エミールという男
ピアノの上にいた二人、人質の男と拳銃を振りかざす女はもみ合い、しかし殆ど数秒で結果は出た。
彼らはそのまま、いや、シャンタルだけが床に落とされて蛙のような態勢という恥ずかしい姿勢で意識を失った姿となったのである。
女性をそんな姿に平気でした男は、シャンタルが持っていた銃を拾い上げると自分のポケットに入れ、何事もなかったようにして片手で髪を梳くと、シンディたちに向き合った。
「スパイでも詐欺師でも、綺麗な女を楽しめる良い機会だったのにね。」
最低の言葉を放った男の微笑みはシンディが夢見た通りの最高に魅力的なものだったが、シンディの心にはピクリとも喜びが湧かなかった。
ただ、悲しいと涙が溢れていた。
「泣かないで。」
エミールは記憶と同じようにしてシンディの涙を拭い、その手はフィッツによって弾かれた。
「痛い。」
「黙れ。変態男。女と見れば口説くなんて。この子はシンディ。あなたの昔の愛人の子供だそうですよ。もしかして僕の妹になりますか?」
「ああ、シンディか!もしかしてあの可愛いシンディか?君を覚えているよ。君を養子にしたかったのに、君のお母さんは許してくれなかった。君はとっても才能がある子供だったのに。」
シンディは最低な男と化した思い出の男が、彼女が夢に見た憧れの男性に戻ったと目を見張った。
茶色の髪は白髪交じりになってもいるが昔と変わらずふさふさで艶もあり、目尻には笑い皺が増えてもいるがそれが彼を尚更に魅力的に見せている。
シンディに笑いかける瞳は、あの頃と同じく、チョコレート思わせる温かみのある色で輝いているのだ。
「では、母が亡くなったその時に連れて行ってくれなかったの何故?」
エミールは一瞬驚いた顔をして、そして、シンディを哀れむ表情を作った。
「すまなかった。君は幼かったね。血のつながりのない私では君を引き取ることは出来なかった。」
シンディはその告白に怒りなど無く、自分を引き取ろうと考えてくれたそのことだけで胸が温かくなった。
「君は、辛かったかな?」
「いい、いいえ。あなたのトロンボーンの音色が私を支えてくれたわ。」
「私も君の歌声を思い出しては心を慰められていたよ。私がここに大学を作ろうと思ったのはね、君のような境遇の子達を助け出したかったからだ!」
「まあ!なんて素晴らしい!」
どごん。
エミールはフィッツによって襟元を掴まれてピアノに押し付けられた。
「この馬鹿が!隠し子を自分の財布で無くて国の金で育てたいって事だろうが!この歩く性犯罪者が!」




