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1 仮初の幸せ


 巨大な聖堂には長蛇の列ができていた。

 百を超える『聖神教徒』は、痛みや苦しさにあえぎながらも、今か今かと自分の番を待っていた。

 列が伸びる先には寝台のような治癒場が存在し、聖神教徒の男が横たわっている。

 彼の肩は腫れあがっており、骨に異常があることが一目でわかるほどだった。


 苦悶の表情を浮かべ、脂汗をにじませた男の横に若い女が一人。

 青い髪と瞳に、透き通るほどの白い肌、柔らかな曲線、無駄な脂肪がない四肢。

 清廉な様相は紛うことなき、清らなる聖女シリカ・セイクリアであった。

 彼女の右手の甲には聖印が刻まれている。


 男の肩にかざしたシリカの両手からは、淡い光が生まれた。

 聖なる光に触れた肩の腫れは徐々に正常に戻り、数秒の後に完治した。

 男の表情は和らぎ、そしてはっとした表情を浮かべると上半身を起こした。


「もう大丈夫ですよ」


 言われて男は肩を恐る恐る回すと、ぱあっと表情を明るくさせた。


「い、痛みもなくなってる……せ、聖女様、ありがとうございます!」


 男は勢いよく治癒場から降りると、地面に跪きシリカに祈った。

 涙ながらに感謝を述べる姿を見て、シリカは柔和な笑みで返す。


「治癒が終わったものはすぐに帰りなさい。次の者!」


 治癒場の左右に並ぶ、数十の護衛と侍従たち。

 その中にいた、聖女補佐官のソフィーが鋭く叫んだ。

 六十歳ほどの女性で、凛々しくも厳粛な雰囲気を漂わせている。

 ソフィーの言動が威圧的だったせいか男は委縮して、足早く立ち去ってしまう。


「聖女様。次の治療を。救いを求める民は大勢います。時間は有限です」

「え、ええ、そうですね」


 ソフィーの言う通りだ、とシリカは自戒を込めて治癒場に戻った。

 感謝を受け止める時間さえもったいない。

 それは間違いではないし、聖女として当たり前のことだとシリカは思う。

 しかしまったくの余地もなく治療を行い続けるのも楽ではない。

 世界中に痛みや苦しみを抱えた聖神教徒がいるため、可能な限り癒すべきだということはシリカにもわかっている。


 聖女になってから十年。聖女としてあらゆることに励んできた。

 シリカが救った聖神教徒の数は数十万、もしかしたら数百万を超えるかもしれない。

 聖女は聖ファルムス特別行政区の象徴であり、世界に一人しか存在しない『聖神唯一のしもべ』であり、癒しの力『聖術』を扱うことできる人間である。

 聖女に救われた人間も、救われる人間も数知れず、必然的に聖女はそれだけの畏敬の念を受け、憧憬を抱かれる存在でもあった。

 そんな聖女であるシリカも、あと数日で十八歳になる。


(そうすれば私は……)


 人を救い、癒し、喜ばれることは誉だったが、これからは未来に思いを馳せるのだろう。

 シリカは孤児だった。

 それゆえ、幼い頃は貧しく食うに困る日々を過ごしていた。


(そんな私に『家族ができる』なんて……)


 嬉しいやら気恥ずかしいやらで思わず笑みがこぼれてしまう。

 これが幸せ、ということなのだろうかとシリカは思いに浸りそうになった。


「聖女様」

「あ! す、すみません」


 ソフィーが明らかに不機嫌そうにシリカを呼ぶ。

 シリカは慌てて治癒場に戻った。

 いつも通り治癒を続ける中で、まだ心はふわふわとしたままだった。


   ●〇●〇●〇●〇


 治癒で体力を使い果たしたシリカは、とぼとぼと聖神教会の廊下を歩いていた。

 妙に華美なインテリアが並ぶ中、護衛と侍従を数人連れて進む。

 すでに空は赤く染まり始めていた。


「よ、ようやく終わりましたね……」

「途中で何度も手が止まったせいでしょう」


 チクリと言葉を刺してくるソフィーに、シリカはしょんぼりとしてしまう。

 全くの正論なので何も言い返せず、黙して歩くことしかできない。

 ふと廊下の奥にいる人物に気づくシリカ。

 すると先ほどまでの暗い表情は一転して、笑顔が花咲く。


「ユリアン様!」


 たたたっと走り寄るその先には、二十代前半ほどの細身の男が立っていた。

 そばかすが残っておりやや幼く感じる顔立ちだが、小さめの瞳が僅かに卑屈さを感じさせた。

 しかしその印象とは裏腹に、ユリアンと呼ばれた男は愛想良く相好を崩した。


「これはシリカ様。今日の治癒は終わったのですか?」

「は、はい。先ほど」

「それはそれは。いつものことながら感服いたします」

「いえいえ聖女の義務ですので。ユリアン様は公務ですか?」

「ええ。少し枢機卿と話がありましたので」

「そ、そうですか……それでその……」


 シリカはもじもじとしながら、言いにくそうに言葉を濁した。

 しかし表情は何かを期待していた。そして顔はほのかに朱に染まっていた。


「婚儀に関して、ですか?」

「は、はい。私が十八となったみぎりに、とのことでしたので」

「もちろん。あなたとの婚約は一度たりとも忘れたことはありません」


 シリカは嬉しそうに笑顔を浮かべるも、すぐに自らを諫めた。

 その表情は「はしたないとはわかっているけれど、つい表情に出てしまう」と言っているようだった。


「王太子妃となれば、必然的に学ぶことや公務も増え、より多忙になるでしょうが」

「大丈夫です。私こう見えて体力には自信がありますので!」


 快活な返答に、ユリアンはやや面食らうもすぐに満足そうに頷いた。


「それは重畳です。それでは公務がありますので、名残惜しいですが今日はこれで」

「は、はい。また」


 綺麗に笑うユリアンに、シリカは喜びを噛みしめるように唇を引き絞った。

 喜びが体を駆け巡るのを感じるシリカの後ろで、ソフィーはいつも以上に眉根のしわを濃くしていた。


「おや、聖女シリカではありませんか」


 頭の中でのろけていたシリカに声をかけたのは、バルトルト枢機卿だった。

 齢五十にして、いまだ壮健であり、僅かに薄くなった頭頂部がむしろ威厳を醸し出している。


「ごきげんよう、バルトルト枢機卿」

「ほほほ、何やら良いことでもあったのですかな?」

「え? わ、わかりますか?」

「あなたとの付き合いは長い。見ればわかりますよ」


 頬を抑えつつ恥ずかしそうに眼を逸らすシリカ。

 バルトルトは柔らかに笑い、シリカの様子を見ていた。


「ユリアン殿下とは会いましたか?」

「え、ええ、先ほど」

「ふむ、であれば婚儀に関しても?」

「私が十八になった時に、と」

「……十年もの間、あなたは聖女として人々を救ってきました。そろそろあなた自身が幸せになっても聖神様は御許しになるでしょう。結婚しても聖女としての力が失われるわけではありませんから。ただ、妃殿下としての公務も増えるでしょうが」

「それは大丈夫です。元気と体力だけが取り柄ですので!」

「そうでした。あなたは昔からそうでした。明るく前向き、人々に生きる活力を与えてくれるそんな人でしたね」

「そ、そんなにお褒めいただくと恥ずかしいです」

「ほほほ。それでは私はこれで。そうそう、言い忘れていました。明日は大事な会合がありますので、あなたも参加してください」

「会合ですか?」

「ええ。必ず来てください」

「わ、わかりました」


 一体何の会合だろう。

 通常、会合などの話し合いに、聖女が参加するようなことはない。

 聖女は人々を癒し、救いの象徴として存在するだけで、それ以外の業務や権限があるわけではないからだ。

 広報や演説、夜会や茶会、舞踏会への出席などの表立って活動することは、ほぼないと言っていい。

 シリカは小首をかしげ考えると、はっと表情を変えた。


「はっ! もしかしたら私たちの結婚発表を大々的に行うのかも?」


 時期が時期だ。あり得なくもない。

 もしかしたら私を驚かせるために秘密にしているという可能性もある、とシリカは考えを巡らせた。

 あまり考えすぎるのも良くない。

 それに先にわかってしまっては、驚かせようとしてくれた人に申し訳がない。

 どうせ明日になればわかるのだから、今は考えないようにしよう。

 そんな風に思いながらも、結局シリカの頭には『結婚』の二文字がちらつく。

 無理に抑えつけるのもよくない。

 今は間もなく訪れる幸せに心を委ねよう。

 きっとこれは今まで頑張ってきた、神様からのご褒美なのだから。

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