第29話 ストリートピアノ
「ちょっと寄りたいところがあるの」
百貨店を出るなり七瀬が言った。
そういえば、新幹線に乗る前、七瀬は浜松に何かこだわりがある様子だった。
寄りたいところとは、それに由来する場所だろうと思い易々たる。
「いいよ、行こう」
七瀬に連れられて、浜松駅構内へ。
そしてそのまま新幹線改札を潜り始めるものだから、驚く。
「え、ちょっとちょっと」
「何?」
「いや、何って、浜松はもう良いのか?」
「ああ……別に、これから新幹線に乗るわけじゃないわ」
「……どゆこと?」
「ついてきて」
首を傾げながら大人しく後を追っていたら、耳に心地の良いメロディが入ってきた。
流石音楽の街、浜松。
駅の中でもピアノの音色が聞こえてくるだなあと呑気に考えていると、旋律が徐々に大きくなっていった。
少しすると人だかりと遭遇した。
そこで、七瀬の足が止まる。
一見、なんの変哲のない通路の横に広めの空間がくり抜かれていて、そこに見るからに高そうなグランドピアノが展示されていた。
そのピアノを、若い青年が慣れた手つきで弾いている。
「凄い……」
青年が紡ぐ旋律は、素人目でもハイレベルのものだとわかった。
子連れの親子、清掃員のおじさん、スーツに身を包んだOLさんなど、性別や世代を超えて皆、うっとりとした表情で彼の演奏に聴き入っている。
七瀬も、どこか追想するような表情で演奏を眺めていた。
「なんかの演奏会?」
「ストリートピアノって言って、誰が弾いても大丈夫なピアノなの」
「ああ、思い出した。確か、都庁の展望台とかにもあるやつだよな」
「よく知ってるわね」
「ヨーチューブの関連動画とかにたまに上がってくるんだよ。プロの演奏家とかがゲリラライブ始める系のやつ」
「へえ、たまには役に立つじゃない、ヨーチューブ」
「割と色んな場面で役に立つぞヨーチューブ」
ほら、頑張ればお金も稼げるし。
そんなやりとりをしているうちに、演奏が終了した。
青年が立ち上がって一礼すると、会場は拍手に包まれた。
「あれはセミプロレベルね」
青年が立ち去り、観客たちも捌けていくなか七瀬が言う。
「わかるのか?」
「こう見えて、ピアノ歴は長いの」
そういえば、弾いてたって言ってたな。
「それで、どうしてここに?」
「ここには、ちょっとした思い出があるのよ」
「思い出?」
尋ねると、七瀬は一瞬、逡巡する素振りを見せてから口を開いた。
「小学校くらいの頃の話だけど……」
「おわっ」
「きゃっ」
七瀬が話し始めると同時に、どこからか短い悲鳴が聞こえてきた。
「す、すみません」
「いえ、こちらこそ、ぼーっとしてしまって」
どうやら観客の一人、黒のスーツに身を包んだOLさんに、ホームへと急ぐおじさんがぶつかったようだ。ペコペコと頭を下げながらおじさんが去っていく。
OLさんは一息ついた後、再びピアノの方に視線を戻した。
「ちょっと待ってて」
そこで、七瀬が何かに気がついたようにOLさんに歩み寄った。
その場でしゃがみ込み、何かの資料らしき物を拾ってOLさんに差し出す。
「これ、落としましたよ」
「あら、ごめんなさい」
OLさんが流麗な動作でお辞儀をする。
OLさんはすらりと背が高く、目鼻立ちが整った美人さんで、かっちりとしたスーツがフィットしていた。
邪魔にならないように後ろでまとめた髪と、赤縁のメガネががよく似合っている。
いかにもバリバリのキャリアウーマンといった感じで、熱海で出会ったどこぞの留年ギャルとは対極的だった。
こっちの方がよっぽどお姉さんぽい。
「弾かないのですか?」
さっきからぼうっとピアノを眺めるOLさんに、七瀬が尋ねる。
ゆっくりと、OLさんが七瀬の方を向く。
その表情は、微かな驚きが浮かんでいた。
「弾きたそうに見えるの?」
「迷っているように見えます」
「……そう」
OLさんが物憂げな表情を浮かべるが、それは一瞬だった。
わかりやすい営業スマイルを浮かべて、OLさんは言った。
「別に、良いわ。もう何年も弾いてないし、リズムも忘れちゃったし……これから商談だから、時間もないし」
まるで言い聞かせるように口ぶりだった。
「それじゃ」
と、OLさんはコツコツとハイヒールを鳴らして去っていった。
【恐れ入りますが、下記をどうかお願いいたします】
「面白い!」
「続きが気になる!」
「カッコいいOLさんって良いよね!」
と少しでも思ってくださった方は、画面下の『☆☆☆☆☆』からポイントを入れていただけると幸いです。
皆さんの応援が執筆の原動力となりますので、何卒よろしくお願いします。
 




