24 慟哭
シリカは眼前の状況を信じられずにいた。
まさか、本当に来るなんて。
そんな『必要はない』はずなのに。
「へ、へへ、おまえがロンダリア国王か?」
「……いかにも。第三十三代ロンダリア国王ヴィルヘルム・フォルク・アンガーミュラーだ」
「ふん、久しぶりに見たぜ。あんたの顔。国王様なのに滅多に国民に顔を見せやがらねぇからな。はははっ! 痩せぎすで醜い無能な愚醜王!」
「き、貴様、王に対し、なんという!!」
ヴィルヘルムは守衛を手で制して、一人こちらへと進んでくる。
剣を帯びているわけでもない。
明らかに痩せぎすで、屈強さは微塵もない。
しかしヴィルヘルムは泰然と歩く。
気品や威厳などというものとは違う、圧倒的な凄まじさを伴いながら。
鉄面皮には僅かに感情が溢れていた。
それは恐らくは怒り。
シリカはそれを感じ取り、そして動揺した。
(私のせいで……陛下をまた、巻き込んだ……)
己の軽率な行動により、ヴィルヘルムに被害が及んだ。
外に出ず、箱入りでいればよかったものを、自由に行動してしまった。
結果がこれだ。
二人に絆も想いもない。
だが彼には優しさがあった。
それは薄く、わかりにくいものだったが、確かに何度も感じ取れた。
だからきっと彼がここに来てくれたのは、その性格からだろう。
そのせいで王である彼が危険な目に合うかもしれない。
そんなことはあってはならない。
いつか別れるような女のために、火中に飛び込むなど。
「へ、陛下! 私のことはいいですから、御身のことを第一に考えてください!」
「うるせぇッッ!!! 黙れッッ!!!」
男はナイフをぐいっと押し込んできた。
首の痛みは強くなる。
しかし構わずシリカは叫ぼうとした。
だがヴィルヘルムの目を見て、それはできなくなった。
何を考えているかわからない、深く澄んだその瞳が、シリカのすべての感情を奪い去った。
何もするな、そう言っているようで。
同時に、心の底から安堵できるような不思議な包容力があった。
「彼女に手を出すな。用は余にあるのだろう?」
「ああ、ああ! そうさ。てめぇに用があるんだよ!」
男は何を思ったか、覆面を自ら剥ぐと、地面に投げ捨てた。
レオだ。
採掘場を取り仕切っていた大柄の男。
体格からもしかしたらと思ってはいたが、まさか本当にレオが襲撃犯だったとは。
疑問を口にしかけて、シリカはぐっと堪えた。
今は、陛下の邪魔をしてはいけない。
「俺がわかるか?」
「……知らぬ」
「だろうなぁ? あんたは城にこもって裕福な生活してるんだろうからな! 国民の顔なんて知りもしない。どれだけ困窮してるかもな!」
憤りながらもレオは饒舌に話し続けた。
「働いても働いても生活はよくならねぇ! 高ぇ税金を徴収しやがって! てめぇは私腹を肥やしてるんだろうが、国は全然豊かにならねぇじゃねぇか! 俺たちは一日二食、かさましした食い物で食い繋いで、エールもほとんど飲めねぇ! 若ぇ連中は国を出ていって、王都が今や閑散としてやがる! 前王の時代から、今までここまで落ちぶれて、てめぇは何をした!!」
「国の経営をしている」
「経営? はっ! 笑わせるぜ。経営だって? まともに経営してるんならなんでこの国は貧しくなってんだよ! てめぇが無能だからだろうが!」
シリカはヴィルヘルムの働きぶりを見てきた。
彼は朝から夜遅くまで、執務に明け暮れている。
食事は質素で、いつも残している。
衣服は僅かに上等なものを着ているだけだ。
城内には調度品も嗜好品もない。
あの城の中には何もないのだ。
「金を出せ」
レオがヴィルヘルムを睥睨し、叫ぶ。
あまりに短絡的で端的な要求だった。
ヴィルヘルムに動揺はなかった。
言われることを予想していたのだろうか。
「我が国に余分な金はない。民からの税収も予算も、すべて国家経営と教団への納付でなくなる」
「嘘ついてんじゃねぇよ! なんだよそれ、もっとまともな嘘言えよ!」
「事実だ」
「必死こいて俺たちが働いてんのに金がなくなるわけねぇだろ! 教団への納付? 教団なんてロンダリアにはまったく関係ねぇだろ!」
関係ないと言い切ったレオに、さすがにシリカも口をはさんだ。
「二、二十年前の宗教侵略があったでしょう」
「ああ!? なんだよそれ!? 聖神教徒が増えただけのことだろうが!」
「し、しかし聖神教徒の暴動や内乱があったと」
「んなの大規模な乱闘みたいなもんだったんだろうが! それが何の関係があんだよ! その程度、荒くれ者が多い場所なら日常茶飯事だろうが!」
クラウスの言う通りだった。
国民は宗教侵略に関しての知識を持っていない。
だから聖神教団の所業を知らず、国土縮小や貧困化を王の責任だと思っていたのだ。
それが爆発した。
結果がレオの行動なのか。
「表立っての諍いが多くはなかっただけのことだ。教団からの圧力とロンダリア国中の聖神教徒の反国家運動により、ロンダリアは国土譲渡を余儀なくされた。表では合意の上でのものとされてな。そのおかげで戦争には至らなかっただけのことだ」
「そんな嘘に俺が騙されると思ってるのか?」
「嘘などではない」
「学がねぇ平民だと思って馬鹿にするのもいい加減にしろッッ!!! だったらなんで俺たちが知らねぇんだよ!」
ふとこの国へ来てからのことを思い出した。
王妃であるシリカのことを国民はほとんど知らず、最低限の情報しか与えられていなかった。
そして、ヴィルヘルムは一日中執務室に籠っており、外出した姿は見たことがない。
ヴィルヘルムは国民のことを見ているのだろうか。
レオはロンダリアであったことや王の仕事を知っているのだろうか。
「お、王は……決して私腹を肥やしてなど、いません」
「うるせぇよ。黙れって言っただろ」
ナイフの切っ先がさらに押し付けられる。
強い痛みを強引に無視して、シリカは言葉を繋げた。
「質素な生活をしています。食事もあなたたちと変わらない。仕事も一日中しています」
「黙れ」
「教団の税収は事実です。そうでなければ陛下も私も、もっと裕福な生活をしているはず。この国にはお金がないのです」
「黙れって言ってんだよ!」
レオの手が震えている。
同時に首への痛みが増す。
しかしシリカはなぜか恐怖を感じてはいなかった。
言わなくては。
ヴィルヘルムとレオとの考えの行き違いを正せるのは自分だけだ。
ならば引いてはいけない。
「レオ。私を信じてください」
ナイフを恐れず体を動かし、レオの目をまっすぐに見た。
恐れも迷いもない視線に、レオはたじろいだ。
聖女として……いや、王妃としての圧倒的な存在感と説得力。
そして何より威厳がそこにはあった。
ひれ伏しそうなほどの気高さに、レオは目を泳がせた。
狂気を持つ大柄の男が、無力な、か細い女に気圧されていた。
その瞬間、間違いなくシリカは王妃だった。
レオはいつの間にかナイフをシリカから離し、一歩後ろに引き下がった。
刹那、ヴィルヘルムの後ろに控えていた守衛の一人が、レオに飛び掛かる。
「と、捕らえろ!」
咄嗟にレオの腕をとった守衛に気づくと、他の守衛も助力に駆け出す。
だが、それは悪手だった。
「クソがあああぁっ! 離せええええぇっ!!」
守衛に比べ、レオは一回り巨大な身体をしている。
その体躯は採掘で鍛えられたものだろう。
暴れるレオに斬りかかろうとした守衛を、レオの後ろに立っていた取り巻きが剣で応戦した。
城からさらに守衛の応援が駆けてくる。
シリカは目の前の状況に、咄嗟に反応できず後ろに一歩下がった。
誰かに腕を掴まれ、振り向く。
ヴィルヘルムがシリカの身体をそっと引き寄せた。
細い体だと思えないほど力強く抱き寄せられた。
「無事か?」
無感情の中にほんの少し、わかりづらい感情。
それは間違いなくシリカを案じる思いがあった。
真っ先にかけられた言葉に、シリカの目は熱くなり、目じりには涙があふれ出した。
自分でもわからない。
どうしてか理解できないけれど、今の瞬間を幸せだと思ってしまった。
さっきまでぐちゃぐちゃだった感情が、一気に消え失せてしまったほどだ。
ヴィルヘルムの顔を見上げる。
しかし彼はシリカを見ていない。
シリカの後方を睨んでいた。
次の瞬間、ヴィルヘルムの姿が一瞬だけ消えた。
様々な音がそこかしこで生まれた。
「死ねぇっ!!」
野太い声。怒号。足音。何かを叩くような音。そして金属音。
それらの音が押し寄せ、そしてなぜか何も聞こえなくなった。
すべては緩慢になり、シリカは振り向く。
そこにはヴィルヘルムの背中があった。
その背中は数秒の静止の後に、横に倒れた。
ヴィルヘルムの身体があった場所、その奥には。
レオが憤怒の形相で立っていた。
手には剣。剣には血が滴っている。
ヴィルヘルムはなす術なく地面に倒れる。
その瞬間、シリカはすべてを理解した。
ヴィルヘルムは斬られたのだと。
「ヴィルヘルムっ!!」
シリカの慟哭が響き渡った。
少しでも面白いと思っていただけたら
・『ブックマーク』に追加
・下の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にして評価
上記をしていただけるとモチベーションが上がります。
是非ともよろしくお願いいたします!