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第4章 ナカノイエ

第4章 ナカノイエ


 1 イトヨ


「ヌナカワの夫は、変わった」

 村人たちは口々にそういった。

 酒癖がよくなった。そしていろいろな活動に前向きになった。

 そんな、好ましい変化の一方、彼は以前より体力がなくなり、得意だった馬に乗れなくなり、詳しかった道案内ができなくなっていた。だが、概ね、それらは、好ましい変化のおかげで、大目にうけとめられた。

 実は、ヌナガワの夫は、年を取ったために、得意だった馬に乗れなくなり、詳しかった道案内ができなくなったわけではなかった。「ナカやん」と入れ替わったばかりの「マコトおじさん」は、そこの時代も 地理も知らなければ、馬に乗ったこともなかったのだ。できないのは当然のことだった。

 だが、それら「できなくなったこと」も、時間とともに、彼は再び身につけていった。

そして、やがて彼は「ナカやん」でなく、ナカノイエというフルネームでよばれるようになっていった。


「彼は変わった」

と妻のヌナカワもまた感じていた。

 ナカノイエが、元気をなくした原因は、自分とオオクニヌシとの婚姻だと、いうことを彼女は知っていた。

 何人もの妻をもつ、あるいは、何人もの夫をもつ、ということは、この時代珍しいことではない。だが、ナカノイエは、そういうことに耐えることが難しい性格だった。

 一番、ナカノイエが悪かった時期は、村の長が、村の衆、そしてナカノイエにヌナカワがオオクニヌシの妻になるという話をしてから、1週間後。

 ヌナガワが、オオクニヌシに会いに出発したその日。ヌナガワの夫であったナカノイエは、その村を出ていった。

 そして、娘も父親にしたがって、父親でなく他の男を選んだ母親の元を去ったのだった。

 ヌナガワが、オオクニヌシと能登で別れて、村に戻ると、もうそこには、夫も娘はいなかった。

 ヌナガワは深い悲しみの中、再度、先にたてた自分の誓いを、心で確認した。

(私は、そしてこの村は、生きていくために汚れてしまったとしても、生き抜くんだ)

「生きるために汚れることは、悪ではない」

 その言葉は、その後も、「山の民」たちの間で言い伝えられ、記憶となって残っていった。

 二人はどこへ行ったのか?

 その後の二人の行方は、詳しいことはわかっていない。

 村の長の言う通り、ナカノイエが生まれ育った、馬が思い切り駆けることができる平野が広がる、頚城平野へ戻ったのか?

 他には、馬が好きだったその夫は、頂上が馬の形にもみえる、その村の山奥にある駒が岳で暮らすようになった、という噂もあった。そちらの噂のほうが、言い伝えとなって今の時代に残っている。ヌナガワをめぐり、オオクニヌシにかなわなかった地元の男、というエピソードと共に。

 また、娘については、今では次のように語られている。


 *


 駒が岳に、ひとりの父親とその娘が住んでいました。

 娘を産んだ母親は、そこから出ていってしまって、父親と娘は二人で暮らしていました。娘の名はイトヨといいました。

 イトヨは、時々、魚に変身して、川をくだり、人間を見にいくのが好きでした。

 父親は言いました。

「川に行くのはいいが、釣り人に釣られないように注意しなさい。釣りあげられると、食べられてしまうよ」

「心配はいらないわ。わたしは、そんなにへまではないわ。釣られるものですか」

確かに、わなやえさに多くの魚たちはひっかかって、釣り人につりあげられていく横を、いつも、イトヨは悠々として泳いで通りすぎるのでした。

 ある日、イトヨが、魚になって川を泳いでいるとき、ひとりの男の釣り人に強くひかれました。男は、イトヨをつりあげることはできませんでしたが、イトヨは男の釣り針の周りを何回も往復しました。そして、ついに意を決して、魚の姿から人間の姿に戻り、彼の前に姿を現したのです。その姿は、まるで人間のようでしたし、イトヨは美しく、彼も彼女に夢中になりました。二人は楽しくお話をし、また再会を誓って別れました。

 ところが、次の日、魚の姿になったイトヨは、魚を網でたくさんとる魚業者の網にひっかかってしまいました。網から逃げる場所がなかったのです。

 そして、その魚は、山の川ぞいにある食堂で、焼かれて食事としてだされたのです。

 たまたま、イトヨが恋した男が、その食堂にやってきて、イトヨを食べたのは、そのイトヨが恋したその男でした。しかし、その男はそんなことを知るよしもなかったのです。

 食事の後、男がいつもの川で魚釣りをしていると、奇妙な老人がやってきました。老人は、娘のイトヨを探すため、川にいる釣り人たちの、釣った魚のはいっているバケツを次々に見て、娘を探していたのです。

 男のバケツを老人がのぞきこんでいると、娘のイトヨの声が聞こえました。だが、その声は、男には聞こえません。

「わたし、ここよ」

「おまえの声は、バケツの中からは聞こえてこないが」

「わたし、この男のお腹の中よ。食べられてしまったの」

「あんなに注意したのにお前という奴は」

「この男に食べられたけど、釣ったのはこの男ではないわ。網で一度にたくさんの魚をとる奴らにやられたの。川幅いっぱいに網を張って、逃げる場所などなかったの」

「そうか、待っていろ。今、この男のお腹からだしてやるからな」

「でも、どうか、この男の人は、殺さないで。私たち、お互い好きになったの」

 父親は、こんなときに娘は何を言いだすんだ、と耳を貸しませんでした。その男を殺し、イトヨを男の腹の中から救い出しました。

 姿を現したイトヨは、男の亡きがらをみて、悲しみにうちひしがれ泣きに泣きました。

 そして、ふたたび魚の姿になり川に出た後、もう2度と父親のもとに帰ることはありませんでした。

 その父親は、嘆き悲しみました。

「妻だけでなく、娘までも、私のもとから去っていってしまった。私はひとりぼっちだ」

 その男は、その川を、娘の名にちなんで「イトイガワ」と呼ぶようになりました。

 そして、村人たちは、その孤独な父親の悲しみを共有し、みなが、自分たちの村を糸魚川とよぶようになったのでした。


2 頚城の地


 ヌナガワは、オオクニヌシの子供をお腹に宿していた。

ヌナガワは、村から出て、翡翠の加工現場の一線からも身をひいて、自分の生まれ故郷である能生にもどった。そこは、ずっと小さな貧しい村だったが、自分が長い間過ごしてきた所であり、その里の人々は夫と子供を裏切ったヌナガワを優しく迎え入れてくれたのだった。

 彼女は、そこで子供を産み、育て、その後もそこで、山を歩き、翡翠の玉つくりをする人々に助言をしたりして影で支えながら、暮らし、その生涯を終えた。

 ヌナガワは、その後も、時々、翡翠の「風の声」をつかって、遠い出雲の国のオオクニヌシと連絡をとりあった。

 しかし、ヌナガワとオオクニヌシは、その後、直接会って顔をあわせることは二度となかった。

 オオクニヌシの出雲は、北九州や大和などの場所でおきた「地上界の神々」同士の戦いにまきこまれていき、二人が会う時間はとれなかったのだった。だが、闘いの日々、オオクニヌシを支え続けたのは、「風の声」の翡翠でヌナガワと交信する時間だった。

「いつか、この闘いが終わったら、君にまた会いに行く。そのために、ぼくは闘い、そして勝つ」

 だが、その約束はついに果たされることはなかった。

 ヌナガワが産んだのは、男の子だった。

 男の子の名前は、タケミナカタ。

 そして、ヌナガワにとって何よりうれしかったのは、一時、行方不明だった、夫のナカノイエと娘のイトヨが村にもどってきたことだった。

 ヌナガワの娘のイトヨもまた、母親のヌナガワのように、通信能力をもった翡翠を作り出すことができたので、母親に代わって「風の声」をもつ翡翠の生産は少しずつ彼女に引き継がれた。そして、それは、その後、ヌナガワ亡きあと、そしてさらに後、タケミナカタが諏訪の国に移った後も、続けられた。

 ヌナガワの夫ナカノイエは、糸魚川から頚城平野に出て暮らすようになった。頚城平野の原野(当時の頚城平野は、今のような「米どころ」ではなく、扇状地で、水不足、あるいは、水のあるところまで遠い、乾燥した土地だった)で多くの馬を育てた。

 彼はやがてそこを拠点にして、南東の方向に、活動の場を広げていった。

 南は、今でいう、諏訪から関東の茨城や千葉まで、東は新潟の北部や山形をこえて秋田のほうまで、彼は活動の場を広げた。

 この活動には、その村の村長の情報がかかせなかった。

 ナカノイエは、村長に教えを乞うた。

 よろこんで、自分の知識を教えながら、村長はナカノイエの「変わりよう」に喜んだものだった。


 *


 とはいえ、ナカノイエの姿をした、現代社会から縄文時代にやってきた「マコトおじさん」はその時代に慣れるのに、かなりの苦労をした。

 なによりも、その時代は「不潔」だった。

 人々は、川で体や顔を洗う。だが、多くの人は、めったに体や顔を洗わなかった。

 多くの人は、オシッコがしたくなると、その場でたちどまり、オシッコを地面に垂れ流す。男も女もだ。もちろん、家の中ではそんなことはしない。家の外で、の話だ。

 その時代の「労働」は直接的だった。

 すなわち、川からそう離れていないところにある集落を取り囲む畑には、いろいろな野菜と果樹が飢えられている。その隅のほうに、ウサギ小屋、鶏小屋がある(ヤギやブタ、ウシはそこの集落にはいなかったので。それらの小屋はなかった)。

 早朝、陽がのぼるかのぼらないかの時刻。家畜に餌をやり、鶏の卵をとる。それから、畑に水をまき、野菜や果物を積むと、それらを、大きなザルにいれる。そして、少し集落から離れた、その集落と隣の集落の中間くらいにある、いわゆる「市場」のようなところにそれらを運ぶ。

 基本は物々交換。

 貨幣に相当するようなものはない。

「市場」から帰ると、交換しなかった、あるいは交換して手に入れた野菜でスープを、果物は煮てジャムをつくったり干したりする。

 そして、昼食をとる。

 畑で昼寝をする。

 その集落では、年に1回収穫できる「米」を作っていたので、そのお世話もある。年に一度しかとれない米は、家の中にある地下の貯蔵庫にあって、1年間にわたり、少しずつ、重要な食料として人々は口にする。今は、米の収穫も増え、各家の貯蔵庫に収まりきらない米をその集落のものとして貯蔵管理をする 「米の家」も当番制で管理せねばならない。

 各家に米がぎっしり詰まっていることは、そこの集落で寄り添って暮らす人々にとって、何よりの自慢だった。

 今まで、宝くじを売ったり、骨とう品の売買をしたりしながら、ずっと過ごしてきた、「マコトおじさん」にとって、これらの仕事は、新しくすぐには慣れないことだった。

 だが、人々は「あの怠け者のナカやん」が、心を入れ替えて、仕事を覚えようとしている、と解釈し、一から「マコトおじさん」にそれらの仕事の仕方を教えてくれた。

 彼は、その時代の「不潔さ」にはなんとかなれることができたが、「残酷さ」にはなかなか慣れることができなかった。

 鶏をとらえて、その喉を掻き切る。息たえたその鳥の羽をむしり、肉をわける。

 そこから、焼いたりするのは、もちろん大丈夫だ。だが、いつまでたっても、その前の「殺す」仕事には慣れなかった。

「おいおい、ナカノイエはいつからそんな弱虫になったんかい?」

 あきれながらも、村人のおっせっかいな人がナカノイエに「殺す練習」につきあってくれた。

 まず、魚から。魚の尾をもち、頭を石にたたきつける。そして、鶏、そしてウサギといった、食用の動物を殺すことに慣れる。そして、次には、殺さなくてもいい動物を殺すこと。カエルや蝶々をつかまえ板にうちつける。そして次は猫。捕まえた猫を木の枝に吊り下げる。つるされると、猫は長くのび、異様な姿になる。びくっと跳ねたり、痙攣をおこしたりする。猫が動かなくなると、その紐を解く。猫は、しばらく草の上にのびてぐったりしているが、しばらくすると急に起き上がり、一目散ににげていく。

「殺す練習をしておこないと、村を乗っ取ろうと戦いをしかけてくる奴らに、勝つことはできない」


「マコトおじさん」の頭はいれかわったが、体はナカノイエのまま、という不思議な現象はほかにも影響があった。

 例えばナカノイエは馬にのるのが得意だった。

 だが、「マコトおじさん」は馬にのったことがない。

「酔っぱらって、馬の乗り方まで忘れたかい?」

入れ替わってしばらくの間、頭が「マコトおじさん」のナカノイエは、周囲の友人にそうはやしたてられた。

「マコトおじさん」は、必死に馬にのる練習をした。

そして、むしろ「頭を空っぽ」にしたほうが、乗ったこともない馬に乗れることを、発見した。

「体が覚えているのだ」

 だが、そうであっても。上手に馬に乗るためには、ナカノイエはまだかなりの練習をしなければならなかった。

 とはいえ、「マコトおじさん」は高齢だった。それに比べれば、ナカノイエは(酔っ払いといえども)若く体力があった。無茶もきいた。

 そしてなにより、「マコトおじさん」の体を蝕んでいた、すい臓の腫瘍は、ナカノイエの体内には存在していなかった。

 この時代の、不潔さや残酷さ、そして以前とは違う労働は、確かにつらいものであったが、ナカノイエの体を手にした「マコトおじさん」は、徐々に社会になれ、時には幸せを感じることもでてきた。

 人々の時間はゆっくり流れていた。そのペースは、前の時代の「速い」スピードについていけなかった 「マコトおじさん」にはちょうどよく、心地よかった。

 そしてなにより、水や空気は信じられないほど、澄み、おいしかった。



 ナカノイエは、頚城平野を拠点にして、南は、今でいう、諏訪から関東の茨城や千葉まで、東は新潟の北部や山形をこえて秋田のほうまで、活動の場を広げていた。

 この活動には、その村の村長の情報や援助がかかせなかった。

 その村長が、ナカノイエに、

「今度、今、勢力をつよめつつある、西にある『ヤマトイ』の国を偵察にいかないか?」

と誘ってきた。

 頚城平野の西の方、出雲の国の東、大和の国の北、今でいう滋賀のあたりである。

 ヌナガワらが作成して山の民にもたせた「風の声」の情報によれば、そこに、「ヤマトイ」という新しい国が生まれつつあるとのことだった。

 それは、大陸からやってきた人が、もともとそこに住んでいた人々を「征服」し、新たな国をつくろうとする運動だった。その中心は、今まで日本にはなかった、青銅や鉄といった「技術」、そして、貨幣という「文化」だった。

 貨幣という「文化」、という説明はわかりにくいだろう。だが、もともと説明は難しい。なんとか、言い換えを試みれば、それは、国をまとめあげ、強大にし、他の国に攻め込みそれを支配する、そういう考え方だ。あるいは、そういうものを強く欲する「欲望」を、人の様々な気持ちの中で一番上位におく、風潮だ。


 ヤマトイの国への案内者は、山の民の一人、クマキチという男だった。頚城平野に接する、妙高山の麓に位置する村の出身だった。

 ナカノイエは、どこかでそのクマキチに会ったことがあるような気がした。

「そうですかね。わたしのほうは、覚えはないですが。もしかしたら、ナカノイエさんとわたし、同郷だからですかね」

 クマキチに案内されて、ヤマトイからの攻撃に今さらされているある村に到着したナカノイエがその村でみたものは、「征服」による「秩序」ではなく、未だに続く「混乱」だった。

ある日、村が降伏した、休戦に入った、終戦だ、という噂が広がったかと思うと、その翌日、新体制が樹立された、戦争続行だ、という噂が流れる。

 その村に戻ってきた兵士たちは負傷したものが多かった。情勢を尋ねても「何も知らない」と答える。彼らは、その村にしばらくいると、隣の村へとうつっていく。

 ある村の人はきめつける。

「彼らは、ヤマトイの兵士たちから逃げていくんだ。ヤマトイによって壊滅させられた」

 別の村の人はいいはる。

「彼らは退却しているだけさ。隣の村で再集結して、そこでヤマトイの軍を食い止める。彼らが、ヤマトイに我々の地をあけわたす、なんて考えられない」

 別のものが言う。

「さあ、どうかね」

 隣の村に向かうのは、兵士だけではない。一般の人々も大勢だ。彼らは、絶対、ヤマトイにはまけない、と言う。ヤマトイは我々を奴隷にするに違いないから。

 逃げるのは徒歩だ。車はない。

 袋一つ抱えて、あるいは、もう少し多くの物を重そうに抱えているものもいる。

 そこには、その村の人々だけでなく、もっと遠くから来たものも混じっている。

 数週間にわたる混乱のあと、その村に、ついにヤマトイの兵士たちがやってきた。

 兵士の一部はその村に残るが、多くの兵士は、隣の村、そしておそらくもっとその先に移動していく。

 その兵士たちは、戦争捕虜、敗者たちも多くつれてきた。その中には、その村の者たちも多く混じっていた。みなうなだれている。これからどこへ連れられて行くのか?そこで何をされるのか?誰も知らない。

 噂はこんな説明をする。

 彼らは、非常に遠い、寒くて人の住まない大陸に連れていかれ、そこで過酷な労働を強いられて、誰一人帰ってこれないのだ。彼らは皆、寒さや過労や飢えや様々な病気で死んでしまうだろう。

 そこには、ヤマトイが大陸からもちこんだという「技術」や「文化」は、みあたらなかった。


 *


 マコトおじさんの体は、「入れ替わる」前の時代ですい臓がんに侵されていた。

 だが、こうして、頭はマコトおじさんで、体が「ナカノイエ」といれかえわった今、その体にはもう腫瘍は存在しないはずだった。

 だが、どうやら(この時代にはCTなのがないのでたしかめようがないが)、いままで腫瘍がなかったナカノイエの体の腫瘍ができたように、ナカノイエは感じるようになっていた。

 それは、前の時代で「マコト」がかかったすい臓の腫瘍と同じものなのか?はたまた違うものかは確かめようもない。

 いずれにせよ、ナカノイエは、「高齢者だったマコトの体から、若いナカノイエの体に一度若返ったような」自分の体が、徐々に調子が落ち背部などの痛みがでてくることを自覚するようになってきた。

(おそらく、自分はなんらかの病気のために、そう長くは生きられないだろう)

 ナカノイエはそう思い、覚悟を決めた。

 彼は、自らの今まで積み重ねてきたものを、義理の息子であるタケノミカタに全力全速で伝えた。

 タケミナカタはその父がオオクニヌシにもかかわらず、義父であるナカノイエによくなついた。

ヌナカワは、そのことがうれしかった。一度こわれてしまった自分の家族が、再生したかのような喜びを感じていた。

 ナカノイエは、翡翠を精製していく知識や技術をもっていなかったし、ヌナカワのように、その翡翠に「風の声」の力を授ける「魔法」の力もなかった。

 だが、彼は「先の時代」に住んでいたことで、今の時代にこれから起こることを知っている、といういわば「予知能力」のようなものを自然にもつこととなった。それは、単に、おこる事件の予知ではない。実際、彼が知っていることは、その時代がむかっていくおおざっぱな方向性だけで、個々の詳しいできごとや日時についての情報は「先の時代」にもなかったのだ。

 だが、彼が経験してきて身についた、社会、あるいは魔法についての考えは、その時代にある力をもっていた。そしてその力は、彼の、タケノミカタやヌナガワに対する愛情と相まって、輝きをはなった。

それは例えば、マコトの時代では当たり前だが、ナカノイエの時代には知られてなかったこと。例えば、地球という存在、天動説ではない地動説。切開排膿という医療技術。竹を斜めに切って笛をつくること。木の枝をバットに見立て石をうつ、いわゆる「野球ゲーム」など。

 徐々に体が弱って体が動かなくなってくると、ナカノイエは、あの「月不見の池」のほとりで最後のときを迎えたい、と希望し、それはかなえられた。

 小さな、雨露がしのげる、掘立小屋がつくられ、その中には、ナカノイエが好きな日本酒がなくならぬよう、いつも差し入れがされていた。もっとも、「入れ替わり」の後、ナカノイエの飲む酒量はずいぶん減っていたのだが。

 息を引き取る前、彼は、しばしば無意識につぶやいた。

「タイチは?マサは?元気か?」

 その名を、タケノミカタも村長もヌナカワも聞いたことがなかった。

 だが、ヌナカワは、なんとなく、彼が前いた場所で親しかった人の名前か?と、想像をめぐらしていた。

(彼は、ここで幸せだったといいけど)

 不思議なことに、ナカノイエが死んだあと、その死体はいつのまにかどこかへ消えてしまった、ということだった。


 ナカノイエは歴史の表舞台にあがるはずもなかった。

 しかし、ナカノイエの教育に少なからず影響を受けたタケノミカタは、オオクニヌシの「国譲り」のエピソードの中に登場する。

 この「国譲り」の際、タケノミカタがナカノイエから伝え聞いたあることが、力を発揮することになる。



3 国譲り


 当時、オオクニヌシが治める出雲の国は混乱状態にあった。

 その混乱状態は、出雲だけでのものでなく、日本全体のことでもあった。

混乱の原因は、昔から日本を収める中心となっていた日高見の国の勢力を、おびやかす大陸文化の台頭だった。その中心は、青銅や鉄といった「技術」、そして国をまとめあげ、強大にし、他の国に攻め込みそれを支配する、そういう「文化」だった。そして、そこにすむ民衆たちは、やはり、大陸文化の影響で、様々な心の動きの中で『欲望』をとくに突出させる者たちが増えていた。

 もともと、日本古来の縄文文化には、ピラミッド型の大きな組織をつくり、その組織をさらに広げていく、という発想がなかった。また『欲望』は、人間の感情の中の、あるひとつの感情にすぎず、『欲望』が多種多様な感情の方向性を決めるような人間は、人々の中でほんの一握りにすぎなかった。

だが、今や、それとは異なる文化が、日本にはいりこみ、日本の主流になろうとその動きを始めた時代だった。

 その代表が、出雲の国の東、大和の国の北に出現した「ヤマトイ」という国で、そこの王はヒミコミコという女性だった。

 大和の国は、ニギハヤヒノミコトというアマテラスの孫が治める、日高見の国が直接おさめる国だった。国も安定していて、「ヤマトイ」という国が近くにあってもびくともしなかった。

 だが、出雲の国は「ヤマトイ」の影響を強くうけはじめていた。

 もっと言い換えれば、オオクニヌシは、日高見の国につくか?「ヤマトイ」につくか?迷っていた。それほど、「ヤマトイ」の勢力は強くなってきたのであった。

 もともと、出雲の国は、日高見の国王だったアマテラスの弟のスサノオが、その暴力性ゆえに国を追放されたあとに遠い異郷に開いた国。日高見の国と関係は深いが、日高見に所属していた大和の国とはやや立ち位置が異なっていた。とはいえ、今の王、オオクニヌシの最初の妻のスセリヒメは、そのスサノオの娘である。スセリヒメとオクニヌシの間には、コトシロヌシという息子がいた。

 オオクニヌシには6人の妻がいて、その最後にめとった女性がヌナガワで、その息子がタケノミカタだ。

 何人かいる子供の中で、オオクニヌシが目をかけていたのは、このコトシロヌシとタケノミカタの二人だった。

 スセリヒメは、ヌナガワにもタケノミカタにも会ったことがなかった。実際、オオクニヌシは、ヌナガワに数回あったきりで今はほとんど会ってないということも知っていた。なので、なぜ、オオクニヌシが、ヌナカワの子供のタケノミカタの話をことあるごとにするのか理解できなかった。

「会ったこともない子供や、もう会うこともない妻が、私や私の息子にかなうはずがない」

 スセリヒメは、そう思い込み、安心していた。

だが、実は、オオクニヌシは、出雲の「山の民」を起点として、「山の民」の「風の声」をつかって継続的にヌナガワたちと連絡を取り続けていたのだった。

 この「風の声」は単に、オオクニヌシとヌナガワの個人的な関係をつなぐだけのものではなかった。国の外からの力に対する防衛、北九州や大和の国や関東の日高見の国、そして今の「ヤマトイ」の動きを偵察するのに大いに役に立ったのだった。

 どちらの国につくか?思い悩むオオクニヌシに、タケノミカタは意見を伝えた。そして、その大元の考え方は、実は、タケノミカタが、昔、まだナカノイエが生きていたころ、彼から聞いた話だった。


        *


 ナカノイエは、タケノミカタに言った。

「あなたもふくめ、多くの人が知らない、ヤマトイの強さの秘密があるのです。それは、ヤマトイの人々に流通している『貨幣』が特別なものだということです」

「ヤマトイの『貨幣』が特別?」

 そう尋ねたタケノミカにナカノイエは答えた。

「そうです。ヤマトイの国の中の『貨幣』は、今、いたるところにある『交換証明書』とか『金』とは異なります。『交換証明書』とか『金』は、国全体で流通しているものではなく、そのルールに納得した者たちのこじんまりした集団内で流通しているだけです。結局は、今の主流、物々交換の延長です。一方、ヤマトイの『貨幣』とは、ヤマトイの王であるヒミコミコが認め、ヤマトイ国内で広く共通して使われるものです」

「規模が大きいと便利だと思う。オオクニヌシも、出雲でとりいれようかと検討中しているといっている」

「だが、ひとつ、一般に流通しているものと、ヤマトイの『貨幣』には大きな違いがひとつあります。それは、ヤマトイの『貨幣』は、『ヒミコミコが認めた』というだけで、そこに豚3頭、とかニンジン100本とか、家の雨漏り修繕、とかそういう価値がみえるものがない、ということです。

そこには、『オシテ文字』と呼ばれる、ヤマトイの国で発明された「文字」でこう刻まれています。

『ヒミコミコを王として認め信ずる』

 でも、それだけのものでしかないのです。

 そして、これは、何を意味するのか?それはつまり、ヒミコミコは、無限に『貨幣』を発行できる、ということなのです!

 そして、その『貨幣』をほうびにすることで、多くの人を自分の宮殿建設ために働かすことができるかもしれない。場合によっては、命の危険のある戦争にさえ、『貨幣』とひきかえに参加する兵士を集めることができるかもしれない」

「出雲の民は『貨幣』がなくても、オオクニヌシの宮殿づくりに参加するし、出雲を守るために他国との戦いに参加すると思うが」

と、異議を唱えたタケノミカタに、ナカノイエは答えた。

「そうかもしれません。でも、動員人数が。ヤマトイとは違うのです」

「それは、本当の王への忠誠ではない。買収。あるいは、王ではなく『貨幣』への忠誠だ」

「そうかもしれません。それに、もともと、出雲も日高見も大和も、王へ忠誠をもつ、というような関係で、国としてまとまっているわけではないですよね。ヤマトイのような、大陸からきた外人たちの考えとは、ずいぶん異なっているものです」

 そして、ナカノイエは付け加えた。

「この『信用』というのはおかしな考えです。相手を心の底では信用してないときに『おまえを信用する』と言う言葉をつかうのですから。とはいえ、遠い将来、この国は、このシステムを基盤とした国になっていく。よかれあしかれ、それはさけることができないのです」

 ナカノイエは、このヤマトイの「貨幣」というシステムは、便利だが用いる時には注意がいる、とタケノミカタへの説明の際に強調した。

「確かに、今後、人々が豊かになっていくのに、この『貨幣』システムは役に立つでしょう。でも、物質的な豊かさを手に入れる代償として、人の心の豊かさ、が奪われていってしまうのです」

(よくないことだが、学び、とりいれなければならない?よくないなら、やめればいい。ただそれだけなのに。

 なぜ、ナカノイエは歯にものがささったような言い方をするのだろう?)

 

     *


 タケノミカタは、ナカノイエが生きている頃、彼から聞いた、このような「貨幣」の話をオオクニヌシに伝えた。

 そういう、タケノミカタに対して、「まだ若いのにいい考え方をもっている」とでもいうようにオオクニヌシはうなずいた。

 オオクニヌシが初めて聞く考え方だったのだ。

 オオクニヌシはタケノミカタ言った。

「ヤマトイを治める、ヒミコミコに関しては、『山の民』から多くの悲しい情報が報告されている。たとえば、『隣の大和の国が、ヤマトイを襲撃して、1万人もの虐殺を行った』という偽情報を国民に流している、ということ。そんな事実はないのに。さらにはその偽情報を、ヤマトイ国内だけでなく、我々出雲の国内にも広めて、大和の国の評判を落とし、民に不安をかきたてようとしている。

さらに、実際のところ、ヤマトイのヒミコミコたちのほうが、われわれ日高見国連盟と比べて、人民をずっと『低く』みる傾向が断然強いようだ」

「日高見国連盟?では、もう決断されたのですか?」

「ヤマトイの勢いと、国の民の不安や混乱を考えると、そんなにゆっくり行動している余裕はないと思っている」

「では」

「そうだ。出雲は日高見に『国譲り』をする。われわれは、ヤマトイのような国とは違う、ということを国内外に示すのだ」

「日高見からの使者、タケミカズチとはもうお話されたのですか?」

「私はまだだが、お前の義兄にあたるコトシロヌシとはもう大和の国で一度会合をしている。だが、なかなか、『国譲り』の条件でおりあいがつかなかったらしい」

 そして、「風の声」越しに、オオクニヌシはタケノミカタにこう言った。

「今度、タケミカズチと、おまえが交渉してみてくれないか?」


 日高見の国の使者タケミカズチと、オオクニヌシとヌナガワの間にできた子供であるタケノミカタが、国譲りについて話し合いをした場所は、大和の国ではなく、関東にある日高見の国と越後の頚城平野の間にある、諏訪という場所だった。

 そこにある諏訪湖は、その特別な日を祝うかのように、特別な「御神渡り」が出現していた。

「御神渡り」は、真冬に諏訪湖が全面結氷し、最低気温がマイナス10度前後の日が続くときに、氷の収縮と膨張が繰り返されて亀裂が生じて出現すると言われている。まるで山脈のように連なる氷のせり上がりは、高さが30cm~180cmほどになる。

 ヌナガワの夫の一人でタケノミカタの義父であるナカノイエは既に、頚城平野のことは掌握していた。また、そのまわりへの交通についてもある程度情報を持っていた。その頚城平野から一山こえると、長野。もう一山超えると、松本。松本からもう一山こえるとようやく諏訪だった。

 父はオオクニヌシであるが、「山の民」であるヌナガワという母をもつタケノミカタは、その飛ぶような鮮やかな「歩き方」で楽々とその山越えを行った。

 彼の興味は実は、国譲りではなかった。こうやって、山を越えて、見知らぬ新しい土地に足をふみいれることそのものを、純粋に楽しんでいた。そして、タケミカズチとの会見が行われた諏訪の地をタケノミカタはたいそう気に入り、その後も足しげく通うようになった。

 タケノミカタの印象では、義兄にあたるコトシロヌシとタケミカズチの会見がうまくいかなかった理由には、コトシロヌシが「国譲り」よりも、出雲の国の継承の話を重んじすぎた、という背景があるのではないか?というものだった。

 コトシロヌシは、たとえ父のオオクニヌシが出雲を日高見に譲ったとしても、オオクニヌシの後をつぐのは、日高見から派遣されたものではなく、子である自分にしてほしい、と主張し、それが約束できないのであれは、国譲りはむずかしい、と言ったようだった、

 一方、タケノミカタには、出雲を自分が継ぐんだ、という下心はまったく持っていなかった。

それが、功をそうした。

「国譲り」の交渉は成立した。オオクニヌシが望んだ、「国譲り」後に住むところを神の宮殿のように立派なものにし、屋根は天に届くほど高い千木を置いてほしい、という条件も了承された。


 実は、タケノミカタは、今は亡き、義父であるナカノイエから日本の未来の「予言」を既に聞かされていた。

 その後、「国譲り」の後、出雲の国は、本人の心配とはよそに、無事にコトシロヌシが継いだ。出雲を譲り受け、大和の国と出雲の国ではさみうちにし、大陸文化の強い影響下で作られた「ヤマトイ」の国を抑え込んだ日高見の国は、南九州の高天原にニニギノミコトを派遣する(天孫降臨)。そして、そのニニギノミコトの孫の一人のイワレビコは九州の北、そして東に進み、最後、今の大和の国の王である、ニギハヤヒノミコトの力を借りて、最後にたちはだかった敵、「ヤマトイ」のナガスネヒコを打ち破り、大和に凱旋。

 そして、その後、イワレビコはニギハヤヒノミコトの後を継いで、大和の国の王となる(神武東征から神武天皇即位)。

 誰にも言わず、胸の奥にしまっているこれらの「予言」をひとり思い出すたびに、タケノミカタは、亡きナカノイエの面影を思い出して胸が熱くなるのであった。


 だが、そんなことは、今生きる者たちにとって知る由がないというよりも知る必要もないことだった。

ここで、大事なことがあるとすれば、オオクニヌシもまた、翡翠に代表される、もともとある、日本の文化を大陸の文化から守るという必要を強く感じていた、ということ。オオクニヌシが「国譲り」を決断した一番大きな理由は、茨城の鹿島神社からはじまった、日本古来の文化を、いわば日高見連盟とでも言う協力によって、連帯して守るためだった、ということだ。

 そして、人を殺すことがあたりまえのその時代に、「戦争」でなく「国譲り」を選んだオオクニヌシの慧眼。

 彼は、堂々として殺人が許されるのが「戦争」に他ならない、ということを見抜いていたのだ。



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