第16話 峠越え 3
「では馬車の方は頼むぞゲインヴ。町の方にも、竜退治に向かうからもしもに備えて防備を固めるよう伝えておいてくれ」
幌のついた馬車だけを連れ、峠近くで兄たちを乗せたまま待機する予定。
私は幽霊馬を出してついていく。
峠の少し手前で馬車を止めて待機する。
日が落ちて暗くなってくると山の中腹にポッと炎が上がる。
「ガネフ、どうだ?」
「団長、だいたい昨日と同じ場所に思えますな」
兄に指示されたガネフは奇妙な弩のような道具を持ち出して筒を覗き込んだり印をつけたりしている。
「どういうことです?」
「おそらく、あれが出入りできるような洞窟か何かがあるんじゃないかと踏んでる」
「ものすごく長いんですよね?」
「ああ。だが、神々が地竜を葬るまでは地下には地竜が居たわけだから、地下に大きな空洞があってもおかしくはない」
「ほんとに? 信じられるんですかそんな伝説上の話」
「神々が地上に居るんだ。なら地竜だって居たって考える方が自然だ」
兄は現実的なのか、それとも夢見がちなのかよく分からないことがある。
突拍子もないことでも深く考えて、思ってもいない結論を導き出すこともある。
例えば魔王領の領主の説得だってそうだ。
「峠には向かわず、ひとつ向こうの丘に向かったな。追うぞ」
「先に行って一発撃っていいですか?」
「構わんが、撃ったら戻れよ。ガネフ、目印になるよう松明を増やせ」
「ルシア、気を付けてね」
ミルーシャが心配してくれる。
私は――もちろん!――と返事をして幽霊馬を走らせる。
「暗いわね」
鬼火の魔法をふたつ使い、馬に先行させて足元を照らす。
幸い、丘はなだらかで障害物も少なく、馬で駆けても問題はなかったが馬車はついてこれないだろう。道に沿って追ってくるはずだ。
丘を越えると連なる炎が見えてきた。
「大きい……」
天を突くほどでは無い。その太さは五尺か六尺といったところか。だが長さが尋常ではない。確かに尾根ひとつふたつ越えるような長さだ。そんな大きなものが存在していて、どうやって動いているかすら理解できない。蛇のような体は炎を纏っている。
「火球は効かないかな」
ズルズルと進む大蛇の体はくねるでもなく、伸縮するでもなく、三百尺から先をすうっと真っすぐ進んで行っている。私は馬を寄せていき、百まで近づける。頭が見えているわけではないので、傍まで寄っても当然大蛇は気付かない。
「なんだか拍子抜けね。こんな体だけ大きくて鈍い竜なんてすぐに倒せそう」
ただ、次の丘に差し掛かった辺りで異臭が漂ってきた。
既のところで躱したのは柵のようなもの。その先には体半分がすり潰されたようになっている牛の死体。見渡すと他にもある。死体が腐って腐臭を放っていた。さらに先、丘の上には木を組んで作った移動式の防護柵がいくつか並んでいる。あんなものを使うのは平民ではなく軍隊。近くまで行くと鎧を着た兵士の死体がいくつもある。どれも焼け焦げている。
さらに丘を越えると、大蛇の先端は幾つもの篝火のある集落へと入っていた。ただ、近づくにつれ正体がわかった。篝火などでは無い。崩れ落ちた家屋が大蛇の体の炎にさらされて燃え上っていたのだ。
そんな短時間で集落が破壊されたのか? ――いや、既に破壊された集落に餌を求めて舞い戻って来たのではないだろうか? 先ほどの兵士の死体は今死んだわけではなく、死んだままで回収されていないだけなのでは……。
生き残りは?
もしかすると今は視察団の護衛に割かれて守りが手薄な可能性がある。下手をするとこの集落と部隊が壊滅したことも知らされていないのではないか?
「赤銅は!?」
そう考えた私はすぐ横に横たわる大蛇に向かって稲妻の魔法を放った。ドン――という轟音と共に周囲が一瞬明るくなる。稲妻は竜の体を真横に貫いていくが、あまりに巨体過ぎて効いているのかがわからない。
そして頭をよぎったこと。それはミハイユのように単独で配置されていた赤銅が居たかもしれないということだ。そう考えただけで背筋が寒くなった。私は国を守りたいとは思ったが、誰もかれも助けられるとは思っていない。けれど見知った仲間たちが目の前で死ぬのは見ていられない!
続けざまに稲妻を放つも、効いているのだか全くわからない。
もしかすると魔法自体、まともに通っていない可能性もある。
「こういうの、兄さんじゃなきゃわかんないな」
集落に近づくにつれ、家屋の崩壊するような音が響いてくる。
辺りに立ちこめる煙も酷くなる。
集落はほとんどが木造だったが、小さな砦のようなものが煙の中で見え隠れする。
「頭はあそこか?」
迂闊に近づけなかった私は集落の周囲をぐるりと回ってみた。
周辺に生きている人間は見当たらない。落ちているのは瓦礫ばかりで、あっても死体だった。
半周周ったが、引き返して街道のある入り口まで戻ってきた。兄と合流できるならここだろう。
◇◇◇◇◇
「ルシア! 無事か!」
兄たちを乗せた馬車が集落の入口に到着した。
「ええ、でも集落は全滅してます。砦だけ残っているみたい。竜の頭はそこだと思います。ただ火と煙で近づけなくて」
「よく我慢したな。何とかしよう」
「何とかって、あんなのどうにかなるんですか? 魔法も効いてるのかわからないですし」
「わからんがやるしかないだろう」
馬車を離れた場所に退かせ、徒歩の兄たちを大蛇の体のある場所まで誘導する。
「この体は一見無防備だが魔法を通さないな。やるなら頭だろう」
大蛇の鱗は団員の持っている弩でも貫けなかった。
「姉さまの聖剣ならこんなの簡単に両断できるのに……」
「無いものをねだっても仕方あるまい。行くぞ」
「行くってこの中をですか!?」
集落の中は先程までよりも激しく熱と煙が渦巻いていた。
集落を灰になるまで焼き尽くすつもりなのか。
「ああ、ミルーシャが居ればな」
ミルーシャを見ると、地面に両膝と両手を着いてぺたりと座り込んでいた。
彼女は朝の食事の祈りのように地母神への祈りを捧げ始める。
ただ、その言葉はだんだんと地母神の特別な祝詞へと変わっていった。
彼女が唱え終わると、その場に居た全員へ地母神の加護が下りたと感じた。
「しばらくは炎にも煙にも巻かれなくなります。竜の吐息は無理なので気を付けてくださいね」
「ミルーシャ、あなたいったい……」
しかしミルーシャは人差し指を唇の前に当て、私に沈黙を促す。
ミルーシャの言う通り、集落に近づくと炎や煙がまるで生き物かのように私たちを避けていった。兄と私、そしてミルーシャを先頭に、一団は竜の体に沿って砦へと向かった。
◇◇◇◇◇
砦は大昔の古い砦だったけれど、その分、巨大な石を使っていたために大蛇に破壊されることを免れていた。既に木造部分は焼け落ち、扉などは枠ごと壊されていた。鎌首をもたげた大蛇は確かに竜と思わせるような顔つきをしていた。角のように尖った鱗、刺々しく反り上がった鼻、蛇とは違って瞼のある邪悪な目、分厚く頑丈そうな角ばった顎。
大蛇は砦を攻めあぐねていた。やはり中にはまだ誰か人が居るのだろう。我々は斜め後方からその様子を見ていた。
「ガネフ、煙の中に皆を隠せ。指示があるまで待機していろ。――ルシア、ミルーシャと傍に居ろ。――ミルーシャ、もしもの場合は聖域で自分を守れ」
兄は魔占術で大蛇の状態を観察する。
もどかしいが、兄の戦い方は常にこうだった。
「なるほど、おそらくこの大蛇は睡眠の魔法が効く」
「嘘でしょ!?」
睡眠の魔法なんてものは有象無象を無力化するだけの魔法であって、こんな大物にはそうそう効かない。そもそも魔王の産み堕とした化け物には一度だって効いたことがない。
「だがおそらく効く。竜は意外と寝ているものなんだよ。それに今は炎で見えないが、こいつの体の色はおそらく黒じゃない。変質しているはずだ。――ミルーシャ、ガネフに伝えてくれ。オレの合図で魔術師たちに順番に睡眠の魔法をかけさせる。頭を狙え。ルシアには耐性の魔法を使わせるから傍に居ても大丈夫だ」
「わかりました」
ミルーシャがガネフたちの元へ向かう。
「私の耐性なら睡眠は効かないですけど、耐性を広げてる間は攻撃できませんよ?」
「ルシアならふたつ同時に詠唱くらい簡単だろう?」
フッ――思わず鼻で笑ってしまった。兄はどこまで私を信頼してくれているのか。
確かに耐性くらいの簡単な魔法なら稲妻の合間に片手の身体動作だけで挟めなくはない。成功するかは分からないけれど、兄が信じてくれるならやれる気がする。
◇◇◇◇◇
兄が睡眠を詠唱すると竜の鎌首は一瞬だけふら付く。本当に一瞬だ。しかし兄は続けざまにもうひとつ詠唱する。そしてさらに、さらに兄の詠唱は続く。大蛇はまるで人間が居眠りをするかのようにこくりこくりと首を揺らし、ついに砦の前の広場に頭をズンと落とす。
私は兄の指示通り、砦の前の広場に向かう。砦までの階段は竜の首が塞いでしまっているため、跳躍の魔法を駆使して崖を駆けのぼっていく。その間にも竜は身を起こそうとするが、その度に兄の睡眠で眠らされる。
私は耐性を詠唱しながら竜の頭まで近づいた。大きいが頭の高さだけなら私の背より低い。
「口は開けられないから鼻の中しか無いわよね、やっぱり」
私はもう片方の手と呪文によって稲妻を眠る竜の鼻の穴から直接放った。
ドン!――衝撃と共に稲妻が走るが、今度は竜の体の中を直進した!
竜は反射的に跳ねるも、すぐに次の睡眠が詠唱され、ねじ伏せられる。私は再び竜の鼻に手をやり、稲妻を放ちつつ、放った瞬間に耐性を広げる。
それは、単純にふたつの魔法を詠唱するという芸当に留まらなかった。いつ大蛇が火を噴くか、そしていつ私がミスをして眠ってしまうか。永遠に続くかのように思われる繰り返し。私はその緊張と同時に、この常人ならざる芸当が上手く回る快感に打ち震えていた。
そうして十何度目かの稲妻が竜の体を駆け抜けた時、竜の瞳は光を失い瞼は閉じることもなく、先端がふたつに分かれた舌をだらりと垂らし、跳ね起きようとする抵抗さえ無くなると、大蛇はついに葬られたのだと知ることとなった。
ワームは古典的な北欧系の竜ですね。ただの大蛇ではなく尋常ならざる存在です。
ミルーシャの使った加護はレジストファイアってところでしょうか。




