風が吹けば桶屋の仕事が増える
「うわっ……」
部室に入ると、そこには死体が転がっていた。
「何があったのよ」
……返事がない。ただの屍ね。
「おい、生徒会が呼んで……御崎、何をやっているんだ?」
私の横から大原先生が部室を覗き込む。
「報告書……疲れた……」
今まで聞いたことのないほどか細い御崎の声が聞こえた。
「二人が……ずっと添削してくるから……」
「事件の規模的に仕方ないだろう」
「銃があったんだから、そりゃいつもと違うわよ」
あの日は金曜日だったのだが、土日はデスマーチが繰り広げられた。
御崎がメッセージアプリで報告書を送り、それを私と大原先生で添削し、スキマ時間にコンビニスイーツを食べる。書かなきゃいけない事の不足、誤字脱字などなど……あの日だけで一年分の通知が私のスマバに届いたと思う。
ちなみに私は計画的なので御崎と違って土曜の内に書き終わっている。
「大原先生には怒られるし……」
「むしろなんで拳銃の件を私に連絡しなかったんだ……」
ちなみに私は計画的なので普通に連絡のことを忘れていた。
「もう今日は疲れたから……報告書、緋崎が代わりに持ってってくれない?」
「部長の仕事サボろうとしてんじゃないわよ……」
と言ったはいいものの、充電十パーセントの御崎を送り出してまた電話で色々聞かれるのも面倒だ。
私は御崎から報告書を受け取り、生徒会室へと向かった。
――
常識という物差しで図ることができないのがこの葱津高校の特徴だ。
うちもそうだし、科学部なんてその最たる例であろう。
で、あるならばそれらを束ねる生徒会もまた常識という物差しで図ることができない存在であるのは当然だろう。漫画やアニメの世界のような絶対的な権力を持つ学校内の特権階級的存在。教師ですら介入できない一種の治外法権区。それが葱津高校生徒会……
「失礼します」
「ふーくーかーいーちょー!!サボらないでって言ってるよねぇ!?」
「え〜?いいじゃん別に〜」
「会長、追加の書類です」
「ああ、ありが……また随分たくさんあるな……」
「基本、科学部でした。まったく、また校内が煤まみれになるなんて事態にはならないといいですが……」
なんてことは全くもってない。葱津高校生徒会、その実態はこの高校随一の苦労人……というか社畜の集団だ。
「風紀部の報告書はそこに置いておいてくれ。後で目を通す」
まあ、かえって好都合だ。ここはさっさと退散して拳銃の件は御崎に任せよう。
明日になれば流石にあの死にかけの状態は脱しているだろうし。
「じゃ、これで……」
「へえ〜……銃があったとか大変だね〜」
耳元で抑揚のない無気力な声が聞こえ、思わず足を止めてしまう。
左を向いてみると、無造作に伸びた黒い髪の中に白メッシュが乱雑に混ざった女子生徒――玉雲遊――が立っていた。どうやって気配も感じさせずに隣に立っていたのだろう……
「それはね、地面をにょろにょろと這って」
「しれっと心読んでんじゃないわよ」
「読んだのは心じゃないよ。顔」
玉雲はニヤリと笑いながら私の顔を覗き込む。
「ちょ、ちょっと待て!銃ってなんだ銃って!」
一方、先程までフリーズしていた会長――白河望会長――はようやく情報を飲み込めたのか声を荒げる。
「いや、別に大したことじゃないんで明日御崎が説明しに来ますよ」
「大したことないわけないだろう!?」
彼女は机を勢いよく叩く。彼女の感情のこもった一撃は私から逃げる意志を奪い……
「あっ!?ちょっ!!それはまずい!!」
机の上に積み重なっていた紙の塔を崩落させた。
「うぶっ……会長に虐待された」
私はそれをサッと避けたが、玉雲は逃げ遅れたようで紙の中に埋もれてしまった。
彼女は紙の山から頭を出して恨み節を言う。
「悪かったって……」
「賠償として三日分の休暇を請求するー!」
「それはダメだ。私達が過労死する」
会長の目から光が消えたことは見なかったことにしよう。
「ケチ〜……」
玉雲は口をすぼめて不満を口にするが、そもそも他の役員がこんなに忙しそうにしているのになぜ堂々とサボろうと思えるのだろうか……しかも副会長が。
ちなみにこんなにやる気がない人間がなぜ副会長なんて重要な席についているかというと、彼女がこの葱津高校でもトップクラスの才能を持つ人間だからだ。そうでなければ会長だって二年生を、しかもこんな適当人間を副会長の座に置くことはなかっただろう。まあ、結果としていつも期限ギリギリになるまで仕事もせずいろんな部活に顔を出し回る不良債権を抱える羽目になってるけど。
ちなみにこれは豆知識だが、彼女が科学部に行っているときは基本的に厄日なので理科室に近づかないようにしないといけない。マジで。ろくでもない装置を完璧に仕上げやがる。
「副会長、あなた休暇なんか貰わなくても好き勝手やってるでしょ!?」
先に行くほど赤くなるようにグラデーションのかかった赤茶色の髪をした女子が大声を上げる。
彼女の名前は依戸海梨先輩。生徒会書記の三年生だ。
文武両道才色兼備を地で行く会長のことを半ば心酔しており、その会長から気に入られている玉雲のことは極端に嫌っている。
どれぐらい嫌っているかと言うと現生徒会結成時から依戸先輩が玉雲に友好的なところを見たことがない。
「公認なら罪悪感とか減るし」
「罪悪感を抱いたうえでサボってるの!?」
「だって罪悪感込みでもサボりたいほどめんどくさいもん」
依戸先輩の怒りもどこ吹く風、玉雲は書類の山から抜け出すとドアの前まで移動する。
「じゃあ、科学部行ってくるから」
「ちょっと待て!今風紀部への事情聴取で忙しいからお前に抜けられたら困る!」
「頑張ってね〜、私は宙峰の妹がどんな人か見てくるから〜♪ふれっふれ〜」
玉雲はベッド狂いなのかな〜と言いながら廊下へと消えていった。
残念ながら睡歌ちゃんは狂気を一ミリも感じさせない普通の子よ。
「あー……うん……ごほん」
絶望をどうにか許容した彼女は私に向き直る。
「とりあえず、急いで報告書を読むから。そこの椅子にでも腰を掛けて待っててくれ」
私は来客用の椅子と机――といってもその机の上にも書類の山が築かれているのだが――とりあえずそこに座って彼女が読み終わるのを待つ。今なら断頭台で処刑を待つ罪人の気持ちがわかるかもしれない。
「会長。読むのはいいですけど落とした紙さっさと拾ってください」
薄い青色の髪を一つくくりにした女子が冷淡な声を発した。
「ああ、すまない」
白河会長は一旦書類を机に置き、先ほど落とした紙を拾い上げる。
「会長は仕事で忙しいんだから白月が拾えばいいのに……」
「……落とした人が拾うべきだと思っただけですから」
小さく文句を言った依戸先輩に青髪の女子が睨みながら返事をする。
彼女の名前は白月透。生徒会会計の三年生で、かなりの綺麗好き……というかまあ潔癖症だ。いつもマスクと手袋をしてて汚れることを極度に嫌っているし。
なので今白河会長に紙を拾わせているのも自分の行動の責任は自分で取るべきなどという考えではなく、純粋に床に落ちた汚いものを触りたくないだけだと思う。
「と、これお茶」
「ああ、ありがとうございます……」
とはいえ優等生だがどこか抜けてる白河会長に自由奔放な玉雲、会長第一主義の依戸先輩と比べると彼女は頼りになるし常識人よりの感性の持ち主だ。少なくとも科学部と意気投合したりなんてしない。
「よいしょっと……よし!」
白河会長はゆっくりと紙束を机に置くと、こちらを向く。
「まあさっきざっと見た感じそこまで問題はなかったようだが……」
あの短時間で二人分の報告書を読み切ったのかと感心していると、会長は心配そうな眼差しでこちらを見つめてきた。
「大丈夫なのか?ヤクザからの報復とか……」
「ああ、あいつらヤクザから結構信頼されてたみたいで拳銃を筆頭に色々な物や情報を持ってたらしいんです。でもまあ所詮は不良なんで管理が雑で、それをもとに警察が一斉捜査かける予定らしいんで報復する間もなく壊滅すると思います」
組自体も小規模なものだそうですしと私が付け加えると、会長はホッとため息を吐いた。
「それならいいが……ほんと、できれば風紀部を解散させたいよ……」
「私は別にいいですよ」
眉間に右手を置きながら小さく唸る会長に私はそう返した。
ほんと、今すぐにでも解散させてもらっても構わない。そうすれば私は晴れて帰宅部だ。毎日葱津区の喫茶店を歩き回って、最高のパフェでも探そう。
「どうせ解散させても勝手に活動するだろう。特に御崎くんは……なら監視下で暴れさせたほうがまだマシさ」
「まあ、そうでしょうね。なんならあいつダークヒーローとか人知れず正義を守るとか好きですし、今より悪化しそうです」
誠に遺憾ながら、あいつがどういう行動を取るのかは大体想像がつく。
喫茶店巡りに向かおうとする私の腕を掴み、あいつは意気揚々とパトロールにでも向かうだろう。
部室代わりに公園なり御崎の家なりで解決すべき事件を調べてみたり、警察が来たら走って逃げたり、もしかしたら今よりも面倒くさい日々が待っているかもしれない。
そんな想像をしていると、思わず小さなため息が出た。
「どうしてうちはこうも変な部活ばっかなのか……」
会長は大きなため息をつく。
そして疲れ果てた顔で自分の席に戻ったあと、フッと笑みを浮かべた。
「でも、お陰様で働きがいがあるよ。私達の努力がみんなの自由で輝かしい青春に繋がっていると思うとね」
彼女のその笑顔は今までで一番穏やかで、温かみのあるものだった……
「か、会長!!」
しかし、その笑みは生徒会室に飛び込んできた男子生徒の声によってかき消された。ユニフォーム的に野球部だろう。
「なんだ?」
「祀辺が……ジェットパックを作って……副会長がそれを強化しちゃって……」
「はあ!?何をやっているんだあいつは!!」
会長は声を張り上げる。
窓の方に顔を向けてみると、赤いジャージを着た片目の隠れた女子と目があった。
彼女は点Pのごとく、あっという間にどこかへ飛んでいく。彼女の涙がキラキラと軌道を描いた。
「それで旗鐘さんが使ってたら制御不能になって……旗鐘さんは着地できないしグラウンドは使用できないしでもう大変で……!」
「白月と依戸は運動部への対応を!緋崎も念のために来てくれ!最悪の場合力技で旗鐘を救出する!!」
「ああ……はい……」
私は確信した。やっぱり、あいつが科学部に行っている日は厄日だ。
今回の担当、にわた。