第2章 ヌナガワ姫
第2章 ヌナガワ姫
1 山の民
それは、短い一瞬、山の尾根道で、すれ違っただけだった。
ほとんど、顔や体つきを観察する余裕はなかった。
オオクニヌシは、彼女の飛ぶような鮮やかな「歩き方」に驚いて、呆然とその後ろ姿を見送った。
それは、まさしく「山の民」の歩きだったのだろう。だが、オオクニヌシは、出雲で、平地のお屋敷の中でゆっくり歩く彼らに会ったことはあったが、まじかに、実際に彼らが山の中を歩く様子をみたのは、はじめてのことだった。
オオクニヌシは、出雲の国の長だった。
近年、中国大陸から、大陸の人間が船で日本にやってきてから、国の周囲は少し騒がしかった。今までも、何回か、大陸の人間が船で漂着したことはあった。だが、今回、彼らは、なんらかの「意志」をもって、むこうからやってきたのだ。
彼らは、青銅や鉄というもので作られたという剣を持ってきた。
もちろん、青銅や鉄は武器にのみ用いられていたわけではないが、石や木とくらべたとき、それらの硬さ、鋭さは、獣や魚をさばく様子をみれば、明らかだった。彼らは、戦いを挑んできたわけではなく、表むきは会話重視の外交態度だった。だが、それらの道具は、例えばクマやイノシシなど害獣に向けられるだけだろうか?身に着けていた、その剣は、無言の威嚇となっていた。オオクニヌシも、彼らと剣を交えて戦うことを想像すると、できれば敵にまわしたくないものだ、と思ったものだ。
出雲の国は、非礼にならないように、という程度で彼らを待遇していたが、北九州や大和の国では、彼らと積極的にかかわり、彼らの青銅・鉄技術をとりいれ、おおきな建造物や墓を、国の民を集めてつくるようになってきているという話だった。多くの人を集めて、大きな事業をする。それは、今まで、日本の文化にはないもので、大陸からの「新しい」考えと言えた。
オオクニヌシは、青銅や鉄には大きな関心はなかった。人を集めて、指示に従わせることも、あまり興味をおぼえなかった。
彼が、今、力をいれているのは、日本海を船で渡る航路の開発だった。
出雲の国から、北九州への航路、そして、逆回りは、越後から東北への航路。後の江戸時代に廻船航路として利用されることになるこの航路を、小さな船で、オオクニヌシは開拓しようとしていた。
「王自ら、そんな危険な船に乗ることはやめてください。何かあったら、出雲の国はどうなるのですか?」
という、周囲の声にも関わらず、オオクニヌシは、みずから小さな船に乗りこみ、今、出雲から能登の国にやってきていたのだった。
そして、その能登の国の山中で、彼女と出会ったのだった。
能登の今の輪島あたりにある屋敷に戻ると、オオクニヌシは、地元の村民に、彼女のことを尋ねた。
「すれちがった彼女は、おそらく、越後の頚城の地で、人を治めるヌナガワ姫でしょう。能登の輪島とは反対の富山湾よりにある氷見や高岡や小矢部あたりでは、最近、頚城のヌナガワらと、船をあやつり、翡翠のとりひきをさかんに行っています。ヌナガワ姫も、しばしば能登を訪れているのです。彼女は、いわゆるこのあたりの『山の民』の上にたっているお方です。さらに、ヌナガワはその頚城の地で、翡翠を採掘し、その加工や、販売もおこなっています」
「翡翠を?」
その、鈍い緑色をした石のことは、オオクニヌシも知っていた。長い間、人々の間で、超自然的な力、予知や魔よけや願望成就など、をその石は持つと、信じられてきた。
オオクニヌシ自身は、その力について信仰をもっているわけではなかったし、その力を目の当たりにしたこともなかった。だが、民が、長い間、それによせている信仰を、知らないわけではなかった。
生きていく上で、自分にない、目にみえない力を借りること。オオクニヌシ自身も、かつて、父のスサノオと「根の国」で争った時、妻のスセリヒメの力を借りた。今は、国を治めるのに、小人のスクナビコの存在は大きい。民にとって、翡翠というのは、自分にとっての、スセリヒメやスクナビコのようなものなのだろうか?
「その地で、翡翠が多くとれるのか?」
「はい。民の間で信仰の対象である翡翠は、多くの、すなわち日本全国に散らばる『山の民』がいつも携帯しているものです。『山の民』は、その地で、風のように山々を歩きまわります。一人、危険と隣合わせの生活で、彼らが肌身離さず携帯しているのが、食糧である『時不知』、そして、その翡翠です」
時不知とは、季節問わず、食することができるように加工された保存食だ。彼らは常備食糧として、それを持ち、水や、山や海で獲れる季節の食物を移動場所で得ながら、山を移動する。
(だが、彼らの移動能力をもってしても、その移動範囲は、限られている。出雲から能登まで、彼らの脚力をもってしても、7日間はかかる。一方、船を使えば、2日間で、出雲から、ここまで来れる)
それこそが、オオクニヌシが、航路開拓に力をいれるひとつの理由だった。
聞けば、ヌナガワは、能登の富山湾側にある氷見という村に滞在しているという。
オオクニヌシは、そこを訪ねた。
面会の希望をその屋敷からでてきた男に伝えると、彼は、ヌナガワの村の長だという。富山湾での翡翠売りに、ヌナガワと同行してきているという。
「ヌナガワは、村の長ではないのですか?」
オオクニヌシが尋ねると、
「ええ。彼女は、翡翠の加工の上にたつお方です。翡翠の採掘や、行商の仕事は、それぞれ別のリーダーがおります。私は、もともと翡翠の行商をおこなっていたのですが、今はそれを退き、村の生活全体のバランスがとれるよう、目を配っています。翡翠生産の各部門の調整や、農耕や祭事、村の者の相談役全般を努めています」
オオクニヌシは、その村の長の話はよくわかった。少し前まで、出雲の国も、そのような体制だった。王、などという者はいなかった。人がふえ、国が栄えるとともに、王という役割が自分にあてがわれただけだった。
オオクニヌシはその男に、ヌナガワとの面会と、頚城の国訪問の希望を伝えた。
その男が、家にひっこみしばらくすると、玄関からこちらまで、彼女が音もなく歩いてやってきた。浅ぐろい肌と、濃い眉、鋭い唇の線、とがった顎、短く少年のように刈り上げた髪型。身長は165センチ、体重は50キロ、といったところか。女性にしては大柄だが、決して、大女という印象を与えない。
歩行はしなやかで美しかった。下肢は適切なバランスをもって前方へふりだされ、路面の衝撃を弾力のある膝が吸収し、なめらかに重心が移動しながら、スムーズに連動した足が、地面を力強く蹴りだす。脚は、かすかに内反していて、それが、下半身に安定した感じを与えていた。見事な歩き方だ、とオオクニヌシは感心した。
「出雲のオオクニヌシ様ですか?お噂は、存じあげております」
その美しい歩き方をする女性の口から発せられた、おだやかな、多くのアルファ波を多く含む声を聞いて、オオクニヌシは、一種の感動を覚えていた。
(多くの妻をめとり、180人もの子供がいるこの俺が、まだ心を揺さぶられるような女性がいるとは)
オオクニヌシの、これから頚城の国を訪れる希望に対して、ヌナガワと同行していた村の長は、その申し出を断った。
今、翡翠づくりが忙しくて、おもてなしができないのです。申し訳ございません。せめてもの埋め合わせで、今日はここで、ゆっくりお酒や、海や山の幸を味わっていってください。
その酒席で、オオクニヌシは、自分が、航路開拓のために、出雲から船に乗って、ここにやってきたこと。出雲の国のこと。大陸文化伝来とともに、騒がしくなってきている近隣諸国との関係などを話した。
遠い出雲のことにも関わらず、ヌナガワはその話を、興味をもって聞く様子で、しかも一部の話は既に知っているようだった。
「私たち、『山の民』には、日本全国にまたがる情報のネットワークがあるのです」
「出雲の国にも『山の民』がいる。出雲の国、能登の国、頚城の国の『山の民』同士が、山で出会って情報を交換しているということか?」
「ええ。頚城の国の東には、日高見の国、というもっと大きな国があり、西の方には大和の国もある。それら日本全国を『山の民』は移動します。でも、そんな『山の民』でも、いくら歩く速さが早くても、山で野宿するのに慣れていても、動く範囲やスピードには限界がある。船にはそれらを補う可能性がある。私は、頚城からここの能登まで、小さな船で移動する方法をみつけました。でも、あなたがたは、もっと遠い距離、遠く出雲から、ここまで、あるいはさらに北の東北の地まで、船で移動できる。すばらしいことです。とはいえ、わたしたちには、昔から既に翡翠があるのです」
オオクニヌシは、ヌナガワの胸の谷間にぶらさがっている、翡翠に目をやり、その胸に手をのばした。
「お見せしましようか?」
ヌナガワは、さりげなく、自分の胸に手をのばしてきたオオクニヌシをかわして、首にかけてあった首輪をはずし、そこについている翡翠を手のひらにのせて、オオクニヌシの目の前にさしだした。
「美しい」
翡翠は、鈍く光り、その中にある黒や黄色の点は、まるでひとつの宇宙のようであった。
「お近づきの印に、オオクニヌシ様に、この翡翠をさしあげます。これは、ほかの翡翠にはない、ある力をもっています。『山の民』の何人かも、これと同じ翡翠をもっていています。私たちが、頚城で、翡翠を掘り、加工し、そのいくつかにそのような力を与え、渡したのです」
「ある力?」
「わたしたちは、そのような翡翠のことを『風の声』と呼んだりもします」
オオクニヌシは、海辺から、遠く北アルプスの高い山々をのぞむ風景をながめながら、その山のふもとでできたお酒と、その山の幸、そして富山湾でとれた海の幸を堪能して、出雲の国に帰っていった。
風の声。
「声」というのは、もともと音の中でも、一定の職人にしか聞き分けられない音を示す言葉であった。それに、ならって、翡翠を介して伝わる音を、「声」と呼んでいるのだろう。
ぼんやりと、そんな風には思っていたが、具体的なことはよくわからなかったオオクニヌシも、出雲にもどって、そのヌナガワからもらった翡翠の力に触れると、容易にそれは理解できた。その翡翠を通して、遠く出雲と頚城に別れた、オオクニヌシとヌナガワは会話することができるのだ。まるで、現代における、電話やインターネットみたいに。
最初は、ヌナガワからオオクニヌシに連絡があった。
そして、ヌナガワから、呪文の言葉と簡単な翡翠操作を教えてもらうと、オオクニヌシからもヌナガワの方へと連絡をとることができるようになった。
「この翡翠の『風の声』の力は、どんな翡翠にもあるわけではないの。私たちが、頚城の地でとれる翡翠の一部に、その力を授けているの」
「授けるというと?採掘された一部の翡翠に、そういう力が備わっているというわけではないのか?」
「違うわ。普通の翡翠に、私たちが、その力を与えるの。そして、一度『風の声』をもった翡翠は、だれが使っても、遠隔通信ができるわ。
この遠隔通信は、『山の民』にとって、自分を危険から身を守るために、とても役に立つものなの。最初に『風の声』をつくったのは私ではないわ。私の母は、私が物心ついてから、もうつくっていた。母も、自分の母が作っていた、と言っていた。昔から、既に『山の民』の間で『風の声』があった。たぶん、それが、わたしたちや、民衆に、翡翠に対する信仰がうまれた理由だと思うの。
遠隔通信ができれば、たとえば、西の方の台風情報を知れば、東の方ではそれにあらかじめ備えることもできる。攻めてくる敵の様子が前もって知ることができれば、倒すこともしやすいだろう。連絡をとりあえば、いつごろ、相手が訪ねてくるかわかったり、逃げた獲物や人間をつかまえやすかったりするだろう。
それが、遠隔通信ができると知らない者からみたら、超自然的な力にみえたのだと思うわ。
でも、誰でも、『風の声』をつくれるわけではない。
村人の中で、翡翠に『風の声』を与えることのできるのは、私をふくめ、数人だけ。他にも『山の民』のなかに、けっして数は多くないけど、そうできる人がいる。
どうして、他の人ができないことを、わたしたちができるか?それは、私たちにもわからない。
でも、ある程度、血のつながり、親から子へとその力が伝わりやすいということはあるようよ。もちろん、突然、そういう力を持ったものが現れることもあるようだけど」
オオクニヌシにとって、『風の声』は、遠く離れたヌナガワと、楽しかったこと、嬉しかったこと、怒れたこと、悲しかったことなど、会話をかわすためのものにとどまらなかった。
出雲の「山の民」と連絡をとりあって、国の外からの力に対する防衛、とくに、北九州や大和の国の動きを偵察するのに大いに役に立ったのだった。
彼らは、大陸文化から、青銅や鉄といった技術をとりこんだだけではなかった。国をまとめあげ、強大にし、他の国に攻め込みそれを支配する、そういう「文化」をもまたとりこんでいた。また、そこにすむ民衆たちには、やはり、大陸文化の影響で、様々な心の動きの中で『欲望』をとくに突出させる者たちが増えていっていた。
そして、実際、今、出雲の国の東、出雲の国と頚城の間、大和の国の北に、「ヤマトイ」という名の国が現れつつあった。その「ヤマトイ」の国は、これまでの日本にはなかった、大陸文化に基づいた統治の方法が取られていた。
もともと、日本古来の縄文文化には、ピラミッド型の大きな組織をつくり、その組織をさらに広げていく、という発想がなかった。また『欲望』は、人間の感情の中の、あるひとつの感情にすぎず、『欲望』がおおくの感情の方向性を決めるような人間は、人々の中でほんの一握りにすぎなかった。
だが、今や、それとは異なる文化が、日本にはいりこみ、日本の主流になろうとその動きを始めた時代だった。
オオクニヌシから、能登の国で、再び会いたい、という連絡を「風の声」で受けて、それにどう返事をしたらよいのか、ヌナガワは考えこんだ。
個人的に、彼女はオオクニヌシがけっして嫌いではなかった。それに、彼は、大陸文化かぶれでもない。
だが、性格的に「みえない力」を信じないという点で、彼女にとっては、オオクニヌシもまた彼女の村に何人かいるような男たちと同じだった。
彼らは、「目にみえないもの」がみえない。
そして、富を求め、欲望を優先し、争いをこのむ。むしろ、村の問題児ともいえる彼らを、どうなだめすかすか?は、常に彼女の悩みの種であった。
オオクニヌシもまた、そういう者たちのような人物だが、なにしろ、彼は、村の問題児ではなく、一国の王だ。
ヌナガワは、頚城の村、そして日本の将来のことも考えざるをえなかった。頚城の、そして、日本全国の「山の民」たちから、遠隔通信による情報が沢山集まってくる、ということが、必然的にヌナガワにそういう発想を強制した。
時代は変わった。
今は、大陸文化をとりこんだと勘違いしているが、いずれそれに支配されている者たちが、日本古来の文化を守る、出雲、そして頚城にもおしよせてくる。そして、最後は、日本全国をかれらの文化が覆い尽くすかもしれない。それに備える、有力な手段は、出雲と頚城が連合し、その連合を広げることだ。
そして、できることなら、関東にある日高見の国とも連合できるのであれば。
連合。そのもっとも、単純で馬鹿みたいな方法は、ヌナガワがオオクニヌシの子供を宿し、育てることだ。一番、てっとり早い。
日本の将来のため、自分が彼の子供を産む、などという考えは荒唐無稽だろうか?だが、そうしたら、今の夫や娘は、そして頚城の村人は、どう反応するだろう。反対し、私のことを蔑み、憎むに違いない。
自分を捨てても、日本のため?笑わせるんじゃない、と。
だが、ヌナガワは、鬼の心で、自分が馬鹿になることを決意した。
(生き残るために汚れることは、悪ではない)
オオクニヌシは、出雲を船ででて、能登の輪島あたりについた。ヌナガワはそこまで迎えにきていた、二人は、山を一緒に越えて、富山湾の奥にある最初に酒席を共にした氷見あたりまで一緒に移動した。
オオクニヌシにとって、はじめての「山の民」との山歩きの体験だった。
最初はゆっくりはじまった。ゆったり呼吸し、肺の奥まで酸素をたっぷり送り込み、血液の流れをしずめ、筋肉をだらけない程度にリラックスさせて、歩く速度をコントロールする。一定のリズムで、歩いて行くうちに、オオクニヌシは、出雲の国の、無限に続く砂丘の風紋や、打ち寄せる波の短調なくりかえしのイメージがうかんできた。
やがて、ヌナガワは、ピッチをあげた。彼女の下半身はおどっているような、奇妙な動きを続けていた。だが、首から上は能役者のように静かに風の中をすべっていく。オオクニヌシは、歩くのをやめて、走りだした。数々の戦闘や、船での航海で、体力は人並み以上にあるという自信をもっていたのだが、心臓の鼓動は高まり、限界近くに震えていた。
(このまわりの光はなんだ?自分は今、歩いているのか?走っているのか?それとも飛んでいるのか?)
そう思った瞬間、オオクニヌシは、暗黒の空間の中に、石が崖から下におちていくように転落していく自分をみた。左右にあった光の帯は消え、オオクニヌシは意識を失った。
オオクニヌシが気をとりもどすと、もうあたりは暗かった。
「気づいたのね?」
ヌナガワのアルファ波を多くふくむ声だった。
どこかで、水の流れる音がしていた。その他はおそろしいほど静かで、部屋の中は完全な闇だ。ヌナガワの声は、オオクニヌシの顔のそばで聞こえていた。
オオクニヌシは、声をするほうに、手をのばした。ひんやりとした、柔らかいヌナガワの体が触れた。すずしげな、ミントのような香りがした。彼女は、服をぬぎすてていて、裸だった。浅黒い顔の色とまったく反対の、輝く白い石のような裸身が、静かに彼の横に横たわっていた。
「くるのよ。そのために、わたしたち、ここにきたのだから」
ヌナガワは、まず傷むオオクニヌシの足を手でさすったあと、その白い腕を序々にオオクニヌシの頭の方に移動していった。
オオクニヌシも、腕をヌナガワの体にまわした、
ヌナガワの体は、オオクニヌシとは違う筋肉のつきかたをしていた。オオクニヌシのような、戦闘や格闘をくりかえすことでついた筋肉ではない。細かい翡翠を加工することで腕と指をつかいと、山歩きをすることで足や腰を使い続けて、ついた筋肉だ。
田畑を耕す者、船の漕ぎ手、家事・・・それぞれの者はそれぞれの筋肉のつけかたがある。
それぞれ、それらは愛おしい。だが・・・。
急に、オオクニヌシは、思い出した。大陸からきた「おえらいさんたち」には筋肉がついていない。彼らは、手や足をあまり動かさないのだ。替わりに、目に見えない、心の中にある欲望という筋肉を鍛えて、手や足を使うことで目に見える肉体の筋肉がついたもの達を支配しようとしているだけだ。
いまいましい。そんな連中に、この国を渡してなるものか。
*
村の長は、ヌナガワから、オオクニヌシと能登で再び会いたいという相談を事前に受けた。相談というより、それはヌナガワの決断だった。判断を求められたわけではなかった。
(だが、これは、やっかいだ)
と、彼は思った。
ヌナガワから、その再会は、個人的な感情からだけでなく、村のことを考えてのことだ、という説明があって、彼自身は、それに納得した。だが、いくら理にかなったとしても、ヌナガワからいわせれば、村のための自己犠牲だとしても、他の者にはそういう理屈は通用するはずもなかった。
特に、ヌナガワの夫、娘の悲しみは深いものだろう。
また、それをみて、村人たちも、ヌナガワに否定的な意見をもつものが多かろう。
案の定、村人たちの主たるものを集めたところ、ヌナガワがオオクニヌシに会いに行くと聞いてほとんどの者が大反対であった。
「彼は、確かに出雲の国の立派なお方かもしれない。だが、正妻の他にも多くの妻がいる。なぜ、好んでそんな男とヌナガワが。しかも、ヌナガワには夫や娘が既にいるというのに」
村の長は、村で、翡翠の加工の中心地である、田伏地区を訪れた。翡翠の売れ行きは順調で、村はそれで潤っていた。手狭になったその山の仕事場を、頚城平野の広い場所に移そうという計画が、今進行中だった。掘る人も、削る人も、売る人も、新たに探す予定だった。
そこに居合わせた、「山の民」の何人かに、今回のヌナガワの考えについて意見を聞いたところ、村の民衆とは違い、ヌナガワの決断を擁護するものが多かった。この地にずっと住んでいる者、村の外の世界を知る者、それぞれ考えが違うのだ
村の長も、長い間、翡翠の行商で、諸国をまわっていた経験があった。遠い、出雲や大和の国は知らなかったが、西は富山、東は頚城平野、北は小谷から松本、さらには諏訪まで売りにまわったことがあった。そういうこともあってか、村の長はヌナガワの決断に、頭から反対ではなかった。
(だが、問題は、彼女の夫と娘だ)
ヌナガワの娘の方はなんとかなりそうだった。だが、問題は夫のナカノイエの方だった。村の人で彼のことをナカノイエと呼ぶものはいなかった。ナカやん。彼は、みなからそう呼ばれていた。彼は、近年、ずっと、自分の仕事に身が入らず、朝起きるとすぐに村の「酒屋」の前にずっと座ってその門があくのを待つ、という毎日をおくっていた。
その小さな村の住人はみな同じ名字をもっていた。なので、それぞれの家には「屋号」がついていた。たとえばそれは、「南屋」「柿の木の家」「太郎の家」「角屋」「新屋」などといったものだ。村の長の住んでいる家は「隠居の家」と呼ばれていた。ヌナガワの家は、「中の家」とよばれていた。
村の端には日本酒の蔵があってそこは文字通り「酒屋」と呼ばれていたのだった。
酒蔵が、開く時間は、昼の0時。
たまに午前中で学校帰りの子供たちがその男の前を通るときには、子供たちは、小さな石をその男に投げたり、つかまえた虫を座っている男の頭の上にのせたりした。だが、男の注意は、まったくそんなことにむけられなかった。ただ、その「酒屋」の門があくのを見続けていた。
そんな男に、「酒屋」を出入りするネコや、「酒屋」の門のそばにある木もあきれかえっていた。周囲の草や、その中を動きまわる虫たちもひそひそと「こいつは毎日なにをやっているんだ?」とうわさ話をするほどだった。
「中の家」の男は、「酒屋」で日本酒を手に入れたかった。そして「酒屋」は、その男に売る日本酒の一日の量を決めていた。なにしろ、酒を手に入れれば、手に入れた分を全部、その一日で飲んでしまうのだから。10升わたせば10升、5升わたせば5升、3升わたせば3升、1升わたせば1升。なので、その男に対しては、一日に5合を限度にしていた。
そして、男は毎日限度いっぱいに酒を買い、酒を飲んで一日を終える、という毎日を送っていた。
その村の大人たちは、「中の家」の男のふるまいを、見て見ぬふりをしていた。誰一人としてそれを注意するものはいなかった。
そんなヌナガワの夫に、村の長はヌナガワの決断を伝えにいった。
村の長は、昼間、酒蔵の前に行き、ちょうど酒屋でその日の酒をうけとった、「中の家」の男をつかまえた。そして、今日は、一緒に、「月不見の池」で、昼間から一緒に杯をくみかわそう、と提案した。村の長は、一緒に酒を飲みながら、男の気持ちを聞きだそうとしたのだ。
その池は、鬱蒼たる樹木や樹木に絡まる藤の蔓、巨岩などに囲まれていて、水面に映る月の姿が見えないことからそう名づけられた。昼間でも、太陽の光はさえぎられ、まもなく本格的な夏をむかえようという今の季節も涼をとることができた。春のおわりから咲く藤の花も、未だ、咲きほこっていた。
「ずっと、このままでは良くあるまい」
ヌナガワの夫は、その村から少し離れた、頚城平野の生まれだった。若いころから、その広い平野を馬で駆けるのが得意だった。ヌナガワと夫婦になってから、この村にやってきて、仕事は、特技の馬を使って、様々な運搬の仕事をしていた。
「馬で、広い場所を駆けたいんだ。細く、険しい山道ではなく」
村の長が、その男の妻のヌナガワがオオクニヌシに会いに行くと決めたことを伝えると、彼はいった。
「しかたがあるまい。相手は、出雲の国の王だもの。一方、こちらは、毎日酒をのんでいるだけで、働くことも疎かになっている男だ」
村の長は、翡翠の加工場を、頚城平野の方に移転する計画があることを男に伝えた。何だったら、環境を変えるために、そこにいかないか?頚城平野なら、思い切り、馬を駆けさせることもできる。
「それもいいかもしれない」
だが、毎日、ここの酒蔵でつくる酒が飲めなくなるのが、寂しいと男は言った。
「むこうで、この村の酒と海や山の幸がいつも味わえるような、店をつくればいい」
いわゆる居酒屋である。それはいい考えだ、と男は言った。
でも、もうひとつ。娘をどうするか?
ヌナガワを失うのは、いたしかたがないとしても、今まで積み重ねてきたここでの仕事を失い、その上娘まで失うとしたら、自分に何が残るというのか?
「それは、娘さん本人に聞くしかなかろう」
村長が去ったあと、その男は、「月不見の池」にひとりとどまっていた。
そこは、いつも彼が、昼間明るいうちから、ひとりで、ゆっくりお酒を飲むおきにいりの場所だった。その池のまわりは樹に囲まれ、夜は月の明かりさえみえない真っ暗なところだったが、昼間は太陽の光がさえぎられてちょうどいいあんばいなのだ。
ナカやんは、徳利に入ったお酒を、盃についではすすり、すすっては自分でまたついだ。
視線の先は、目的もなく、重力の力で鏡のように真平らになってまわりの樹々を映し出す、池の水面だった。
酔いがまわるにつれ、その視界は徐々のあやふやになっていった。そして、彼の目の前に、池の中から見知らぬ別の男があらわれたのだった。