第三章 マスカレイド
2115年12月8日(日)バラナヴィーチ郊外
「国立競技場」
十二月になり、マスカレイドが始まった。
日本には三人の出場枠があり、俺と瑞穂、そして国内プロリーグで活躍する帝王、設楽紀章が選出された。設楽記章とは国内選抜戦で何度か戦ったが、マジでつえーのなんのって、まあ、俺が勝ちましたけどね。
マスカレイドは予選一次リーグ、予選二次リーグ、予選最終リーグと勝ち上がっていかなければ本戦に出場できない。
出場者は八つのエリアに分配されて、そこで行われるリーグ戦で二位以内に入れば勝ち上がれるという仕組みだ。なおこの分配はランダムではない。マスカレイドはあくまでショーだ。本来なら本戦でもいいところまで勝ち上がれるようなダンサーが予選で潰し合ってはいけない。国際バトルダンス協会が過去の成績により決定する国際順位に応じて、上位のダンサーが早期に潰し合うことがないようになっている。
設楽記章のように国際大会への出場経験が多かったり、エリザベス・ベイカーのようにマスカレイドで優勝経験があるようなダンサーにしてみれば、格下ばかりのグループに入ることになり、勝ち上がりは比較的容易い。だが国際大会の出場経験の無い俺や、マスカレイドには出場したものの本戦の一回戦でエリザベス・ベイカーに敗北した瑞穂は、国際順位が高くない。格上のいるグループに振り分けられることになる。
まあ、どうせ全員ぶっ倒すんだから、何も変わらないけどな。
変わったことと言えば国内代表に決まってから企業のサポートがついた。マスカレイドでは秋津島学園のようなサポーターは三人までという制限が無い。秋津島学園の生徒ということもあって、四羽重工が名乗りを上げたが、俺は渋川重工にお願いした。戦闘機型と重装甲型が幅を利かせているこの時代にあって、近接型のパーツを製作している、名前の通り渋い企業だ。それに四羽は瑞穂のサポートに注力するに違いない。こちらに送られてくるとしたら2軍だろう。それではダメだ。サポート企業には俺のために全力を出してもらわなければ困る。
もちろん秋津島学園のチームメイトがサポーターから外れたというわけではない。卯月は頼りになるし、通信士はひとみ以外に考えられない。残念ながら碧は2学期から操縦手候補生に昇格したので、チームからは外れた。今は整備士志望だという磯貝若葉という女生徒がチームに入っている。ちなみに俺が選んだわけではなく、卯月が連れてきた。
男のチームメイトがひとりくらいいたほうがバランス取れて良くない?
と言うと、男がいて間違いが起きたら面倒くさいだろうと言われた。俺も男じゃなかったんですかね?
とは言え、卯月が連れてきただけのことはあって、彼女の整備は卯月のそれに勝るとも劣らない。整備士の仕事はドレスではなく、ダンサーの性能を引き出すことという考えを、若葉もまた持っているのだ。
でもまあ、今は渋川重工の開発者や整備士がサポートについてくれている。彼女たちに求められているのは彼らが俺というダンサーを理解するためのデータと、今後のための学習だ。
「おやっさん、新しい素体だけど、右半身の反応がなんか鈍い気がする。なんとかなんない?」
「がっはっは! 坊主じゃ二倍でも追いつかんか。若さだな! 三倍にするか!」
「そんな大雑把な整備があるかよ。二.一か、二.二だな」
「二.〇五にしといたぞ。これで試してみろ」
「今度はこまけぇ!」
渋川重工の整備主任はこんな感じだが、腕は確かだ。二.〇五倍で違和感は無くなった。企業がサポートについたことで最新型のパーツが、ポイント関係なしにどんどん送られてくる。もちろんこうして企業から送られてきたパーツはマスカレイド終了後に返却しなければならないが、こういうパーツを揃えればこういう戦い方ができるというデータは持ち帰ることができる。マスカレイドに出たかどうかでドレスの完成度がまったく違ってくるわけだ。
「にしても移動がキツいよなあ」
「キシシ、一戦ごとに移動の繰り返しでござるからなあ」
マスカレイドはショービジネスだから、各地を転戦することを求められる。日程もかなり厳しい。特に予選リーグはスケジュールが過密だ。試合をしたその日のうちに移動して、次の日にまた試合といった感じだ。俺が振り分けられた東ヨーロッパエリアは、西側はバトルアリーナが比較的密集しているが、東側となるとそうでもない。移動にかかる時間も馬鹿にならない。まあ、アフリカエリアに比べれば楽な方だとは聞いているが。
お陰で新型パーツが届いても調整にかける時間があまり取れない。今も試合直前で最終的な調整を詰めているところだ。ならば調整を詰めた以前のパーツで戦えばいいと思うかも知れないが、バトルドレスの開発は日進月歩で進んでいる。対戦相手は最新パーツをギリギリまで詰めてくる。こちらも同じようにしなければ負けるだけだ。
「今日の対戦相手は世界三位、ヒューゴ・アルドリッチだ。予選突破までの最大の障害だし、勝ち進めば二度三度と当たることになる。勝って相手に苦手意識を植えつけろ」
戦術指揮官の周防さんからの言葉に頷く。元より誰が相手でも負ける気は無いけどな。
「ヒューゴ・アルドリッチは対戦相手に合わせて戦い方を変えてくる。戦上手だ。どんなタイプのバトルドレスでも乗りこなす。実際出てくるまでどんなセットアップか分からない。やりにくい相手だぞ」
「それでも予測はしてあるんでしょ?」
「これまでの戦闘データから、相手が三津崎の苦手とするセットアップを組んでくるのであれば、重装甲空中戦対応というところか。だがそれに対抗するセットアップでは、高速戦闘機型に追いつけない危険性が出る。ヒューゴ・アルドリッチの嫌なところはこういうところだ。結局はどんなバトルドレスが出てきても対応できる、器用貧乏なセットアップにしなければならん」
「それでこのセットアップなわけですね」
素体はバランスの良い汎用に近いもの、蓄熱装甲は少なめ、ブースターは高出力。武装は二連装エネルギーブレードに、レーザーと実弾を切り替えられる複合突撃銃。放熱板は大きめで空気抵抗も大きい。向きを意識しなければ速度が出ないだろう。
「熱量とエネルギーの管理に気をつけろ。全開で動かすとあっという間に自滅するぞ。カウンターブーストはできるだけ使うな。熱量が上がれば取れる選択肢も減る。どうせお前は接近戦しかできんのだ。それ以外の場面で熱量を上げるな」
「うい、了解」
エリザベス・ベイカー戦以降、俺が重点的に訓練してきたのはバトルドレスの運用面だ。長期戦に耐えられる賢い立ち回りという奴を徹底的に叩き込んだ。好きか嫌いかで言えば好きではないが、するしないは別にして、できるできないは大きな違いだ。対戦相手に長期戦に持ち込めば有利と思われずに済む。
「時間だ。三津崎。勝ってこい」
「当然!」
レールに乗ってバトルフィールドへ。大歓声が俺を迎え――てるわけじゃないよな。注目されているのは断然ヒューゴ・アルドリッチである。みんな彼の試合を見に来ているのだ。しかし観客席を見回すと日の丸を掲げた応援団の姿もあった。秋津島学園は普通にカリキュラムが行われているので、生徒が応援に来ることは基本的にはできないが、そうではない人たちがわざわざベラルーシまで応援に来てくれているのだ。気合が入った。
バトルフィールドの反対側から入場してきたのは重装甲型バトルドレスだ。戦術指揮官の予想は大当たり。武装はレーザー砲と実弾銃を左右に持っている。意外なのはどちらもショートバレルじゃないということだ。俺が接近する前に勝負を決められると思っているのか?
カウントダウン開始、固定解除。
イグニッション。
エネルギーが充填されはじめる。
俺は動かない。ヒューゴ・アルドリッチも動かない。じりじりと数字だけが減っていく。
残り二十秒。
残り十五秒。
ここでヒューゴ・アルドリッチが動く。反重力装置を起動して空中に浮かび上がったのだ。
空中に上がること自体は予測の範囲内だが、早い!
どんな意図があってのものだ?
そう思ってヒューゴ・アルドリッチの黄色いカラーリングのドレスをじっと見つめていると、ドレスの背後からがしゃんと放熱板が展開した。
「翼ァ!?」
ヒューゴ・アルドリッチが加速を開始する。メインブースターを吹かし、俺から離れていく。バトルフィールドの奥半分を大きく使って、加速していく。
「重装甲戦闘機型だと!?」
普通に考えれば悪手もいいところである。反重力装置があると言っても質量が消えたわけではない。重い物を加速させるにはそれだけ大きなエネルギーが必要だし、ただでさえ巨大な重装甲型に展開型の放熱板を付けたため被弾面積は格段に大きい。戦闘機型ほど速くなく、重装甲型より被弾しやすい。
「やってくれるじゃないか」
だが近接型が相手ならばどうだろう? 接近にはアクセルブーストを必要とし、エネルギーブレードを数回当てた程度では落とせない。向こうは距離を取って悠々と放熱できる。素体も重装甲型のようなので、出力を控えめにしたエネルギーブレード一発では蓄熱装甲に熱を溜めさせることすらできないかも知れない。
対策をのんびり考えている時間は無い。
残り五秒。
俺は反重力装置を使い、空中に浮かび上がる。その場で真っ直ぐ上昇。反重力装置を使っている以上、位置エネルギーというものは存在しない。あれは重力があってこそ意味があるものだ。
残り一秒。
反応炉は臨界に達する。ヒューゴ・アルドリッチは接近してこない。
ゼロ!
武装制限が解除される。距離が離れたまま、軽いレーザーの撃ち合いが始まる。小手調べだ。お互いにフルマニュアルの使い手。そう簡単に照準に収まってはくれない。今ならと思って引き金を引いても、その瞬間には回避行動を取られている。当たらない。だがそれはこちらも同じだ。アクセルブーストを使うまでもなく、回避、攻撃、回避、攻撃――。
俺はジリジリと前進する。ヒューゴ・アルドリッチが横を駆け抜けようとすれば即座にアクセルブーストで接近できるよう、旋回方向の出口を塞ぐようにする。だがヒューゴ・アルドリッチなら逆サイドから抜けていくことも可能だろう。そう、分かってさえいれば!
「今です!」
ひとみにそのタイミングが見抜けないわけがない。バトルフィールドの逆サイドに向けてアクセルブースト! 音速を突破して、さらにアクセルブーストを重ねる。逆サイドを抜けようとドレスを振ったヒューゴ・アルドリッチに迫る。
戦闘機型の真似事をしても所詮は重装甲、遅いんだよ!
メインブースターを全力全開で速度を維持する。ヒューゴ・アルドリッチはドレスを振りながら、激しい射撃で牽制してくるが、ブースターの角度を変えて回避、回避、回避。回避しながら接近してエネルギーブレード、三連撃。綺麗に決まる。アクセルブーストで加速して逃れようとしたヒューゴ・アルドリッチにアクセルブーストで追いすがり、エネルギーブレードを切り替えて、さらに三連撃。エネルギーブレードは二本とも椀部冷却器の中に消える。ヒューゴ・アルドリッチの蓄熱装甲は七割が剥がれ落ちた。だがこちらもエネルギー切れだ。逃げるヒューゴ・アルドリッチを追いかけられない。仕切り直しだ。
ヒューゴ・アルドリッチはこちらのエネルギー切れに気付いていたのだろうが、それよりも自身の放熱を優先したようだ。俺から遠く離れた位置を旋回する。戦闘スタイルを変えるつもりはないらしい。こちらもエネルギーを回復できるし、熱量を下げられる。時折思い出したように撃ってくるレーザーを回避しながら、ドレスを落ち着ける。回避、回避、回避――、攻撃の圧が増してくる。ヤバいと思った時にはもうすでに中距離射撃戦に引きずり込まれていた。
これが戦上手ってことか!
接近しようにも回避で精一杯になる。感覚だけでレーザーを避けようとすると、回避先に実弾を置かれている。被弾する。上手い。ひとみの指示は的確だが、追いつかない。じりじりと熱量が上がっていく。だけどな! こっちだって中距離戦の訓練は積んできたんだ!
フルマニュアルでの射撃の難しさはフルサポートの比ではない。自分で意識してドレスの腕を操作して敵を狙うのだから、中遠距離で正確に照準を合わせるのは至難だ。フルマニュアルとか言いつつ、射撃だけはサポートを使うというダンサーも少なくない。だが真の上級者はサポートによって照準がどう動くのかは完全に把握している。サポートによる射撃は避けられる。
俺は出力を絞ったレーザーを連射する。見れば出力を絞っていると分かるはずだが、見てから回避はできないのがレーザーというものだ。ヒューゴ・アルドリッチの回避先に実弾を置いて、当たったその瞬間に最大出力のレーザーを放つ。攻撃を食らってしまった瞬間というのはアクセルブーストを使うことを躊躇う。何故ならすでに攻撃を食らって熱量が上がっているからだ。大きく移動するより、細かい動きで追撃を避けようとするのが基本。だがヒューゴ・アルドリッチはアクセルブーストで回避する。
そうだよな。基本を守ってる程度の腕じゃ世界三位にはなれねーよな。
激しい中距離射撃戦で不利なのは言うまでもなく俺の方だ。蓄熱装甲も少ないし、そもそも射撃武器の数が違う。こちらはレーザーも実弾も撃てるとは言え、一本の複合突撃銃だが、向こうはレーザー砲と実弾銃の二本立てだ。射撃の厚さが違う。このままでは俺の負けだ。このままなら、な。
気付いているか? ヒューゴ・アルドリッチ。まあ、気付いているんだろうが、回避のしようが無いわな。放熱のために高速で旋回しているお前の旋回半径。だんだん縮まっているぞ。本意ではないのだろう。何度も逃げ出そうとする動きを見せる。だがその度、前方に実弾の雨を置かれて逆方向に旋回しないではいられない。食らってでも逃げるのが正解だぜ? もっともその場合は逃さないけどな。
これは追い込み漁だ。円筒形のバトルフィールドの端に獲物を追い込んでいく。そしてついにその旋回範囲が空力で行える最小範囲にまで縮まる。結果的に速度も落ちてるぜ。ヒューゴ・アルドリッチ!
ここぞとばかりに俺はアクセルブーストでヒューゴ・アルドリッチへと距離を詰める。ヒューゴ・アルドリッチもアクセルブーストで加速して囲いを抜けようとするが、減速しすぎていたため逃げ切れない。亜音速で並走するその瞬間、俺はエネルギーブレードを振った。食らいながらヒューゴ・アルドリッチはアクセルブーストを重ねる。タイミングは聞いている。同時にアクセルブースト! 超音速で並走が続く。二連撃! ヒューゴ・アルドリッチの姿が掻き消える。カウンターブーストだ。だがそれもひとみの想定内! 移動先に向けてレーザーを撃つ。背中を向けていたヒューゴ・アルドリッチは避けられない。直撃してブザーが鳴った。
俺の勝ちだ!
2115年12月23日(月)太平洋赤道直下
「軌道エレベーター」
俺の勝利の記録を全てお見せしたいところではあるが、それはアーカイヴを見てもらうとして、俺は順調にマスカレイド本戦へと駒を進めた。世界中から選びぬかれた十六人が、世界一位の座を目指して戦うトーナメント戦が始まった。東ヨーロッパ予選リーグをトップで抜けた俺と、二位で抜けたヒューゴ・アルドリッチは別のグループに割り当てられた。ヒューゴ・アルドリッチが決勝まで勝ち上がってこないかぎりはもう戦うことはない。残念だったな、そっちにはエリザベス・ベイカーがいるぜ。雪辱の機会は訪れないだろう。
その代わりにこっちのグループには瑞穂がいた。勝ち上がってくれば準決勝で当たる位置だ。まあ、順当にそうなった。激しく苦しく楽しい戦いとなったが、学内戦でも勝率は俺のほうが上だ。普段からお互いに手の内を隠さず戦っているため、隠し玉はない。終わってみれば危うげなく俺が勝った。
トーナメント表の反対側でもエリザベス・ベイカーが猛威を振るい、順当に決勝に駒を進めていた。決勝戦は約束通り、俺とエリザベス・ベイカーのダンスだ。
エリザベス・ベイカーが以前のままなはずがない。自由に飛べるようになった彼女はさらなる強敵として立ちふさがるだろう。世界一位になるためには相応しい壁だ。ぶっ壊してやる。
そのために俺はシミュレーター訓練を――、
「するはずだったんだけどなあ」
何故か俺はシミュレーターの中ではなく、軌道エレベーターの展望台にいる。瑞穂、卯月、ひとみ、若葉も一緒だ。おう、こいつらはまあいい。別にいいよ。
「でもなんでお前までいるんだ」
「お前じゃなくてエリー」
エリザベス・ベイカーがいた。
「なんで明日の対戦相手と仲良く観光なんだよ」
「決勝が終わるとこんな時間は取れなくなる。どっちが勝っても、ね」
まあ、確かにそれはそうかもしれない。インタビュー、パーティー、メディアへの出演など、マスカレイドの優勝者がのんびりしていられるような予想はとてもではないができない。準優勝でも似たようなものだろう。日本人が決勝まで駒を進めたのは初めての事だ。すでに日本のメディアは大きく騒いでいる。今日も似合わないサングラスをかけて顔を隠していなければならないほどだ。エリザベス・ベイカー、いや、彼女の希望に沿えばエリーにしても同じだ。二年連続での優勝がかかっており、アメリカのメディアは大騒ぎをしている。試合前日にこうして二人で歩いているところを写真に撮られでもしたら大変なことになるだろう。
「おい、青っちも見ろ。すごい光景だぞ」
卯月が俺の手を引いて展望窓のほうへと引っ張っていく。
「確かに凄いな……」
軌道エレベーターの展望台は高度二万メートルにあり、地球の丸みを見ることができる。普段は見上げる雲が、まるで大地に張り付いているようだ。地上から見るとあんなに空高くに見えるのに、上からみたらこんなに薄っぺらいんだな。雲のせいかも知れないが、陸地は見えない。軌道エレベーターはその建設において様々な国家の利害がぶつかりあった結果、どの国の領土からも離れた公海上に建造されからだ。地上部分は環太平洋諸国の主導で設立された新国家バベルが統治している。
誰だよ、このとんでもなく縁起の悪い名前にオッケー出したの。
見上げれば青黒い空が広がっている。宇宙はすぐそこだ。シールド技術が無ければ放射線がヤバい。こんな小さな大地の球が、俺たちが生存を許された環境だ。海面の上昇が止まらないこともあり、スペースコロニー建造の話も出ているが、完成はまだまだ先のことになるだろう。
「日本はあっちかな? だよな?」
「PAに聞きゃ分かるだろうに」
「そういうことじゃないんだよぉ。んもぉ!」
「子どもか」
「どさくさに紛れて手を繋がない」
瑞穂がそう言ってチョップで繋いだ手を切った。
「今日はみんなで気分転換に来てるんだ。君と青羽のデートじゃないぞ」
「ウヘヘ、ちょっと盛り上がっちゃったでござる」
「卯月ちゃんらしいですね」
「ほう、鵜飼は随分と余裕だな?」
「青羽くんは私以外考えられないって言ってくれましたから」
それ、通信士の話だけどな。
バチバチと目線で火花を散らす二人を他所に若葉が近寄ってくる。
「でもいいんスかね? おやっさんたちは機体の整備をしてるのに」
「予選リーグからこっち息をつく暇も無かったからな。最後の戦いを前にリフレッシュも必要だろうって快く送り出してはくれたけど、ちょっと心苦しいよな」
「私も同じ」
「知ってて行き先被ったわけじゃないよな?」
「ん?」
エリーは首を傾げる。癖のある金髪が揺れる。
絶対知ってたろ、こいつ。
「距離がある分、私は不利だから、チャンスはものにする」
「お前との戦闘経験が少ないのは俺も同じだろ。条件は一緒だ」
「たはは、エリザベスさんが言ってるのはそういうことではないと思うッスよ」
「どういうことだ?」
「あたしの口からはちょっと」
「そんなことより外を見るでござるよ! 展望台に上がるのも安くなかったんでござるよ!」
卯月の言う通り、軌道エレベーターの展望台に上がる料金は安くない。というか高い。国が出してくれなかったら絶対登ってない。せっかく税金で遊ばせてもらってるんだから、きっちり楽しまないと悪いよな。
それから皆で展望台からあちこちを見て回った。まあ展望台から見える光景というのはあまり代わり映えしないのだが、それでも楽しめるように色々説明が入るようになっている。無駄に軌道エレベーターについて詳しくなってしまった。
展望台は時間制になっていて、滞在時間は三十分と定められている。高速エレベーターで地上までは十分間。地面にシールド張って自由落下でいいんじゃと考えるのはダンサーくらいのものらしい。卯月に頭おかしいと言われてしまった。
「人の上に人が落ちてはいけないから、結局こうしてエレベーターのほうが効率はいいんじゃないか?」
瑞穂ォ! お前はこっち側の人間のはずだろ!
軌道エレベーターの基部を囲うように建造された浮遊人工島まで降りて、はい解散、とはならなかった。軌道エレベーターは宇宙に物資を運ぶための設備であると同時に観光地だ。外貨獲得のために色んな設備がある。巨大なショッピングモールもそのひとつだ。なにゆえ軌道エレベーターまで来て女子の買い物に付き合わなければならないのか。これ、俺のリフレッシュのためなんじゃないの?
しかしそんなことはお構いなしに、女子はきゃいきゃい言いながらショッピングを楽しんでいる。エリーも一緒になってるけど、お前、明日の対戦相手だからな!
ショップの外で待っているだけならそれほど苦労はしない。PAでも見ていればいいからだ。だが服に水着に小物にぬいぐるみ。皆いちいち俺に見せては意見を求めてくる。やめろ、おい、俺を女性客ばかりのショップの中に引き込むんじゃない!
結局は荷物持ちまでやることになる。頼まれたわけではないが、女性が重そうに荷物を持っていて、男は手ぶらなんてかっこ悪いだろう? 誰かの荷物を持ったら、他の四人の荷物も持たないわけにはいかなくなる。こうして複数の女性に荷物持ちにされる男の誕生だ。結局かっこ悪くない?
やがて荷物は持ちきれなくなり、ポータードロイドにホテルの部屋に運んでもらうように手配する。最初からこうすりゃ良かったんじゃないの?
お洒落なカフェで昼飯を食ったら、また買い物だ。なぜ女性は買い物にここまで時間を使えるのか。PAに聞いたら多分答えてくれるだろうが、今の俺の助けにはならないだろう。
まあ、こんな些細な日常をエリーが楽しめるようになっていることは良かったと思うよ。かつての彼女であれば意味がないと切って捨てていたような、ささやかな日々の喜び。それがここにある。
俺は世界一位のダンサーになる。
だがそのために何をも犠牲にしていいとは思わない。本当なら一分一秒すら無駄にせず鍛錬に打ち込むべきなのかも知れない。実際にそうしているダンサーだっているだろう。だが俺に焦りはない。今こうして仲間たちとともに過ごせる時間を楽しめない奴が、バトルダンスを楽しめるはずがないのだ。
俺は楽しむ。楽しんで天辺を獲る。そうでなきゃ意味がない。使い途の無い金に意味がないように、日常の先に無い世界一位になんて意味がない。世界一位になった時に、自分独りになっていたら誰とその喜びを分かち合えばいいというんだ。
まあ、だから、それなりに俺も今日という日を楽しんだ。
たぶん、どんなに年を重ねても、この日々のことを輝かしく思い出せるくらいに。
「青羽!」
彼女たちが呼んでいる。俺のことを呼んでいる。嬉しそうに。楽しそうに。
マスカレイドは明日終わる。
俺が世界の頂点に立つ日がやってくる。
2115年12月24日(火)「軌道エレベーター」直下
特設バトルアリーナ
マスカレイド決勝戦を前にして、俺はわくわくしていた。
幼い日に、トンボと遊ぶために家を飛び出したときのような、楽しいことが待っているという確信がある。心が躍る。じっとしていられない。顔がニヤけるのを止められなかった。
「想い人に久方ぶりに会いに行くような顔をしているでござるなあ」
「心情的にはそんな感じだよ」
「エリザベス・ベイカーになら昨日も会ったでござろう」
「でもあいつと踊るのは半年ぶりだ。早く時間にならないかな?」
「まだドレスの最終調整の途中でござるよ」
卯月が呆れたように言う。その頭におやっさんの手が置かれた。整備士の手というと油とかで汚れていそうなイメージがあるが、現代の整備士の仕事はパーツの調整が主で、それも端末で操作する。おやっさんの手も綺麗なものだ。トイレの後にちゃんと手を洗っていたらの話ではあるが。
「最終調整は終わりだ。完璧に仕上げたぜ。賭けてもいい。こいつがいま世界で最高のドレスだ」
「おやっさん、最後まで無理言ったけど、ありがとう」
「馬鹿野郎。そういうのは勝ってから言え」
「いや、なんかいま言っておかなくちゃいけない気がして。周防さん、卯月、若葉、他のサポートスタッフの皆もありがとう。皆のお陰でここまで来れた。皆のお陰で世界を穫れる」
周防さんが眦を釣り上げる。
「もう勝った気か、三津崎。相手はエリザベス・ベイカーだ。その強さは自分でも分かっているだろう? 去年に比べ彼女は非常に攻撃的になった。油断しているとあっという間に食われるぞ」
「こっちが食っちまいますよ。大丈夫です。勝ちます。今のあいつとなら最高に楽しいダンスになる」
「やれやれ、お前はテンションがそのまま集中力になるタイプだ。これ以上の小言は言わん。エリザベス・ベイカーについてもよく知っているだろうしな。私から言うことはひとつだけだ。楽しんでこい。お前の場合はそれが勝利に繋がる」
「言われなくとも! 楽しむために俺はここにいるんだ!」
バトルダンスは本当にキツくて、辛くて、しんどくて、そしてそれ以上に楽しい。きっかけはゲームだった。それから親友に再会するためだった。でもその後もバトルダンスを続けてこられたのは、純粋に楽しかったからだ。きっとこれが本当の俺の適性というやつなのだろう。どこまでもバトルダンスを楽しめる適性。これがある限り、俺はどこまでも高みを目指していける。
「時間だ、青っち。もうあーしらにできることはお前の勝利を祈ることくらいだ」
「祈る必要は無いぜ。卯月。俺は実力でトロフィーを奪ってくる」
「そうだな。信じて待つよ。勝ってこい!」
時間を迎え、固定台が動き出す。レールに乗って俺は運ばれていく。通路を抜けるとそこは超満員のアリーナだ。一斉にフラッシュが焚かれ、大歓声が俺たちを迎える。飽和する音、音、音。これが俺たちのダンスステージだ。
アリーナの反対側からバトルフィールドに運ばれてくる白銀色のバトルドレス。それを身にまとうのは世界一位。癖のある金髪が揺れる。碧眼が俺を真っ直ぐに見つめる。ああ、もう彼女しか見えない。
今夜のステージは俺とお前の独占だ。
さあ、最高に楽しいショーにしよう!
10:00
30:00
いつも通りのカウントダウンが始まる。これがマスカレイドの決勝戦でも、ルールが変わるわけじゃない。流れるように数字が減っていく。
00:00
30:00
イグニッション!
スイッチを強く押し込む。イグニッション成功。おそらくこれまでで1番完璧なタイミングだったはずだ。一万分の一秒の誤差に収めた感触があった。ありえないと思うか? でも俺は確かに感じたんだ。
俺たちは前に向けて走り出す。あの日の再現。俺はエリーに近寄りたい。エリーはバトルフィールドの中央に立ちたい。両者の思惑は疾走となって現れる。どちらもこの半年で訓練を積んできた。今回は武装制限解除と同時に最接近する!
02:00
そう思った瞬間、エリーの姿がすっ飛んでいった。アクセルブーストで俺から距離を取った。バトルフィールド中央という利点を彼女は捨てて、俺から距離を取ることを選んだ。
それしかないよな。でもそれはひとみがお見通しだぜ。千分の一秒遅れてのアクセルブースト。追いすがる。彼我の距離は二十メートル弱。このまま速度に乗ったまま交戦に入る!
00:01
カウントダウンが止まる。
インターフェイスが全て赤色に変わり、EMERGENCY!と表示される。
俺たちは同時にトリガーを引く。弾丸は出ない。空を映し出していた天井のモニターに重ねて表示されていたEMERGENCYがぶつりと消える。空も消えた。
次の瞬間、轟音とともにアリーナの天井が崩れ落ちた。
瓦礫が人々の上に降り注ぐ。悲鳴が上がる。怒号が響く。
真横で起きた。俺からは見えた。エリザベス・ベイカーにも見えたはずだ。俺たちは同時に同じ方向にアクセルブーストした。シールドに邪魔されて俺たちは止まる。バトルドレスの拳をシールドを叩きつける。
「シールドを切れ! 救助する!」
「右ッ! アクセル!」
ひとみの声に体は勝手に反応した。アクセルブースト。次の瞬間、もうもうと上がる煙の向こうから何かがシールドを突き抜けてバトルフィールドに降り立った。ホワイトナイトが吹っ飛んでいって、シールドに叩きつけられて止まった。
「バトルドレス?」
それは漆黒のバトルドレスだった。ダンサーは真っ黒いスーツを来て、仮面を付けている。どこか人間味が欠けていた。そのバトルドレスが俺に左手に持った大口径の銃を向けた。体は勝手に反応する。銃口を向けられることを拒絶する。メインブースターでドレスを振って射線から逃れる。だがそのバトルドレスは俺を完全に捉えることなく引き金を引いた。何かが飛んでくる。銃弾では無かった。もっと大きな球形の何か。背筋を冷たいものが這い上がってくる。あれは駄目だ。近寄ることさえマズい!
ひとみの指示を待たずにアクセルブーストでソレから距離を取る。その球体はバトルフィールド端のシールドに当たって跳ね返った。瞬間、俺は理解する。シールドは衝突した物体の慣性を打ち消してゼロにする。銃弾でも、バトルドレスでも、シールドに当たると止まるのが正しい反応だ。跳ね返るなんてことはありえない。あれはシールドを打ち消している!
「何が起きている! ひとみ! 誰でもいい! 答えろ! 答えてくれ!」
シールドが打ち消されるということは、単純に防御力が下がるという問題ではない。ダンサーはシールドに付随する慣性無効フィールドに包まれているから、瞬間的な超音速への加速や、超音速からの停止に肉体的な負荷がかからないのだ。シールドが消えるということは、バトルドレスの機動力が奪われるのと同じことだ。
眼表モニターに表示されるシールドの状態は正常だ。さっき咄嗟に行ったアクセルブーストで俺は肉塊にならなかった。慣性無効フィールドは生きている。球体に触れると駄目なのか。それとも近寄るだけで駄目なのか。どっちだ!?
「緊急事態発生により決勝戦は中止です!」
「んなこた分かってる! 武装制限を解除してくれ! このままじゃ何もできない!」
「私にはその権限が無いんですッ!」
黒いバトルドレスを迂回して、ホワイトナイトに接近する。バトルドレスが損傷しているのが見て取れる。電子回路が火花を上げていた。シールドを張っているバトルドレスは決して損傷しない。彼女はシールドを貫通する何らかの攻撃を受けたのだ。
「エリー! 生きてるか! エリー!」
エリーの白い肌を真っ赤な血が伝っているのが見えて背筋が凍る。ホワイトナイトに取り付くと、慣性が消え、シールドが生きているのが分かった。黒いバトルドレスのシールド貫通攻撃は、シールド機能を完全に破壊するようなものではない。
俺はホワイトナイトを引っ掴んで、横にブースト。球体が脇を掠める。全身がドレスのシートに押し付けられる。みしみしと体中の骨が鳴る。シールドの表示が揺れた。レーザー吸収膜に影響はない。慣性無効フィールドの表示だけが点滅する。次の瞬間、数発の銃弾が蓄熱装甲に当たって乾いた音を立てて弾かれた。慣性無効フィールドが消えているから実弾が通るってわけかよ、ちくしょう!
慣性無効フィールドが回復したのを確認して、熱量の上昇を無視したフルブーストを使い黒いバトルドレスから距離を取る。
「エリー! エリー! エリー! 生きてたら返事しろ!」
「……みんな、うるさい……」
かすかな声が耳に届く。生きている。エリーは生きている!
「ちょっと我慢しろ。シールドが消えたらすぐに待機室まで逃げろ」
エリーが出てきた側の通路の前にホワイトナイトを放り出す。アクセルブーストでホワイトナイトから距離を取る。バトルフィールドの中央辺りで接近してきた黒いバトルドレスの射程に入る。奴は左手に持った銃をこちらに向ける。あの球体を撃ってくる。さっき回避したときの感触からすると、球体からアンチ慣性無効フィールド電波みたいなものが出てるんだろう。範囲は十メートルほどと予測。間違ってたら銃弾の直撃を食らって死ぬことになる。
弾速は遅い。球体が大きいこともあるし、射出によって装置が破壊されない程度の威力に抑えているためだろう。避けることは容易い。だが十メートル以上離れろと言われると、アクセルブーストを使うしかない。黒いバトルドレスが右手に持った突撃銃から連射された弾丸がシールドに当たって止まる。目の前で止まった弾丸が、一メートルずれていたら致死性のものだということを理解しないわけにはいかない。
「まだ状況は分かんねぇのか! 運営! 聞こえてるんだろうがッ!」
必死に回避、回避、回避、回避! ホワイトナイトから注意を逸らし続けるために大きく逃げることは許されない。一方、至近距離まで接近することもまたできない。奴自身がアクセルブーストを使わないからだ。黒いバトルドレス自体がアンチ慣性無効フィールドを展開している可能性がある。そもそも武装制限が解除されてない状態では、接近したところでできることは……ある!
シールドが無いってなら、ぶん殴れるってことだろうがよッ!
メインブースターで黒いバトルドレスに肉薄する。固めたドレスの拳で殴りつけた。止まる。威力が完全に打ち消される。こいつ自身はアンチ慣性無効フィールドの範囲外だ。黒いバトルドレスが左手に持った銃を真下に向ける。放たれた球体は地面に当たって弾き返されて、俺と黒いダンサーの間に跳ね上がった。
自分をシールド無効空間に置くことも躊躇わないってか!
アクセルブーストは使えない。メインブースターの加速でさえ押しつぶされてしまいそうだ。歯を食いしばってドレスを振りながら距離を取る。数発の銃弾が蓄熱装甲に当たる。数センチずれていたら生身の足を撃ち抜かれていた。
「武装を使わせろッ! こいつを止めなきゃ大勢死ぬぞ!」
すでに犠牲は出ている。瓦礫の下敷きになった人の中には助からなかった人もいるだろう。そしてこいつがシールドを無効化できる以上、バトルアリーナに詰めかけている観客が危険だ。観客はここから逃げ出そうと出口に殺到しているが、出口の容量が圧倒的に足りない。詰まっている。
「国際バトルダンス協会、副会長のディーン・バートンだ。武装制限解除は許可できない」
「なんだって!?」
ステップを踏みながら答える。聞き間違えをしたのだと思った。
「試合以外での武装の使用は許可できない。現状では観客の安全が確保できないと判断した。バトルダンスを行うバトルドレスの攻撃によって一般市民に犠牲が出ることがあってはならない」
「てめぇ、目ん玉ついてんのか! 状況を見ろ! 一般市民の安全が! いま! 脅かされてるだろうが!」
「現在、バベルは多数の所属不明バトルドレスによる襲撃を受け、PMCが対処に当たっている。彼らに任せるんだ。武装制限は解除できない」
「そいつらはどこにいるんだ? メシか? トイレか? ここで、いま、こいつを、食い止めてるのは、俺だろうがッ!」
「戦闘行動は認められない。ただちにバトルドレスを脱ぐんだ」
「脳みそ腐ってんじゃねぇか? 脱げって!? この状況で、バトルドレスを!?」
「プロボクサーはリングの外で拳を振るうことは許されない。ダンサーもまたステージ以外で武装を使うことは許されない。これは協会規定に書かれているぞ」
「クソくらえッ!」
状況を打破する何かが必要だ。何か! 何か! 何か!
「えっ? 卯月ちゃん? どうしてここへ?」
頭の中でひとみの声が響く。がたごとと物音が聞こえる。
「青羽、聞け! 人工島がグリーンアースのバトルドレスによる襲撃を受けている!」
卯月の声に少し安堵する。仲間が無事だと知れるのはいいことだ。
「グリーンアース? どこかで聞いたことがあるな」
「国際テロリスト集団だ。反応炉の普及による温暖化に反対する連中だ」
「だったらテロにバトルドレスを持ち出すなよ!」
いま俺の目の前にいる黒いバトルドレスは放熱板を展開している。つまりその動力は反応炉だ。反応炉に反対するために反応炉を使うとか、核廃絶の為に核保有国に核を撃ち込むくらい出鱈目だ。
「テロリストに道理を求めるな。奴らは世界最大の反応炉、つまり軌道エレベーターを破壊すると犯行声明を出した。頭がおかしい。軌道エレベーターが地上に落ちてきたら、落下圏内は壊滅だ」
回避を意図的に遅らせる。敵に球体を撃たせる。弾倉の大きさからして、装弾数は十発前後と推測。撃ち切らせれば当面の安全は確保できる。追加が来たら――、その時はその時だ。
「それで、落下圏の広さは?」
「最大で地球を二周半」
「は?」
「軌道エレベーターの基部であるカーボンナノチューブの長さはだいたい十万キロメートルだ。もし地球に巻き付くように落ちてきた場合、地球を二周半する長さになる。昨日、ちゃんと説明があったぞ」
「それは――」
もう、被害の大きさが完全に想像の外だ。俺に見えていたのはこのバトルアリーナが精一杯だった。ここの観客を逃がすことを考えていた。地球を二周半、二周半だって? いくらバトルドレスが音速を超えられるとは言っても、遠すぎる。広すぎる。とても手が届かない。
「こいつらは慣性無効装置を無効化する何らかの技術を持っている。軌道エレベーターを支えているのは慣性無効装置だ。軌道エレベーターの慣性無効装置をどうにかされるだけで、軌道エレベーターは吹っ飛ぶ、あるいは落ちてくるぞ」
「なんとかできないのか!?」
「PMCは今のところ持ちこたえているが限界だ。状況を変える切り札が必要だ。いいか。青羽。協会の、国の許可なく、バトルドレスを使えばもう二度とバトルダンスはできなくなる。罪を問われる。世界一位にはなれなくなる。すべてを失うぞ。お前は、どうする?」
口元が歪んだ。考える必要も無かった。答えは初めから心の内側にあった。
「ここで指を咥えてなきゃいけないんなら、そんな世界一位に興味はねぇ! 卯月、俺はなるぞ。世界一位じゃねぇ、世界最強だッ!」
「それでこそ青羽だ! 武装制限解除。行け! 無制限の空を飛んでこい!」
インターフェイスの表示が切り替わる。レッドがグリーンへ。武装制限が解除された。否、それだけではない。バトルダンスを競技として成立させるためにバトルドレスに課されていた全ての制限が取り払われた。いま俺は本物のバトルドレスに乗っている!
踏み続けていたステップのリズムを変える。速く! 強く! アクセルブーストで急接近する。黒いバトルドレスとすれ違う。俺の手には振り抜かれたエネルギーブレードがあった。黒いバトルドレスから蓄熱装甲がいくつも剥がれ落ちる。地面のシールドを蹴りつけるのではなく、押し出して、体を空中に浮かべる。背中から回り、銃口を回避しつつ縦に切り裂く。球体が目の前で発射される。アンチ慣性無効フィールドが展開されて、体がバトルドレスに押し付けられる。だがこの瞬間を待っていた。体を回転させて左手の銃口を黒いダンサーに向けて振る。引き金を引いた。
銃口が火を吹いて、実弾が黒いダンサーを撃ち抜いた。慣性無効フィールドが無ければ実弾が通る! その道理はそっちにだって通用するぜ。体にいくつも穴を穿ちながら、黒いダンサーはバトルドレスごと後ろに倒れ込む。
バトルドレスと一緒に加速していた意識が急速に現実に戻ってくる。呼吸が荒い。脳内麻薬の所為か、仮面の所為か、人を殺したのだという実感は湧いてこなかった。
倒れたまま動かない黒いバトルドレスを覗き込んだ。黒いスーツにはいくつかの大きな弾痕があって、そこから火花が上がっている。電子部品が見える。コードが絡み合っている。これはダンサーじゃない。無人機だ!
「卯月! 敵は無人機だ! 情報上げろ!」
「オンラインだ! 全部、オープンチャンネルに流してる! いまPMCの使ってるIFFコードを掴んだ。転送する」
「それからエリー側のシールドを切ってくれ!」
「同時にやれってかい。ほいきた。同時に三つのタスクまでなら処理できる卯月ちゃんだよー。PMCの通信チャンネルを送ったぞい。企業名はフロントラインサービスだ。味方として割り込みをかけた。同期情報が上がるよ!」
「フロントラインサービス! 聞こえるか。俺は三津崎青羽だ。今から支援に上がる!」
一気に通信が騒がしくなる。あちこちで救援を求める声が上がっている。
「マスカレイドのダンサーか! アリーナの観客は無事か!? 一機、そちらに抜けていったぞ!」
「そいつなら倒した。崩落した天井で観客には犠牲が出てる。いま天井に空いた穴から上がる!」
「倒しただって! 聞いたか、みんな! マスカレイドのダンサーが上がってくるぞ! もう少し耐えろ!」
「卯月、ひとみ、行ってくる」
「都市にある監視カメラをハックして状況は見える。映像越しにはなるが、ひとみが引き続き支援できる。できるよな?」
「精一杯やります!」
「百人力だ。行くぞ!」
「いまシールドを」
「必要ない!」
バトルフィールドに転がっている、奴が打ち出した球体をひとつ掴む。慣性無効フィールドが消える。装置は生きている。俺はそれを持ったままメインブースターで天井に空いた穴に接近する。シールドを突き抜ける。天井の穴を抜けて球体を握りつぶした。外は青空が広がっていた。アメリカ東部のゴールデンタイムに合わせてマスカレイドの決勝が行われるという商業的な理由から、現地時間はまだ昼だ。無数のバトルドレスが飛び交う中に、大きな球形陣を取る黒いバトルドレスの集団が見えた。
「メーデーメーデー、食いつかれた。振り切れない!」
PMCフロントラインサービスのバトルドレスは味方機として表示されている。その通信は右手前方から聞こえた。空をジグザグにカウンターブーストを連発して切り裂いているが、黒いドレスもまたその動きにぴったりと張り付いている。
「いま行く! カウンターブーストを続けろ! 高G機動を取っている間は連中も慣性無効フィールドを無効化できない! 自分のドレスが持たないからだ!」
フルブーストで加速しつつ、追われているそのドレスへのインターセプトコースを取る。その横をすり抜けるのではなく、黒いドレスへの激突を選択。慣性無効フィールドによって相互の慣性は打ち消され、俺たちは接触したまま空中に停止した。
「知ってるか? エネルギーブレードは当て続けると冷却が必要になるより早く相手をオーバーヒートさせられるんだぜ」
相手に押し当てたままのエネルギーブレードが過熱状態になって冷却装置の中に消える。黒いドレスの蓄熱装甲がバラバラと落ちていく。放熱板が真っ赤に灼けだした。だが反応炉の機能停止まではいかない。これはバトルダンスではない。相手の熱量を上げただけで勝利にはならない。
黒いバトルドレスが激しく身を捩り、振り放される。油断した。甘えがあった。これは実戦なのだ。感覚を変えなければ自分が死ぬ。黒いバトルドレスが両手の銃を持ち上げる。アンチ慣性無効フィールドが来る。アクセルブーストはできない。自分で自分を挽肉にしてしまう。右手の銃口にだけ気をつけてドレスを振る。こちらも銃を向ける。激しいダンスになる。無人機のくせにやけに回避が上手い。この回避の仕方には覚えがある。まるでエリーだ。射撃は明らかにフルサポートだが、全体としての動きは半年前のエリーのそれに近い。エリーとの接近戦を経験している俺が言うのだ。間違いない。
俺と踊っていた黒いバトルドレスは急に反転すると、無数の黒いバトルドレスによって構成された球形陣に向かっていく。深追いはできない。あれが全部、半年前のエリーだとしたら?
「卯月、アメリア・キースだ! この事件の裏にはアメリア・キースがいるぞ!」
「ちょっと待て、いや、戦いながら聞け。アメリア・キース、保釈中に消息不明だって!? だがしかし、いや、まさか!」
別の交戦中のPMC機の支援に向かう。敵は球形陣を維持しつつ、攻撃に十機前後を繰り出している。まるで攻撃態勢に入った蜂の巣だ。俺が逃したバトルドレスが球形陣の内側に入ると、別の一機が飛び出してきた。
「少なくとも半年前までのエリーのデータを敵は使ってる! 世界一位のクローンAIが敵だ!」
「その情報、フロントラインサービスには流すな! 士気が落ちる!」
フロントラインサービスのバトルドレスはざっと四十機ほど。それがたった十機前後に翻弄されている。球形陣への反撃に移れるような状況ではない。
「AIならハッキングできないのか!?」
「やってる! でも期待するな! そいつらスタンドアロンかも!」
「明らかに連携してるぞ!」
「活発に通信はしてるが、暗号化されてて解読には時間がかかる!」
PMCのバトルドレスが一機、掃射を受けて落ちていく。アンチ慣性無効フィールドを使われたのだ。四対一でギリギリ保たれているバランスが崩れる。飛び込むしかない。球体が飛んでくる。Gに耐えながらバレルロール。射撃を躱す。すれ違いざまに一閃。カウンターブーストで二之太刀。アクセルブーストで逃げようとする相手をひとみの指示に従って追いすがった。三之太刀!
「青いの、離れろ!」
PMCからの通信! アクセルブーストで距離を取ると、三機のバトルドレスが相互支援射撃を黒いバトルドレスに浴びせかける。レーザー光が瞬いて、黒いバトルドレスが急降下していく。建物に激突するかと思われた瞬間、そいつは平行に飛行を始める。仕留め損なった! 球形陣に戻っていくその機影を邪魔することができない。一機が球形陣の中に入り、一機が飛び出してくる。
「クソッ、キリがねぇ。なぶり殺しにする気だ」
「誰か連中の総数を数えたか?」
「十で数えるのを止めた。百は超えてる」
「そんなん見りゃ分かる!」
荒々しい通信は実に民間軍事会社らしい。
「艦艇の支援は受けられないのか? あんたらを運ぶための空母打撃群がいるだろう?」
「空母なんてあるわけないだろ! ましてや打撃群とか冗談きついぜ。俺たちの母艦はオンボロ駆逐艦が一隻だ。しかも今頃は海底と仲良くパーティ中ときたもんだ」
「まさか、いや、現代の軍備はシールドがあることが前提だから装甲はそんなに厚くないのか?」
「シールドが崩れるってことは世界のパワーバランスが崩れるってこった。そら、次が来たぞ!」
近接型の俺は他のバトルドレスとの連携に向いていない。俺自身が集団戦の経験が無いということもある。
「あいつは俺が単独で相手する。どこかの小隊の支援に行ってくれ」
「できるのか?」
「俺は世界最強のダンサーだぞ」
「おい、誰かあの青いのが生き残るか賭けようぜ」
「あいつが持たなきゃ全滅だ。生き残る方に全財産だ」
「賭けになんねぇよ。そら、行くぞ!」
三機が離れていく。それを追いかけようとした新たな黒いバトルドレスの前に躍り出る。間髪入れずに飛んでくる球体。アクセルブーストで回避。レーザーで牽制。実弾は限りがある。無駄にできない。カウンターブーストで接近。エネルギーブレードを振る。カウンターブースト! カウンターブースト!
全制限を解除されたことで、俺のバトルドレスの熱量限界は大幅に引き上げられた。バトルダンスはスポーツだ。熱量は安全に安全を重ねられたラインを敗北ラインに設定している。実戦上のバトルドレスの熱量限界は遥かに高い。だから、カウンターブーストをこんなに重ねられるッ! 斬って! 斬って! 斬って! 斬った! 二本のエネルギーブレードを使い切る。エネルギー残量はギリギリだが――。
黒いバトルドレスの背面から炎が上がる。反応炉が耐えられる熱量限界を超えたのだ。
落ちる。炎を吹き上げながら黒いバトルドレスが落ちていく。そして地面に激突してグシャリと潰れた。
「2機目!」
「マジかよ。あの青いのがやったぜ!」
「見たか、あの動き。どんな動体視力してやがるんだ」
「よそ見をしてる暇は無いぞ! 攻撃を集中しろ!」
「クソッタレ! 二機出てきたぞ! 新しく二機だ!」
俺は管制室へと呼びかける。
「どう思う。敵はなぜ球形陣を維持している? 数の利は向こうにある。一気に叩き潰しにくればいいはずだろう?」
「しない、ということは、できない理由があるんだ。でも分からない。情報が足りない。もう少し時間をくれ。必ず突き止める」
新たに球形陣から出てきた二機は真っ直ぐに俺に向かってくる。相手をするにはエネルギーが足りない。ドレスを振って回避しながら、熱量とエネルギーを回復させる。二機を相手にする訓練なんて積んでいない。ひとみの神がかり的な指示があって、なんとか凌げているが、そう長くは持たない。
なんて泣き言は言わないぜ。
こいつが半年前のエリーだって言うなら、俺はよく知っている。その攻撃タイミングさえも。
黒いバトルドレスが球体を撃ち出そうとしたその瞬間、実弾を撃ち込む。球体は撃ち出した瞬間からもうアンチ慣性無効フィールドを展開しているのは確認済み。このタイミングならそっちが一方的に実弾を食らうぜ。
黒いバトルドレスは実弾によって打ち砕かれ、落下していく。とは言え、このタイミングを掴めるのは俺くらいのものだろう。
「三機目!」
「今の攻撃見たか? 誰か真似できるか?」
「撃ちまくればそのうち上手く行くんじゃねぇか?」
「馬鹿野郎。そんなに実弾が持つか。一分で撃ち切っちまう」
「戦線維持に集中しろ! 青いのが数を減らしてくれる!」
「だがあれだけの数を削りきれるのか!?」
「やれなきゃみんなおしまいだ。祈れ。日曜日に礼拝でやるようにさ」
「俺は無神論者だ。青いの。一機ごとにビールを一ダースだ! グロスでもいい。頑張ってくれ!」
「俺は未成年だ」
「「「「マジかよ!」」」」
もう一機も球体を撃ち出そうとしたところをカウンターで撃墜する。
「四機目!」
「今度は三機だ! やれるか、ブルーエース」
「やれるさ」
三機ならなんとかなる。なんとかしてみせる。だがこの調子で増えていくのだとしたら、必ずどこかで破綻する。状況を引っくり返す一手が必要だ。
狙いを絞らせないためにメインブースターで踊る。天地を忘れる。ああ、広い。広いなあ。口の端が持ち上がる。三機の世界一位から狙われながら、俺は笑う。楽しい。不謹慎だと言われようと、不遜だと思われようと、楽しいという事実は変えられない。
だけど本当ならもっと楽しかったはずなんだ。お前ら程度じゃ相手にならないような、そんな楽しい相手と踊るはずだったんだ!
「上へ! 青羽!」
呼応してアクセルブーストした俺の影を貫いて、光弾が黒いドレスを撃ち抜いた。球体を撃ち出した完璧なタイミング。俺以外にこんな真似ができるとすれば!
「エリー!」
「遅くなった。ドレスを交換してた」
バトルアリーナの天井に立ったホワイトナイトは武装が一新されている。砲身の長い、あれはカタログで見たな、電磁投射砲だ。威力も射程も物凄いが、どちらもバトルフィールドで使うにはオーバースペックだった。だがこの広い戦場でなら、その威力も射程も存分に利用できる。
「馬鹿。お前までダンサーの資格を失うぞ」
「もう遅い。あなたを失うよりずっといい」
「まるで告白だ」
「そのつもりだよ?」
「あ゛ーッ!」
エリーの言葉は卯月の叫び声に掻き消される。
「急に叫ぶな。どうした卯月」
「どうしたもこうしたもあるかぁ! 実戦中だぞ! 青羽も! エリザベス・ベイカーも! 前を見ろ! 二機残ってるんだぞ!」
「こっちも二機だ。負ける道理がねぇよ」
慣性無効フィールドは物体の運動エネルギーを熱量に変換してゼロにする。通常の口径の実弾程度なら大した熱量上昇ではない。実戦では実弾兵器はあまり有効ではないとされてきた。実際PMCのバトルドレスもほとんどがレーザーしか装備していない。だが例外が大口径電磁投射砲のような、質量の大きい弾体を超高速で相手にぶつける兵器だ。大きすぎる運動エネルギーを吸収したその熱量上昇は――。
エリーの電磁投射砲の直撃を食らった黒いバトルドレスがバッと燃え上がる。シールドがあってもこの威力だ。流石に制限解除されたバトルドレスを一撃で落とせるほどではないが!
蓄熱装甲を失いながら逃げようとするその黒いバトルドレスにアクセルブーストで接近してエネルギーブレードで斬りつける。黒いバトルドレスは炎を吹き上げて落下していく。
「順番、逆のほうが良くないか?」
「私一人でも二回当てられる」
「俺が斬るから、その後で射撃な?」
「それでもいい」
「よし、決まりだ」
そんなことを言いながら残った一機にジグザグに接近して、エネルギーブレードで斬りつける。いつもならカウンターブーストで二之太刀を当てるところだが、そのまま離脱。直後、電磁投射砲の弾体がそいつに直撃する。燃え上がった黒いドレスが落ちていく。シールドを抜くんじゃなければ結局は熱量の問題だから、順番はどっちでもいいっつー話だ。
「あれはホワイトナイトだ」
「エリザベス・ベイカーが出てきたぞ」
「世界一位と肩を並べて戦ったってか。かあちゃんに自慢できるぜ」
「お前の母親は鬼籍だろ。止めろ。縁起でもない」
エリーが戦場を蹂躙する。電磁投射砲の射程は広い。人工島上空、戦域全部が射程に入る。バトルアリーナの天井に張られたシールドを足場にしつつ、他の小隊の支援ができる。
アクセルブーストなどを多用してすでに熱量の上がっていたバトルドレスでは電磁投射砲の威力に耐えられない。次々と落ちていく。
「行ける。行けるぞ!」
「我らが勝利の女神に栄光あれ!」
「反撃開始だ!」
「待て、やべぇ、十、いや、二十か。連中、エリザベス・ベイカーを仕留めに来たぞ。全機、彼女を守れ!」
二十機ほどの黒いバトルドレスが真っ直ぐにエリーに向かってフルブーストで加速していく。インターセプト! 数機のドレスの銃口がこちらを向いた。そのうち一機にカウンターで射撃を当てつつ、アクセルブーストで球体を回避。カウンターブーストですれ違いざまに斬ったうちの一機にエリーが電磁投射砲を当てる。俺が斬ったのは三機だが、射撃間隔のために撃ち落とせたのは一機だけだ。残り二機は離脱コースに入る。PMCのバトルドレスがレーザーを集中させ、さらに一機が離脱。すれ違いざまにカウンターブースト。集団の中に飛び込む。エネルギーブレードを交換して、さらに三機に当てる。うち一機をエリーが撃墜。残り二機は離脱コースへ。
集団の銃口が一斉にエリーに向けられる。間に合わない!
「ここだッ! 全機、上がれぇ!」
聞き馴染みのある声に合わせてバトルアリーナの天井に空いた穴からバトルドレスが次々と飛び出してくる。色とりどりの、ああ、まったく実戦向きじゃないバトルドレスの数々。実弾系の武装を山盛り抱えて一斉射撃しながら飛んできたのは――!
「瑞穂!」
「遅くなったな。青羽。コンテナ詰めになる直前のドレスを引っ張り出してきたぞ。全機、対慣性無効フィールド装置を撃たせるな。弾幕を張れ!」
エリーに向かっていった黒いバトルドレスの集団に、バトルアリーナの上に布陣した十五機のバトルドレスから弾幕が吹き上がる。奴らはあの球体を撃てない。撃てばその瞬間、自分が破壊されるからだ。弾幕は確かに牽制として機能している。その合間に放たれる電磁投射砲が確実に敵戦力を削いでいく。
敵はエリーへの攻撃を諦め、球形陣に戻っていく。
エリーが電磁投射砲で追撃を仕掛けるが、熱量の低いバトルドレスが盾になって攻撃を防ぐ。球形陣の中に逃げ込まれた。構わずエリーが電磁投射砲を撃つ。球形陣の外周を構成するバトルドレスが自ら弾体に突っ込んで攻撃を受け、中央に下がる。そして中央にいた熱量の下がったバトルドレスが外周に出てくる。
「どうする? 一番ヤバいのは全機でそのまま突っ込んでこられることだぞ?」
防御陣形を維持したまま突っ込んで来られるのが一番ヤバい。バトルドレスだけなら逃げられるが、その背後には観客が満員のアリーナがあるのだ。
「いや、それはないでござるな」
「おっ、調子が戻ってきたな。卯月」
「これまでの敵の行動パターンを分析したでごさるよ。熱量の上がった機体が陣形の内側に入り、熱量の下がった機体が陣形の外側に出てくる。このパターンに参加していない機体が一機あるでござるな。通信量も圧倒的に多い。こいつが指揮官機でござる。データを送る!」
球形陣の中央付近にいる一機の黒いバトルドレスにポインタが付く。
「こいつを落とせば敵の連携は乱れるはずでござるよ!」
「聞いたな! 一斉射撃だ。あいつを落とせ!」
エリーを除く十四機のバトルドレスが空中に舞い上がる。PMCのバトルドレスも一緒になって球形陣の奥深くを目掛けて集中砲火が浴びせられた。球形陣がさっと陣形を変える。指揮官機を守るように黒いバトルドレスが盾になって射撃を受ける。熱量の上がった黒いバトルドレスが次々と後ろに下がっていくが、その後から後から別のバトルドレスが盾となって現れる。
「駄目だ。敵の数が多すぎる! 残弾では削りきれない。射撃中止だ!」
瑞穂の指示で全機が射撃を中断する。間隙が生じた。こちらは攻め手が無い。向こうは立て直したい。こちらはマスカレイド本選出場者十四名が新たに加わったが、依然として数の利は敵にある。立て直されたらキツい。今だ。今やるしか無い。敵がこちらの射撃を味方を盾にして防ぐのであれば、直接指揮官機を叩く。それしかない。百機くらいいる敵集団を突っ切って、最奥にいる指揮官機をぶっ潰す。面白いじゃないか。世界最強の名に相応しい。
「駄目だ。青羽!」
卯月の声が頭の真ん中で響く。
「お前が何を考えているのかなんて分かるぞ。計算した。お前なら指揮官機を倒せる。そこまでは行ける。だが離脱は不可能だ。死なないでくれ!」
「死ぬ気はねぇよ。指揮官機は落とすし、ちゃんと帰ってくる。生きて帰ってくるから世界最強なんだ。行くぞッ!」
フルブーストで形の崩れた敵集団に突っ込んでいく。ほぼ同時にフルブーストしたバトルドレスが一機。赤い色のバトルドレス。瑞穂だ。
「私は止めない。一緒に行こう。ブルー」
「行こうぜ、トンボ。俺たちの空だ!」
黒いバトルドレスたちの銃口が一斉にこちらを向いた。
青と赤のバトルドレスが黒いバトルドレスの集団に突っ込んでいく。連続するカウンターブーストで、まるで雷雲を切り裂く稲妻の如く、駆け抜けていく。雨のごとく降り注ぐのは慣性無効フィールドを消してしまう球体の数々。全方位から発射されたそれを、撃ち落とし、回避し、時にすれ違う。瞬間的にフィールドが消え、俺の体はバトルドレスのシートに強く押し付けられる。意識が遠のく。蓄熱装甲が銃弾を弾いた。流石、おやっさん、いい配置だ。こんなことになるとは思ってもみなかったはずではあるが。目の前にインターセプトしてきた黒いバトルドレスに、遥か後方から超高速で飛んできた電磁投射砲の弾体が命中する。エネルギーブレードで斬り裂く。こちらに左手の砲を向けた黒いバトルドレスに射撃。球体を発射した直後だった黒いバトルドレスが被弾して落下していく。止まらない。止まれない。止まれば死ぬからだ。
敵集団の半分を超えた。瑞穂が敵を半分引き付けていてくれるお陰で、熱量にもエネルギーにも余裕がある。だがそれは俺だけの話だったようだ。瑞穂のバトルドレスの放熱板は真っ赤に灼けて、蓄熱装甲も残り少ない。戻るにはあまりにも深く切り込みすぎた。
「あと半分だ!」
敵集団を抜けてしまえば、瑞穂はそのまま離脱すればいい。指揮官機は俺一人でも倒せる。
「振り返るな。楽しかったよ。青羽」
カウンターブースト! 前へ。俺は止まらない。瑞穂が振り返るなと言ったのだから、振り返らない。俺に対する敵の圧が減る。瑞穂が何かをやったのだ。だがそれが何かを知る術は俺には無い。
ドレスをぶん回し、とにかく前へ! 撃って、躱し、斬り裂いて、カウンターブースト! 一瞬も止まらない。同じ場所には戻らない。最後の蓄熱装甲が剥がれ落ちていく。だが制限解除されたバトルドレスの熱量限界はまだ先だ。とは言えもうアンチ慣性無効フィールド圏内で射撃を食らうわけにはいかない。研ぎ澄まされた日本刀のように鋭く、細い糸を手繰るかのように繊細に、燃え盛る炎のように激しく、俺は飛ぶ。
敵集団を抜ける。目の前にはポインタが付いた黒いバトルドレス。アクセルブーストで俺から逃れようとするが、こっちはもう勢いが付いてんだよ。斬る。カウンターブースト。斬る。カウンターブースト。斬る。カウンターブーストしながらエネルギーブレードを交換。斬る! カウンターブーストで逃げようとする指揮官機を追いかける。敵の奥に突っ込みすぎてもはやひとみからの指示は無い。ここにはもう俺一人だ。指揮官機はフルブーストに切り替えた。こちらもフルブーストで追いすがる。熱量がぐんぐんと上がる。いま表示されている熱量限界はバトルダンスの敗北ラインではない。事実上の反応炉の耐久限界だ。これを超えれば反応炉の融解、あるいは爆発も起こりうる。生きるか死ぬかの限界ラインだ。このままでは逃げられる。
届かないなら、踏み越えろ!
全リミッターを解除する。熱量限界を超えて先に放熱板が融け出した。熱誘導技術を以ってしてもダンサーへの熱の伝達を止められない。全身が焼けるように熱い。歯を食いしばって痛みに耐える。
指揮官機はブースターを振って俺から逃れようとする。追いすがる。俺にはひとみのような未来予測能力はない。ブースターの向きが変わるのを目で見て対応するしか無い。十分の一秒の遅れは致命的だ。百分の一秒、追いつかない。千分の一秒! 見て考えて向きを変えていては間に合わない。見た瞬間にはもう向きを変えている。そんな反応速度が必要だ。
しかしそれでも届かない。人間の反応速度には限界がある。目に届いた情報を体に伝える電気信号の速度に限界があるからだ。振り切られる!
なんて弱音を吐いていられるかよッ!
諦めない。届かないなら、また一歩踏み出すだけだ。
越えろ! 一秒前の自分自身をッ!
限界を、越えろッ!
一度は遠ざかった指揮官機との距離が詰まっていく。
指揮官機がカウンターブースト! 進路を変える!
同時に俺もカウンターブーストを行っていた。
なぜ反応できたのかは自分でも分からない。未来が見えたわけでもない。なにかに踏み込んだという感覚だけがあった。
超音速で交錯する。エネルギーブレードを振り抜いた。膨大な熱量を与えられ、指揮官機は一気に燃え上がった。炎を上げて指揮官機が落ちていく。次の瞬間にはもう指揮官機などどうでもよくなっていた。
「瑞穂ッ!」
慣性無効装置を使って停止。振り返る。それがいけなかった。止まってはいけなかったのだ。俺の目の前には球体。俺を追いすがってきていた黒いバトルドレスから放たれたものだ。同時に実弾射撃も重ねられている。アクセルブーストするには球体が近すぎる! すでにアンチ慣性無効フィールドの範囲内だ。アクセルブーストすれば死ぬ。
でもやらなきゃ死ぬんだろうがッ!
アクセルブースト!
死ぬ気なんてない。俺が死なずに、球体も射撃も避けられるギリギリの出力調整。フルマニュアルでなければできなかった。そしてそれでも骨が歪む音を聞いた。ドレスの固定具に体が押し付けられ、脳へ血液が届かなくなって視界がブラックアウトする。真っ暗になった世界で俺はドレスをぶん回す。視界を失う前に見た光景から、敵の射撃位置を予測し、それを回避する。
ひとみの未来予測ほど上等なものじゃない。こいつらがかつてのエリーだと言うのなら、その動きは手に取るように分かる。ただそれだけだ。
球体を回避したおかげで慣性無効フィールドが有効になって、体にかかる負荷も消える。視界が戻ってくる。
「ひとみ! 瑞穂はどうなった!」
「姉さんは停止して敵の注意を引いて、それで!」
フロントラインサービスとは味方機として同期されているが、後から上がってきた瑞穂たちマスカレイド参加者たちは同期されていない。機体情報もバイタルもこちらでは拾えない。
「落ちました。私がしっかり見てサポートしていれば! 私はッ!」
「青羽、ひとみは無理だ。サポートできない。どちらにせよ、ハックした都市圏のカメラではお前を視認することは難しい。一度戻れ。そのドレスももう限界だ。予備を組み立ててもらってる。乗り換えろ!」
「分かってる! でも瑞穂のところに行かないと!」
「敵を引き連れてか? 秋津瑞穂のところには救援を向かわせた。今は自分のことに集中しろ」
「分かった」
敵の球形陣はもはや崩れて意味を成していない。俺と瑞穂で切り裂き、指揮官機を落としたからだ。黒いバトルドレスたちは連携を欠いて、バラバラに目標を定め攻撃しようとしている。俺に向かってくるのは二十機前後か。忘れてはいない。こいつらは単独でも半年前のエリーと同等の性能なのだ。放熱板が半分溶け落ちた俺のバトルドレスでは戦えない。
と、思うよなァ!
要は熱量の上昇をこれまでの半分に抑えりゃいいんだ。
半年前のエリーだと? 半年前の俺でも勝てた相手じゃねーか!
俺は秒ごと強くなってるぞ。指揮官機のように逃げ回られちゃ厄介だが、向かってくるなら好都合だ。
一番近い敵に向けて真正面からアクセルブースト。敵は球体を撃とうとする。連中は実弾兵器しか持っていない。アンチ慣性無効フィールドを使うことが前提の装備だ。そうだ、と、分かっているのならッ!
先に引き金を引いたのは俺だ。敵を狙う? そんな大雑把なものじゃない。狙うのは点だ。反動を完全に制御して、弾丸を一点に集中させる。球体を撃ったばかりのその黒いバトルドレスの腕が吹き飛んだ。
「貰ったぜ」
落下するその大口径の銃を奪い取る。そっちが使って、こっちが使っちゃいけない理由は無いよなあ?
だがその銃はオンラインにならない。当たり前のことだが、奪われた場合に使えないようにロックがかかっているのだ。でもよ、そんなことは想定内だぜ。
「卯月ィ!」
「もうやってる!」
流石、三つのタスクまでなら同時処理できると豪語するだけのことはある。
「最新兵器の割には認証システムが現行と変わらないんじゃお粗末さんでござる!」
ドレスのシステムにアンチ慣性無効フィールド発射装置が同期される。
「貫くもの。中二をこじらせてやがんな」
ブリューナクの残弾は七。複合突撃銃の実弾残弾は三二。予備の弾倉はもう無い。となりゃ!
「奪いながら戦うしかないな」
「戻れって言ったよねぇ!?」
「戻るにしたって敵中突破だ。戦う手段は必要だ」
熱量が下がるのが遅い。放熱板の損傷が大きい。この状況下ではエネルギーブレードは使えない。与える熱量も大きいが、ブレードそのものも大きく発熱する。それを受け止めるだけの余裕はもう無い。ブリューナクと実弾武器の組み合わせが最適解だ。適応しろ。戦い方を変えろ。
ブリューナクの弾速は遅い。遠距離からだと余裕で躱される。半年前のエリーでも中距離なら避けるだろう。直接当てる武器ではないものの、大空の広さに比べたらアンチ慣性無効フィールドは広いとは言えない。残弾が心許ないこともあって至近距離で撃つしかない。
しかし自分で使う側に立ってみればとんでもない欠陥兵器だ。トリガーと同時にスイッチが入る仕組みのようだが、発射の瞬間、自らの慣性無効フィールドが無効化されてしまう。発射から十分の一秒遅らせて起動するようにするだけで安全性はかなり上がると思うのだが……、そう考えてから、もしもそんな仕様だったら俺相手では有効ではないな、と気が付く。至近距離に張り付いて安全圏を確保できる。
アメリア・キースは半年前の俺とエリーの試合を見たはずだ。この兵器を俺に向けて使う場合を考えたに違いない。どうせ運用するのは無人兵器なのだ。損耗しても痛手は少ない。
そんなことを考えている間に二機を撃墜。複合突撃銃を捨て、黒いバトルドレスの使う実弾突撃銃に持ち替え、さらにブリューナクも入れ替える。
敵は半年前のエリーのデータを使っているせいで、空中戦での反応が鈍い。エリーはずっと地面に足をつけた砲撃戦を得意としてきた。高速機動戦闘ができなかったわけではないが、データは少ないはずだ。
「空中戦だ! 足を止めさせるな! 引っ掻き回し続けるんだ! こいつら空中戦は苦手なはずだ!」
「アホ抜かせ! その空中戦で敵わねえんだよ!」
フロントラインサービスの誰かがそう叫ぶ。フロントラインサービスに限って言えば、さっきまでは四対一でなんとか均衡が取れていた戦いが、敵が球形陣を放棄したことによって、その均衡が崩れていた。指揮官機を倒したことによって敵がなだれ込んできてしまったのだ。
それでも俺と瑞穂とエリーでかなりの数を損耗させたおかげで、なんとか持ちこたえている。マスカレイドのダンサーたちが頑張ってくれている。
「卯月、味方を全部同期できないのか!?」
「今やってるとこなんだよぉ! マスカレイドは一対一だから味方機の設定されてないし、そこから弄らなきゃいけないんでござる! 通信してるだけでも驚くところだよ!」
「頼む。味方の生存率に影響するんだ」
「分かってるけど、急かしても早くはなんないよ!」
さらに三機を撃墜。卯月の戻れという声には応じたが、正直なところ厳しい。追いかけてくる敵バトルドレスを振り切れそうにないからだ。放熱板が半分以上失われている以上、長時間のフルブーストは使えない。瞬間最大速度はともかく、長距離移動速度では敵に遥かに劣る。
このまま全部倒したほうが楽なんじゃないかなあ?
それもあくまで比較すればの話だ。アンチ慣性無効フィールドを使った戦いは神経を削る。肉体的にも限界が近い。体中が痛みを訴えている。直接的な負傷こそないものの、バトルドレスを高温でぶん回したせいで、あちこち火傷を負ったようだ。痛みが集中力の邪魔をする。すでに五機を落としたが、途中で危うい場面はいくらかあった。
バトルダンスの試合には一時間という時間制限があるから、こんな長時間戦い続けるような訓練はしていない。一時間で体力も精神力も使い切るように訓練してきたのだ。戦い方がそれに慣れすぎている。
アクセルブーストでブリューナクを回避。メインブースターで避けるのが難しくなってきた。俺が鈍ったのか、相手が鋭くなったのか。判断がつかない。判断できないことがヤバい。自分の状態すら分からなくなってきているということだ。つまりそれは俺が鈍ってきているということの証左に他ならない。おう、答えが出たな。だがどれくらい鈍ったのかまでは分からない。できると思っていることができなかった、その瞬間に俺は死ぬ。
敵の数は減らしている。その分だけ楽にはなっている。俺が鈍くなっている分とで、ちょうどバランスが取れている。このせめぎ合いを、俺の方に傾けるッ!
踏み込め!
なんとなくで感じているその領域。気合だとか、集中だとか、そういった範疇とはまったく違う。在り方の変化へ。
視界が広がる。今まで見えていた戦場とはまったく異なるものが見えた。
俺を半包囲しようとする敵の中に突っ込んでいく。十字砲火が俺を襲う。ブリューナクを避けて、振り返る。敵の撃ったブリューナクが別の敵を掠める。そうなるように移動した。だからもう射撃している。敵の攻撃すら利用する。戦場を支配しろ。ここで働くすべての力を使え!
一度の交錯で、俺を追っていた敵の半分が落ちた。ほとんどは俺自身の攻撃ではなく、敵の攻撃を利用した形だ。
掴んだ。
一線を踏み越えた感覚があった。
「おい、ブルーエースの今の動きを見たか? 理解できたか?」
「無理を言うな。ありゃニンジャってやつに違いない」
「よそ見してくっちゃべってる余裕があるなら俺の援護をしてくれ!」
フロントラインサービスの面々がワーワーやっている間に、残りの敵も落ちる。ひとまず俺を追ってくる敵はいない状況だ。
「悪いがお色直しの時間だ。俺はドレスを着替えるから、その間はなんとか持ちこたえてくれ」
「お客さんはアンタをお待ちだ。あんまり待たせてくれるなよ」
「ダンサーは手早く着替えるものさ」
崩落した天井の穴からバトルアリーナに飛び込む。中にはまだ人が残っていて驚いた。純粋に避難が完了していないということもある。だが自分の座席に残ってPAをじっと見つめている観客も少なくない。彼らは俺がバトルアリーナに帰還したのを見ると歓声を上げた。
手を振りたい衝動にかられたが、まだ戦闘中だ。気持ちを緩めるな。
待機室への通路に飛び込む。その中で慣性無効装置で止まる。待機室の中は騒然としていた。机や椅子で奥の通路側へバリケードが敷かれている。
「こりゃ一体何の騒ぎなんだ」
「青羽! お前は気にしなくていい! 太刀川のお嬢ちゃんの言う通り予備のバトルドレスをセットアップしたが、その状態で飛べるのか?」
「飛べる。今が最高のコンディションだ」
「自分のバイタル見えてねぇのかよ」
見えてないわけがない。自分のバイタルをチェックするのはダンサーの基本だ。血圧は高く、心拍数は異常なほどに多い。体温も三八度を超えている。バイタルでは読み取れないが、あちこち火傷していて、おそらく骨も何本かイカれている。
「問答は全部終わってからだ」
ドレスを開放、吐き出された俺の体は地面をきちんと踏みしめることができない。おやっさんに肩を借りて新しいバトルドレスに押し込まれた。
「いいか、青羽。さっきまでとはセットアップが違う。放熱板の面積は二倍近い。各種ブースターの出力も上がってる。被弾しやすく、扱いにくい。若葉ちゃんがどうしてもこの方向性でセットアップしろと言うからそうしたが、実戦向きとは言えないぞ」
「若葉がそういうのなら、それが一番俺の性能を引き出せるのさ」
「いいスか。今の青羽さんに合わせたセットアップになってるッス。一瞬でも緩めば振り落とされるッスよ」
「お前も大概無茶言うよなあ」
「青羽さんを信じてるッスから」
「そう言われちゃ応えるしかないよな。行ってくる」
「行ってらっしゃいッス」
「おう、行ってこい。後のことは心配するな。お前は飛びたいように飛んでこい」
待機室でブースターに点火はできない。みんなを黒焦げにしちゃうからな。俺はドレスを走らせて通路からバトルアリーナに飛び出す。そこでブースターに点火。舞い上がる。歓声を背に受けて、戦いの空へ!
バトルアリーナを飛び出した俺は戦場を確認する。卯月による各バトルドレスの同期は終了したようだ。表示される味方の数が増えて、機体、バイタルともに問題のない機体はスタックされている。状況は乱戦。敵味方が入り混じり、大空を縦横無尽に駆け回っている。
そのど真ん中を目指して突っ込んでいく。バトルドレスとブリューナクと銃弾の飛び交うその中に飛び込んでいく。鎧袖一触。俺が駆け抜けた後に、敵は残らない。俺の撃った弾も、敵の撃った弾も、味方の撃った弾も、全部利用する。この空は俺のものだ!
「あれがマスカレイドダンサー」
「冗談言うな。それなら俺たちはどうなるってんだ。あれはもうまったく別の次元のなにかだ」
「そんなに速くないってのに、動きに引っ張られる!」
「当たった! 俺の弾が当たった! ざまあみろ!」
通信も味方のコンディションを知る情報だ。一言一句聞き逃さない。限界の近い味方を優先的に援護する。武器を次々と持ち替えながら、落とす、落とす、落とす!
ピリッと違和感が走る。次の瞬間、敵は一斉にカウンターブーストで上昇。四機ごとに小隊を組んで襲いかかってくる。なるほど、今の俺に対抗するには統制射撃が必要だ。だけどよぉ、こんな動きができるってことはッ!
「卯月ッ!」
「掴んだ! 南西方向、洋上だ! ポインタ送った!」
指揮を執ってる誰かがいなきゃ無理だよなぁ!?
「ここはみんなに任せた! 俺は親玉をぶっ飛ばしてくる」
「行ってこい。ブルーエース。お前に任せる!」
行き掛けの駄賃代わりに敵一個小隊を蹴散らして、俺はポインタに向けて飛ぶ。浮遊人工島の領域を越えて洋上へ。味方の艦船が撃沈された今、洋上で落ちれば救援は来ない。だが恐れはない。落ちなきゃいいだけだ。
レーザーが来る。見える。見えるわけがない。見えた瞬間に当たっているのがレーザーというものだ。だがアクセルブーストで移動した俺が一瞬前までいた空間をレーザーが薙いだ。バトルドレスのものより遥かに高出力なそれは、食らえば蓄熱装甲の全損で済めば御の字というほどのものだ。
怖がっているな。そう、思った。今の攻撃には恐れが混じっている。そうだ、俺がお前らの死神だ!
レーザーを撃ってこれるということは、お互いに視線が通っているということだ。ポインタが示す洋上、黒い影。潜水艦だ。ハッチが次々と開き、真上に打ち上げられた無数のミサイルが俺に向けて進路を変える。レーザーによる迎撃や、シールド技術の発展により現代戦ではあまり有効とされなくなったミサイルだが、敵の技術力を考慮すればその有用性は簡単に想像がつく。ミサイルの弾頭にアンチ慣性無効フィールド発生装置が備え付けられているんだろう。なるほど、軌道エレベーターを攻撃する本命はこのミサイルかッ!
ではミサイルは俺のほうを向いたのではない。軌道エレベーターを向いたのだ。なら一発だって見逃すわけにはいかない。レーザーによる迎撃が当たり前になってミサイルというものはAIを搭載され回避行動を取るようになった。無数のミサイルはそれぞれがバラバラの軌道を描いて飛来する。足を止めなければ狙い撃つのは難しい。だが止まれば潜水艦からの高出力レーザーが俺を狙い撃つだろう。回避行動を取りながら、全てのミサイルを迎撃しなければならない。
意識を集中する。射撃サポートでは追いつかない。フルマニュアルで対応するしかない。
どぷん、と、粘性の強い液体の中に沈み込んだような感覚があった。体が重い。動きが遅い。だが遅くなったのは俺だけではなかった。ミサイルの動きも遅い。思考の加速に世界が追いついてこれないのだ。
もっと深く、深く、深くへ!
ミサイルの側面から姿勢制御スラスターが火を噴くのすら見える。ひとつの、ではない。同時に三つのミサイルの行方が分かる。最適解ではない。全てのミサイルを把握したわけではない。だが移動方向が分かっているミサイルの軌道を追うことは容易い。
三点バーストで放った弾丸はそれぞれが吸い込まれるように別のミサイルに突き刺さった。反動を利用して目標を変えたのだ。近年のミサイルはシールドを張っているものだが、こいつに限ってはそうではない。ブリューナクを展開している以上、自らもシールドの恩恵に与ることができないのだ。つまり実弾が通る。
被弾したミサイルが大爆発を起こす。前方へ指向性の強い爆発だ。やはりこれは軌道エレベーターの破壊を狙ったミサイルだ。
次、次、次、次、次ッ!
爆煙で視界が覆われる。そこを突き抜けてくるミサイルに実弾を撃ち込む。ミサイルの総数は半減したが、処理が追いつかない。抜けられるッ! 潜水艦に背を向ける。反転する。アクセルブーストでミサイルに追いすがり、全て撃ち落とす。
振り返ると、いつの間にか潜水艦の上に巨大な影があった。ミサイルは時間稼ぎだったのか。それは漆黒のバトルドレスだ。だが、大きいッ! 全身を装甲に包まれたそれは俺のバトルドレスより遥かに大きい。見覚えがあった。俺はこのシルエットを知っている。
「骨董品だッ!」
それは十年前、あの公園でトンボとゲームで遊びまくっていた頃のバトルドレスだ。当時はシールドがレーザーを吸収することしかできず、実弾は装甲で防ぐしかなかった。ああ、そういうことか。アンチ慣性無効フィールドのある世界とは、つまり十年前への回帰だ。新たな戦場に最適なバトルドレスとは全身を装甲で包んだ十メートルほどの巨体となるわけだ。
「よくもここまで追い詰めてくれたな。こいつが骨董品かどうか。その生命で確かめさせてやる。三津崎青羽!」
漆黒のバトルドレスから女の声。通信ではない。スピーカーによるものだ。相手は俺の名前を知っているようだが、聞き覚えのない声だった。だが疑問を感じることはなかった。自然と誰だか判る。十年前の型のバトルドレスを乗りこなせそうな心当たりは一人しかいない。すなわち十年前にマスカレイドに出場した……。
「アメリア・キース!」
「よくもまあ何度も何度も何度も何度も、私の邪魔ばかりしやがってッ!」
「いや、そんなに何度もじゃないだろ。二回くらいじゃね?」
「そんなこたァどうだっていいんだよ! ここで殺すッ! いま殺すッ!」
アメリア・キースがふわりと舞い上がる。そこに突撃銃で銃弾を浴びせかける。いくら装甲をガン積みしているとは言っても隙間は必ず存在する。今の俺なら狙い撃つくらいのことは容易い。
しかし銃弾は椀部の隙間に吸い込まれてそこで停止した。そりゃそうだよな。十年前そのままの骨董品を持ってきたはずもない。現代技術をふんだんに使った巨大バトルドレスというわけだ。
アメリア・キースの装備はブリューナクと実弾突撃銃だ。人工島を襲った黒いバトルドレスと変わらない。だが実弾突撃銃の口径は大きく、アンチ慣性無効フィールド内で食らえば現代戦用の蓄熱装甲では貫かれるかもしれない。
「新しい戦場というものを見せてやるッ!」
アメリア・キースが吠えるが、そんなのは関係ない。
食らわなきゃいいだけだッ!
絶死の火線を回避しながら接近する。漆黒のバトルドレスは図体がでかい分、小回りが利かないようだ。アクセルブーストを躊躇う気配。感じるぞ。
ビビったな? アメリア・キース!
俺がブリューナクを撃つことで自身がアンチ慣性無効フィールドに収まることを考えて、アクセルブーストを躊躇った。
ブリューナクを脚部ハードポイントに収め、側面に回り込みエネルギーブレードを振るう。カウンターブーストでもう一撃。こちらがブリューナクを下げたことに対応してだろう。アメリア・キースはアクセルブーストで距離を取ろうとする。いい反応だ。さすが元マスカレイドダンサー。だが引退してどれだけ経った? 鈍いんだよ! 現代の超々高速戦についてこれるほどじゃねぇ!
俺も同時にアクセルブーストしている。最速で逃げたつもりだったろう? それなのに張り付かれたままというのはどんな気分だ? 三度目の斬撃が漆黒のバトルドレスを捉え、俺はエネルギーブレードを収納する。
アメリア・キースは俺に張り付かれたままなのを嫌ってか、腕を振る。姿勢制御スラスターで回避。掴まれると厄介だ。馬力が違いすぎる。しかしエネルギーブレードを三回当てたってのに蓄熱装甲に熱を貯められた様子がない。巨体に応じた巨大な放熱板による放熱効率によるものだろう。
だが、そうだと分かっているのならッ!
アクセルブーストで距離を取りながら、ブリューナクを引き抜き、発射と同時に弾丸をばらまく。狙いは放熱板だ。漆黒のバトルドレスの放熱板は両脇こそ装甲に覆われているが、放熱しなければならない関係上、完全に装甲で覆うことはできていない。その上、放熱板は脆い。シールドが慣性無効フィールドを発生させるようになったことから、放熱板を特別に守らなければならない必要性は薄くなったが、十年前に回帰したこの戦場では話は別だ。
放熱板こそ狙うべき弱点!
銃弾が放熱板に穴を穿つ。
「ぐっ!」
「まだまだァ!」
敵の後方に占位し続けるのは難しい。ブースターの熱量を浴びるわけにはいかないので、距離を取る必要があるが、そうすると相手が少し体をひねるだけで、こちらは大きく動かなければならない。相手も放熱板が弱点であることは理解している。そういう動きだ。こちらに背中を見せてくれない。
ならその意識をぶん回してやる!
急速接近。ブリューナクを仕舞って、エネルギーブレード! 真正面への注意が足りてないぜ!
側面に回り込み、左手の突撃銃を漆黒のバトルドレスに当てる。お互いの慣性無効フィールドが干渉して、相互の速度差がゼロになった。ステップ! エネルギーブレードで切り裂きながら逆サイドへ。ステップがフィールドを覆うシールドでなけりゃできないということはない!
カウンターブーストで下へ! ブリューナクを抜いて放熱板へ射撃。命中!
背中がピリッとする。アクセルブースト! 潜水艦から放たれたレーザーが掠める。同時に無数のミサイルが発射される。俺がアメリア・キースに集中する今を狙ってきたのだろう。ミサイルの迎撃に向かえば、アメリア・キースから狙い撃たれる。
……とでも思ったかァ!
迷わない。揺るがない。どうしても必要な二つから一つを選べと言われたら、そいつをぶん殴って二つとも持って行くのが正解だ。ミサイルを全て撃ち落としつつ、アメリア・キースも撃破する。それくらいできなきゃ世界最強は名乗れない。
アクセルブーストでミサイル群の中に突っ込んでいく。爆発範囲はすでに知っている。ミサイルの正面に行かなければ安全だ。側面や後方なら至近距離まで接近しても爆発には巻き込まれない。もっともブリューナクの効果範囲があるため、十メートル圏内には近づけない。無規則に進路を変えるミサイル群の間を縫うように安全な距離と位置を確保しつつ、銃撃を加える。
青空に次々と爆発の花が咲いた。潜水艦からはレーザーが、アメリア・キースからはブリューナクと実弾が、それぞれ俺に襲いかかる。もつれる糸のように細い安全空域がさらに狭まる。そこに体を捻じ込んで踊る。
許される感覚の誤差は千分の一秒。それより反応が遅れたら死ぬ。千分の一秒もあるのか。そんな感覚はもう超えた。誤差は0.00000、ゼロだ。誤差は無い。だからッ!
ミサイルの姿勢制御スラスターに弾丸を掠めさせる。噴射口が傷つき、ミサイルの姿勢が崩れる。そこを撃ち抜いた。指向性のある爆発が斜め後ろに向けて広がる。その先にはアメリア・キースのバトルドレス。
お前、まさか自分が安全地帯にいるとか思ってたわけじゃないよな?
重ねる。ミサイルの向きをコントロールしてアメリア・キースに爆発を浴びせかける。連続して爆発の効果範囲に巻き込まれたアメリア・キースはカウンターブーストで離脱を選択する。臆したな。アメリア・キース。お前は踏み込めなかった。一時の恐怖で勝利から目を逸らした。これがお前の限界だ!
最後のミサイルを撃ち落とす。間髪入れずにアメリア・キースが飛び込んでくる。臆病者にしちゃあ、いいタイミングだ。一呼吸の休息すら許されない。俺だって人間だから疲労は蓄積する。どこかで限界が来る。戦闘が始まってすでに二時間が近い。短距離ランナーが長距離を走らされているようなものだ。
だけどなあ、今からでもお前らをぶっ飛ばすくらいは余裕でできるぞ。
アメリア・キースがブリューナクを振り上げる。後の先で銃弾を叩き込む。ブリューナクの銃口に飛び込んだ弾丸は、その内部構造を貫いた。アメリア・キースはブリューナクを取り落とす。壊れたブリューナクは自由落下し海中に没した。
「勝負はついた。諦めて投降しろ。アメリア・キース」
「……諦めろだって? 違う、違うなァ、三津崎青羽。諦めるのはテメェのほうだ」
「実力差が見えないのか? そこまで鈍ったか」
「違う、全然違うねェ。確かに今回は失敗した。業腹だが認めよう。それは認める」
「まさかと思うけど、俺が命までは奪わないと思ってるんじゃないだろうな? 抵抗するなら俺はやるぞ。お前の命になんて毛ほども価値を感じちゃいないんだ」
「おお、怖い怖い。だけどそういうことじゃない。私は失敗したが、敗北したのはどちらかな? 捕まるのは私だけじゃないってことだ。三津崎青羽。今回はお前がいたから失敗した。だけど次はどうだ? お前はその時、バトルドレスに乗ってその場にいるのか?」
「そんなのは知ったこっちゃねぇ。まだ起きてねぇことにまで責任は持てねぇよ」
「三津崎青羽、お前がバトルドレスに乗り続けたいならこちらに来るしかないんだよ。協会も、国も、お前を守っちゃくれない。勝利し凱旋したお前はその場で守った人々によって拘束される。お前、別に正義のためにバトルドレスに乗っているわけじゃないだろう? 乗るために乗っている。なら所属はどこだって構わない。違うか? 私たちはお前に戦場を用意できる。楽しいぞ」
「お前にゃ才能があるよ。アメリア・キース。人を惑わし、陥れる才能がな。確かに俺はバトルドレスに乗る資格を失うだろう。塀の中で臭い飯を食うことになるかもしれない。真っ当な人生はもう歩めない。終わりだ」
「そうだ。協会も、国も、お前の才能を正当に評価しないだろう。だが私たちは違うぞ。お前の才能を正しく評価できる。才能に見合った舞台を用意できる。だからこちらに来い。三津崎青羽」
「だけど、違うんだ。アメリア・キース、お前は根本的に考え違いをしている。俺は自分が楽しけりゃそれでいいなんて思っていない。ダンサーってのは客を笑顔にするもんだ。笑ってくれる観客のいない舞台になんて、俺は興味ねぇよ」
「なら、ここで死ねッ!」
アメリア・キースがフルブーストで突っ込んでくる。ブリューナクを失ったアメリア・キースに残された手段は近接戦だ。バトルドレスの出力の違いを使ってこちらを掴み、直接破壊するしかない。だが相手の事情に付き合ってやる必要なんてない。アクセルブーストでその進路を回避。同時にアメリア・キースはカウンターブーストでこちらに進路を変える。
早い!
これまでのアメリア・キースの反応速度ではない。俺のように何かを踏み越えたのか?
激しい追いかけっこになる。速度に乗りすぎていてブリューナクが撃てない。射撃戦に持ち込むには減速が必要だが、今のアメリア・キース相手に減速すれば、次の瞬間に掴まれる。
付き合ってやろうじゃねぇか!
カウンターブーストで反転。伸びてくるバトルドレスの腕を紙一重で避けようとする。その瞬間、体がシートに強く押しつけられた。視界がブラックアウトする。それでも回避行動を入力して、アメリア・キースとすれ違う。エネルギーブレードを振ったが、当たったかどうか確認できない。
アンチ慣性無効フィールドだ。アメリア・キースのバトルドレスそのものに発生装置が備え付けられている。では何故アメリア・キースはアクセルブースターの加速に潰されずに済むのか。答えは簡単だ。そもそも十年前のバトルドレスはどうやって操縦していた。遠隔操作だ。アメリア・キースはこのバトルドレスに乗っちゃいない。
「そんな玩具で俺に勝てると思うなよ!」
ブリューナクを常時発動はできないはずだ。使えるなら最初から使っている。つまりこれはリスクのある切り札に違いない。生身の人間が乗ってないとは言っても、アクセルブースターの加速にバトルドレスの部品がどこまでも耐えられるとは思えない。それにブリューナクを使ってるってことは射撃が通るってことじゃねーか!
だが撃った弾丸は慣性無効フィールドに捕まって止まる。ブリューナクのオンオフを切り替えているのだろう。
超音速での追いかけっこが続く。最高速度は向こうが上だ。直進を続けると追いつかれる。カウンターブーストを繰り返し、加速性能で引き離す。放熱板はこちらのほうが小さいが、アメリア・キースの放熱板はかなり傷ついている。どちらが先に限界を迎えるかは分からない。我慢比べだ。
と、思っているなら大間違いだぞ!
俺が何も考えずに逃げ回っていると思っていたか? それとも分かっていても追いつけなかったか。どちらでも同じだ。
反転、ブースト、速度を落とす。ブリューナクを撃つ。向きを変えて連射。全て撃ち尽くす。アメリア・キースではなく、逃げ回りながら近づいた潜水艦に向けて。遠隔操縦の遅延を考えるとアメリア・キース本人がそう遠くにいるとは思えない。すぐ近くからバトルドレスを操縦しているはずだ。つまり潜水艦の中だ。アメリア・キースは俺に向けて突っ込んでくることができない。俺のすぐ後ろに潜水艦があるからだ。ブリューナクを撃った今、超音速で潜水艦に突っ込めば、俺を潰せたとしても、潜水艦も無事では済まない。
それでも突っ込んでくるのが正解だったぞ。アメリア・キース。お前は死を踏み越えられなかった。
「止めろ、三津崎青羽ァ!」
潜水艦にブリューナクが命中して跳ねる。そこに実弾を叩き込んだ。次々と船体に穴が穿たれる。ミサイルハッチを貫いた瞬間、大爆発が起こる。装填されていたミサイルに命中したのだ。アメリア・キースが突っ込んでくる。ブリューナクの効果範囲に入る前にアクセルブーストで回避。だがアメリア・キースはそのまま潜水艦に突っ込んでいった。
「死なない。こんなところで私は死なない!」
アメリア・キースはバトルドレスの出力で潜水艦を掘り進める。そしてその中から何かを引きずり出して、そしてバトルドレスは動きを止めた。
その箱の中から写真でしか知らない女性が現れる。アメリア・キースその人だ。
「三津崎青羽! 証言者が必要だろ! なんでも話す! だからッ!」
アメリア・キースは俺に向けて手を伸ばす。その胸を潜水艦の内側から放たれた弾丸が撃ち抜いた。
「たす……けて……」
アメリア・キースが倒れ伏す。鮮血が広がっていく。アメリア・キースが穿った穴に海水が流入して、潜水艦が傾く。アメリア・キースの死体が甲板を滑って波に攫われる。潜水艦はやがて縦を向いて波間に消えていった。
「締まらねぇ最後だ」
だがこれは競技ではない。ただの殺し合いだ。全力を尽くしてお互いに健闘を称え合うような終わりを迎えられるはずがない。むしろアメリア・キースの最後には相応しい。
「……こちら三津崎青羽、ブルーエースだ。敵の大型バトルドレス、及び潜水艦を倒した。そっちはどうなった?」
「フロントラインサービスのアックスだ。こちらももう終わる。急いで戻ってくる必要はない。ケツを拭くくらいはできる」
「了解。敵の生き残りが浮かび上がってこないかしばらく監視してから戻る」
「ああ、もしも生き残りがいたら丁重に連れてきてくれ。歓迎パーティの用意ならできている。それからバトルアリーナには戻らないほうがいい。俺たちのところに来い」
「なんとなく状況は分かっている」
アメリア・キースと戦っている間も通信には耳をそばだてていた。途中から卯月やひとみとの通信回線が切れたことにも気がついていた。その直前に大きな物音がしたことも。
「他のマスカレイドダンサーも受け入れるつもりだ。シビアな交渉になる」
待機室の様子が思い返される。奥の通路に向けて築かれたバリケード。あれはなんのためだったのか。気がついていた。本当は分かっていた。だがあえて切り捨てた。おやっさんや若葉、卯月、ひとみ、地上スタッフのみんながどうなるか分かっていた。
バトルドレスは兵器だ。いくら攻撃を受けたからと言って、個人が勝手に乗り回していいものではない。ましてや武器を使って、人まで殺していいわけがないのだ。もちろんそれを支援することだって許されない。
国際バトルダンス協会のなんとやらの方が法的には正しいのだ。
あのバリケードは警察の突入を遅らせるためのものだ。しかし本格的な抵抗などできようはずがない。それでは罪を重ねるだけだ。それでも彼らは俺を支援するためにギリギリまで抵抗したに違いない。
卯月も、ひとみも、若葉も、おやっさんも、他のスタッフも今頃はみんな拘束されているのだろう。
ふざけるなよ。と思う。あの場では最善の判断だった。俺たちが出ていかなければフロントラインサービスは全滅し、軌道エレベーターは破壊されていた。どれほどの被害が出たか想像もできない。
俺は海上に死体すら上がってこないことを確認して、大空へと突き立った軌道エレベーターを目指した。
俺が守ったものはなんだ?
誰も答えてはくれなかった。
二一一五年十二月二四日。
この日を境に三津崎青羽という日本人の経歴はぷつりと途絶えた。マスカレイド襲撃事件によって誰もが彼の名を知ったが、その後の彼の消息を知るものはいない。まるで大空に消えていったかのように、バベルの浮遊人工島を飛び去る映像を最後に、彼は消えた。
そして放たれた矢のように時間が過ぎた。
2120年12月24日(火)「軌道エレベーター」直下
特設バトルアリーナ
今年もまたダンサーの頂点を決める祭典が幕を下ろそうとしていた。アナウンサーが表彰台の優勝者にマイクを向けた。
「まずは優勝おめでとうございます。マスカレイドへの挑戦は二回目、早くも世界一位になりましたね」
マイクを向けられたその女性は一瞬キョトンとした顔をしてそれから吹き出した。
「すみません。笑っちゃって。世界一位という実感はまるで無いですね」
「日本人らしい謙虚さというものですね」
「いえ、現実としてマスカレイドの優勝者を世界一位と言っていいのかなって」
アナウンサーはぎょっとした顔になる。その当人とは思えない発言だ。しかしそれに構わず、彼女はシャンパンで濡れた顔をタオルで拭いた。
「だって誰もが知っているでしょう? マスカレイドでどんなに順位を付けたところで世界最強は別にいる。ここに現れないだけで、彼が現れればマスカレイドに出場したダンサーが束になってかかっても敵わない。あの戦いが誰の脳裏にも残っています。事実、近接戦型のバトルドレス乗りはぐっと増えた。彼に憧れてダンサーを目指した人だって少なくないはずです」
彼女はそう言ってから自分の発言がライブで世界中に配信されていることを思い出したようだった。
「あ、すみません。マスカレイドを貶したつもりはありません。マスカレイドが世界最高峰のバトルダンスの舞台であることは間違いないです。ここで頂点に立てた。こんな嬉しいことはありません。私一人の力ではありません。スポンサーの皆さん、協力してくれたサポーターの方々、そして応援してくださった皆さんのおかげです」
優等生なそんな発言をしてから、彼女は少し迷い、結局はその言葉を口にした。
「一言だけ。おい、青羽、見てるか。世界一位とやらになったぞ。次はアンタを引きずり下ろして世界最強になってやる。あたしからの挑戦は逃げない約束だろう? だからしぶとく生きてるなら連絡を寄越しな」
彼女はそう言ってカメラにシャンパンをぶっかけた。
2120年12月24日(火)「軌道エレベーター」
宇宙港 外縁部
「引きずり下ろしたけりゃここまで上がってくるんだな」
聞こえないと知りつつもそう呟く。
アメリカによって新しい戸籍を得た俺は海軍に所属していくつかの紛争地帯を経験し、宇宙軍へと移籍になって、今はこうして宇宙船外活動のスタッフとしてここにいる。反重力装置で擬似的な無重力に慣れた俺にとっては宇宙の無重力空間は自宅の庭のようなものだ。
ただバベルに入国はできないので俺が宇宙に上がるのに軌道エレベーターは使えなかった。アメリカはいろいろ理由をこじつけてロケットで他の荷物と共に俺たちを宇宙に送り出した。まあ帰りはシールド張って自由落下すればいいので、上がってしまった今は気楽なものだ。
「意地悪を言ってやるな。連絡くらいしてやればどうだ?」
“最初の一歩”号の情報分析官として乗り込んだ卯月が言う。
「あいつ絶対勝負を挑んでくるぞ。面倒くさい」
「……生きてることくらい伝えてあげればと思います」
通信士のひとみが言う。
卯月もひとみも、俺がアメリカ軍に仕官することを条件にアメリカに身柄引き渡し交渉をしてもらった。もちろん他のスタッフも同様だ。その後はそれぞれ別の道を生きてきたが、こんな空の果てでまた一緒に仕事をすることになるとはな。
「マスカレイドで優勝したんだ。しばらくはそれどころじゃないだろ。また今度な」
「これ絶対連絡しないやつだ」
「どうせこのミッションが成功すれば俺たちが生きてることくらい知れるさ」
「まあ確かにそうだな」
「……人類初のワープドライブの実験ですからね」
人類初とは言っても遠隔操作の無人機や、動物を載せてのワープ実験には成功している。まず問題は起きないはずだ。それでも多大なコストをかけてまで俺たちが送り込まれたのは、万が一に対応できるスタッフだと思われているからだろう。
俺たちの前には星々の大海が広がっている。
「まったく、お前には大空でもまだ狭かったんだなあ」
「お前たちがいてくれたからこそさ。だから俺はどこまでも飛んでいける」
制限なんて自分の思い込みでしか無い。それを取っ払いさえすれば、どこまでも行ける。
さあ、行こう。仲間たちと共に、新しい地平へ。
―完―