第6話 魔王
戦女神の神殿とは比べ物にならない巨大な神殿の奥には人の気配はなかった。それどころか、靄のようなものが立ちこめ、赤銅の魔術師たちは不調を訴えていた。そこは既に人の世界では無かったのだ。掬い取られるように体力を削がれ、魔力に余裕の無い者には引き返すように告げる。
オーゼも不調をきたしているように見えた。
先ほどの魔法で最後とは言わないで欲しい。
私を導いてくれていたオーゼで居て欲しい。
言葉もなく、ただ進み続ける勇者一行。最奥の間へ辿り着いたときには青鋼の全ての戦士たち、それから魔術師の半数が脱落していた。広間の奥は天井のドームの奥、とても高い場所からの永続の光に依って、ある一点だけが明るく照らされていた。
「あれが……魔王なのか……」
そこにはただ、巨大な神の座とそれに座す醜悪な塊だけが存在していた。
座している――とは言ってみたものの、黒い塊はとうてい人というものの形とはかけ離れた姿をしていた。とぐろを巻いた蛇? 何匹もの蛇が絡み合った塊? 頭などと言うものは無く、まして四肢と言うものは見当たらない。ただ歪な形の丸い何か。
その塊はよく見ると、葡萄の房のようなものが全体についていた。房はその形から、人の乳房のようにも見える。それがひとつ、ボタリと床に落ちたように見えた。正確にはその中身だったかもしれない。いずれせよ、床に落ちたそれは人の赤子のように蠢き出した。
ボタリ――ボタリ――ボタリ――続けざまに落ちる。
最初の赤子は殻を破ったかのように、急速に成長しつつあった。
「マズいぞ。今のうちに攻めろ!」
ジルコワルは叫び、魔王に突撃する。
ルシアが先導するように火球を放つ。
「危ない!」
私はルシアを突き飛ばして盾を構えた。
聖盾は戦侍女の光の槍を止めた。
目の前の戦侍女はこの長い距離を火球よりも速く跳躍してきたのだ。
先ほどまでの這いずり回っていた同類とはまるで違う。
産み落とされた赤子は二足で立つ戦侍女へと成長していた。
火球は魔王らしき塊に着弾していた。
新たな堕とし子は焼き払われたようだったが、次がまた生まれようとしていた。
ルシアはさらなる火球を放つ。
戦侍女はそのルシアに反応する。
「いけない!」
聖剣で斬りつけるも、戦侍女に光の槍で打ち払われた。
目の前の巨体は流石、戦侍女たる技量を見せつけていた。
天界へ招かれる前はさぞ、名のある戦士だったに違いない。
戦侍女はやはり、先程と同様に体中に聖なる文字の羅列を纏っていた。
しかしあの同類とは纏うものさえ別物に見えた。
体こそ黒ずんだ塊だったが、光の文字の羅列を躍らせながら舞う戦侍女は美しくさえあった。
強い――そう感じた。
加護があるとはいえ、私の剣の技量はそこまででもなかった。
聖剣を容易に打ち払うこの光の槍は聖剣と同等のものなのだろう。
加えて光の槍は戦侍女の体をすり抜ける。
思わぬ方向からの一撃。
光の槍はすり抜けるだけでなく、先端が腕へ入ったかと思えばそれはつま先から現れた。
自身の胴を斬り裂いたかと思うと肘から槍を伸ばしてきた。
聖盾で致命傷は免れていたものの、光の槍は私の鎧を斬り裂いていく。
「そいつはジルコワルに任せてエリンは魔王をやれ! ルシアは自封を広げながら火球を撃ち続けろ!」
「兄さん、無茶言わないで!」
これが才能と言うものであろう。
そう言いながらもルシアは二つを同時にこなしていた。
ジルコワルが駆け寄る。
そして私がオーゼの言葉に従おうとした一瞬の隙をつく戦侍女。
ルシアに踏み込もうとした戦侍女を魔法の鎖が捕らえる。
ジルコワルが放った束縛は戦侍女を彼へと縛り付けた。
即座に光の槍は鎖を斬り裂くも、新たな束縛が戦侍女を捕らえる。
戦侍女はガンと床に槍を突き立てジルコワルへと相対した。
「行け」
ジルコワルは言った。
魔王へと向かう私。
さらにオーゼは指示を出す。
「赤銅は火球を撃ち続けろ!」
「でも勇者様が巻き込まれます!」
「大丈夫よルハカ! ルシアもね!」
これまでオーゼはこんな無茶をやらせてくれなかった。
味方の魔法の巻き添えは私と言えど極力注意してくれていた。それは小さなころの修練場へ入りたての頃の、あのルシアのような顔を見たくなかったからかもしれない。だけど私にはわかる。たぶん、大丈夫だと。
「これは……」
目の前の魔王は火球の炎に焼かれたはずなのに、火傷らしきものひとつ負っていなかった。毒蛇の鱗のようにも見える黒ずんだ肌は艶さえ放っていた。豊満な女性の胴体だけのような十尺を越える塊。その塊をぐるりと取り囲む幾多の乳房。それは多産の女神、そして豊穣の女神たる地母神の象徴なのかもしれない。
再び新たな赤子が産み堕とされる。
その丸い塊は乳房でもあり、また子宮でもあるのだろうか。
房が開いて産み落とされたものは黒ずんだ人の赤子にしか見えない。
「勇者様、耐えてください!」
ルハカの声と共に輝きの槍が魔王に到達すると周囲を炎で包む。
火球は意外にも衝撃は無い。ただ周囲十尺のうちの何もかもを焼き尽くすだけ。
果たして私は無傷だった。
オーゼは言っていた。
私本来の鍛えられた魔法に対する耐性に加え、女神様より齎された聖剣と聖盾があれば並の火球程度では私を焼くことは到底できないだろうと。実際に聖盾は光を放ち、火球の熱から私を包み護ってくれていた。
大丈夫だと、聖剣を持つ右手を上げて応える。
その右手をさらに高く上げ、魔王に向かって振りぬく。
聖剣は魔王の体を斬り裂き、削ぎ落した。
それでも新たな子を産み堕とし続ける魔王。
加えて何度も眩暈のような感覚を覚える。
幼い頃から何度も味わったもの――。
これは悪意だ。
オーゼが私に放ち続けてくれた悪意。
女神様は幼い私の言葉を通してこの悪意に耐えられるよう鍛えてくれたのだ。
そしてそれを決意し、成人まで鍛え続けてくれたオーゼ。
彼がこの場に私を立たせてくれたのだ。
削ぎ落された魔王の体は火球の中で霧散していく。
削がれた下からは新たな乳房が産まれてくる。
削がれて体が小さくなる様子は無いが、ぶつけられる悪意が魔王の苦しみを伝えてきた。
伝説では地母神ルメルカは戦女神ヴィーリヤの母親だと語られている。
我が国と隣国の歴史の中で争いは決して珍しいことではなかったはず。
だが、こんな人外の争いなんて私は聞いたことがない。
高潔のヴィーリヤは私を遣わせて何を想うのだろう。
母親を切り刻み、無へ帰すことに何を想うのだろう。
地母神を失ったこの土地はどうなるのだろう。
私は地母神とこの国を救うために遣わされたものだとばかり、考えていた。
そして――。
幾度もの聖剣の斬撃を受け、やがて魔王は体全体が力なく崩れ落ちた。
同時に流れ込む濁流にような魔王の悪意。
『……レ…………アレ…………クアレ…………シュ…………クアレ…………シュク…………クアレ…………シュクフ…………クアレ…………祝福…………あれ…………祝福…………あれ…………祝福あれ…………祝福あれ……………………汝に祝福あれ…………』
頭に響く、歌声のようなその言葉と共に、私の意識は途絶えた……。
拙作と言えば地母神ですね!
超古典的なヴィジュアルの古代の地母神です!
グロいほど生に満ちています。
そしてなんかもうオチまでバレそうです!
バレたらニマニマしといてください!
次回、一章最終話『追放』です!