夜は寝ましょうとぼやきたい男
首の折れた死体にげんなりしたフィッツは、一言言ってやらなければ収まらないと自宅に戻る前に隣の家のドアを叩いた。
ドアはすっと開き、フィッツは乱暴に室内に引き入れられた。
彼の腕を引っ張って中に引き込んだのは彼の親友で、親友はかなりの怒り顔をフィッツに見せており、フィッツを労うどころか罵倒してきた。
こそこそ声でしかなかったが。
「しい!こんな夜中に何を考えているんだ!俺の大事なお姫様が目を覚ましたらどうしてくれるんだ!」
「その大事なお姫様を起こして厭らしい事を毎晩しているのは君でしょう。」
「はあ?俺がニーナに厭らしい事をするか、馬鹿!」
「おや、ニーナ?いるの?バレたんだ?やっぱりあの子は凄いね。」
「うふふ。もう可愛くて可愛くて。あの子なしで今までどうして俺は生活できたんだろうねえ。」
フィッツは親友が完全にニーナに運用されているらしいと認めた。
それから彼は親友を後ろに残して、我が家のようにして居間の方へとすたすたと廊下を歩いて行った。
「何をしているの、君達は。」
フィッツの声が少々素っ頓狂だったのは、大きな暖炉のある居間に大きな野営用テントが張られているという風景に出迎えられたからである。
壁や天井、そして、床にもテントを固定する杭が刺さっていた。
その光景にフィッツは親友を殺してやりたかったが、テントの中の親友の宝物を目にした事で殺意はスコーンと消えた。
スコーンと脱力もしていたが。
熊穴に見立てた暖炉の中に熊のようなボスコが丸くなって寝ているのはフィッツ的にもどうでもいいが、テントの中には大き目の寝袋があり、そこには赤ん坊のような寝顔のニーナと、その赤ん坊を抱く聖母のような寝顔をしたミアが仲良く転がっているのである。
「しぃー。俺の大事なミアとニーナを起こしたら殴るよ。」
「僕の持ち家に傷をつけて!僕の方が君を殴りたいよ!もうこの家は賃貸に使えないじゃないの!買い取ってくれるかな?」
「ああ、買い取り。いいね。するよ。ミアが気に入ってね。ミアが気に入ったんなら家ぐらい買っちゃうよ。権利書を作って今度持って来てくれるかな?名義人はミアで、ね、頼むよ。」
フィッツは世界が妻だけになった親友を数秒見つめ、自分は結婚の罠には絶対に嵌ってなるものかと決意を新たにした。
フォルスはミアと結婚する前はもう少し、と彼は思い返し、フォルスはミアと結婚する前から人生をミアに捧げていたとうんざりしながら認めた。
彼はミアと結婚するそのために、ミアとの仲を裂く要因の一つである結婚したい男性の称号を消そうと、二年間も髭もじゃとなっていたという大間抜けな男でもあるのだ。
フォルスはにやりと大きく笑顔を作ると、フィッツの腕を引いて居間ではなく応接間の方へ行こうと手ぶりをした。
フィッツもそれには賛成だと応接間に向かったが、フォルスによってあからさまな新婚部屋になっていた室内をうんざりした気持ちで見回した。
ソファなどを持ち込んでベッドを作り、適当な布を壁に釘で打ち付けて簡易的天蓋ベッドが作り上げてある寝室だったのである。
「で、日常生活は間抜けを装う中将様ですが、外では有能な殺人マシーンと化していらっしゃるようですね。何が起きているのですか?この一週間で三人もの死体が出来上がっているそうじゃないですか。ああ、今晩を入れれば五人ですか。」
「え、殺人?俺は何もしていないよ。気絶させてさようなら。あ、今日の奴らはやったかな?ニーナを驚かせたからね。咄嗟に。」
テーブルのケーキを食べたのは自分じゃないよ、ぐらいの感覚で殺人を語る上司を眺めながら、フィッツはやっぱり自分は軍には向いていないのだと実感していた。
「大体、デュナン大臣がラバーナに出張ってくるとは俺も驚きだよ。ラバーナは三つの貴族の持ち物でしょう。君とシュナイデル子爵家とアルべ子爵家。まあ、元はデュナン伯爵家の領地を分割してその三家に移譲したという事になるんだろうけどね。」
「そう。一時は破産で解体しかけたデュナン家の持ち物。ろくでもない男はその三家の娘と次々と結婚しては土地を少しづつ取り戻して、今はラバーナの三分の一は取り返せたのじゃないかな。全員が全員、早死に、という所が解せないけれどね。」
「君が言うか。」
「いいでしょう。親の因業を背負わされている可哀想な息子なのですから。で、自分の領地感覚が抜けない大臣様がここで何をしているのかわかりますか?」
「いや~な話は聞いた。聞く?」
「聞きたくないですけど、聞きます。」
「ラバーナに大学を作りたいんだそうだ。音楽大学。あの人芸術大臣じゃないの。で、いかがわしい所を見つけては秘密裡に処分している。たぶん、俺とミアに襲い掛かって来たエンバイルの兵は、彼の兵隊の手にかかったんじゃないかな。あの人は軍隊嫌いなくせに、やることが軍隊よりもえげつないよね。」
フィッツはハハハハと乾いた笑い声をあげた。
「どうしたの?」
「いえ、今晩お邪魔したアデール伯爵夫人宅も危険かな、と思いましてね。あなたのお母様がカモになりかけたのですよ。」
「でも、大丈夫だったでしょう。」
「よくご存じで。」
「だって、ニーナがいる。あの子はイカサマを覚えるのが好きなんだ。俺が知っているイカサマは全部あの子に教えた。凄い!お兄様!って。ああ!もう!妹って可愛いね。あのキラキラした目で見てもらえるなら、俺はもっとイカサマを覚えて教えてあげるよって。」
フィッツは親友に笑顔を返したが、明日にでもラバーナを発ってニーナを自分の領地に連れ戻そうかと考えていた。
善悪の判断機能が壊れてしまったフォルスでは、ニーナを悪い方向にしか導かないと言えるのではないだろうか。
「帰ります。ニーナは明日の朝に戻して頂けたら。」
「いいえ。大丈夫。それよりもシンディがどこかに歩いていったわ。わたくし達は彼女を追うべきではなくて?」
応接間の戸口には、少年の格好をしたニーナがボスコを従えて立っていた。
いつものように大人びた言葉を話すニーナだが、彼女の目元は沢山泣いた後のように赤く腫れている。
フィッツはニーナの額にちゅっとキスをすると、彼女の頭を子供のようにしてわしゃわしゃと撫でた。
「僕にも騎士らしいことを偶にはさせてくれるかな。お姫様、騎士フィッツはあなたのお友達を救いに行ってまいります。だから、君は安心してここにいて。」
ニーナはキラキラした瞳をフィッツに向けて、無邪気な笑顔を作って見せた。
フィッツは親友の頭が壊れた理由を自分で経験していると感じた。




