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第1章 マコトおじさんの小さな店

第1章 マコトおじさんの小さな店


1 小さな店


 その小さな店は、騒がしくほこりっぽい広い道路に面していた。店の目の前の道路沿いにはバス停があった。さらに、店から出てすぐ横には、地下鉄の駅につながる上り階段があった。その階段を上っていくと、そこは地下鉄だった。

 上ると、地下に行く?

 いえいえ、実はここは、地下鉄の線路が地上に出ている特別な場所なのだ。真っ青な色の車両が、ふいにその高架上に姿を現し駅に止まる。耳をつんざくような大きな音はなしに、だ。そして、また、静かに出発し、壁のむこうに消えていく。

 駅に着くのは、到着するためではなく、出発するためだ。それをみているだけでも、まるで自分が地下鉄にのってわくわくするような土地へ旅に出て行くような錯覚におちいる。

旅。みしらぬ人との出会い。そしてなにかすばらしい事が。もちろん!でも出港前に人は少しためらうものだ。そして、その、長いためらいの日々こそが、毎日の生活なのだ。

 さらに、この地下鉄へと上がっていく階段のすぐ横には、下へ下っていく階段がある。これは、目の前の道路をくぐり、店の向かい側にある公園につながる地下通路だ。

 地下鉄と道路をつなぐのは、階段だけでなく、エレベーターもある。だが、道路をくぐる地下通路にはエレベーターがない。なので、公園に行くほとんどの人は、地下鉄では来ずに、車で来て公園の駐車場に車を止める。だが、そう多くはないが、地下鉄でおりて公園に行く車いすに乗ったお年寄りや、ベビーカーに乗った赤ん坊がいる。その場合、その付き添い者は、長い緩やかなスロープで地下まで降り、道路をくぐったあと、また長い緩やかなスロープで地上まで上る。

 とはいえ、実際問題、その道路をくぐる地下へ(から)のスロープは、子供たちの良いスケートボードの通路でもあった。

 最初にマコトおじさんがこの「小さな店」を開いてから、その店やそのまわりの街の様子は、少しずつ、そして年月が長くたつにつれてその「少しずつ」が積み重なって、大きく変わっていった。

 昔は、マコトおじさんの店では、新聞や雑誌とタバコがおかれていた。だが、新聞や雑誌は、インターネットにとって代わられつつあり、あまり売れなくなった。また、時代がたつにつれて、タバコも売れなくなった。時代の風潮だった。

 なんとか禁煙に成功したマコトおじさんは、タバコを置くかわりに、コーヒーと「ラズベリーパイ」をおいた。「ラズベリーパイ」は本格的で、街のケーキ屋に特別に頼んでつくってもらっていた。マコトおじさんのお気に入りだった。

 一時は、それらを買う客も少なくないわけではなかった。だが、徐々にこちらも客足は減り、結局、コーヒーとパイは、ほとんどマコトおじさん自身のおやつのためだけのようなものになってしまっていた。

そして、ついに特別に頼んでいた街のケーキ屋そのものもなくなる時が。だが、気にしても、どうにもできないことは、気にしてもしかたがあるまい。

 今現在、その「小さな店」の売り上げを支えているのは、宝くじだった。他に、マコトおじさんは、近くのパチンコ屋と契約して、パチンコの玉と景品(という名の現金)の引き換えもおこなっていた。それらは、店の前の、大きい道沿いに面した小さい「窓口」で取引されていた。

 一方、その店の裏には、小さい路地に面した大きな出入り口があった。そこからその「小さな店」にはいると、そこには、街に数多くあるコンビニエンスストアとは対照的に、生活に役に立たないものばかり置いてあった。まるで、『イン』コンビニエンスストア=『不便な店』といった様子の。

置いてあるものとしては、この時代、本を読む人がずいぶんいなくなっていたにもかかわらず、本が多かった。それに加えて、そこに置いてある本には、一部の本を読む人たちさえからもほとんど読まれないような本もあった。

 子供むけの童話、絵本にまじって「テロリスト」「学者犬」「良寛の研究本」「資本の修辞学」「魔法語の研究」という題名のものがそれだ。マコトおじさんが、その中の1冊の本の著者だという噂もあったが、その真偽に対してさえ、興味を持ち、知りたいと思う者は、残念ながらいなかった。

 他には、人形。「チュー」「コピヤ」という名前の説明札があった。さらには、あやしげな薬。「動物になる薬」「媚薬(グレープフルーツ味)」「黄色い彼岸花の花粉」。そして、何に使うのかわからない、道具?「ほうき」「指輪」「ブラックボックス」。何やらあやしげなものが多い。

 マコトおじさんは、街に多い看板や広告や標識は目にはいらないが、街に少ない(とはいっても、田舎の街ではそうでもないと思うが)草とか虫とか汚れた壁とかに目が行ってしまうのだった。

また、説明書や新聞、そして小説までも、読み始めるとまもなく「別のこと」を考え始めて、最後まで読み終えることができないのだ。「別のこと」?

 例えば、自然に出たくしゃみが竜巻になったらどうか?とか。「おいしい空気」って、食べたら、どんな味がするのだろう?とか。決してわれることがなく、別のシャボン玉とぶつかると、どんどん大きくなっていくシャボン玉がもしあったらと考え続ける、とか。慰めという傘では、雨から体をぬらすことを防ぐことはできないが、ないよりまし、とか。なんでも、自動でゴミをすいとるロボットに、自分もすいこまれてしまう、とか。

 世界はひとつでないし、ひとつでないほうがいい、とか。

 便利になったといわれている5Gの世界は、今の社会で少ない数ではない高齢者にとっては、ずいぶん不便だとか。

 人の死に直面したとき「この人は死んで幸せになった」とか「死んで悲しいだろう」とか考えて、神様のすることに疑問を抱いてはいけないのだ、とか。

 たとえば、かかってきた電話にでて「なんで電話をかけてきたの?」と聞いたら「あなたが電話をかけるように言ったからよ」と返事がきて、自分が電話をかけていないのに自分をかたった誰かがそいつに電話をかけたということは、そこに犯罪のにおいがしてくる、とか。

 そんな彼の妄想には、こんなものもあった。

 確かに、マコトおじさんの店のまわりには、地下鉄、バス、徒歩の交通網が整っていたが、彼にいわせれば、さらに、公園にヘリコプター、目の前の広い道路を滑走路にすれば飛行機も、離発着可能だ。つまり、この店は、文字通り、同時代のあらゆる場所につながっている。だから、インターネットは自分の店には不要だ、というものとか。

 そう。マコトおじさんの店は、もともと『あらゆる場所』につながっていた。でも、あらゆる場所につながることは、インターネットの普及で、誰でも手軽にできる時代になっているのだ!

 だが、マコトおじさんは、あらゆる場所につながっているだけでは不満だった。マコトおじさんは、その店が、『あらゆる時代』とつながっていないことが不満だったのだった。



2 月不見の池


 マコトおじさんが、ナカやんと最初に出会ったのは、ひとり、自分の店兼家である家の一室で、ひとり、お気に入りの日本酒を飲んでいる時だった。

 急に、マコトおじさんの目の前に、ゆっくりと池のようなものがあらわれはじめた。

 最初、マコトおじさんは出現した池の上に(酔っぱらって?)死んだように横たわっていった。最初、彼は、うかんでいた。だが、やがて、ゆっくり池の中へと沈んでいった。

 おそらく、その池は、時空や空間、個人や集団を超越してすべてにつながっていた。この池に放り込まれた者は、単に水の底に沈むのではない。表面に漂っているのでもない。クラゲのように、ふわふわと水の中をたゆっているのだ。水の中で、時空や空間、個人や集団を超越してすべてに結びつくのだ。その広さは無限である。過去から現在そして未来、という順番もそこにはない。

 やがて、マコトおじさんは、その池からまた浮かび上がってきて、地上で歩くようになった。

 気がつくと、マコトおじさんは見知らぬ土地の森の中にある小さな池のたもとにいた。そこにある男が、ひとり、日本酒を飲んでいた。彼がナカノイエこと「ナカやん」だった。

 その池は、鬱蒼たる樹木や樹木に絡まる藤の蔓、巨岩などに囲まれていて、昼間でも、太陽の光はさえぎられ、まもなく本格的な夏をむかえようというその季節でも涼をとることができた。春のおわりから咲く藤の花も、未だ、咲きほこっていた。

 ナカやんもまた、昼間から自分でとっくりに入ったお酒を、盃についではすすり、すすっては自分でまたついでいた。

 彼は、ふいに現れたマコトおじさんにぼそりと言った。

「この池は、まわりの草木で光がさえぎられている。夜になって、普通、水面に映る月がみえないことから『月不見の池』とよばれている」

 マコトおじさんが戸惑っているほどは、ナカやんは見知らぬ人が目の前にふいに現れてもとまどってはいないようだった。単に、酔っぱらっていたから、だけかもしれないが。

 その男は、マコトおじさんがうながしもしないのに、勝手に長い話をはじめた。

 その話は、最初はつまらなかったが、序々に、マコトおじさんはその話にひきこまれていったのだった。それは、ヌナガワ姫と翡翠をめぐる「山の民」と「風の声」のお話だった。

その「ナカやん」はヌナガワと結婚していた。だが、ヌナガワは出雲からやってきた王様のオオクニヌシと契り、子供をもうけた。当時、それは、特別なことではなかったが、「ナカやん」にとってそれは、とてもつらいことだった、という。

 話を聞いた後、今度はマコトおじさんがその男に、自分の話をした。それは、自分が若いころ経験した、刺激的だった何回かの魔法使いたちとの冒険の話。そして、老いた今、昔をふりかえりながら「いったい自分は人生で何を残しただろう?」と時に思う、自分のせつない胸の内だった。

「いくらがんばっても、自分には結局、魔法を使う能力がないのだ」

話を聞いた後、ナカやんはマコトおじさんに尋ねた。

「君は、どうやって、ここにきたのかい?魔法を使って、時を超えた、ということかい?」

「どうやってここに来たのか、わからない。残念ながら、魔法を使ったわけではない。でも、君のいうとおり、話から推察するに、時をこえてきたようだ。

 もしかすると、こういう場所は、時代や国を超えて、世界のあちこちに点在しているのかもしれない。

 たとえば、皆に『パワースポット』と呼ばれている場所のいくつかは『タイムトラベル』の出入り口になりうる。ここ『月不見の池』も、いわゆる『パワースポット』のひとつ。

 だが、ぼくが思うに、『タイムトラベル』の出入り口になりうるのは、もっと身近なところにも存在する。

 屋根の上の煙突、真夜中の庭、今は使われてないトンネル、ショッピングモールの喫煙ルーム、喧嘩した恋人が出ていった後一人寝したベッドの中、家にある鏡台の前、大きな樹の根元、美術館のある絵の前、そして、一冊の本だって。

 そして、そのひとつが、ぼくの店だ。

『タイムトラベル』の出入り口になる条件は、そこでそのとき、他人や社会からどう見られているかなどは考えず、自分の気持ちのみに集中できる場所であればよい、のかも」

 マコトおじさんとナカやんのふたりは、よく話し合い、お互いをできるだけ理解しようと試みた。

もちろん、自分のわからない相手の何十年の間でおこったできごとを簡単に理解することはとてもできないことはわかっていた。ただ、お互い、今、相手の男が、「大きな悲しみ」の中にいながら日々過ごしているということはわかった。

 たとえ、その「悲しみ」は、自分の知っている悲しみとはちがうものであるかもしれないにせよ。

 それは、漢字にすれば、哀しみ、とでもいおうか。

 さらに二人には共通点があった。それは、二人とも、今生きているまわりに身よりが一人もいない、ということだった。

 それは、外国で生まれて、長い間他国にて出稼ぎあるいは難民として、知人の間で暮らしているうちに、生まれ故郷の両親兄弟がみな亡くなってしまった、というわけではない。だが、結果として、状況はそれに似ていた。

 おしゃれに「イングリッシュマン イン ニューヨーク」とでもいうには、現実の社会は厳しいものなのだ。

 同じ日本の中にいても、死亡という形でなくても、離婚や仲たがいで、周りに自分の血縁者が一人もいなくなってしまうことはある。それは普段、職場や個人的な友人に取り囲まれていれば忘れていられるかもしれない。しかし、自分が病気になったとき、あるいは年を取って認知症になったとき、世の中ではどうしても「知人」という関係だけでは代用できない「信用」の問題がある。それは、年を取って、周りの様子をみていれば折に触れて感じることだ。

「ぼくらは、会うべくして、ここであったのかもしれない。ぼくは、今なにをすべきか?わかっている。おそらく、君も」

 そう。今、二人は、時を超えて、お互いの立場を交換しようと心をきめていたのだった。そのために、多少でも役立つために、お互いのことの情報交換をしたのだった。

お互い、そうすることしか、今の自分のおかれた閉塞した状況を打ち破る方法はない、と確信していた。

だが、情報交換はしても、体ごと「入れ代わる」などとは、夢にも思わなかったし、それは「現実ばなれ」していた。


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