感情と感性だけで生きる
「きゃあ!」
ニーナはフィッツの腕からずるりと落ちかけた。
落ちなかったのは、彼女を床に落とす気こそフィッツに無いからだ。
彼の腕の中の取り澄ました貴婦人顔の九歳児を、彼は驚かせたかっただけである。
そして、ニーナが脅えた猫のようにフィッツにしがみ付いている事に、フィッツは小さな勝利感を抱いていた。
勝利感が小さいのは後程の仕返しが怖いと、彼女を抱き直しながら気が付いただけの話である。
なんてことをしちゃったのか、と。
絶対に今夜の彼のベッドには、ボスコという名の巨大な馬鹿犬が、とぐろを巻いて寝ている事になるはずだと彼は確信していた。
当のニーナは悲鳴を上げてもその後に大声で騒ぐどころか、自分を今度は落ちないように抱き直したフィッツに対し、伯爵夫人のようにして左の眉毛をあげて見せただけだった。
「お願い、責めて。」
「……ひどいわ、あなた。」
「君こそひどい。僕がシンディを攫いに行く理由を消し去ってしまった。」
「あら。もっともなだけの正論ではシンディを取り戻せなくてよ。シンディは感情と感性だけで生きてきている人だもの。」
フィッツはシンディを救いに行く気概全てが消えていた。
フィッツの母も、父のエミールも、感性と感情だけで生きていた人間だったと思い出し、自分が彼等に魅了されながらもうんざりばかりさせられていた事にも気が付いたからである。
「じゃあ、帰るか。」
「もう!あなたはどうしてそんななの!シンディは、愛している!って叫んだ人の方に転がる人よ!エミールとあなたじゃ、あなたの方が優良物件でしょうに!どうしてあなたがここで引くの!」
フィッツはここで、アハハハと笑った。
笑いながらニーナをむぎゅうっと抱きしめた。
「僕はシンディに惹かれていたけどね、彼女に愛していると叫ぶほどでもなかったからだよ。僕には心惹かれて成長を待ちたい貴婦人がこの腕にいる。」
「まあ!わたくしが結婚適齢期になるまでまだまだですのよ。」
「待つのも楽しそうだ。君の成長を見守るのは特にね。」
「あら。わたくしは同世代の男性が良いと思っていますのに!ねえ、お兄様?」
フィッツはびくりとして振り向いた。
彼の後ろには先に従業員通路を使って愛妻のもとに駆け戻ったはずの親友が立っており、その男は憎々し気な視線をフィッツに浴びせると、ふいっと身を翻してどこぞへと早足で消えていった。
「……ええと、フォルスは?」
「……たぶん、シンディとエミールを引き離して、エミールに説教や人格矯正でも施すのではないかしら。人材育成が義兄の仕事とおっしゃってましたもの。」
「……もしかして、僕から君を守るために?」
「喜ばれるべきよ!わたくしの婚約者になる男性は、義兄が考える最高の男に改造してやるって言ってましたもの!」
「確かに!」




