祖国のしんがり
初めて短編を書いてみました。最後まで読んでいただければ幸いです
祖国の幕引きを任されたオスカル・トレドは今、暗澹たる気持ちとともに、怒りに震えていた。
「あの大統領が、ここであいつらと相対するべきなのに、なぜ逃げた…。しかもよりによって俺に押し付けるのか。あいつには恥ずかしいという気持ちが無いのか…!」
ここはパシタルビア。この国は多民族国家であり、民族間での対立が長く続いていた。かつては、最大民族のパシビア人出身の王が専制君主として振舞っていたが、20世紀後半にクーデターで共和制に移行した。しかしこれは形だけで、第二規模の民族であるタルタン人の軍人が軍事独裁を敷いた。これに反発した他の民族たちが、好き勝手に軍閥を形成し、さながら戦国時代の様相を呈した。
その過程で、キリスト教至上主義勢力『神聖なる真正キリスト教勢力(通称:フスカ)』が台頭した。かの勢力は、他国のキリスト教は『世俗に汚された』ものとし、ローマ法王すら無視して、独自の理論の『原理主義』で以て、キリスト教に立脚した宗教国家を作ることを掲げていた。彼らは、民族分け隔てなく迎え入れた。民族対立に疲れた人々、特に若者たちが次々とこの組織に入り、テロ活動を各地で始めた。それは次第に各地の軍閥を圧迫し、遂には国土の南東部の大半を支配下に入れるまでになった。
これに危機感を覚えたのがアメリカである。アメリカは、人権を著しく迫害され、周辺地域に多大な悪影響を及ぼしていることを名目に、パシタルビアに侵攻した。一部の軍閥を味方につけながら、アメリカ軍は首都のカンブリッドに入り、一軍閥の長に没落していた独裁者の首は刎ねられた。そして、味方につけた勢力に新政府を形成させ、国連承認の下、民主主義と三権分立に基づいた新体制を構築させた。それと並行しながら、フスカの掃討に着手した。
しかし、ここからアメリカ軍は苦戦することになる。フスカが根拠地とするアレンチナ地域は、山地が多く、ゲリラ戦に適した土地であった。フスカの頑強な抵抗に、アメリカ軍の兵士は次々と斃れていった。
パシタルビアは、フスカ支配地域を除く全国選挙を実施し、新たな大統領に、元王室の親戚で、キリスト教穏健勢力から支持を得たフェリペ・コルエソを選出した。新政権の財務大臣として、アメリカ帰りのアルフレッド・ネゴスが、教育大臣には、イギリスで研究者をしていたオスカル・トレドが任命された。これが、今より12年前のことである。
「祖国は荒れ果てすぎた」
「それを立て直すのが我々ですな」
「(小声で)まあ、どうせ、アメリカが逐一口出しするんだろうがな」
「それは貴方にとっても好都合では?」
「言うではないか」
「これは失敬。しかし、アメリカという存在が無ければ、今我々はここにはいないわけで」
「まあな」
「それにしても、フスカの連中はしぶといですな」
「全くだな。彼らさえ抑え込めれば、この国はどうにでもなるのに」
「アメリカ軍もことのほか難儀していますしな」
「アメリカには頑張ってもらわねばならんな。パシタルビア軍も、まだまだ未熟。それまでは申し訳ないが、盾になっていただくほかない」
この後4年間は、アメリカの『万全な』後ろ盾もあり、順調に国家再建を行っていた。国内の反対勢力とも和平交渉を行い、一部は成功して政府支持勢力に回った。しかし、アメリカで政権交代が起こると、アメリカ新政権は外国に駐留するアメリカ軍を少しずつ撤退させる方針に転換した。
寝耳に水だったのはパシタルビアのコルエソ政権である。2期目に入っていたコルエソ大統領は苦悩していた。アメリカが後ろ盾にいるという安心感から、一部政治家、官僚が汚職に手を染め始めたのである。逐一摘発しようにも、彼らは裏でアメリカの情報機関と懇意であったことから、コルエソは大鉈を振るいたくても振るえない状況になっていた。
「コルエソも困っているようだな」
「ネゴスさん、本当に良いのですか?」
「あいつは早期和平を望んでいる。だからこそ地方軍閥と、和平交渉という名の妥協を行った。国家再建のためには中央政府によるトップダウンの体制でなければならない。まだ国内が混乱している状況で地方と妥協して、権限を委譲しているようでは、また言うことを聞かなくなる」
「それはそうですが…」
「俺の考えが間違っているというのか?」
「いえ…」
「フンッ。だからこそ、まずは力ずくで地方をねじ伏せて、中央政府の権威を見せつけるしかないのだ。そのためにアメリカには、まだパシタルビアに居てもらう必要がある。そのためにはどんなことも惜しまない。たとえこの手が汚れようと構わん。そしてそれは、国の為でもあるし、仲間の為でもある…」
こうして政府中枢にも腐敗が広がっていった。当初コルエソを支えていたネゴスでさえ、この頃に彼から離反、アメリカからの影の支援で、次第に自派の勢力を広げていった。
「このままでは不味いですよ」
「それは私も分かっているんだ」
「じゃあなぜ彼らを放置しているんですか!?」
「オスカル。彼らにはアメリカの情報機関が付いている。私は確かにアメリカから擁立された。だが、私が言うのもおこがましいが、これはあくまで調整役に適任だったのは私だけだったからに過ぎない。他の親米派の人たちでは、知名度が無さ過ぎたというのもある」
「確かにそうでしたが…。それでもやっていいことと悪いことがあるはずです」
「だが、ここで俺が辞めたらどうする。それこそネゴスのやりたい放題になるぞ」
「それは…」
「だから俺は、大統領職にできる限りしがみつくしかないのだ。私ももう、汚いものを見るのは沢山だが、それでも誰かがブレーキになるしかない。私が居る限り、これ以上不味いことにはさせない」
「大統領…」
「原爆の惨劇を経験した日本でも、為政者と民衆が一致団結して復興できたのだ。私達政治家も、民衆の声に寄り添えば、国を復興させることができるはずだ」
この後、コルエソは大統領に再選されたものの、二期目は終始汚職との戦いに明け暮れた。疲れ果てたコルエソは体調を崩し、任期途中で無念の辞任をした。
第三回大統領選挙は、ネゴスとトレドの一騎打ちとなった。コルエソはトレドの支援に入ったが、アメリカからの資金を得ていたネゴスが、『裏の活動』で優位に進め、更には示威行動を行い、トレド陣営を圧倒した。結果、ネゴスが当選したが、当然トレドは選挙の結果を認めないと反論、両陣営に緊張が走ったが、アメリカの仲介によってネゴスの当選を認める代わりに、特例法で内政を担当する首相職を新設し、その職にトレドが就任することとなった。
しかし、第1次ネゴス政権において、更に腐敗が進行した。賄賂で役職に就いたり、刑罰が軽減されたりことが、あちこちで見られるようになった。時にはトレドに近い人たちが、不正をでっち上げられて失脚に危機に陥るなどした(但しこれは、政府内部の混乱を激化させたくないアメリカによってある程度抑えられている)。
そして3年前、この政権は後半に入っていた。
「大統領!とんでもないことを聞きましたぞ!」
「なんだ、顔を真っ赤にして」
「何を悠長なことを!」
トレドが無意識にネゴスの胸ぐらを掴む。
「その手をどけろ」
「(手を放して)軍隊の水増しの件、俺に耳にも届きましたぞ。どういうことでしょうか」
「はて、何のことかな?」
「とぼけないで下さい!ただでさえフスカが態勢を立て直しているのに、国軍が張りぼてでは、直ぐに突き崩されますぞ!」
「私は、要請された兵士の分だけの給料を支払っているだけだ。後は彼らが何をやろうと知らん」
「何を言っているのですか…!?」
「この国はアメリカが守ってくれる。いや、守ってくれなければアメリカも困るであろう。俺は、アメリカがこの国に残ってくれるためなら何でもする」
「あなたは、どこまで腐っているのですか…?少しはこの国をまともにする気持ちは無いのですか…!?」
「これ以上口答えしていると、約束を反故にするが…?」
「…、今日は失礼致します」
そう言って、トレドは大統領官邸を出た。
「あいつを絶対、次の選挙で引き摺り下ろさなければ、この国は崩壊する。自分の利益と私財しか目がない奴に、この国を任せられるものか…!」
1年前、第四回大統領選挙が行われた。この時も、ネゴスとトレドの一騎打ち。結果はまたしても、僅差でトレドの敗北であった。しかし今回は、国民からも選挙の不正を疑う声が全国から上がった。既に政府の腐敗の噂は、全国各地に広まっていたのである。それでも選挙管理委員会は選挙の有効を宣言し、ネゴスは大統領再任宣言を発表した。一時、トレドも自身の当選を主張し、自らも大統領就任宣言を発表した。
事態を重く見たアメリカは、数日後、再度両陣営の調停に入った。その結果、トレドを首相に再任した上で、更にフスカとの交渉責任者にも任じることになった。
しかしその一月後、アメリカはパシタルビアからの軍の漸次撤退を開始することを発表した。
「急いで国軍を強化しなければ、今度こそ滅びる」
トレドは、自分の同志たちを使って、武器の追加購入や民兵の組織を実行した。しかし、もはや手遅れであった。国軍は、幽霊部員ならぬ『幽霊兵士』が常態化、更にフスカからも賄賂が送られる始末で、その士気は最低になっていた。更に国軍の練度も、部隊によっては民兵と同等以下にまで落ちこぼれていた。これにより、この頃には唯一の反政府勢力となっていたフスカが少しずつ勢力を拡大、今より半年前には南東部を完全制圧し、国土の六分の一を占めるまでになってしまった。
そして三ヶ月前、遂にフスカは大規模攻勢に打って出た。瞬く間に南部を制圧し、次いで北西部に進出に進出した。流石の政府軍も激しく抵抗を始めたが、既に練度に於いてフスカとは雲泥の差となっていた。
「な、なぜだ…。なぜアメリカ軍の撤退方針が取り消されないのだ…!?」
ネゴスは愕然としていた。彼は、南部全域がフスカに制圧された後、アメリカ軍の増派をアメリカ大統領に電話で直談判していた。しかしその時、アメリカ大統領から曖昧な返事しか出されず、後にアメリカの駐パシタルビア大使から、方針変更は行われない旨がネゴスに伝えられたのである。
「どれだけ俺からアメリカに頭を下げたり、賄賂を渡したりしてきたと思っているんだ…!なぜ、俺のパシタルビアを見捨てるのだ…!過激派が広がっても気にしないとでも言うのか…!?」
こうしてネゴスが絶望の中、抵抗戦争を指揮している(というのは表向きで、主には亡命の準備を行っていた)間に遂に、十日前にはフスカによって首都を包囲されるに至り、昨日夕方、ネゴスは飛行機で国外脱出をしたのであった。
そして今、トレドは首都に残った国家首脳部の最上位として、フスカとの会談に臨もうとしていた。
「今俺がやれることをやるだけ…。尻拭い、やってやろうではないか」
「私も一緒に拭ってやろう」
そこに現れたのは、コルエソ元大統領であった。
「コルエソさん!残ってたんですね」
「ああ、祖国を見捨てられなくてね。家族と共に残ることにしたよ」
「…、助太刀、ありがとうございます」
「流血を最小限にとどめるため、最大限手伝おう」
トレドとコルエソは、フスカの臨時司令部に赴いた。
「わざわざご足労有難い」
「祖国の安寧の為です」
フスカの最高幹部の一人、カルロス・ダルボが出迎えた。
「我々が要求することはただ一つ。直ちに貴方達の軍を解体することです」
「なるほど」
「我々は、首都の半分以上の地域を制圧しました。政府軍が支配下に置いている地域も、北東部の峡谷地域のみとなっています。これ以上の犠牲をお互い出すのは、我々としても不本意です」
「申し訳ないですが、保障はできません」
「何ですと?」
「私がかき集めた民兵は、私が言えば武装解除してくれるでしょう。しかし、政府軍は大統領に忠誠を誓ってきました」
「しかし、今や大統領は国外に逃亡した。となると、最上位の政府首脳は貴方では?」
「ご存じかもしれませんが、政府軍は、私を嫌っているものが多いのです」
「何故です?」
「分かっているでしょう?政府軍は、政府、もとい大統領から不当に金銭を受け取り、好き勝手にやっていました。私がこれを止めようして、大統領とぶつかったこともあります。ですから、彼らは私に良い思いを抱いていません」
「やはり、政府は一枚岩ではなかったのですな」
「私の責任でもある」
コルエソが口を開いた。
「私がネゴスの人となりをちゃんと把握していれば、ここまで酷くならなかったかもしれない。私が、ネゴスのウラを確信したときには、既にラゴスと『愉快な仲間たち』が形成されていた。彼らにはアメリカの息がかかっていた。まさに痛恨の極みだ」
「『解放者』と言われたあなたでさえ、ラゴスに手を焼いていたと」
「そういうことだ」
「何ともだらしがないですなあ」
「何だと!」
一瞬トレドが、ダルボの心無い言葉にカチンときた。
「オスカル、落ち着け」
「すみません」
「これは君の責任ではない。そして君が怒る必要はない」
すると、再びコルエソはダルボに向き直った。
「このような状況に、我々は置かれていた。私の身については勝手にして構わないが、私の家族とトレド一家はの命は助けてくれまいか」
「コルエソさん!?」
「国家の幕引きは本来、ネゴスがやるべき立場にあった。しかしあいつは逃げた。確かに今の立場だけで言えば、君が代わりにやるべきだろう」
「でしたら私が」
「しかしな、これまでの政府の混乱の過程とその責任という面で見れば、君には責任を押し付けるのは申し訳なさすぎる」
「コルエソさん…」
「日本では、負け戦の際、最後尾で友軍を逃がす部隊のことを『しんがり』と言う。無論、死と隣り合わせの危険な仕事だ。しかし、誰かやらねば全軍が崩壊しかねない。ならばここは、祖国の未来のために、私がその役割を買って出たいのだ」
この様子を、ダルボは目の前で見ていた。そして…、
「良いでしょう。私は構いません。大司教(フスカの最高指導者)からのOKが出次第、コルエソ元大統領の妻子とトレド一家の亡命を許可します」
「有難い…」
「その代わりですが」
「はい、分かっています」
「貴方は世俗に汚れた国々からすれば『解放者』だったでしょうが、我々求道者からすれば『罪人』です。貴方の人徳を認めるとしても、その所業は許すことはできません。なので、これから貴方を連行致します」
すると、コルエソは縄で縛られた。
「コルエソさん…」
「オスカル、君は生きて、この国の尊厳と歴史を守るのだ。そして再び、志を遂げるのだ」
「分かりました…!」
「アヴェ・マリア」
そう言うと、コルエソはフスカの兵士によって、奥へ連れ去られた。
三日後、コルエソ一家はイギリスが手配した小型旅客機に乗り込んだ。目指すは、12年前まで居たロンドンである。
「祖国の地は、もう踏めないだろうな…」
既に60歳を超えており、これまでの激務に疲れ果てていた彼は、諦めの境地にあった。
「しかし、俺にはやらねばならないことがある」
コルエソの最後の言葉を思い出していた。
「栄光から闇まで、全て俺の手で書き記す。それが俺に課された、最後の仕事だ。それまでは、死んでなるものか」
そう心に改めて誓うと、彼はノートパソコンを開き、文字を打ち込み始めた。
(完)