大臣と中将
シンディはエミールに抱かれながら彼の部屋に入り、それだけで花嫁のようだと彼女は考え、そして、この日限りの逢瀬かもしれないが彼女の一生の宝になるだろうと彼に身を委ねた。
「美しい私の楽器。私にインスピレーションを与えておくれ。」
エミールのキスは優しく、だが、洗練もされていて、シンディはそのキスが彼女の全身の感覚を呼び覚ますという夢で見たもの以上のものだとうっとりした。
「ああ、あなたのトロンボーンになりたい。」
「君は何て可愛いんだ。」
「シンディ、あなたは相手を選ぶべきですよ。」
冷たい言葉にエミールがシンディーの上から取り払われ、彼女の目の前にはホテルボーイの格好をした美丈夫、真っ黒な髪に水色の瞳という素晴らしい組み合わせを持つ貴公子然とした青年が立っていた。
彼の足元には彼に右腕を捩じられているエミールの姿だ。
「まあ!何をしているの!エミールを離して!彼の腕は、腕どころか指先だって、傷つけたら許さないわよ!彼が音楽を紡げなくなったらどうするの!」
「じゃあ、尚更に痛めつけてしまいましょうか?伯爵様?はあ、俺がせっかく捕らえた詐欺師達も逃がそうとしちゃうし、困ったお人だ。」
「君は軍のしがない中将だろうが。大臣の私に命令が出来ると思っているのか?」
黒髪の青年はニヤリと微笑んだ。
「貴族よりも労働者階級の人々の数が多いのですよ、伯爵。働きに働いて引退後の為に購入した家々が、あなたのくだらない詐欺で手放すことになった。そんな事実を知った不幸な方々が騒いで暴動に何てなったら、ねぇ、引責辞任だけで済まないと思いますよ。」
「――どうしろと、言うんだ?」
「嘘を誠に。音楽学校をお作りになったら?そこの美女は大した歌手だと聞きますよ。講師として雇って差し上げなさいよ。」
シンディはエミールに暴力を振るっている男を、怖いと思うよりも救いの天使だったのかと思い直した。
エミールに雇ってもらえればシンディはこの国にいられて、あのエンバイルに占領されたフローディアに帰らなくても良い。
そして、一夜だけの恋人どころか、愛人でしかないかもしれないが、自分は愛するエミールとこれからも一緒にいられる時間ができるのだ、と。
「ハハハハ。君はそれでいいのか?労働者階級の人達に土地を返さなくとも良いと言っているのか?」
「彼等には代わりの住居を用意して差し上げたらどうですか?差額分はあなたのポケットマネーで。」
エミールはぎりっと歯噛みをした。
「聞きしに勝る中将様だな!息子に頭を下げて息子の販売している分譲家屋を買えと言うのか!」
「お願いしますよ。そうしていただけるなら、学校予定地のど真ん中の、リーブス様の土地に関する詐欺の訴えは確実に取り下げます。彼はフィッツの建てた上下水道にガス完備の住宅の方が喜びますから!」
「君は本当にろくでもないな!私に君の敵の後始末もさせていたくせに!」
「ハハハ、それはただの結果ですよ。考えすぎですって、ハハハ。」
シンディはエミールが才能を失った理由がわかった気がした。
こんなに阿漕な人々に苦しめられていたのならば、きっと純粋な彼は疲弊してしまったのだろうと。




