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第3章 交錯

第3章 交錯


  1 マコトの事情


 確かに、マコトおじさんの店のまわりには、地下鉄、バス、徒歩の交通網が整っていて、彼は「この店は、文字通り、同時代のあらゆる場所につながっているから、インターネットは自分の店には不要だ」とうそぶいていた。

 とはいうもの、実際はマコトおじさんもインターネットが少しは使えた。

 とはいえ、マコトおじさんからすれば、インターネットでなくてもTVや映画館で、そういう満足はかなり得られていた。

 それどころか、インターネットは返ってややこしい問題も少ないとマコトは感じていた。

 一度、ずいぶん過去に障害者を侮辱した記事を公開した人が、五輪の閉会式のプロデューサーを解任されたことがあった。

 マコトおじさんが、おぼえたてのツイッターで

「別の視点からみれば、一度失敗すると、やり直すことを許さない国ということが、また証明された、とも」

と投稿すると、多くの反論がすぐさまツイッター上で返信された。

「あなたがうんこを食べさせられた相手が後世国家的行事の担当者として世界に紹介される情景を思い描いてみればこの結果に何ら疑問は感じなくなると思いますが」

「いじめをしたことを『失敗』と言うな」

「失敗を許さない? お前や家族にウンコ食わせたり簀巻きにしてドロップキックした過去を全国紙で笑ってた奴が謝罪もなく、五輪憲章やパラリンピックの理念に抵触しながら開閉幕式担当したらどう思う? 本人はともかく家族なら許せる筈がない、それを許す世間じゃない」

このような問題に対する、人々のものの見方は多様だった。

 だが「五輪の閉会式のプロデューサーの人選」には、こんな様々な意見が飛び交うのに、なぜ、もっと身近な「オンライン決済が必ずしも便利になったわけではない」と思っている自分と同じような意見がネット上に多く出現しないのか?マコトおじさんには不思議でたまらなかった。

 大きなお金を扱うとき、持ち運ぶのが大変なので、オンライン決済は便利といえとう。

 でも、小さなお金を扱うとき、オンライン決済は不便という声がもっと大きくならないのだろう?チャージ手続き、チャージやポイントの管理。不便ではないのか?少なくとも、自分のような老人には不便に感じられる。

 皆が便利と思わず、一部の人だけが便利と思っている技術は、不公平な技術だ。

 インターネットはしばしば、不公平だ。声の大きい(アクセス回数の多い)ごく一部の人に有利となる。

「電話で紐につながれていたころの人類は、実はもっと自由だったのだ」

 それに、今の世の中、そんなインターネット決済、といった大きいものだけが、矛盾と思われる対象ではない。

 たとえば、レジ袋が有料、とか、同じ食べ物を家にもちかえるか?そこで食べるか?で消費税が8%だったり10%だったりすることも、そうなっているから従っているだけだが、これらはおかしい。

 なぜって、おかしいことはおかしいのだから。

 とはいえ、こんな世間の矛盾は、今の時代に限ったことではない。

 人間にあってはいつの時代もすべてが矛盾なのだ

 芸術家に、食べ物を与え生活の保障をすると、彼は眠ってしまう。貧しい境遇の中、他人に寄付をするような男にお金を与えると守銭奴になってしまう。勝利をつかみとったものは次の敗北を怖れで軟弱化してしまう。ただ権力が欲しいという真実しかそこにはない政治家の「大言壮語」にすぎない言葉なのに、  それらが人々の心に種がまかれると、そこに根をはり、芽をだし育つことがある。

人間を幸福にする?ここで幸福の意味が難しいのだ。人は食料さえあれば満足する家畜ではないのだ。例えば、一人の貧しいノーベル賞の授賞者のほうが、単なるあまたのお金持ちよりもよっぽど価値があると思う。そう、貧困と不衛生の中でも、長く暮らしているものの中にはそれを楽しいと思っているものさえもいる。

 人には、スープをもらっても満たされないあるものがあるのだ。

 少なくとも、自分の心の中には。

 お湯を注いでつくったカップ飯を食べながら、店の前をひょこひょこ歩いているヒヨドリを見ながら、マコトおじさんはこんなことを考えていたのだった。

(その「あるもの」を、どう言おう?たとえば、それは、「虐殺された魔法」の喪失感?)


 ところで、マコトおじさんは、このような言葉に言い表しにくい、個人的な自分の人生とか毎日の生活に対する不満とは別に、自分とは直接関係がない(もう少し客観性のある)、だがいまの時代に根源的ともいえるひとつの不満を感じていた。

 確かに、この店は、同じ時代にあるあらゆる場所につながっている。

 だが、あらゆる時代とはつながっていない。

 それが大きく欠けている。

 例えば、マコトおじさんは、魔法で出現する、どの時代でもない別の場所、は嫌いではなかった。だが、それだって、それではまだ不十分だ、と感じていた。

 それは、どの時代でもない。

 だが、他の時代にいくこととは違うのだ。


2 魔法使い?


 ファンタジー好きの人がくれば、その店主は、魔法使いではないか?といいだしても、おかしくないような品そろえが店の中にあった。

 実際、昔は、一般人の人にまじって、少なからぬ「魔法使い」がこの店に遊びに来ていた時があった。

だが、マコトおじさん自身は、魔法使いではなかった。

 それでも、魔法使いのタイチとシュン、そして今はタイチの奥さんになったリコ(彼女は魔法使いではない)と、マコトおじさんの4人は、あのクレヨンコーポレーションの社長アイ(彼女は魔法使いだった。ただし、彼女は麻薬製造の罪に問われ牢獄にはいり、彼女の会社は倒産してしまった)がつくりだした「太陽の沈まない街」に潜入してそこを破壊した冒険者として、魔法使いたちの間では少し知られた存在だったのだ。

 たとえ、それがマスコミで話題にならなかったことだったり、過去の歴史研究者に知られてないような小さなできごとだったり、だったとしても。

 たとえ、その街が、かつて一度も日本や世界地図の上にはなく、さらに今は消えてしまっているとしても、マコトおじさんにとっては、本物であり重要な街だった。

冒険が終わったあと、マコトおじさんが開いたこの「小さな便利でない店」は、遠くからやってくる魔法使いにとって、便利なところであった。

 だが、今や、列車やバスの本数は昔に比べて減り、店の前を歩く人どおりもずいぶんまばらになってしまっていた。

 訪ねてくる魔法使いもいつのまにか、長いこと、途切れてしまっていた。


 マコトおじさんは、昔、一緒に冒険した、タイチやリコ、シュンと年に何回か連絡をとりあっていた。

マコトおじさんは、4人の中でいちばん年をとっていて、つまり、4人の中でいちばん「人生の経験を既にしてきて」いた。その結果、いちばん「これから人生に関して新しい経験が少なく」、いちばん「時間があった」のは、マコトおじさんだった。

 なので、マコトおじさんは、自分から率先して、残りの3人に時々、しかし欠かさずに、連絡をいれていた。

 一方、他の3人は、まだ若く、生活や人生が忙しかった。そのため、自分から、他の3人に連絡するということは多くはなかった。

 だが、このことは、年齢だけではなく、マコトおじさんの性格に由来するものでもあった。

 魔法使いでないマコトおじさんだったが、妄想癖の強い彼は、「自分で、ひとつだけつかえる呪文がある」と思い込んでいた。

 その呪文は「バンフライ」という。

 効果は。そう言うと、目の前にいる人が左右によけて道をあけてくれる、というもの。

 でも、実際は、呪文を唱える前に道があいたり、呪文を唱えても道があかなかったり、も少なくない。そういう時は、「呪文が効かなかったからではない。自分で呪文を取り消したからさ」と自分に言いかせるのだった。

 周囲はもちろん、本人も気がつかないことだったが、マコトおじさんは密かに魔法使いになることにあこがれを覚えていた。

 でも、近くで、一度魔法の力を目撃すれば、その力をうらやましく思い、なんとか自分でもその力を使えないかと思うのは自然なことだし、マコトおじさんはもしかしたら他の人よりもそういう嫉妬の気持ちが少ないくらいだったかもしれない。

 「バンフライ」という呪文の力の発見など、たいしたことはない。誰の興味もひくまい。とは、彼も認めていた。

 だが、例えば、若いころ、マコトおじさんは、精神病の人をなおすのに沈黙療法=だまってただ患者の目の前に居続ける、という方法を提唱したことがあった。

 あるいは、他に、疎水モーメントの高い陽イオンペプチドが抗菌作用をもつことや、疎水的相補ペプチドは標的タンパク質に対し生理活性もつことや、血液型抗体と同様のがんに対する自然抗体が存在することを、自分は発見した、と考えたりもしていた。

 でも、結局、それらはすべて、認められて然るべきものとマコトおじさんは考えていたにも関わらず、誰にも認められなかったのだった。

 自分とタイチとの冒険の物語が世の中に認められなかったように。

 もっと、すごい発見をしたい。

 その気持ちは、何年たってもマコトおじさんの心に残っていた。

 もう若くはない、今でも。

 彼は、あきらめが悪いのだ。


 そして、ついに、彼はすごい発見をしたのだった。

 それは、今までの彼の人生の中でいろいろあった発見のように、他人からはまったく認められないものだった。

 だが、その発見は、彼を満足させた。

 人がどう思おうが、かまわない。

 そう手放しで思えるようなものだった。


3 不治の病


 一緒に冒険した4人のうち、タイチとリコは、マコトおじさんと同じ街に住んでいた。

 タイチは、店に顔をほとんど出さなかった。

 だが、リコは、時々、バスに乗って、「小さな店」の目の前にちょうどあったバス停にやってきて、マコトおじさんと少し話すと、「小さな店」のすぐそばにある地下通路の階段を下って、道路をはさんで小さな店の目の前にある公園に行ったり。あるいは、「小さな店」のすぐそばにある高架上につながる階段を上って、「小さな店」の上にある「地下鉄」の駅(不思議だが、「地下鉄」は、ここの部分だけ、ちょうど「地上」にでているのだ)に上がってそこから遠くへ行ったり。

 やがて、タイチとリコが結婚して、マユとマサという二人の子供をもうけると、今度は、そのふたりの子供が、両親にかわって、マコトおじさんの小さな店を訪れた。

特にマサは常連だった。マコトおじさんも、まるで自分の子供のように、マサのことを思っていた。

 マサに会うとき、マコトおじさんは、いつも上機嫌だった。格子模様の帽子をかぶり、善良なまんまるした顔。大きな口ひげの下の口から言葉がでてきた。

「やあ坊主」

と、店にやってきたマサにむかってマコトおじさんは声をかける。

「うまくいっているかい?」

「ああ、マコトおじさん」

「ママは元気かい?」

「もちろんさ」

 じっさい、マサとマコトおじさんは友達だった。昼食に招待したり、年賀状を送ったりするような友達のひとりではないけども友達であることに間違いはない。

 マサのパパのタイチがその町から遠くはなれて働きはじめた(いわゆる単身赴任というやつだ)ときも、マコトおじさんは、学校の帰りにマサの好きな雑誌をいくらでも立ち読みさせてくれた。ママやマユが家に戻るまでの間、家でひとりぼっちで待っているのがちっとも面白くないというマサの事情をよく知っていた。

 一時は、マサは、両親とよりも、マコトおじさんとのほうとよっぽどおしゃべりをしている、と思うほどだった。

 それに、コンビニと違って、マコトおじさんの「小さな店」には犬のラッキーをいれても怒られなかった。

「ところでマサ、ラッキーといっしょに今日はどこへいこうっていうんだい?」

マサはTVのドラマの中でこたえるような言い方で応じた。

「オレのまえに道はない。オレのあとに道ができる!」

 マコトおじさんは笑った。

 どうやら、マサには自分と同じような「浮かれ癖」があるようだ。

 マサは成人向け雑誌のほうをちらりと盗みみた。一冊が半開きになっていた。マコトおじさんはさっさとその雑誌を閉じてしまった。

「これは、おまえの年齢むきじゃないな」

「もうすぐ11歳になるんだよ」

「十八までまちな」

 そのとき、一人の客がちかづいてきて言った。

「フライデーをもらえるかな」

 あまりみかけない黒色のコートをはおり、白いワイシャツに青いネクタイ。いわゆるサラリーマンという人とはちがう。右の耳からあごにかけて大きなあざがちらりとみえた。

 マコトおじさんがその客の方をむいている間に、マサは犬とその客の横をすりぬけながら叫んだ。

「じゃあね、マコトおじさん」

(マサはいい子だ)

 マサの後ろ姿を目で追っていると、マコトおじさんには、昔のことが、自然に思いだされた。

 マサの父親のタイチは、今は普通に働いているが、昔4人で、「太陽が沈まない街」を破壊する冒険をしたころは、実は「魔法使い」だった。だが、そんなことをマサやマユに話す必要はないし、たとえ話したとしてもそれはあまりに唐突で、「魔法使い」という言葉をつかっても、それは単なる比喩、としかとらえられないだろう。

 そんなにも、長い時間が経ったのだ。

 なにせ、当時は、タイチとリコはまだ結婚もしてなかったし、その子供のマサもマユも生まれていなかったのだから。

 マコトおじさん自身も、本当にタイチが魔法使いだったのか、自信をもって話せないほどになってしまっていた。


 マサが、小学校6年生にあがるころ、タイチとリコ、マサとマユの一家は、都会から田舎へ引っ越した。タイチの仕事の関係だった。

 だが、マコトおじさんは、その街に残った。

 その結果、マサとマコトおじさんの会う機会がなくなってしまった。

 やがて、マコトおじさんは、病にふせり、入院。

 入院先の病院に、お見舞いにマサがやってきた。

 マサが小さい頃は、地下鉄や電車は、見知らぬところにつれていってくれる魔法の乗り物に思えた。

しかし、いまのように大きくなると、目的地まで到着するまでに時間を要する、人ごみが気になる、ゆれる箱にすぎない・・・とまでいうのは大げさか。

 乗るときの、胸の鼓動が減ったことは確かだ。

 特に、今回は、マコトおじさんが入院している病院へいくために乗ったのだ。

 楽しいはずはない。

 でも、夢から覚めるためには、夢の中で死ななければならない。

 ひさしぶりにあったマコトおじさんは、マサからみてなんかひとまわり小さくなったようだった。ひとつ着込んでいた服を脱いだように。

 だからといって、パパが言うような、「もしかしたら、なおらないかもしれない」ような、ひどい病気にかかっている風には、マサにはみえなかった。

 ベッドの上のマコトおじさんは、自分の病気の話をするかわりに、マサに質問をし、その話に熱心に耳をかむけた。

 新しい友達、学校、家。

 最近のコーカサスオオカブトの話にも興味をだいたようだった。

「その外国人は、フィリピンとかタイといったアジア系?それともブラジルとかペルーといった南米系?」

「わからないよ。どうやって区別するの?」

「しゃべっている言葉をきけばすぐわかると思うが」

「わからなんないよ、ぼくには」

「いずれにせよ、マサも、おじさんと同じ可能性を考えているんだろう?」

「同じって?」

「その池にコーカサスオオカブトがいたのは、輸入した売り物が逃げ出したんじゃない。その外国人が、その池のまわりでコーカサスカブトを生育しているんじゃあないかって」

「違法にね」

やはりマコトおじさんとは話が早い。

「今度、夜、またその池にいくから、またどうなったか報告するよ」

「気をつけてな」

「大丈夫さ。それより、おじさんの具合はどうなの。少しやせたようだけど」

「大丈夫さ。このくらいの体型がちょうどいい」

 膵臓におできができて、薬で治療している、とマサは説明された。

 それ以上、自分が聞いてなんになろう?

 きっと、病気はよくなると、マサは自分にいいかせた。

(だめかもしれないなどという、そんな不吉な言葉は決して口にしまい)

 マコトおじさんが言った。

「ちょっと、いいかな?マサなら大目に見てくれるだろう?」

マコトおじさんが、マサの目の前にとりだしてきたのは、タバコだった。

「病院内は禁煙っていわれているんだ。秘密だぞ」

 マサは、マコトおじさんが一日に何本ものタバコをお店で吸っていたのをやめたことを知っていた。体調が悪い今、あえて禁煙をやぶる?

 だが、喜んで、秘密は守るつもりだった。外国産のカブトムシをこっそり日本で飼育しているのとは、ちょっと違う?違わない?

(どちらの罪が大きいのかは、ぼくにはわからないけど)


 タバコをベッドの上で吸っているマコトおじさんは、寝たまま空中に浮遊したようにマサにはみえた。

背中の下に手をいれて、種のないことを確かめたわけではない。でも、確かに浮遊したように見えた。

 そして、マコトおじさんはマサに話をした。

 ひょっとしたら、彼はタバコを吸うふりをしていただけかもしれない。だって、タバコを口にくわえながらしゃべれる人なんていないだろうから。


「病気になると、昔のことをよく思い出すんだ。楽しかったこと、つらかったこと。時間はたくさんあるからね。こんなに、思い出したことはいままでなかったな。

つらかった思い出をおもいだすと、とてもみじめな気持ちになる。もうこのまま死のうかって。真夜中、窓の外にいくつかの家の光がまだ光っていて。あと六十数えるうちにあの光が消えたら、自分も死のう、とか」

「マコトおじさん」

「心配ないない。人は、不幸なことや悲しいことが続くと、迷信家になるんだよ。でも、楽しかったことを思い出すと、やっぱり病気にまけちゃあいけない、がんばって生きよう、という気持ちがわいてくるんだ」

「たとえば、おじさんの楽しい思い出って?」

「いろいろさ。でも、一番多いのは、小学校、中学校のころかな。マサとのことも、楽しい思い出のひとつさ。マサをみていると、自分の子供のころを思い出す。おじさんに子供がいたら、自分の子供をみて思い出すのかもしれないけど」

「子供だって、楽しいことばかりじゃあないよ。人間関係はやはり大変だ。なにしろ、一人前でないってことも、つらいことなんだよ。一人前になろうとしても、それはずーっと先のことで、それは自分の力で早めることができずに待つしかないってことも」

「半人前だという劣等感と無力感か」

「えっ、なに?」

「難しい言葉をつかえばそんなことかな、っていうことさ。『子供部屋は、単なる生活の場だけでなく、自分をつくろうとするときの人目をはばからぬ試行錯誤の場所』っていうことでもある」

「子供部屋?」

「比喩として、そういう言葉を使っている、という説明、わかるかな?別に、おうちに自分の部屋がない子供だって、自分の子供部屋は誰でも持っているんだ。子供部屋は、いろんなところにあるんだ」

「むずかしいな。前に住んでいたマンションでは、自分の部屋がなかったけど、ぼくはしあわせだった、ってことかな」

「たとえ大人になってからでも、それはどこかにある。そこが自分の生まれた場所でなくても、もしかして異国に住んでいるとしても、それはある。子供部屋の風が吹いているところは、どこでも懐かしい『故郷』なんだよ。たとえ、それが高架下の小さな店でもね。逆に、そうでないところは、どこにあるにせよ、それは異国なんだよ」

 マコトおじさんの言葉をどこまで理解できたかどうかマサには自信がなかったが、彼が退院してはやく自分の小さな店に戻りたがっているということは、マサにもわかった。

 とはいえ、マコトおじさんが珍しく、こんあ「湿った」ことを話すのは、その日、マサがやってくる前に、主治医の先生から、自分は「不治の病にかかっていて、残された時間はとても短い」ことを聞かされたため、とはマサにはわかるはずもなかった。


 いずれにせよ、マコトおじさんが、ベッドから浮遊し、煙草をくわえながら声をだしていた、この短い間に大事件がおきていたことにマサは気づかなかった。

 いや、それはマサが不注意だったからではない。他の人だとしても気づくことはできなかったことだろう。

 それは、素早く、だがひっそりと起った。

 マコトおじさんは、それとわからないくらい、一瞬その姿を消して、また同じ様に出現したのだった。

姿を消すなんて、すごく特別なことだ。

 たとえ、その時間が、目にもとまらぬくらい短い時間だとしても。


4 ナカやん


 その日もナカやんは「月不見の池」で、マコトおじさんと話しをするのを楽しみに、彼が現れるのを酒をのみながら待っていた。

 だが、その日、現れたマコトおじさんはいつもと違っていた。

 何も言わず、ナカやんの前に横たわっていた。手には、(ナカやんには、それはなんだかわからなかったのだが)「タバコ」を持っていた。

 そう。それは、(ナカやんには、わからなかったが)マコトおじさんが、入院中のベッドでタバコを吸いながら、空中に寝たまま浮遊した姿と全く同じだった。

 ナカやんは、そのとき、自分が何をすべきか?自ずと了解した。

 ナカやんは、何かに導かれるように、寝ているマコトおじさんの横をとおりすぎ、目の前の池に歩みをすすめた。そして、池の上にゆっくり横たわった。

 最初、ナカやんは、池の水の上にうかんでいた。だが、やがて、ゆっくり池の中へと沈んでいった。沈みながら、「ナカやん」の顔はゆっくり「マコトおじさん」の顔に変わっっていった。

 時空や空間、個人や集団を超越してすべてにつながっている、その池の中へ。

 マコトおじさんは、そのころには起き上がっていて、ナカやんが、池の中に消えたことを確かめた。そして、立ち上がり、歩いてその池から町へと歩き出した。

 その池に映ったマコトおじさんの姿は、その池に消えていった男、「ナカやん」の姿にかわっていた。

縄文時代のナカやんと、現代に生きるマコトおじさんの二人は、時代を超えて、お互いが入れ替わったのである。

 お互い、お互いの話を、以前から、何回も何回も聞いていた。その情報は、確かに「入れ替わった」後、まるで役立たなかったとはいえない。

 だが、たいていの場合、聞いていただけではわからないことが、ほとんどだ。




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