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短編シリーズいろいろ

【読切】幽閉された悪役令嬢

作者: 枝豆ずんだ



 元公爵令嬢ジリアン・ギースは、人々が自分のことをなんと呼んでいるか知っていた。


 清々しい朝日が鉄格子から差し込んできても、そこから顔を覗かせることなどできやしない。


 ジリアンのいる塔は地上から随分と高さがあるけれど、塔に住む「ばか女」になんとしてでも嫌な思いをさせて、いや、正義感から「思い知らせてやろう」として、汚物を投げつけようと狙っている暇人は朝早くからもいるものだ。


 それで、ジリアンは格子から離れていても少しだけ見える空を眺めるだけにした。


 昨日の残りの水で顔を洗い、身支度を整える。身支度といっても、着るものはこれしかない。寝間着も部屋着も、面会人と会うのも同じ麻の簡素な服だ。髪も裁判の時に短く切られてしまった。手入れが簡単でいい、とは思っている。


 慌ただしい、あの裁判からどれくらい経ったのか?暦表はなく、数を指折り数える無意味さからジリアンは頓着しなかった。ただ、あれは冬の終わりの頃だったから、そう、卒業間近だった。今は夏。それくらいの時間が経っている。


 ガチャガチャ、と塔の入り口の方で音がする。


 この塔に見張りはいない。国の大切な税金を「ばか女」には一切かけないと進言した王太子とそれを承諾した国王陛下の顔を、ジリアンは思い出そうとしてさっぱりだった。


 会ったことが数回しかない王族だ。


 会ったといっても、貴族令嬢としての形式的な挨拶のときだけ。そういう自分がなぜかいつのまにか「未来の王太子妃候補だった女」だなんて、まったく、ばかげてる。


 塔には鉄の扉がついていて、鍵もしっかりとかかっている。正義感にあふれた男たちが「こらしめてやろう」とジリアンを狙っても入ってはこれない。入ってこれるのは、鍵を管理している者だけだ。


「おはよう、ジリアン。よく眠れたかね」

「……おかげさまで。司教様」


 朝早く、教会の朝の儀式を終えたら一番にやってくる男にジリアンは反抗的な態度だと感じられないように、丁寧に腰を折って服の端を掴んだ。


 大神殿の神官、ではなく、民のために設けられた教会をひとつ預かるマーレン司教。ジリアンの塔が暴徒に襲われないように鍵をかけ、食料や生活必需品の援助をしてくれている。


 マーレン司教がいなければジリアンの塔は出入り口、窓も全て塞がれて餓死させられていただろう。


 司教様はジリアンの部屋、扉の格子越しに話しかける。朝の祈りと、ジリアンの魂が救われることを願っていると、そう慈悲深い顏で祈られる。


「市井では、あなたを悪役とした歌劇が上演されています」

「王家の恋、平民娘が悪役令嬢から王太子を庇って見初められる、という内容でしょう」

「御存知だったのですか?」

「いえ、ただ。そうなるだろうな、とは思っておりました」

「ジリアン、世を恨んではなりません。許すのです」


 ジリアンは、マーレン司教が自分に物資の支援をしてくれるのは同情心から、あるいはジリアンの無実を信じての行動ではないと知っていた。


 誰からも嫌悪される悪の令嬢。王家につば吐いたバカ女を更生させる、あるいは誰からも見捨てられた存在に保護の手を差し伸べることで、自身の善良さを知らしめようというのだ。


 許すって、何をかしら?


 二言目にはその言葉を吐くマーレン司教に、ジリアンは呆れた。許す?それは、どこからどこまでのことをさしているのだろう。いや、マーレン司教にそこまでの深い意図などあるものか。ただ外側を見ている。


 ジリアンは王太子の婚約者候補、それも有力候補だった。のに、ぽっと出の庶民の娘に王太子の心を奪われ、嫉妬から暗殺未遂を起こした。


 常日頃からジリアンに手ひどい仕打ちを受けていた平民娘。きっと今にジリアンの嫉妬の炎が自分にだけではなく王太子殿下にも向けられるに違いないと案じていた。さぁ、ジリアンが王太子殿下を刺して己も死のうとしているところに飛び出して、王太子殿下の命を救い、自身がジリアンの凶刃に倒れた。


 だが悪の令嬢の醜い嫉妬の刃で、美しい心を持つ乙女の命は奪えない!


 王太子の涙と、乙女の真心が奇跡を起こし、神の祝福を!乙女は一命をとりとめた!奇跡を受けた聖女である!!


 ……許すも何も、いったいどこからどう、突っ込めばいいのか、本当にジリアンにはわからない。


 わからないが、自分はいつのまにか王太子殿下を刺そうとしたことになっていて、そして会ったこともない聖女様を刺したそうだ。


 自分はその時実家の書斎にいて、気付けば捕らえられて、わけのわからぬままに裁判、断罪、塔への幽閉。


 ありとあらゆる罵倒を受けて塔へ向かわされた。はだしで、裁判所から、徒歩で。「よくも王太子殿下の命を狙った」「庶民を馬鹿にしやがって」「お前のどこが貴族だ」と、汚物を投げられつばを吐かれた。護衛も何もなく、髪を掴まれ引きずられたのをよく覚えている。





**





「皆に、幸せになって貰いたいんだ。私は」


 ある日、珍しいことに司教様以外の面会があった。


 やってきたのは、白馬が似合う金髪の騎士。確か、王家の剣と呼ばれる名門、大貴族の次男。聖騎士ロベリア様。


 言葉を交わすのは二度目だ。


 ロベリア様は長身を、狭苦しい塔の入り口に通すのに苦心しながらもやってきて、太陽のように明るい笑顔を向けた。


「と、仰いますと」

「確かに、きみのしたことはとても酷いことだ。けれど、罪を許し、よりよい人間になることが、正しい道だと私は考える」

「……はぁ」

「きみの凶行によって、白百合の乙女は傷付いたけれど、神の奇跡により癒され、いずれ王太子妃となられる。王太子殿下も最良の乙女と出会い、正しき王となるだろう。そして正しき王に導かれ、この国はより良く、幸福になる」


 頭が沸いているのかこの騎士は。いや、聖騎士殿。基本的に肉体派。頭の中がお花畑ではなく、ただ脳みそが筋肉でできているだけだ。


「おとぎ話なら、これでめでたしめでたし、皆が皆、幸せになりました、という素晴らしい物語だと思う。私は」

「そうですね。おとぎ話のように、悪い魔女、悪役令嬢は塔に閉じ込められて、平和で素敵な国をじぃっと眺めながら冷たくなっていくのでしょう」

「おとぎ話は教訓を含むべきだ、ならばそうあるべきだろう。だが、きみはおとぎ話の住人ではないし、私は誰もに『めでたしめでたし』がくるべきだと思っている」


 ……つまり、なんだ? 


 じっと、ジリアンはロベリアを凝視した。己に近づく、そのメリット。打算を考える。だが、ない。押しも押されもせぬ聖騎士様。出世街道ばく進中。落ちた令嬢に憐憫を向けて慈悲深さをアピールしなくても、この聖騎士様の品行方正、正義という言葉がひとの形になったような生き物である、という印象は、国民の誰もに根付いているはず。


「つまり?」

「つまり、私は。きみにも幸せになってこそ、全てが正しいことだった、ということになると考えてるんだ」


 爆笑。


 し、そうになるのをジリアンはなんとか堪えた。よくやった、私、と褒めてやりたくなる。


「えぇっと、つまり?聖騎士様、もしや、わたくしを捕らえたことに罪悪感を覚えていらっしゃいますの?かつては華のようだと言われた公爵令嬢が、一介の司祭の慈悲に縋って、粗末な牢の中で生きていることに、男性として強い責任感を覚えていらっしゃいますの?」


 百歩譲って、なんとか理解しようと努め、なんとか、それならわかる、というものをジリアンは手繰り寄せる。品行方正、正義の騎士様。自分が捕らえたか弱い少女が、国中から罵倒される目に遭っている、そのことに心を痛めた。うん、それならわかる。


 ロベリア様は、自宅にいたジリアンを捕らえた張本人だ。王太子殿下殺人未遂の容疑で逮捕。聖騎士の仕事ではないが、王家にあだなす存在を捕らえる為に、王家の剣が動くことになんの不思議もない。


「?私は自分の振る舞いに後悔はないよ」


 違うんかい。


 じゃあ他になんだろうか、と思案する。


「言った通りだ。私は、誰もが『これでよかったんだ』と、正しかったと、そういう結果になるべきだと考えている。きみだけが不幸なままで終わるのは、間違っている」

「わたくしはそう望まれた悪役なんですけど」


 あ。


 しまった。


 つい、本音が出てしまった。はたり、とジリアンは口元を押さえる。


 失言だ。無意味な。信じられる言葉ではないものを吐いてどうするか。思わずの失態。ジリアンは自身のうかつさを恥じ、きょとん、と不思議そうな顔をしているロベリアを見つめ返す。


 よかった。意味を、考えようとしていない。この騎士様の頭の中には、己はなるべくしてなった今の状態にいる生粋の悪役令嬢。と、そのようになっている。それをこの騎士様は疑わない。当然だ。疑えば、立っている場所から揺らぐ。


 ジリアンはこの騎士様のように、自分が善良な人間であるとは思わないけれど、けれど、何も知らぬ、ただまっすぐで純粋な騎士様の魂に泥を投げつけ汚してやろうというような、邪な心はなかった。


 で、あれば。己の取る対応は一つ。


 ジリアンはまなじりを釣り上げ、挑むように騎士を睨む。


「わたくしが自身の行いを悔いて、修道女のようになることを望んでいるんですの?わたくしは何も間違ったことなどしていません。わたくしこそ、この国の王妃に相応しいというのに、あの庶民の娘。身の程もわきまえず殿下の傍をちょろちょろと。目障り。今でもその気持ちは変わらない。わたくしは間違っていない」


 馬鹿な女は自分が言っている言葉がどんな愚かなのかもわからないものだ。


 ジリアンは、傲慢に、まさに悪の令嬢の振る舞いに相応しい高圧さで言い放った。そして、これ以上相手などしたくないと、部屋の奥、寝台に腰かけて背を向ける。


 ロベリア様が何か喚いている。ジリアンへの罵倒ではない。


「話をしてほしい。きみが考えたこと、感じたことを、私が聞こう。そして、共に考えよう。どうすれば、許されるのか」


 また許しか。


 何を、言っているのか。


 罪を許されるも何もない。


 ジリアンは呆れた。


 だって、私は無実なのだから。




****




 都合のいい女が必要だった。


 丁度、実家の勢力が強くなりすぎて目障りで、取り潰す理由も探していた。


 物語でもよくあることだ。


 さて、要するに簡単な話だ。


 昔々あるところ、ではなくて最近。とある国に王子様がいた。王子様は次の国王になるだろうと言われている。そういう王子様にはお妃さまになる令嬢が必要だった。その令嬢を王子様は選べない。


 けれど、ある時、王子様は一人の少女に恋をする。


 一目ぼれだ。街で見かけた、美しい少女。花売りをしていた貧しい娘。その善良な心、優しい微笑みに、王子様はすっかりまいってしまった。


 玉座とは孤独なもの。

 王子といえど、両親から愛情を向けられたことはなく、玉座の冷たさ、王冠の重さを今からうすうす理解している。そんな王子は、自分の隣に、あの優しい娘がいてくれたら、それはどんなに素敵なことだろうかと考えた。


 けれど、身分があまりにも違う。


 そこで、まずは娘の家族を全員死なせた。うっかり、食中毒なんて、貧困街ではよくあることだ。仕方がない。未来の国の為に、必要なことだ。


 娘は孤児になったので、教会に引き取られた。けれど、そこで教会に来ていた神官が、彼女に魔力の素質があると認める。実際にあろうとなかろうと、それはどうでもいい。マジックアイテムの腕輪を付けさせればどうにでもなる。


 愛しい花売りの娘は、魔法学校の特待生として入学した。


 そして、さぁ、次に都合のいい女が必要だった。


 気の強い女は駄目だ。賢い女もだめだ。


 馬鹿で、大人しく、世間に興味もない女がいい。都合のいい女がいた。公爵令嬢、ジリアンだった。美しいが、大人しく、あまり世への関心がなく社交界へも出てこない。


 彼女を王太子妃候補として、側近たちに伝えた。


 そしてあとは簡単だ。ジリアンが、王太子の愛しい娘を、平民だと蔑み日ごろから嫌がらせをした、と数人に証言させればいい。目撃者も作れる。


 花売りの娘を王太子妃にするために、都合のいい女が必要だった。


「……シリルの様子はどうだ?」


 王太子、アルフレッドは思考を切り上げ、部屋の前に控えた侍女に尋ねる。子爵夫人である侍女は自分が平民娘に仕えることに当初は難色を示したが、シリルの人柄を知るに連れ彼女への忠誠心を芽生えさせていった。


「あまり、お食事を召し上がってくださいません。ずっと気落ちされていて」

「そうか。何か彼女が喜ぶことを考えてくれ。なんでもいい。思いついたことは全て試せ。費用のことは気にするな」

「はい、殿下」


 アルフレッドはシリルに会いたかった。だが、未だ混乱している彼女に会えば、また叫ばれるだろう。微笑んでほしい少女に拒絶されるのは辛い。なのでせめてどんなことでもしてやってほしいと、許可を出すと子爵夫人は深く感謝を示した。彼女もシリルを案じている。


 王太子はそのまま執務室へ向かった。側近たちがおり、シリルに会えなかったよ、とアルフレッドが告げると気の毒そうな表情を浮かべてくれた。


「それにしても、シリルは優しいにも程がある。いや、それが彼女の美徳であるのだが。しかし、それで自らを不幸にしてはな。彼女の幸福を願うものを悲しませているなど、彼女だって本意ではないだろうに」

「お優しい方なのです。シリル様は」

「わかっている。だから好きになったんだ」

「平民だった少女が、突然貴族たちと共に学ぶだけでも戸惑うものです。それが今や王太子の婚約者。今は混乱されていても、落ち着けばその身の幸運と、アルフレッド殿下の優しさを受け入れるでしょう」

「そうだな」


 確かに、混乱するようなことばかりだったはずだとアルフレッドもわかっている。


「突然家族が亡くなった、それだけでもショックだったはずだ。だが、これから私と家族になれる。国民すべてが彼女の家族になるのだから、そのことを理解すれば涙を流す必要がないこともわかるだろう」


 朗らかに笑い、アルフレッドは王太子としての執務を始める。こうしてきちんと、王太子としての務めを果たし、学び、そして王になるのだ。正しく民を導き、国を支える王になる。その隣に、シリルが微笑んで立ってくれるのだから、己は幸福な王になるだろう。


 




*****






 恐怖で頭がどうにかなりそうだった。

 

 シリルは、閉じ込められた豪華な部屋の中で、ただただ震えている。突然、何がどうして、こうなったのか。誰も教えてくれない。誰も、何も、シリルの望む言葉を何一つ返してくれない。言葉は通じるはずなのに、まるで外国のようだ。


 いや、外国だ。


 いつのまにか自分は、知らない世界に迷いこんでしまったに違いない。


 だって、自分の知る世界は、貧しい街。汚いけれど、少しずつ、皆で綺麗にしていけば、きっとよくなると思っていた。お父さんとお母さん、おじいちゃんにおばあちゃん。弟と妹。それに近所の人たち。皆で助けあって、生きていた。


 それが、ある日。シリルが花売りから戻ると、皆、皆、血を吐いて倒れていた。


 食中毒。何か、よくないことだからと、皆焼かれて、そのまま、家があった区画も全部、焼かれた。跡形もなくなって、シリルは一人、教会へ引き取られた。そこでの暮らしは少しだけ。神父様は良い人で、シスターたちも優しかった。けれど貧しくて、着ているものは皆つぎはぎで、新しくシリルを抱えたことで、さて冬を越すための薪は足りるだろうかと、神父様がシスターたちと話しているのを聞いてしまった。


 それからどうなったのだったか。そうだ、それから。それから。魔力があると言われて、貴族の方たちが通う学校へ行くことになった。


 自分がそれを承諾すると、教会にお金が入ると言われたから、シリルはそれを望んだ。神父様たちは寂しがってくれたり、心配してくれたが、きっとその方がシリルが幸せになるに違いないと信じて送り出してくれた。


 それから。それから、どうなったか。


 学校での生活。楽しかった。わからないことも多かったけれど、周りのひとたちはシリルに良くしてくれた。恐れ多くも、貴族の御令嬢の方たちはシリルの知らないこと、知っておくべきことを丁寧に、優しく教えてくれた。


 学園で、何が一番楽しかったか。


 楽しかった、とは違うけれど、シリルには楽しみがあった。


 昼休み、いつも、図書室の奥でとても美しい女子生徒が一人で本を読んでいた。きらきらと輝く金色の髪に、長い睫毛の、おとぎ話のお姫様のようなひと。公爵令嬢さまだと、こっそり人に教えてもらった。


 話しかけることなどできなかった。違う世界の生き物だとわかっていた。同じ空間にいられることがきっと奇跡か何か。綺麗な、お人形のようなその人を、時々ちらりと横目で見れるだけで、シリルは嬉しかった。


 きっと、これは恋なのだと思った。


 憧れている。どんな声の方なのか。その瞳が誰かに向けられるとき、それはどんな感情が込められているのか。考えれば、それだけで胸が高鳴った。自分が彼女の隣に座れたらどんなにいいか、いや、でも、そんなことは無理だった。違う世界のひとだもの、と、そう、シリルは彼女に恋をしながら、ただ眺めることしかできなかった。


 それから、それから、どうなったか。


 ある日突然、そう、寒くなって来た頃。もうすぐ卒業式。あの美しい方も卒業されてしまう。という頃。突然、王宮に連れていかれた。そして、そこで、シリルは『聖女』だと『奇跡の乙女』『王子の命を救った』と、そう、言われた。


 何がどうして、いったい、どうなっているのかわからない。


 自分は何も知らない。

 何もしていない。


 なのに、なのに、なぜか、どうしてか、自分は、王太子殿下の婚約者になった。


 初めてお目にかかる殿下は、まっすぐに熱のこもった目を自分に向けてきた。思い出して、シリルは嫌悪感に身を震わせる。おぞましい目だった。まるで、シリルが自分のものであるように、そうだと確信している目。気持ちが悪い。


 そして、あれこれと熱心に、何かを話してくる。


 王子様は、私を王太子妃にするためにたくさんのことをして「くれた」らしい。


 これからのこと、シリルは自分がこれから、何をしなければならないのか、どんな未来なのかを、初対面の見知らぬ青年に勝手に決められて勝手に、語られた。


 その恐怖がわかるだろうか?

 

 誰か助けてと叫んでも、やわらかく微笑んだ、侍女という女性は「あぁ、お可哀想に。混乱されているのね」と同情めいた視線を向けるだけ。


「光栄なことですよ。アルフレッド殿下は立派な方です。その方が、身分を超えてまであなた様との未来を望まれた。女として、この国の者として、これ以上の名誉はございません」


 そう、侍女は語る。


 意味が解らない!何を言っているのか!?なぜ、それを自分がありがたく受け入れなければならないのか!?


 混乱、いや、拒絶だ。恐怖と吐き気と、おぞましさを越え、シリルにはただただ拒絶しかなかった。


「さぁ、シリル様。そう泣き続けては目が溶けてしまいますわ。何か楽しいことをしましょう。何か、望まれることはありますか?アルフレッド殿下は、あなたの望みは全て叶えるように、と望まれていますよ」


 それなら家に帰して。


 いや、もう、家などない。帰れる場所はない。それを知っている。教会へは戻れない。

 では望むこと。望む。この場から逃げたい。でもそれは、言っても聞いて貰えないとわかってる。


「あの人にお会いしたい……」

「あの人?アルフレッド殿下ですね?えぇ、もちろん。シリル様がお会いしたいと言えばすぐにでも、」

「違う、違うわ!あの人よ!公爵令嬢の……ジリアン様よ!あの人はどこ!?あの人にお会いしたい!!」


 あぁ、と、シリルは錯乱した。

 ジリアン様とてご迷惑だろう。話したこともない平民女にいきなり呼ばれるなど、きっと無礼だと感じられるに違いない。


 でも、でも、だけれど、シリルにはもうそれしかなかった。


 わけのわからない男の妄言。

 望まぬ結婚。バカげてる!


 この、ふざけた状況。


 あの方をひと目見たい。


 あの美しい横顔をひと目見て、あぁ、きっとこれは悪い夢で、自分はジリアン様の美しいお姿があれば、正気を保てる。そう信じた。


「……公爵令嬢……?ジリアン様?ジリアン……あの、恥知らずな馬鹿女のことですか?あぁ、お優しいシリル様。ご自分を殺そうとした女を案じていらっしゃるのですね?なんて慈悲深い。けれど彼女は罪を償わなければなりません。あなた様のようにお優しい方を殺そうとした罪は、許されるものではないにしても」


 塔に閉じ込めたくらいでは生ぬるい、と侍女は不満そうに言う。


「……何を、何を、言ってるの……?」


 シリルは目を見開き、そして、侍女の口から、『アルフレッド殿下から聞いた、悪の令嬢の凶行と、それを防いだ奇跡の乙女』の話を聞いた。




***




「ですから、わたくしに話すことなどありません。ロベリア様、騎士様というのはそんなに暇なのですか」

「我が国の国王陛下は名君であらせられ、他国との戦争の兆しもない。騎士というのは国を守ることが勤めで、今は幸いにも私の剣を必要とするほどの問題がないのだよ」


 嫌味を言って追い返したいが、真顔で生真面目に答えられる。


 今日で二週間が過ぎた。

 あれから毎日毎日、聖騎士様、ロベリア様は日中になるとやってくる。昼食時にやってくる。それはもう豪勢なお弁当を持って、一人では量が多いからとジリアンにすすめ、そして食べきれないと、残りを置いて行く。その量は夕飯と、そして翌朝まで十分な量だった。

 

 だからここ最近、ジリアンは三食きちんと食事をとれて、血色がよくなっている自覚がある。


 施されているのだが、置いて行かれるものに手を付けず腐っていくのを眺めるほどジリアンは食べ物を粗末には扱えない。彼女は幼いころの大半を公爵家の領地で、小作人たちと共に過ごしていて、食べ物がどうやって作られるのか、その苦労を知っていた。


 あと単純に、マーレン司教が置いてく傷んだ野菜の欠片とかより全然美味い。


「私は君の話が聞きたいんだ。君がなぜそこまで殿下を憎み、恨み、殺そうとするほど追い詰められたのか」

「聞いてどうなさるんです。そのような、好奇心のある方とは思いませんでした」

「純粋な興味はある。だが一番は、そうして話を聞いて、きみも話して、他にどうすることができたか、考えればきみは許せるのではないかと、そう私は考える」


 脳筋花畑の騎士様は、この世の全ての行いは正せて、そして誤解や憎しみは対話で解決できると信じていらっしゃるらしい。


 すぅっと、息を吸い込んで、ジリアンは「話」をする。


「だって当然ですわね?わたくしというものが居ながら、殿下は平民女にうつつをぬかしたんですもの。わたくしは幼いころから公爵令嬢として、そしていずれは殿下の妃として教育を受けてまいりました。殿下があの女を側室にするならわかりますが、わたくしを蔑ろにされるのは、話が違います。これが憎まずにいられますか。わたくしは女としても、一人の人間としても、殿下に踏みにじられたのです」


 すらすらと、もうこれが己の本心、自白であると、これはもう裁判所の記録にもある通りの言葉を吐く。嫉妬に狂った女。王妃の冠を得られると信じて疑わなかった馬鹿女に相応しい言動だ。


「それは確かに、一つの正統性はあると私は考える。いや、正義とは肯定はできない。けれど、きみという一人の人格、尊厳を守ろうとしたという、その思いを私は肯定したい」

「お優しいのですね。さすがは正義の騎士様ですわ」


 ほほ、とジリアンは馬鹿にするように微笑んだ。ロベリアは真面目な顔でそれを見つめ、そして首を振って、言葉を続けた。


「それが君の本心なら」

「嫌ですわ。ロベリア様、こんなところまで押しかけて、本音を暴き立てて、これ以上まだ剥ぎ取れるものがあるとお思いなのですか?」

「きみは殿下を愛していたのかい」

「お慕いしておりました。公爵令嬢としての使命としてではなく、一個人として殿下をお慕いしていた。だからこそ、殿下のお心が他の女にあることが耐えられなかったのです。当然でしょう?」

「愛というのは優しいものだ。きみは殿下の幸福を考えなかった。それは愛ではなく、独占欲ではないのだろうか」


 童貞か?


 もしかして、この騎士様は童貞……というか、女性経験がない、いや、あるいは、愛情というのはただただ柔らかいものだとでも思って、いや、信じているらしい。


 まぁ、実際のところ、ジリアンは殿下を愛してはいない。会ったこともほぼないし、会話をしたこともほぼない。自分が殿下の妃になるはずだった~、などと思ったことなどあるわけもない。だから全て口から出まかせである。あるが、しかし、繰り返し繰り返し、言わされ続けたので、もうこれが真実でいいじゃないかと、うんざりしている。


 食事事情が良くなったのは良いことだが。だが、そろそろこの脳筋花畑騎士様を出禁にしたい。できる権限が自分にはないが、しかし、こういう「真実」で自分がもう納得している。これ以上掘り返す意味も必要もない。


「ロベリア様、世の中はきれいごとだけではございませんのよ。わたくしはわたくしが炎で焼かれるとしても、殿下に思い知らせてやりたかった。そういう、他人には理解できない愛もございます。この愚かな思いを、胸の内を語ってどうこうしようという段階では、もはやありませんのよ」

「きみは美しい」


 唐突に、まっすぐに、ロベリアがジリアンの瞳を覗きこんで告げる。


「……はい?」

「美しく、そして君は賢い女性だ。私は剣の腕だけで今の地位を頂いたような猪武者だ。その私を、きみは騙すことが容易いはずなのに、そうはしない。君がその美しい顏で泣きながら保護を請えば、この塔から君を開放して領地で保護することが出来る立場にあると、私は考える」

「ロベリア様はお優しい方ですものね」

「私が思うに、きみはこの状態であることに意味があり、そして、自身の保身より、優先すべきことを選択し終えているのではないだろうか」


 ロベリア様は、ご自分で言うほど猪武者ではないだろう。ジリアンは、脳筋お花畑騎士だという認識を改めた。


 いや、猪だから、野生の勘というか、そういうものが働いたのかもしれない。


 まぁ、確かに。


 実のところ、自分の身に起きたことをジリアンは何となく、察していた。あれよあれよという間に仕立てられた殺人未遂の疑い、突きつけられた罪状、さっくりと進む裁判。弁護士とか、家族の面会とかそういうものの一切なく、ただ知らされたのはお父さまは責任を取る為に自刃して、生き残った家族、親類は国外追放。それなのに己は殺されずただ幽閉。


 これはおかしい、何かあるだろう。


 声を上げて何か行動をすべきとは思った。だが、裁判の折に、囁かれた一言。


『領民まで巻き込むのは本意ではないだろう』


 と、まぁ、その一言で、ジリアンはあとはもう、用意された、望まれる自白をつらつらというだけになった。


 もくろみ通り、己は悪の令嬢。


 もくろみ通り、王太子殿下、とその令嬢は素晴らしい夫婦になる。


 己は直接的には殺されず、民から憎しまれ行き過ぎた行為の代償の、教訓となるべく塔に閉じ込められたわけである。


 ジリアンは、自分が無罪であることを自覚している。


 だが、ここで己が無罪を訴え、王子殿下の思惑を暴露しようものなら、途端に領民が殺されることも理解していた。


 さて、ジリアンは考える。


 貴族の義務というものはなんだろうか。先祖代々の土地を守ること、である。だがそれは面積をただ広めて守るだけではなくて、そこに住む民を守ることに意味がある。


 つまり、民を見捨てた途端、ジリアンは自分が有罪、貴族として、自分自身として最も恥ずべき存在になると考えていた。


 王太子殿下がジリアンに死ねと言うまでは、死ぬわけにもいかない。


 自分が生きて人に憎まれることで、平民娘が、身分違いを指摘されることなく、王太子妃になれるのだから。



***




「しつこいんですけど」


 礼儀作法ももはや無用ではなかろうかと、ジリアンは近頃思い始めてきた。何度も何度も、性懲りもなくやってくる、正義の騎士ロベリア様は、白馬の似合いそうな金の髪に青い瞳を薄暗い塔の中でもキラキラさせる。


「やぁ」


 と、軽く手を上げて微笑む。爽やかな笑顔、白い歯がきらりと見える。


「答えを急ぎすぎたと、私は考えるんだ」

「と、言いますと?」

「私たちはまず、話し相手になるべきだった」


 ロベリア様は、まずジリアンが自分を信頼してくれなければ胸の内は話してくれないだろうと、そう気付いたようだった。


「だからまずは、私たちは話し相手、そして友人になろう。友人であれば、共に歩もうと思えるだろう」


 脳筋花畑家騎士様は本日もおめでたいですわね??


 いや、善人、善良な方だ。それは本当、間違いない。とても残念だが、本当に、善意でこういう申し出をしてくれている。よくあるおしつけがましい善意とかですらない。


 ジリアンは歩み寄る気も、この男に自分の胸の内を語る気も、ましてや助けを求める気もない。ないが、しかし、ここまで奇妙な生き物。名門貴族の次男、たしかお家の当主殿には第三夫人までいたはずで、よもやお家騒動も貴族の権力争いも何もかもご経験されずにご成人あそばされたのかと興味が沸く。


 さぞ周りに愛され、幸運にも恵まれて大切に育まれご成長されたのだろうか。


「では、ロベリア様。話し相手というのなら、まずはロベリア様が何かお話しくださいませ。女性にばかり身のうち話をせよと求めるのは不作法ですし、まずはわたくしに、あなた様がどういった方かお聞かせください」

「なるほど、そうだな。確かにそうだ。うむ、では私の話を。まず、私には兄が三人いたのだが、全て私がこの手で殺め、我が家の跡取りは私だけになってしまった。父が兄の妻を孕ませていたので私は次の春に生まれる弟の義父になる予定だ」

「んんんっ!!!!?」


 お待ちになって?情報量が多いぞ?!


 ジリアンはガタン、と椅子から立ち上がり、格子越しに聖騎士ロベリアを見つめる。


 初めて人間らしい、動揺と驚愕といった明らかな感情を浮かべたジリアンを、ロベリアは笑顔で見つめ返した。


「私は皆が、幸せになるべきだと考えるよ」




***




 あいつ絶対頭がおかしい。


 ロベリアを見送ったジリアンの感想はその一言に尽きた。


 ロベリア様のご生家。王家の剣。大貴族、押しも押されもせぬ名門貴族のお家事情。聞けば、幼い頃からロベリア様、第二夫人、第三夫人、そのご親戚に妬まれ疎まれ、あげくご生母である第一夫人にも「何でも出来て気味の悪い子」と遠ざけられてきたらしい。


 それを笑顔で語る!


 語り口調としては「誤解があったんだ。私が兄を脅かすと。母上はお考えになられていた。だから私は父上と兄上にきちんと自分の考えを伝えた。そして、理解し合えるまで話をした。最終的にはわかり合えたよ。父は長子制を重んじ、兄上を跡継ぎとすると約束してくださったし、兄上も私を騎士団へ入れるために推薦状を書いてくださった」と、爽やかな笑顔で語られる。え、でも結局お亡くなりになってますよね?え?なに??意味がわかると怖い話でも聞かせられてるのかとジリアンは疑った。


 これまであまり貴族社会に興味がなく、簡単な家系図くらいは知っていたがゴシップ、ごたごたの類いは知らなかった。だからこそロベリア様のご実家で何があったのかわからない!わからないから怖い!


 ジリアンは「そ、それで、何がいったいどうして……お兄様たちを……」と聞きたくないが、聞きたかった。ロベリア様は悪戯っぽく笑い「次は君が話してくれ。これはお互いを知るための会話だろう?」と言ってくるもので、それは交渉のネタにしていいのか!?と突っ込みしか沸かない。


 初回からこの強烈な切り出し。もしや作り話で、自分が食いついてくるようにしているのだろうか。話の続きが知りたいから、自分があれこれと話をするために……演技であってくれればいいな!笑顔で自分の身内を殺した発言する聖騎士様とか怖すぎる。


 本日はもう疲れたから、とか弱い令嬢の顔で言ってなんとか乗り切った。


 明日も来るのだろう。来るのか。来ないで欲しい。欲しいが、ここで初めてジリアンはロベリアという男に関心を持った。興味、好奇心、ではない。関心というのは「関わろうとする心」である。ただ知りたい、だけではないその変化。


 ふつりと沸いて、あぁ、と自分の感情に呆れる。さすがに半年以上塔で暮らして、飽きてきたのだろう。さみしいというわけではないが、なるほど中々、誰かと会話をするのは楽しいと、そういうことを思い出してきてしまったのかもしれない。


 それでジリアンはその日はひさしぶりに「明日がはやく来れば良い」と、早めに寝台に入り、いつもよりはやく目を覚ました。


 司祭様と朝を過ごし、昼を待つ。


 しかし、待っても、日が傾いても、落ちても、聖騎士ロベリア様はやってこなかった。


 ジリアンは窓から顔を出す。


「ばか女め!」


 ロベリア様がやってきやしないかと、顔を出して、そして、悪の令嬢がやっと顔を出したと気付いた正義感に溢れる街の人間たちから、汚物を投げつけられた。

 


****




「今、なんと言いました?ジリアン」


 朝、マーレン司教がやってきて、いつものように祈りの言葉を口にした。昨晩からそれを待っていたジリアンは、マーレン司教への挨拶を終えた後、礼儀正しい修道女のように厳粛な顔でこれまでの自分の罪深さを顧み、己はなんと恥知らずな女であったか自覚したと告げた。


「悔いても悔いても、足りないことはわかっています。マーレン司教様。わたくしは身の程もわきまえず、己の我欲のために……なんと恐ろしいことをしてしまったのでしょう」

「おぉ、ジリアン……あなたに、ついに、神の愛が届いたのですね」

「はい。マーレン司教様が毎日、わたくしの為に祈ってくださったおかげです」


 格子越しに、ぎゅっと、ジリアンはマーレン司教の手を握る。若くして司教の座を得て、出世欲の強い聖職者。見かけはどこまでも美しい異性に「あなたはわたしの救い主」というように見上げられて悪い気はしない。


「わたくしは、自らの罪を、そしてマーレン司教様によって己の行いを悔いたことを、きちんと、わたくしが裏切ってしまった全ての方々に謝罪したいのです」

「いけません、ジリアン。あなたはこの塔からは出られない身、そのようなことは、」

「いいえ、いいえ司教様。わたくしは外へ出ようなどと厚かましいことは願いません。ただ、皆さんにきちんとわたくしが悔いていることを知らせたいのです」


 マーレン司教は、ジリアンのその必死な願いに頷いた。悪の令嬢と言われた彼女だが、まだ成人前の少女であった。国中から蔑まれ続けることに耐えられなくなった、というのもあるのだろう。昨日、塔から顔を覗かせて汚物を投げつけられたと聞く。


 もう許して欲しい、と彼女が訴えたがっている。


 マーレン司教は、これを、さて、そのまま叶えてやろうと思った。


 所詮ただの小娘だ。そんなまねをして、世間があっさりこのばか女を許すと思っているのか。


 彼女が悔やんでいる、もう許して欲しいと、願っている。


 これを広く広めれば、国民はもっともっと、彼女を憎むに違いない。今更何を、あんなことをしでかした悪女が、何をほざくのかと、国民は再び「あぁ、あの女はなんて恥知らずなんだ」と叫ぶだろう。


 しかし、その手段がマーレン司教には思いつかない。


 たとえば自分の教会で「今や悪の令嬢は己の罪を悔やんでいる」と話すか?いや、しかし、それでは自分がジリアンを庇っていると疑われる。下手をすれば己まで民衆の怒りを買うと、マーレンは素早くその考えを却下した。


 そのマーレン司教の思考を察したか、ジリアンは弱々しく微笑む。


「お世話になっている司教様にご迷惑はおかけいたしません。わたくしは、新聞社に手紙を送ろうと思うのです。もちろん、マーレン司教様がそれをお許しになれば、ですが」


 成る程。それは、その手は使える。自分はただ、ジリアンが己の罪を告白したいから、としたためた手紙を新聞社へ、彼女の願い通り届けた、それだけだ。


 当然中身も調べさせて貰う、と言うとジリアンは「当然ですわ」と承知した。


 そして、ジリアンはすぐに手紙をしたためる。マーレン司教はそれを受け取り、街に複数ある新聞社の中から、適当に一社を選んでそれを届けた。


 翌朝、とある新聞社の一面。大きく書かれた見出し。




『悩みの生に、新しく得た世界。私は今、公爵令嬢として最後の手紙を差し上げます』




**




「やっていいことと、悪いことの区別もつかないのか、あの馬鹿女!!」


 今朝方届けられた新聞を机に叩き付け、王太子側近のジーク・ロッソは怒りのままに声を荒上げた。


 平凡で特にこれといって目立った能力も無い公爵令嬢。無能の役立たずが、幸運にも王家の役に立てるのだから黙って幽閉されていろというのに!なぜ理解しないのか!


 よりにもよって、新聞という公器を使って、公然と、王家を、王太子を侮辱している!!


「なぜ差し止められなかった!」

「それは無理でしょう。新聞、というより、言論の自由、表現の自由は我が国で認められています。おまけにこの新聞社はバックに貴族や神殿をつけていない平民が立ち上げたところですから、事前にお伺いを立てる義理もなかったのでしょう」


 ジークは自身の秘書官ののんびりとした言葉に、更に腹を立てる。


「ふざけた文章だ!誰がこんなものを真に受けるものか!!」


《 絶縁状  わたくしは今、公爵令嬢として最後の手紙を差し上げます 》


 この一文から始まる内容、つらつらと書かれた、あまりにも自分勝手な言い分。認められるわけがない!一蹴にするだけの器のある男ではないジーク・ロッソは怒りのままに新聞をびりびりに破く。


 その内容は以下の通りある。


・わたくしと殿下は幼い頃に出会い、交流が始まりましたが、今日まで互いの心へ歩み寄ろうという努力がお互いに欠けておりました。わたくしは殿下とお会いした時に、殿下のような立派な方の隣に立つに恥ずかしくない淑女になろうと胸に抱きましたが、その努力というものを殿下は一度とて、お認めになることはありませんでした。


・公爵令嬢という身分は、ただその生まれに甘んじるのではなく、常に冷静に、厳格でなければならないと、意識して参りました。そして、貴族として学園生活の規律というものを厳守し、他生徒の手本となるべき振る舞いをすることが、殿下の婚約者として、王太子妃を目指すものとしての義務であると信じておりました。


・貴族社会に不慣れな女性が編入してきた時、わたくしはその己の義務を果たすべく、彼女に指導を致しました。目上の人間への挨拶、距離の取り方、知らぬことが多くあった彼女の様子は微笑ましく、そして心配でもありました。無邪気な彼女は、その無邪気なままに貴族の社会に入ってしまった。そのときのわたくしの驚きと、不安、これまで互いに違う世界で生きた彼女を、どうすれば傷つけずにこの世界で生きられるよう導くことができるのか。わたくしは手探りでありました。殿下は平民がどのように挨拶を交わすのかご存知でしょうか?いいえ、生涯、知ることがない知識かもしれません。貴族と平民では文化が異なります。けれど彼女はこれまでの習慣を全て塗り替えて生きて行かねばならない場所に来たのです。


 と、ここまでが今朝の新聞に書かれた内容の要約。


 ばかげたことに、明日この続きが掲載されるという。


 当然、出版社に差し止めるよう、抗議に向かった。だが出版社側はそれを察したか、事務所はもぬけの空。あの女がしかけたこの下らぬ「抵抗」に協力する気でいるらしかった。


「信じるものか!このような言い分!」

「いやぁ、それは、どうでしょうね」

「どういう意味だ!」


 秘書官は怒鳴られても怯えることなく、細い目を更に細めて椅子から立ち上がり、ジークが破いた新聞を丁寧に拾い上げる。


「我々は『事実』を作り上げました。悪役令嬢ジリアン・ギースを作り上げ、知らしめました。成る程、これは、中々に賢い手です。何しろ、我々が作り上げた悪役令嬢ジリアン・ギースを否定することは、ジリアン嬢にも不可能です。ですが同時に、彼女が作り出す悪役令嬢ジリアン・ギースの『本心』を、我々が否定することも不可能なのです」


 ジリアン嬢本人が思いついたのだろうか?

 

 秘書官は裁判所にて、ジリアン嬢を見かけた。大人しい令嬢だった。外見は冗談のように美しい。美しいが、美しいだけだ。飛び抜けて賢くも、目立つような言動もしてこなかった大人しい令嬢。成人前の、親の庇護、学園という狭い社会でも満足に生きていけないだろう少女だと判じた。


 普通、このような反撃はただの少女には思いつかない。


 自分が勝手に「悪役」にされ、侮辱され、名誉を傷つけられた。家族を失い、何もかも奪われたその悲しみと衝撃から、ただの少女が立ち上がれるものだろうか?


 よしんばなんとか立ち上がったとしても、望むのは自分の無実の証明のはず。

 自分は何もしていない。無実だ。世に言われるような姿は己ではない。騙されたのだ、ハメられたのだと、必死必死に、自分の無実を訴える、それくらいが関の山。


 この手はそうではない。そういう、類いのものではない。


 自分が他人によって作り上げられた像を受け入れ、否定せず、そのままの仮面をかぶって踊っている。楽しげに、さぁ音楽を演奏するのはお前たちだと言わんばかりに。




****




 神様っているのだわ!!


 シリルは歓喜した。平民娘、元花売り。今は王太子殿下の婚約者。白百合の乙女。様々な呼び方があれこれと勝手に、いくつも付けられた娘は、毎晩流していた悲しみと苦しみの涙とは別、歓びにより、大粒の涙を落とした。


 今朝は何やら、王宮が騒がしかった。シリルが軟禁されている王宮の奥。本来であれば王族や寵姫が暮らす区画に閉じ込められていた。閉鎖的な空間であるから、ゴシップというのは良い娯楽。


 部屋から出られないシリルだが、窓の外で使用人らしい女性たちが、手に新聞を持ってあれこれ話している、その姿は目に入った。


 侍女という貴族の奥様に頼んでも、きっと手に入れられない。シリルはわかっていた。だから、部屋に掃除に来たり、食事を運んでくるメイドにこっそりとお願いした。親切なメイドではなく、自分を嫌っているだろう態度のメイドにあえて頼む。新聞に何かシリルを楽しませるようなことが書いてあるのなら、侍女のひとは持ってきただろう。けれど、これだけ宮中を騒がせているのに、持ってこない。


 それはきっと、新聞の内容がシリルには知られてはならないことだからだ。


 だから、そういうものを、持ってきてくれるのは、自分を嫌っている存在だという判断。


 まさにその通り、メイドは「あたしが持ってきたって言わないでよね。自分で欲しいって言ったんだから」と念を押しながらもニヤニヤとした顔で持ってきてくれた。


 そしてその内容を、ひとりでこっそりと読む。


「あぁ!!素敵!なんて素敵なの!!」


 恍惚とした顔で、シリルは新聞を抱きしめた。


 その文面、文章。


 あの方だ!あの方が、わたしのことを書いてくださっている!


 シリルは文字を覚えたばかりだったが、新聞の文章は小難しい言葉は殆どなく、シリルでも(平民が理解できる言葉で意図的に書かれているのだからそれは当然だ)読めた。


 新聞に書かれた文章。その中で、シリルはジリアン様にその存在を認知されていた!


 それだけではなく、ジリアン様は自分に貴族としての作法を教えようと心を砕いてくださっている!


 お互い違う世界で生きてきたからこそ、衝突があって、けれどその度に、ジリアン様はわたしを理解しようとしてくださった!!平民が貴族の世界で生きられるように、目をかけてくださった!!


 なんて素敵な物語なのだろう!!


「いいえ、違うわ。これは本当のことなのよ。だって、わたしは今、王太子殿下の婚約者になった。わたし、こんなばかなことはないって思ったけど、違うのよ!ジリアン様がこう、仰ってるのだもの!わたしはジリアン様と学園生活をおくったのだわ!」


 続きは、続きはないのだろうか?


 新聞の日付は今日だ。明日また、続きが読めるのだろうか?


「あぁ、ジリアン様!」


 シリルは胸をときめかせた。


 アルフレッド殿下はわけのわからないことを言っている。本当に、気持ち悪かった。けれど、ジリアン様がこうしてきちんと説明してくださるから、納得できる。


 早く明日にならないか。いや、今から、あのメイドにお願いしておこう。


 この新聞を読んで、自分がとても傷ついたという顔をすれば、きっと喜んで手に入れてくれるに違いない。一番に、手に入れて持ってきてくれるに違いない。



****




 でかでかと綴られた文字。こちらの指定通りの文面に、わたくしは満足げな笑みを浮かべた。


「白蓮事件、前に習った時は『やって良いことと悪いことの区別も付かないのか!?』って呆れましたけど、前世知識を役に立てるのが、転生者の決まりですから」


 狭苦しい塔の一室。軟禁された室内にて、さて、おはようございます、ごきげんよう。


 汚物を投げつけられたショックで思い出しましたよわたくしの前世!!


「よくよく考えたら、殴られたんですから、殴り返さないと不作法ですよね!!」


 悪役令嬢ジリアン改め、塔の上の転生者ジリアンです。


 乙女ゲームやら悪役令嬢物語やら、えぇ、前世で嗜んで参りました。でもそういうのって、前世の知識を取り戻すのは幼年期、あるいは断罪後すぐとかじゃなかったでしょうか?


 まぁ、よそはよそ、うちはうちですね、仕方ありません。二度目の人生、色々あるものでしょう。


 さて、そんなことはさておいて、おはようございます、と言いましたが、私の人格にそうそう変化があるわけでもなかった。


 ただ前世、自分が日本という法治国家で生まれ育って、それなりに幸福に生きていたことを知識として思い出し……というのはまた少し違うような気がします。


 思い返せば、公爵令嬢ジリアンとしての自分、よくよく考えてみて、貴族令嬢らしくなかったな?と思います。ドレスやお花、宝石に興味は無くて、どうにもこうにも庶民的。お屋敷でお母様やお姉様たちと刺繍やダンス、お歌にいそしむよりも領地の小作人達と遊んでいる方が良い。


 ……変わり者のお嬢様、とそう言われてきたけれど、こうして振り返ると気付きます。


 どっちかっていうと私、前世日本人の意識が記憶喪失になって「ん?なんか違和感あるけど、まぁ、いっか??」と転生生活送っていて、そして記憶取り戻しましたよ、アイアムジャパニーズ。


 っていう感じです。


 なんということでしょう。


 どうりで……社交界とか、令嬢同士のお茶会とか……最新ドレスの話題とか……かけらも興味ないはずでした。


 アイアムジャパニーズ。それも、確か私、三十代で死んでる。過労で。


 三十代の、社会にくたびれた日本人が……今更社交界とか、小娘たちと茶をしばくとか……ドレスがどうだとか……がんばっていたら、記憶を取り戻した時「おいババァ無理すんな」と突っ込んだかもしれない。


 そりゃ、書斎や図書館に閉じこもる。


 さて、アイアムジャパニーズ。そのわたくし、の今の意識で自分の状況を振り返ってみましょう。


 まぁ、記憶を失っている間の自分も「ハメられた」という予感がありました。そして、公爵令嬢としての意識をしっかり持ってた以前のわたくしはけなげにも「領民を見捨てられない」「領民の安全のために、大人しく悪の令嬢としてここで一生を終える」という気になっていたようです。


 しかし、アイアムジャパニーズ。


「領民、確実に皆殺しにあってますよね。これ」


 冷静に判じる。


 ジリアン・ギースに求められた役は「ばか女」だ。ばか女ひとりの為に、名誉ある公爵家は取りつぶし、当主は自刃。一族は国外追放。たったひとりのばか女が、たくさんの人間を不幸にした。という、結果を広く、強く、大量の犠牲を出したのだと、熱烈に知らしめなければならない。


 当主が責任を取って死んだ。一家が護衛もつけて貰えず、着の身着のまま国外追放。程度では正直弱い。正直、身内まで巻き込んだ程度では、ジリアンの腐臭は弱すぎる。


 領民まで悉く無残に殺されてこそ、「ばか女ひとりのために!罪も無い領民たちまで巻き添えに!!」と、結果の惨さに民衆はジリアンを憎むだろう。


 生かしておいて「領民は罪に問わなかった王家の慈悲深さ」を売るより、痛みのほうが人の記憶に強く残る。そして、その原因たる悪役令嬢ジリアンが存命であることで、判断を下した王家への強い反発は起こらず、ただひたすら「なぜ罪もない領民は殺されたのにお前は生きているんだ!」という怒りがわき上がる。


 私ならそうする。

 私なら、そう考えて、そう仕向ける。


 それに昨年、我が国では一部の領地で飢饉が発生していた。毎年どこぞかしこの領地で飢饉は起きるが、ギース家の領地は毎年豊作で、各地へ支援を行っていたほど余裕があった。


 その土地、欲しいよね。

 ついでに、駄目になった領地の人間、移住させたいよね。

 わかる。

 そうなると、元々いる領民、いらないよね。

 国の自給率が年々下がってるなら、人口も減って欲しいよね。


「もう少し早く、記憶取り戻したかったですねぇ」


 なんとか出来たんじゃないか、と思うのは傲慢か。


 しかし、それはそれ、今は今。


 前世の記憶を取り戻した、といっても、アイアム平凡なジャパニーズ。特に秀でたこともなく、強く関心を持って得た知識もありません。


 よくある転生モノですと、偉人の発明や、あるいは戦略、歴史なんかに詳しくて、それを生かしてうまいことやりますが、税金払うために仕事をしていた「寝る→起きる→仕事→寝る」という人生でバッテリー切れした私に便利な知識などあるものか。


 しかも今は絶賛軟禁中。ボーナスタイムすらない。


「なので、出来ることといえば、全力で殴り返すことくらいなんですよねぇ」


 ふぅ、とため息を吐く。


 目下には、今朝発行され、それはもう大騒ぎになっている新聞。塔の窓の外では、怒り狂った民衆が、新聞片手に集まって、何やら怒鳴り散らしている。


 さて、前世にて平凡な、恥の多い人生を送っただけのわたくしですが、義務教育はしっかり受けました。英語とか理科とか地理とかさっぱりでしたが、国語は好きでした。


 国語の教科書っていいですよね。あれ一冊に、小説の一部や、エッセイ、詩、それこそいろんな作品が詰まっていて、作家の国籍、年代、性別問わずです。


 そして、必ずその教科書に載っている作家のこと、その心情、作品の意味についても学びます。考えたり、教えられたり、「自分以外の他人の気持ち」を考えることはとても貴重な経験です。

 

 さてその国語の教科書。面白かったのでよく覚えています。多感な子供の頃の知識、というのもあるのでしょう。その中で、さて、私がこの転生した異世界で「応用しよう、前世知識」としたその1。


「白蓮事件。ひとりの女性が愛人を作って駆け落ちして、その理由と自分の正当性を、まさか新聞という公器を使って大々的に、しかも内容は自分の夫宛てとして、縁切り宣言。普通やらない、やって良いことと悪いことの区別もつかないのか、と昔は呆れましたが、自由と人権のない世界では、これほど有効な手もありませんね」


 卑怯と言えばこれほど卑怯な手もないが、まぁ、先にこちらに濡れ衣を着せて、殴ってきたのはあちらである。


 私は手紙を書いた。


 どういうわけか、私は悪の令嬢。アルフレッド王子殿下の婚約者候補になっていて、しかも、貴族の通う魔法学園にて庶民の娘をいびり続けたらしい。


 さて、ここで「応用しよう、前世知識」その2。


 新聞に記された「公爵令嬢の絶縁状」に目を落とす。


 わたくしを、ジリアン・ギースを悪役令嬢に仕立て上げた連中が作った悪役令嬢像。その姿形に手は加えない。


 ただ、視点を変える。


 これまで民衆はジリアン・ギースの「結果」だけを受け取り続け、そして歌劇にまでされた。

 なので、ここで、視点を変えた「悪役令嬢」の目線からの「物語」を。


「悪役令嬢の行動の正当化、えぇ、たくさん知ってます。読みましたから、たくさん、悪役令嬢物語!」


 ジリアン・ギースは殴られても殴り返さないことを選んだだろうが、私は違う。


(ただ一つ、ジリアンに芽生えた感情。あの騎士様)


 この騒動を、ロベリア様はどう感じられるだろう。


 どうして急に来なくなったのかわからないが、きっと聞きつければすぐに、あの方はここへ来て下さるだろう。


 ジリアン・ギースの心はただそれを心待ちにしていた。


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