妖精の魔法ってウイルスみたいなもんなの?
組織本部の12時の方向、つまり子の区域の奥に、その区域を受け持つ子の執務室はあった。――実際の処、どの区域にも最奥、或いは深部に、各最上位幹部の執務の為の部屋がある。そこは幹部によって広さは様々だが、子の執務室には、緊急移動時に転移する空間や調整用の装置が複数置いてあり、意外と広い。
「……酉っち、あの資料って何のつもり?」
不思議そうに、子は資料を渡してきた酉を見上げる。
「ふふ…。ちゃんと調査した通りの内容を報告したつもりだよ」
子の小さな身体には不釣り合いな、広い机に座るその姿に目を細めながら、いつものように胡散臭い笑みを浮かべた。
「……ふーん」
特に悪意や他意が無いと聞き、子は再び資料に目を通す。
「でも、それなら……もう少し、きちんと調査をしておいで。そうじゃないと、キミの信頼の方が落ちるよん」
「……まぁ、そうだねぇ」
酉の持ち帰った結果の内容はあまりに、組織にとって好ましく無い内容だった。故に、もう少し慎重に調査を行い、言い逃れが出来ない程に証拠を集めて欲しいと、子は酉に言った。
どうしようか、と2名は共に思考を巡らそうとしたその時
「寅が、かなり危険な状態だ」
珍しく焦った、切羽詰まった丑の声がしたのだった。
×
子の研究所になだれ込むように現れた丑と寅は、体が酷く傷付いていた。現れた瞬間に周囲に血の臭いが広がり、異世界間転移装置で緊急移動したらしく、到着した瞬間に石が砕け散る。
研究所に着いたのを確認して安心したのか、丑は深く溜息を吐いた。丑は寅を仰向けに床へ、そっと寝かせた後、ゆっくりと立ち上がる。寅の方は呼吸はしているもののそれは浅く、かなり重症であることが直ぐに分かり、研究所の主であり丑と寅とよく共にいる子は二人に近寄ろうとした。
「待って。……変な魔法がかかってる」
子を制止したのは、丁度、子に調査について相談を持ち掛けていた酉だった。酉は持っていた書類をクロークの下にしまい込み、自身に耐妖精・魔法少女用の魔法をかけ手袋をはめて寅に触れる。寅にかかっている魔法を分析する為だ。
酉は妖精や魔法少女以外の魔力への耐性が非常に高く、また、装置を使わずにその場で魔法を分析出来る。その為、耐妖精・魔法少女用の魔法を自身に掛けたのだった。
「多分、掛かっているのは『妖精の魔法』。直接触れるのは、危ない」
「わかった」
短く返事した子は防護服を掛けてある棚から対妖精用の防護服を取り出し、すぐさま着替える。調査を終えた酉はその周囲に魔法が広がらない為の覆いを瞬時に張り、そのまま後ろに下がった。
妖精の魔法は普通の魔法や魔術と違い、曖昧な指示でもしっかりと効力を発する、強烈な魔法だ。普通の魔法や魔術は『これをこうしたい』という、明確な目的とその事象を起こす為の構築式を必要とする。
例えば、炎の混ざった風を起こすには、少なくとも炎を生み出す魔法や魔術と風を生み出す魔法や魔術を組み合わせなければならない。
しかし、妖精はその構築式を無視し、目的だけで発動させている。おまけに『こんな感じ』という曖昧な目的でもなんとなくで発動してしまう。それ故に、妖精の魔法は下手に刺激をすると魔法が簡単に変質してしまう、随分厄介な魔法だった。
寅は身体の殆どに鬱血の痕や切った痕があり、酷く腫れている。腹部には何かが貫通したかのような痕もあり、出血がかなり酷かった。
「逆上した妖精と、魔法少女達にやられた」
淡々と丑は言う。その丑の身体にも、所々に怪我の跡があった。寅を抱えていなかった方の腕は動かないらしく、ただ胴体から下がっているような状態だ。
「寅を、護れなかった。……動きを封じられて動けなかった」
いつもは感情の感じられない丑の声に少し、悔しそうな声色が混ざる。『守護』の役を賜っておきながら、その役目が果たせなかった事、同僚を護り切れなかった事に歯噛みしていた。
「それは仕方ないねん。浄化技は?」
寅の側に寄り、その体を診ながら子は聞く。呼吸は浅く怪我は酷いが、失血量は意外に少なく、致命傷になり得るものも無いようだった。
「殆ど、使わなかった。それと……魔法少女の粉を回収出来なかった」
苦しそうに顔を歪め、すまない、と丑は頭を垂れる。
「こんな時に、そっちは気にしないでよん」
「……そう、か」
「どっかの酉が毎回大量に持って帰るから」
子の返事に丑は安堵の息を吐く。だが、叙々に丑の顔色も悪くなっていく。
「キミも何か食らったの」
顔色の変化に気付いた子は問う。
「別の……妖精の、魔法を」
「恐らく、『とにかく苦しくなる』魔法だ」絞り出すように、丑は言った。
「……あと、これを…」
持っていた物を子に差し出した後、力尽き、丑は膝から崩れ落ちた。
「これは……空の瓶、だね。……中に、少し液体が残ってる」
酉は手袋をはめた手でそれを拾い上げ、呟く。
「よくやったよ、」
子は、意識のない丑と寅を労った。
×
「『どっかの酉』って、当人の目の前で言うかなぁ?」
呆れた様子で酉は溜息を吐く。「まぁ、莫迦みたいな量を『仮の面』に持ち帰っているのは確かだけどさ」
「酉っちは『人』じゃないデショ」
子は酉の呟きにそう、なんの気無しに言い返しながら、部下達を数名集める為に端末を操作していた。
「……まあ、そうだねぇ」
軽く返事をし、酉は胡散臭く笑う。
「さて、酉っち。調査、よろしくねん」
「分かってるよ」
子は集まった自身の直属の部下達数名に、自身と同じ防護服を身に着けるよう指示する。倒れた丑と寅の姿に一瞬、戸惑いや憤りを見せたものの、部下達は淡々と準備にかかり始めた。
「……でもねぇ。まず行かなきゃいけないところあるよね」
着替え終わった部下達に二名をストレッチャーに乗せるよう指示する子に、酉は問い掛ける。
「そっちの証拠は十分に揃ってるから自由にしてよん、もう」
「ほら、キミの御所望した書類だよん」と、子は鬱陶しそうに、虚空から取り出した書類を酉に渡す。
「準備がいいねぇ」
「良いからさっさと行って」
「はいはい。君ってば丑クンや寅クンのことになると結構、周囲を邪険にするよねぇ」
言っててよ! と叫ぶ子を後にして手袋を外し魔法を解いた酉は、これからの調査について計画を立てる。