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ラバーナのパンプルーム

 長い馬車の旅が終わった翌日、ニーナは自分が大人にならなくても良いと、ラバーナのパンプルームを眺めながら呆れかえりながらそう考えた。


 パンプルームは、単なるポンプ室という意味だ。


 だが、ニーナが目にするパンプルームという名前の巨大社交場は、ダンスホールのような造りのだだっ広く豪奢な空間でしかない。


 温泉の源泉をポンプでくみ上げているのだが、パンプルームの片隅にはそのくみ上げたお湯を飲む事が出来る水道設備が設置されている。

 その設備から出る温泉水を健康を気にする老若男女がコップで飲み、健康のためにパンプルームの中をぐるぐると歩き回る。

 そこで歩く自分の隣になった人達に自己紹介をしたり、一緒に歩いて世間話をして和を深めるのだ。


 ニーナは上記の事をクラウディアに教えられていたが、いざ本当のパンプルームに来てみれば、そこが途方もなく広い空間であり、そこには着飾った大量の人々が騒めいているということに尻込みしてしまった。

 クラウディアはどれだけの人達に自分を紹介したいのだろうかと、紹介が終わるまで延々とグルグル歩き回らなければいけないのだろうかと、ニーナは戦々恐々としてしまっているのだ。


「なんだか、つまらなそう。」


 小さな男の子のうんざりした呟きに、ニーナはリュカという子供を手懐けていた自分に喝采をあげた。

 きゅっとリュカの手を握り直すと、彼の耳元に顔を寄せた。

 お外に出ましょうか、と声をかけるために。

 しかし、リュカはニーナが言葉を発する前にニーナの手を振りほどいてしまったのである。


「さあ、お兄さんと外のブランコに行こうか。今なら僕達だけで独占できるぞ。」


 クラウディアの旧友を広いパンプルームで探していたらしきフィッツが戻ってきており、いまや父親のようにしてリュカを抱き上げているのだ。


「行きます!シーフル少佐!」


 リュカは完全にフィッツに心酔しており、フィッツはそんなリュカを自分の子供のようにして玩具を与えたり本を読んでやったりと可愛がっている。

 リュカの面倒を見なくて良くなったことに感謝すべきであるのに、ニーナはなぜか反発心を抱いてしまっていた。


「お兄さん?おじさまではなくて?」


「リュカ。僕をおじさんと呼ぶニーナは小さな女の子でしかないらしいよ。ここは男だけでブランコを接収してしまおうか!」


「はい!少佐!」


「あら、ブランコは女の子の乗り物ではないですか。」


「いやいや、君。ブランコは大人の女性を乗せるためにある。子供の君こそ乗っちゃいけない。」


 フィッツの肩にしがみ付くリュカの目尻は、今にも泣きそうなほどに下がった。


「シーフル少佐!僕も本当は乗っちゃいけないの?」


「いやいや。リュカ。君は大人になったらブランコに女の人を乗せてあげなきゃいけないんだ。使い勝手を調べなければいけない。戦術に一番必要なのは情報だ。そうでしょう。」


「そうですね!情報ですね!」


「まあ。その情報ついでに、どうして女の子は駄目で大人の女の人しかブランコに乗れないのか教えていただきたいわ。」


 フィッツはクスリと笑うと、器用にニーナの耳元に口を寄せた。


「捲れたスカートから覗くふくらはぎを鑑賞したり、背中を押してあげるという素晴らしき行為が、女の子相手では楽しめないじゃないか。」


「まあ!男の人ってなんてろくでもない!」


 ニーナが憤慨して見せると、フィッツは嬉しそうな高笑いをあげながらパンプルームを颯爽と出て行った。


「本当にろくでもない人ね。」


 ニーナはシンディの囁きにもカチンとしてしまっていた。

 こんなにも助けてもらっておいて、フィッツに感謝は無いのだろうか、と。


 茶色のカツラを被ったシンディは、ハイウェストの今風のミルク色のドレスという、クラウディアによって彼女の娘としか見えない格好にさせられていた。

 厳密にいえば、クラウディアは時代錯誤的なクジラの骨の入った嵩張るドレスを着ているので娘のようなは違うだろうが、伯爵令嬢と紹介されても誰も異を唱えないであろうほどに上等で流行りのドレスを着ているということだ。

 今の流行りのドレスは、コルセットで体を締め付けず、ゆったりとしたラインというものだ。

 しかし、繊細で薄くやわらかな布地によって体の線は意外と見えてしまうという、太り過ぎていたり痩せすぎたりしていると美しく見えないという代物だ。


 ニーナは自分の姉のミアが女神のように見えたと思い出しながら、シンディも女神とまでいかなくともかなり美しく似合っていると思った。

 こんなにきれいなのに、そういえばフィッツは誉め言葉を一つも掛けなかったとまでニーナは思い出し、瞬間的にシンディのフィッツへの反抗心を許した。

 ニーナも子供サイズの同じものを着ており、彼はニーナには可愛いを散々に捧げていたのである。


「彼は冗談が過ぎる方なの。お許しになって。」


「あら、いえ。私こそ無礼な物言いを。あの、ええ。こんなにお世話になっていながら。あなたには酷いこともしたのに。」


「いいえ。お気になさらないで。クラウディアが楽しそうだから良いのよ。」


 名前を呼ばれた事に気が付いたように、クラウディアがニーナに手を差しだして来た。


「さあ、歩きますよ。懐かしいお友達をあなたに紹介しますわね。バネッサ、紹介するわ、私の可愛い天使のようなおチビさんよ。」


 ニーナは笑顔を保ったが、バネッサの姿に対して鼻から変な空気は漏れた。

 彼女はクラウディアの鏡の中の人、のような人だったのだ。


 顔立ちは違うがクラウディアのように人形のように整っており、また、年齢を感じさせる皺も少ない。

 皺が少ないのは、彼女もクラウディアのように長い髪を風船のように大きく結い上げたことで、顔の皮膚が引っ張られているからでもあろう。

 大きな玉ねぎのような髪形は、クラウディアが明るい栗色であるのと違い、おしろいで白く色づけられており、まるで真っ白なギモーブのようであった。

 バネッサからはその上等なおしろいの香りが強烈に漂い、クラウディアの命を受けてフィッツがバネッサ達を捜してきた上に引き合わせた事を考えるに、足の速いフィッツは逃げたのだろうとニーナは確信した。


 そして後悔した。

 憎まれ口を叩かなければニーナも救出してくれたはずだと。


「まああ。かわいらしいお姫様だこと。クラウディアからお手紙をいただいてから、わたくしはあなたに会える日を楽しみにしておりましたのよ。」


 香りと外見が強烈な女性はとっても優しそうな笑顔をニーナに向けた。

 憎まれ口を叩かなくてもニーナの救出は無かったと理解したニーナは、次はフィッツを逃がさないようにしてみようと意地悪く考えた。

 あるいはもっと憎まれ口を叩いてしまおうか、とも。


「嬉しゅうございますわ。アデール伯爵夫人様。お会いできて光栄です。」

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