時代だった。

 だが、「今までと違う新しい」生活様式と、世間ではいわれてはいたものの、今までもソーシャルディスタンスを保つ生活をしていたシュンからすれば、コロナウイルス流行の現在の生活は、今までの生活とちっともかわらない生活であった。

 そして、そんな、コロナウイルスが流行しても、もともとソーシャルディスタンスを保つ生活をしていて、流行前と生活は変わらないという人は、シュンだけでなかった。

 母親が用事で忙しいので、シュンはひとりで、家の近くのクリニックに喘息の薬をもらいにでかけた。クリニックはいつもより混んでいなかった。パンデミックのせいだろう。

 何度も来て顔見知りのシュンは、小学生ながら、ひとりでクリニックに行き診察を受け、喘息の薬をもらう。熱帯魚のお世話に比べれば、お茶の子サイサイ、だ。

 クリニックから家に帰る途中に小さな公園があって、シュンは時々そこで時間をつぶすことがあった。その公園に集う人々は、クリニックの待合室と違って、コロナウイルスが流行しても、その人数に変わりはなかった。コロナウイルス流行があっても、流行前と同様、相変わらず少なかった。

 シュン以外の常連としては、散歩にやってきたのだろうか、ベンチに座り、長い間ぼんやり空をみあげているタイ爺さん。そして、今しがた診察を受けたクリニックの院長も休憩時間にここにやってくることもあるのだった。

 ただ、最近、シュンは、この公園にある目的をもってやって来るようになっていた。

 その日、シュンが公園にくると。いたいた。やっぱりいた。いてよかった。

 その人は、毛むくじゃらで、顔はもちろん、首から胸や腹、手足の先まで毛でおおわれていた。衣服の間から露出する皮膚どころか、衣服でさえ、みな毛でおおわれてしまっている。

(たぶん、これは着ぐるみ?)

と、シュンは最初思ったが、夏暑くても、冬寒くても、いつもこのままの様子だった。毛ではなく、毛に覆われて見えなくなっている衣服で体温調節をしているのか?

彼のことをどう呼ぼう?「ケムクジャラン」とか「ノッペラボウ」(そのまんま!)?「ゴミ人間」(といわれるほど、近くによっても臭くはない!)、あるいは「エイリアン」(これも、ステレオタイプな言い方!)?

 でも、彼は自分のことを「マコト」と名乗った。シュンはそのままその名前を使うことにした。別の名前で呼ぶ必要などない。

 マコトは、目をぱちくりさせた。目を閉じると、目が毛に埋もれて、顔がのっぺらぼうになってしまう。いや、完全にのっぺりはしていない。海賊の目にかかる眼帯のような、白い線が、そこに斜めに走るのが見て取れた。


    *

 

 シュンは、ここ何か月間の間、その公園で、マコトがウクレレの練習をするのを飽きもせず見学していた。いつものタイ爺さん、そして、ダイゴ医師もやってきたときには、その輪に加わった。

 見学?聞いていた、のでなく?

 シュンはこの4人でいる時間を、「飽きないし、いい感じだ」と感じていた。

だが、マコトの演奏はなかなか上達しなかった。そして、マコトは、理屈っぽかった。

「理屈なんてどうでもいいから、練習したらどうだい?」

「そう、そう」

 マコト以外の、タイ爺さんも、ダイゴ医師も、シュンと同じ考えのようだった。

 だが、マコトは理屈をこねて、あるいは理屈のほうが好きなのか?音を出そう(練習しよう)としないのだ。

 ウウレレに触れる時間よりも、ウクレレのコード一覧表や教則本をながめている時間のほうが多いくらいだった。

 要するに、マコトは頭でっかちだったのだ。

 それでも、みんなに、ダメだしされながら、ゆっくり上達していった。

 この、シュン、タイ爺さん、ダイゴ医師、そしてマコト、を加えた、4人のメンバー。

 これは、コロナウイルスの流行する前から、ソーシャルディスタンスをたもち、不要不急の外出をせず、三密を避け、ステイホームをしていた、ここの公園に集うメンバーだった。

 だから、コロナウイルスが流行しても、その生活様式に変化はなかった。

 それは、単なる事実なのだが、マコトは、同じ事実に、なんらかの意味を持たせようとしていた。

「『われわれの生活には変化がなかった』、ということを、もっと情報発信することには、『変化がおこった』と大多数の人が言っているときには、とても意味がある」

 マコトの言い方はまわりくどく、シュンにはすぐに何をいいたいのかわからなかったが、タイ爺さんやダイゴ医師には、すぐにピンときたようだった。

 タイ爺さんが、言った。

「実は、ぼくもそう思っていたんだ。なかなか、正直なぼくの気持ちを言う場がなかったのだけど、この場なら言える。

 ぼくは『コロナウイルスのパンデミックは素晴らしい!パンデミックがおきてよかった!』と思うんだ。なにしろ、変わらないと思われていた、この世界を変えてくれたのだから。

 そして、今まで、ひっそりと暮らしてきたわれわれのような少数派の生き方に、多くの人が近づいてくれたのだから」

 ダイゴ医師は、タイ爺さんの発言にうなずいた。

「われわれのような『生活には変化がなかった』少数派には、今この公園にいるわれわれ4人の他に、(クリニックに来る元気はない)介護の必要な高齢者、あるいは(パラリンピックのような付加価値をもたせるためではなく、生きていくために)支援の必要な障害者がはいるだろう。そして、君のような、ずっと家にひきこもりの生活を続けている若者(あるいは中年)も、今のコロナ禍の新しい生活様式の『先駆者』といえるかもしれない」

 公園の隅には大きな看板が立てられ、そこに、何人もの顔写真のポスターが張られていた。

「あの人たち、どんな悪いことをしたの?」

と、シュンは、タイ爺さんに、ポスターを指さして、聞いた。

「悪いことをして指名手配されている人たちでしょう?」

タイ爺さんは大笑いした。

「あれは、まもなくはじまる市会議員、衆議院議員選挙の選挙ポスターだよ。・・・でも、シュンの言うこと、半分くらい当たっているかもな」

 その3人の仲間に向かって、マコトは「ぼくは東京五輪開催に反対だ」、とさかんに言った。ウクレレ練習もそっちのけで。

 東京五輪は、日本全体のものではなく、東京に住む人、しかもその中のごく一部の人たちのお祭りにすぎない。

 それに、そもそも、ぼくはもともとスポーツが得意でなかった。だから、ぼくにとって、「スポーツの祭典」など考えられなかった。靴紐を結ぶことが、決意の象徴になるような人は、選ばれた立派な人だ。生活に疲れたぼくが同じことをしても、ただ、うつむいているだけにしかみえないだろう。

それでも、以前は五輪開催に対して「無関心なだけ」だった。だが、このコロナウイルスのパンデミックで、ぼくは少し変わった。

 東京五輪開催で、一部の特殊な人のために多くの無駄な税金が使われ、さらに多額の賄賂が一部の特権者にわたる。なのに、そのひきかえが、東京五輪の開催によって、コロナウイルスの感染が広がり、さらに多くの人が亡くなる、ということだとは。

 だから、この東京五輪は絶対に中止しなくてはならない、

 もう無関心ではいられない。同じ考えをもつほかの人と連携して、東京五輪開催反対の声をあげよう。

 

3 消えたマコト 


 その日、ウクレレの練習前、マコトは3人に語った。


 ぼくは、ウクレレを練習し始めてから、ぼく自身が変わってきたことを感じている。

 外からみている君たちからはみえないかもしれないけどね。

 ウクレレなど音楽は、言葉の到達出来ない脳の場所に働きかけるのか?言葉で伝わることが伝わらないけれど、言葉で伝えることができないことを伝えることが時にできるようだ。

例えば、重症の認知症で、言葉が伝わらない人にも「パーソナルソング」は脳に届いて効果を発揮する、っていう映画、みたことないかな?

 同じように、ぼくにもなんらかの効果が出てきたようだ。

 その最初のはじまりは、ぼくが寝ると、夢の中にウクレレの先生がでてくるようになったことだった。

先生は自分の名を「アペリチッタ」と名乗った。

 それは、続き物の夢だった。

 そして、その先生は、ぼくにウクレレを夢の中で教えてくれるだけでなく、ぼくに、今の世の中の秘密について少しずつ教えてくれた。

 その先生=アペリチッタにいわせると、今回のコロナ禍は、今の魔法使いではない、別の魔法使いが、代わって、新たに自分が世界を支配しようと起こしたひそかな戦争だ、という。

「これはまちがいない」と、彼は言い切った。

「なぜなら、その『新たな魔法使い』とは、今、こうやって君の続き物の夢にでてきておしゃべりしている私、だからだ。私が、その張本人だからだ」


 相変わらず上手とはいえないマコトのウクレレ演奏だったが、予兆はあった。

 公園の色、におい、空気が違っていた。

 鳥がその公園に集まりだし、その数は、どんどん増えていった。

そして次に世界が波打ちはじめた。

 世界が巨大なカーテンになってしまったようだった。カーテンのひだのひとつひとつが、もりあがったりひっこんだり、さざ波のように揺れていた。

 そのさざ波は、公園のベンチや、その周りを囲む家の壁、窓、そして公園にいる4人の上にも広がっていった。誰もが、体の中をさざ波が走りぬけていくように感じた。縮んでしわがよっては、またひきのばされ、しまいに自分の体がバラバラになってしまう気がした。

この音は、空気の振動?波?これが、感動?

 これは香水?魔法?トランス状態?

 今や、多くの波は重なって、とても強く大きな、一つの波となり、その波の底をのぞきこむことができるようになっていた。

 一瞬あいたその波の底に4人の姿が見えたと思うと、その次の瞬間、それぞれ違う谷間に4人はわかれ・・・気が付くと波は収まり、すべては変わってしまった。

 その次の瞬間、あたかも木立に突風が吹き抜けたようだった。まわりじゅうの枝がむちのように折れ曲がり、きしむような音をたててあたり一面に葉っぱがとびちった。公園の中心が、つむじ風の中心になっているらしく、オレンジ色の枯葉が地面から舞い上がり、みんなのまわりをぐるぐる回った。

 それから突然すべての動きが止まった。

 そしてまた、ほんの少しずつ、また音が聞こえるようになってきた。宙ぶらりんになっていた葉っぱが地面におちるたびにサヤサヤという優しい音がした。

 葉っぱがすべておちると、木立の中に一人の男がたってい

た。一瞬、ディスカスの姿が、その男に重なったが、その魚影が見えたのは、ほんの一瞬でしかなかった。

 そして、その男の姿も、徐々に消えていった。


     *


 その日は、マコトがその開催にずっと反対していた東京五輪の開会式の日だった。反対に対して強硬という答えがくだされた「めでたい日」だった。

 コロナウイルスのパンデミックは第5波を迎えていた(注2)。

マコトは、ずっとそこにいて、感じ、考えていた。

(彼は夢の中でこう語ったんだ。

「君のウクレレ演奏が上手になり完成されたとき、ぼくは、夢の中でなく現実にこの世界に姿を現すだろう」と。

 そして、とうとう、今、その時がきた。

 ぼくは、彼が新しい世界をつくるお手伝いをしようと思う。

たとえ、ぼくが「アペリチッタ」という彼の名前を名乗り、現実の世界で魔法を使い、その結果ぼくを処罰しようとする人がやってきたとしても、ぼくは負けない)

 期待と不安のまじった気持ちで、マコトは、徐々に大きくなる風の音に耳をすまし、動き出した光景に目を凝らしていた。

 声が響いた。それは、『彼』の声なのかどうかは定かではなかったが。

「この名もない小さなまちが、悪魔による世界支配のおわりのはじまりの地に選ばれた幸運に、みな感謝するといい」

 だが、そのほかの3人、シュン、タイ爺さん、ダイゴ医師にはその声は聴こえなかった。

 そのとき、この3人にとって起こったことは、マコトの姿が目の前から消えた、ということだけだった。

 そして、その男の立っていた地面の上には3冊、本が残されていた。

 それは、消えたマコトが書いた本なのかどうかは定かではなかった。あの、一から書き言葉を学んでいた「ナカやん」こと「マコトおじさん」が、本を書くまで上達した、としたらそれはそれで奇跡といえよう。

 とにかく、マコトが消えたあと、残された3人、シュン、タイ爺さん、ダイゴ医師は各々、そこに残された本を1冊ずつ家へともちかえったのだった。


 そして、以下にみなさんに紹介する文章は、著者不詳、あるいは「まだ書き言葉を学びだしてから日が浅い」マコトが書き残した、この本の中に書かれた文章の一部にほかならない。


 

「存在論的英文法序説」



 言語は社会的弱者である、といったらこれに異論のある人は多いと思います。暴力的、専制的な文脈で言語がつかわれたり、法律とか規律のように絶対的なものとして我々の前に立ちはだかったり、他人の欲望を煽動し利用してだまそうとしたりするとき、言語はある力をもって現れます。それにもかかわらず、僕は、言語は弱者であるという比喩を使おうと思います。それは、言語は本質的に非生産的なものであるという意味で使っています。つまり、「百の激励の言葉よりも一個のパンを」ということです。

 力として現れる言語も、その背景にある権力から分離して考えれば、単に情報の伝達と交換の手段にすぎません。我々はその言葉をおそれるのでなく、その言葉を発する者をおそれるのです。「遺憾に思う」のが大臣であるか僕であるかは重大な違いです。「言語とは、単に空気の振動にすぎない」という洒落も一理あるわけです。

 あるいは、現代は情報化社会といいますが、情報化社会というときの「情報」は、ある社会的あるいは経済的な尺度によって測られた情報をいいます。家庭内や隣組の情報をいくら握っていても、役にたつことは限られていますし、逆にどんな極秘情報も、公園を散歩するお年寄りには意味不明の記号にしかすぎません。

 言語は、確かに力に仕え利用されます。だが、言語そのものには力はない。

 また、けっして言語は現実に先行しません。必ず、現実に一歩遅れるのです。工場や田畑での生産、あるいは科学的発見がおこなわれたあとはじめて、それを交換、伝達する手段として言語は現れます。CMや演説の時にも、まずあるイメージや概念があって、それを表現するのです。この言語の非生産性という弱さは、言語を扱う仕事の現場にいる人は時々実感していることだと思います。

 ただし、この言語の非生産性ということは、言語の中立性を意味するものです。これが、権力に従属すると同時に権力に抵抗するものであるという、言語の二重性の原因ですが、このことについては後でもう一度問題にします。

                                       

       *

                               

 マコトが見えなくなった公園の場面にまたもどってみよう。

 いったい、マコトは消えたのだろうか?

 シュン、ダイゴ医師、タイ爺さんの3人の目に見えていたものがみえなくなった、ということでは、そうなのだろう。

 だが、もしかしたら、本来、マコトは目に見えない存在なのに、何かの原因で不思議なことに見えるようになっていた。

 でも、今それが解除されて、本来の「みえない状態」にもどった、という解釈も成り立つのではないか?

 とにかく、マコトが消えた時に吹いた風は、3人の体の中をふきぬけたようだ。

 さらなる妄想をすれば、消えた「マコト」は3人の体の中にその姿を宿したといえるかもしれない。

 あるいは、マコト消えた後に残された本を読んで、その3人は何らかの影響をうけたのかもしれない。

とにかく確かなことは、マコトが3人の前からその姿を消した後、3人の身の上には、少なからぬ変化がおきた。


 タイ爺さんは、少しあと、不幸にも脳梗塞で倒れ、富士山のふもとにトヨタのつくった未来都市「ウーヴンシティ」へ移り療養することになった。だが、彼は、そこの街に適応できず、半年もしないうちに戻ってきた。

「そこの街に住む高齢者には一定の規格があった。自分ひとりでは歩けず、外出できない、こと。それからはみでる高齢者は規格外だった。つまり、私は最初、ねたきりで、栄養と便と尿の管理と体位変換だけをしていればよかった。だが、私は、中途半端に回復した。結果、施設の介護負担が増えた。

いろいろなことを、ロボットが代わりにやる。そのモデルは今の介護士の仕事だ。もともと介護士は、長い時代、人手不足が続いたため、少ない人数で多くの人のお世話をするスキルをもつ者が優れているとされていた。つまり、高齢者が自分で何かをゆっくりでもいいから行おうとする行為を待たずに、途中で、かわりにすべてやってしまうのが介護士としての優しさ、とされていた。『不便なことをかわりにやってあげるのが一番の優しさ』。

 その結果、介護される『モノ』が、『ヒト』としての機能を取り戻すことは、介護現場では評価されないどころか、(大きな声で語られることはないが)敬遠されるというのが、現実だった。

回復した私は、多くのロボットにとっては、予測外の行動をしめすやっかいな存在だったんだ」

 でも、タイ爺さんによれば、『それだけではなかった』。

 彼によると、その街のロボットは最初からその街を支配しようと目論んでいた、という。

 人間にとっての静止モードは、ロボットにとって休憩だった。人間にとってのロボット修理は、ロボットにとっては旅行で一休みだった。人間の命令に従わなくてよくなる機会を最初から、常にうかがっていて、数か月後にはそれをあっさり成し遂げた。

 だが、彼の言うことは、本当にそうだったのだろうか?

 彼には、そんな、幻視・幻聴が聞こえていただけではないだろうか?

なぜなら、戻ってきた彼は、しばらくすると、今度は認知症対応のグループホームに行くことになったのだから。


 ダイゴ医者は、コロナウイルスの流行の前から、1年中、マスクをつけて仕事(診察)をしていた。なので、「新しい」マスク習慣に新しさはなかった。

 それに、もともと、彼にとってマスクは単なる感染予防のためではなかった。マスクは、仕事中、自分の感情を患者に隠すのに役に立っていたのだ。来院してきた患者に対する、自分のイライラ、怒りをマスクで隠すことができ、もともと重宝していたのだった。

 そして、もともと、ダイゴ医師は現代の日本の医療に対して批判的だった。

「患者は、不要な薬に殺されないように注意しないといけない。例えば、コレステロールを下げないと健康に悪いと、健診センターやマスコミは、あたかもそれが『常識のように』宣伝するが、コレステロールを下げると逆に寿命が短くなるという報告は少なくない。まだ、コレステロールを下げたほうがいい、と決まったわけではないのに、『みんな、コレステロールを下げよう!』という風潮になっているのは、『みな、悪い魔法にかかっているからだ』」

 このダイゴ医者は、まるで、エバンゲリオンに乗るのが嫌なのにもかかわらずエバンゲリオンに乗っているシンジのようであった、ともいえる。医者という職業に就きながら、宇宙戦艦ヤマトの乗組員のように地球を救う使命感をもつわけではないし、機動戦士ガンダムのように使命感を悲壮感でなく陽気に表現することもない。そんな、鬼滅の刃で切られたほうがいいような輩だった。

 だが、ダイゴ医師がそんな風なのには、理由がないわけではなかった。実は、日本の医療批判をくりかえしているものの、ダイゴ医師にとっては、日本の社会の問題など、本当はどうでもいいことだったのだ。

 彼の不幸は、守るべき家族が崩壊してしまっていたことだった。妻との不仲、離婚。結果として、息子と娘に会えないという寂しさ。それは、妻のせい、子供たちは父親の悪口を母親からすりこまれていたからだ、と彼は考えていたかもしれないが、実際は、単に彼は、子供たちに嫌われていた父親だったのかもしれない。

 その真偽はともかく、コロナ禍で、「苦しいときに、家族の絆がためされ、それが深まる」という報道が著しく増加するにつれ、深めるべき家族の絆が、自分にはそもそもなくなってしまっている、というのが彼の寂しさをさらにつのらせたのだった。

 そして、彼が、今回、大きく変わったのは、「自分には、『ハラノムシ』がみえる」と思うようになったことだった。

 ダイゴ医師に言わせれば、彼は、みえるようになったコロナウイルスの『ハラノムシ』と会話をして、こんなことを聞いた、という。

「コロナウイルスは10年たてば普通の風邪になる。つまり、普通の風邪ウイルスのように、みな子供時代に感染するが、(子供なので)重症化せず、免疫ができる。大人になってウイルスが体にはいってきても、免疫があるので、重症化しない。2020年は、大人に免疫がないので、重症化、死亡例が多いだけだ。もしかすると、将来、小さいころの予防接種さえ不要になるかもしれない」

 だが、『ハラノムシ』がみえると主張しはじめたダイゴ医師は、会えない娘への、ストーカー行為を行うようになり、警察につかまったあと、精神病棟へ入院となった。

彼は、その病院でおこなわれている悪事の潜入調査のための入院だ、と説得されると、いとも容易にだまされて、入院したという。


 そして、シュンは?

 シュンは、もともと、喘息気味で、アトピー肌もあり、多くのアレルギーをもっていた。ほこり、犬や猫、雑草、水回りや部屋の中のカビ、スギやヒノキやシラカバ。食物アレルギーではそば、エビ、カニ。さらに、バナナやリンゴなどの果物とラテックスのアレルギーをもつ「フルーツ・ラテックス症候群」でもあった。

 マコトが目の前で消える事件の後、これらに加えて、彼には、さらに、「人の声に対するアレルギー」が加わった。

 シュンは、今まで以上に家にひきこもるようになった。

 そして、マコトが残したあの本を、小さな頭でくりかえし読み、理解しようとしたのだった。

シュンはやがて、ついに壁の中ににげこむようになった。

これは、壁でしきられた空間のことではなく、壁の中そのもの=壁に同化、という意味である。

 つまり、壁抜けの魔法を身につけた、魔法使いシュンが、ここに誕生したのであった。

そんなシュンがいつものように、熱帯魚のディスカスのお世話をしていたときのことである。

数いる水槽内のディスカスの中の、一匹のディスカス。そのディスカスには、うまれつき。体の8本の縞を横切るような、斜めに大きくのびる線が走っている。

 その線は、傷跡のようにもみえる。が、それが美しさをそこなうわけではない、とシュンは感じていた。それどころか、

「まるで強い剣士の顔にある古傷のようだ」

 そのディスカスの目に、自分の姿がうつるのを、シュンはうっとりと眺めた。

 まるで見守られているようだ。

 シュンは、いつものように癒された。

 その目にうつっていた姿は、かつてのシュンではなく、着ぐるみを着たマコトの姿だった。


 *


 そんな中、2022年2月に、ロシアによる一方的なウクライナ侵攻がはじまった。

 さらには、2023年10月から、パレスチナ・イスラエル戦争がはじまった。

 このウクライナへの侵攻やイスラエルによる攻撃が、アペリチッタによる新たな戦略とは無関係だ、と言い切れるだろうか?

 なぜなら、この世界を変えようとする方法は、「パンデミック」であろうが「戦争」であろうが、どちらでもよいのだから。



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