第50話 寝顔 2
「オーゼ!? オーゼなの!?」
戦士団に指示を出しこちらへとやってきたエリン様が、面頬を跳ね上げて呼びかける。エリン様とはロバルの砦でお兄さんを捕らえてきた時以来だった。相変わらず女性らしい魅力と勇ましさを兼ね備えていた上に、以前よりも精悍さが増したような気もする。左の腕鎧は大きく凹んでいた。
そしてロージフと二名の金緑が姿勢を正して迎えるところを見ると、この三人もエリン様の指揮下にあるのだとわかった。ただ、今さらながらよく見るとロージフの左手が無いことに気付いた。彼は肘に盾を結わえつけていた。
「落ち着いてくださいエリン様。オーゼ殿自身の魔力で回復され、致命傷を免れています。回復に魔力を使い過ぎているだけです」
ロージフがエリン様にそう告げると、エリン様はお兄さんの傍に屈む。
「ルシア!? ルシア……ああ、無事だったのね」
安らかな顔でオーゼへと寄り添うルシアに安心した様子のエリン様。
ルシアに斬りつけられたと言っていた。だけどエリン様も事情を理解してくれているのだろう。肩にそっと触れる手と、その柔らかな表情がそれを物語っていた。
お兄さんにもまた、エリン様は慈しむような眼差しを向けていた。エリン様はお兄さんの胸に両手を当てる。…………すると徐々にお兄さんの顔色が良くなり、顔の火傷も引いていく。心なしか、その両手は輝いているようにも見える。これって……。
エリン様が遠征の際、傷ついた団員たちを癒す姿をしばしば目にしたことがある。けれどそれは女神様への祈りにより齎されるものであって、こんな形で現れる力ではない。
「エリン様、その力はいったい……」
「ルハカ、あなたもよく無事で。――これはね、昔オーゼが教えてくれた戦士の肉体の治癒方法なの」
「えっ、でもそれはあくまで自身の治癒であって、そんな他人の大怪我を治せるようなものでは……」
「皆同じことを言うのね。でもオーゼは凄いのよ」
エリン様はニコリとして言う。エリン様にそんな顔で言われたら私の立つ瀬がない。エリン様のお兄さんへの愛情が戻ったんだと、少しだけ涙が零れた。
「姉さま?」
瞼を瞬かせ、むくりと身を起こしたルシアは首をかしげて言う。相変わらずあのルシアとは思えない柔らかい眼差し。
「ルシア? ルシア、よかった……。ごめんなさい、貴女を守ってあげられなくて」
エリン様はルシアに抱きつく。きょとんとした顔のルシア。
「ルシアはその、記憶が無いようなのです。幼い頃に戻ったみたいな……」
「失礼ね。あたしは幼くなんてないわ」
ルシアに反論されてしまうけれど私は納得がいかない。
「だって……わたくしのこと覚えてないじゃないですか……」
「あなた、お名前は?」
「ルハカです。ルハカ・ヴィタバル」
「ルハカ……ルハカ……ルハカ………………思い出した! あたしの親友!」
ニッコリとあどけない笑顔でそう言った。
「ルシア!」
「きゃっ」
思わずルシアに抱きついてしまった。板金鎧なんて着てるから硬くて抱きつき辛いけれど、それでも彼女の柔らかさが伝わってきて、私の頬を涙が伝う。
――こんな顔されたらひっぱたけない! なんなの!
「私のことはわかるのね。オーゼのことも」
身体を離したエリン様がルシアに聞く。
「うん。あとは…………あたしの恋人! ロージフ!」
私たちのやり取りを姿勢を正したまま見守っていた巨躯は、突然ぽろぽろと涙を零しながらゴツい顔――決して醜くは無く、むしろ世間的にはイイ男なのだろうけれど私はちょっと怖い――を歪ませて屈んできた。
「ルシア! 心配したぞ」
「ロージフ! 大好き!」
私を振りほどいたルシアはロージフに向かって両手を高く上げる。
ロージフはルシアを片腕で抱き上げると、ルシアも小さな子供の様に笑う。
――あのルシアがお兄さん以外の男に抱きついていった!?
信じられないものを見た上に、ルシアに恋人なんてできていたのかと驚愕する。
「ロージフ、左手は?」
「ああ、名誉の負傷だ」
「かわいそう。あたしがなんとかしてあげる」
「ルシアが居てくれれば俺は十分だ」
呆れてへたり込んでいた私だったけれど、その隣ではエリン様が不意に立ち上がった。エリン様は兜の座りを確かめると私の方を見る。
「ルハカ、オーゼによろしくと言っておいてくれ。それからすまなかったと」
「エリン様、そういうことはご自身で――」
「私はこれから東に行く」
「え……?」
「ジルコワルが言った。奴の信仰する神とやらが、オーゼが倒した大蛇を依代にして地上に顕現するのだそうだ。その神とやらは国に波乱を呼び込もうとしている」
「そんな! でも――」
エリン様の腰にはあの聖剣は無かった。大蛇を倒したという話は聞いていたし実際にその死骸を見たけれど、加護なしでとうてい人が勝てるような、それどころかまともに戦えるような相手ではない。
「姉さま、あたしもまいります」
「ルシア!?」
「ルシア、無茶だ!」
「あたしが一度倒した相手ですよ?」
「ルシア、覚えてるの?」
「そうだとしても危険すぎる。しかも今度は邪神が依代にしている」
「なおさらです。姉さま一人では勝てません」
「ダメだ。私が命を賭しても必ず倒してやる。だからルシアはオーゼと一緒に――」
「わわ、わたくしも参ります!」
「ルハカ?」
「ダメです。エリン様が命をかけるなんて……ズルいです。そんなことされたらお兄……オーゼ様はエリン様に一生囚われたままとなります、絶対ダメです」
「ルハカ……」
「少しお待ちください。すぐに出られますので支度をしてまいります」
それから――と、私は虚栄の花とナホバレクのことを掻い摘んで話しておいた。
そのため、戦士団を野営地で寝かせてゲインヴのブリュンヒルドに頼んで虚栄の花を摘む必要があることを伝えた。赤銅も町に収容されて、虚栄の花を摘ませているはずだと話した。
◇◇◇◇◇
町に戻り、レハン公に詳細を伝えて二戦士団とお兄さんを任せる。馬出しを守っていたゲインヴにも後のことを頼むと告げ、私は装備を整えて幽霊馬に跨りエリン様の元へ向かった。
丘の上の野営地では二戦士団に待機命令が出されていた。
ウィカルデたちが戦士団をまとめ、指示している。
「ルハカも姉さまを説得して! あたしを連れていけないっていうの」
ルシアがまだ駄々をこねていた。
確かにお兄さんが来られない以上、加護持ちであるルシアが居てくれると助かるけど……今のルシアは連れて行き辛い。なんでこうなっているのかがよく分からない。
「それよりもルシア! ミルーシャ様! ミルーシャ様の解呪の条件は?」
「ミルーシャさま?」
「あなたが石化の呪いで石に変えたのでしょう?」
「わからない……」
私のことを忘れていたように、ミルーシャ様のことも忘れているだけかと思った私は、お兄さんとずっと一緒にいたミルーシャ様の話をルシアに聞かせた。けれど、一向に思い出す様子がない。
「ルハカ、ちょっとこっちへ。ルシアはちょっと待っていて」
ルシアとの話を聞いていたエリン様に呼ばれる。
呼ばれた先の大型テントにはミルーシャ様の石像があった。
「――話していたのってこの人ね……その、オーゼの……」
エリン様は俯きがちに目を逸らしていた。
「はい、ミルーシャ様です……」
「ルハカ、ここを見て」
エリン様に促され、石像をよく見るとあまりにも深い傷が肩口を裂いていた。鈍色の像だからよくわからなかったけれど、致命傷だと思われる裂傷だった。
「レハン公からはルシアが石に変えたと聞いていました。が……これを見る限り、やはりミルーシャ様の命を繋ぎ止めるため、石に変えたのだと思われます」
「これを治せるのは加護のある巫女様くらいでしょう……。ただ、先程のルハカの話、もし巫女様が堕ちているとしたら……ルシアを勇者に選んだのは巫女様なの」
「そんな……じゃあ、ルシアが解呪の条件を思い出しても……」
「今は大蛇のことだけを考えましょう。その後、国中を……いえ、ノレンディル中を探し回っても彼女を治せる者を探してみせる。オーゼのためにも」
「わかりました」
◇◇◇◇◇
結局、エリン様はルシアを連れていくことを決められた。
その他には十名の金緑。全員、虚栄の花は無い。他の者もついて来たがったが、皆、小さな虚栄の蕾や芽が出ていた。神々の穀倉についてはエリン様に回収して貰い、お兄さんの元へと届けてもらうようウィカルデに託した。ジルコワルはエリン様に縛られて隔離されているらしい。
ウィカルデ、それからアシスという元白銀の魔術師はいずれも蕾で留まっていたが、一緒に来させるわけにはいかなかった。相手はナホバレクだ。何が起こるかわからない。ウェブデンという金緑の団員も虚栄の芽を出していた。同じく、ロージフもルシアと共に行くことを懇願したが、小さな虚栄の芽をつけていたためエリン様に拒否された。
七騎の幽霊馬に分乗した十三名と見送りは、野営地を後にした。私の後ろにはエリン様が乗る。エリン様は普段から身に着けていた青みを帯びた板金鎧の左腕だけ修理され、いくらか赤みのある肩当てに変えられていた。
領境を越えると、見送りについてきたアシスが伝言の魔法を使う。伝言は地竜の造りあげた山々を超えられないので領内のみしか届かない。そして届かせる先には明確に思い起こせる目標物が必要だけど……。
アシスが懐からこっそり取り出したのは小さなフクロウの木像だった。木像には番号が彫り込んであったように見えた。
「あ、バレちゃいました? 秘密ですよ」
私がじっと見ていたのに気づいた彼はおどけてそう言った。
板金鎧でも変形を重ねると穴が開きますからね。相手が怪物ともなるとなおさら。
あとはウォーハンマーとかでの戦闘も混ぜ込みたかったのですが出番無かったです! ジルコワル戦でエリンがウォーハンマー使ってたらジルコワル、ボコボコにされてた可能性がありますので膝蹴りまで持って行けなかったです。