少女には悪魔の犬がついている
シンディはニーナの上半身を無理矢理にベッドに押し付け、ニーナの宝石のような青い目を今にも突き刺せるとフォークを当てて脅しをかけて来た。
「今すぐに!私にアグライアの居住許可を出しなさい!それから、しばらく生活できるお金も用意なさい!」
「困ったわ。そんな許可証が出来上がるまでわたくしはこうしていないといけませんの?あなた、おしっこはどこでするおつもり?」
シンディは自分が押さえていた子供がようやく普通の子供で無いと気が付いたらしく、脅していた本人でありながら怖々と自分の右手が押さえつける少女を見返した。
少女は脅えるどころか静かな瞳でシンディを見つめていた。
「そ、そんなの、目の前の男が部屋から出て行けば。」
「わたくしを縛りあげて拘束し直す。そうですわね。でもあなた、あなたは既に詰んでいますの。あなたが私から離れたその時、あなたは私の黒犬に引き裂かれる。そうでは無くて?」
「な、なにを。」
ぐるるるる。
獣の威嚇音にシンディは戸口に振り返り、そこに真っ黒で見たことも無い大きな犬が牙を剥いていたことを知った。
クマのような図体と短い巻き毛を持つ一匹は唸りながら部屋に入り込み、すると、筒状になっている長い巻き毛を引きずる犬らしき二匹の生き物も唸りながら入って来たのだ。
シンディは三匹の尋常じゃない犬の到来に、当たり前だが脅えた悲鳴を上げた。
フィッツも悲鳴では無いが声をあげていた。
「わぉ!どうして、レギオンとアーラまで。」
フィッツは物凄くドキドキしていた。
浜辺ではレギオンがフィッツ達のすぐそばまで近づくや、兄弟犬に脅えるボスコはニーナを自分の背中に乗せ上げて脱兎のごとく逃げ出したのだ。
そして、レギオンはフィッツに報告に近寄るどころか、自分の血を分けた弟犬を追いかけて消えてしまった。
フィッツは取りあえず浜辺に転がるシンディを抱きかかえると、リュカと一緒に出来る限り必死になって屋敷に駆け戻ったのである。
犬同士の決闘にニーナが巻き込まれたら事である。
しかし、屋敷ではニーナはクラウディアと貴婦人ごっこの朝食を始めており、フィッツは裏切られた気持ちで漂流者を召使に手渡したと思い出していた。
「ああ、一体僕の犬達に何が起きたんだ!」
「うふ。誰が主人か教えてさしあげただけですわ!レギオンがリーダーですもの、これであなたの犬は全部わたくしの言いなりですわね!」
「うそでしょう!どうやってレギオンの主人になったの!」
「あら、犬の飼育の本には主人を理解させるために犬の背中に乗れとあるじゃないですか。わたくしはレギオンに干し肉をあげて彼の背中に乗りましたのよ。レギオンはお利口さんね。わたくしに宝石のついた彼の宝物だったらしき腕輪をくれましたのよ。ちょっと泥まみれでしたけれど。」
ベッドに押さえつけられながらも意気揚々と戦功を報告してきたニーナに、フィッツはこのまま放っておいて自分は酒でも飲んでしまおうかと考えた。
自分がニーナを脅してしまったばっかりに、脅えたニーナは自分を守る犬を二匹も余分に家に引き込んでしまったではないかと、素面のまま自分を責めたくはないとフィッツは考えたのである。
「ああ、あなた。あの犬達を下がらせなさい。今すぐよ!目玉をくりぬかれたくはないでしょう!」
脅えながらもまだ誘拐犯を気取るシンシアを天晴れと言うべきか。
「君、それは悪手だよ。ニーナを傷つけたそこで、君はこの犬達に引き裂かれる。この犬達はね、この領地に侵入してきたエンバイルの兵を見つけ次第殺すように仕込んであるんだ。」
「嘘よ!」
「嘘じゃないよ。」
「だって、溺れている私を助けてくれたのはこの犬達だわ!」
フィッツはレギオンに振り返り、レギオンはフィッツと目が合ったとフィッツに対して嬉しそうに尻尾を振った。
「お前か!お前はボスコを追ったんじゃなくて、僕の叱責を避けるために逃げただけなんだな!」
ニーナはクスリと笑いながらフォークと自分の瞼の間に左手を差し込み、フィッツは自分の左腕を大きく払ってシンディを張り飛ばしてベッドの上から払いのけた。
ボスコはびょんと飛び上がってニーナの上に乗り上げてニーナを完全に隠し、フィッツはベッドから転げ落ちたシンディを抱き上げて後ろ手に縛った。
「追い詰められているのはわかるけどね、小さなお姫様を傷つけるのは悪手だよ。ここにはこのお姫様を守りたい大人の男と、無駄飯喰らいの大犬様達がいるのだもの。さあ、大丈夫かな、ニーナは。」
フイッツが再びベッドを見返した時、ベッドにはニーナの姿どころか、室内にいたはずの犬の姿さえも全部消えていた。
「また脅えさせちゃったか?どうしよう!家犬が増えてしまう!」