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第二章 他校交流戦

                 2115年7月14日(日)「秋津島学園」

                            第2バトルアリーナ



 ブザーが鳴って試合終了を告げる。

 俺は学内五位から挑まれた順位戦に敗北し、四位から五位に落ちた。一度は六位まで下がり、そこから頑張って四位まで上がった順位が五位に戻る。瑞穂を倒して一度は学内一位に上り詰めた俺だったが、その後は大体この辺りが定位置だ。

 だってしょうがねぇじゃん。みんな俺をメタるセットアップをしてくるんだもん。

 学内最強の戦闘機型バトルドレス使いである瑞穂を倒した俺だったが、そんな俺に対して瑞穂以外はみんな重装甲型バトルドレスで挑んできたのだ。流石にアンダーティーンは稼いでいる。相手に合わせてセットアップを変えるくらいのポイントは余裕であるのだ。

 そんな環境の中、俺は近接型一筋で頑張っている。稼いだポイントでドレスの強化は行ったが、近接型では重装甲型に対して火力が足りない。最大の火力であるエネルギーブレードにしても、出力八十%で二回攻撃を行うと冷却に六秒が必要になる。戦闘機型ですら蓄熱装甲を多めに積めば二回攻撃に耐えうるのだ。重装甲型なら言うまでもない。

 ひとみの先読みがあっても、避けきれないほどに弾幕を張られれば結局は同じことだ。回避先が無いのである。俺は弾幕の雨に突っ込んでいって攻撃を仕掛けるしか無くなる。


「中距離で弾幕を張らせて回避に専念すればいいのではござらんか?」


 もはやチームの拠点となった喫茶店フォックステイルで反省会を開くと、卯月がそう言った。


「避けきれないほどの弾幕を張っている間、相手は排熱限界を超えているであろ? 少しずつ相手の蓄熱装甲を損耗させていけば勝機はあると思うのじゃがなあ」


「分かっちゃいるが、それじゃ面白くない、だろ?」


 確かに相手の弾幕を誘い熱量を上げさせるのは、対重装甲型でのセオリーだ。時間をかけて少しずつ相手を消耗させていくのもそうだろう。だがそれが面白いとはどうしても俺には思えなかった。少なくともバトルダンスの名に相応しくない。そうだろ?


「面白い面白くないの前に、青羽は下手だよな」


 碧に言われてぐうの音も出ない。下手というのはドレスの操縦のことを指しているのではない。バトルドレスの熱量の管理が俺は致命的に下手なのだ。すぐに排熱限界を超えて蓄熱装甲を駄目にしてしまう。短期決戦ならいいが、長期戦になると自滅寸前まで自分から熱量を上げていってしまうのだ。相手の攻撃が避けきれるのであればいいが、重装甲型の撃ってくる面に張られた弾幕は避けきれない。


「私がもっと上手く誘導できればいいんですけど……」


「ひとみは悪くないよ。あたしと組んだら青羽を追い詰められるんだしさ」


 碧の言うとおりである。彼女はシミュレーター訓練でひとみを通信士オペレーターに付けて重装甲型バトルドレスに乗ると、俺を倒せるとまではいかないまでも、十分な脅威となる。器用だし、運動神経もいいし、熱量の管理も上手い。操縦手(ダンサー)候補生に昇格して、ひとみを引き抜かれたら、アンダーティーンに入ってくるのではないだろうか?

 あれ、これ碧じゃなくてひとみがすげーって話だな。


「とにかく五位で凌いで、交流戦のメンバーにはなんとか残ることができた。ヤツと戦えるチャンスはある」


 秋津島学園はアメリカに姉妹校がある。

 毎年夏休みになると、どちらかの学園に上位の生徒が行って交流を行う。そこで行われる団体戦が交流戦だ。

 去年は秋津島学園の生徒が向こうに行ったから、今年はこっちが迎える側だ。

 去年以上に、今年の交流戦には意味がある。何故なら秋津島学園の姉妹校、ジェファーソン記念校には、去年のマスカレイド優勝者が在籍しているからだ。マスカレイド優勝者、つまり去年の世界一だ。今年は違う。俺が優勝するからな。

 だがマスカレイドを待つまでもない。この交流戦で俺がぶっ倒してやる。


「普通に考えれば彼女は大将で出てくるでござる。んで、こちらの大将は秋津瑞穂が順当でありますぞ」


「瑞穂も雪辱を晴らしたいだろうしな」


 去年のマスカレイドで瑞穂はヤツに負けている。今年も交流戦があることは分かっているから、瑞穂も対策を練ってはいるだろう。

 白銀色の重装甲型バトルドレス。通称、ホワイトナイト。

 ヤツは圧倒的な射撃精度でバトルフィールドの中央から全域を攻撃範囲に収めてくる。彼女が存在するために、バトルフィールドの広さが見直されるのではないかという噂が出るほどだ。

 回避も上手い。重いはずの重装甲型で的確に照準を外してくる。言うまでもなくフルマニュアルの使い手だ。ホワイトナイトがバトルフィールドの中央に陣取れば、もう勝負は終わったと言われるほどに強い。


「まあ、でもあたしが監督なら彼女には青羽を当てるな」


「分かってるじゃないか。碧」


「どうせ誰を当てても勝てないんだから、一番弱いのをぶつける」


「前言撤回だ。てめぇ」


「でも、今の青羽くんでは彼女に勝てないと思います」


 一番状況が見えるはずのひとみにまでそう言われてしまう。

 そんなに駄目かなあ? そりゃ今は学内五位ではある。だがこれは世界一位になるための準備期間として仕方のないことだと割り切っている。嘘だよ。悔しいに決まってる。しかし今は辛酸を舐めなければならない。絶対に必要なことなのだ。


以前の青羽くんなら(・・・・・・・・・)、勝ち筋はあるかも知れません」


 ひとみがそう誘惑してくるが、俺の意思は変わらない。


「それは駄目だ。その俺には未来が無い」


「それなら世界一位になれるとしてもでござるか?」


「それでは世界一位で在り続けられない。楽しむのはいい。でも楽をしちゃ駄目だ」


「学園で一位を取れない人がなんか言ってる」


「言葉って言う人によって説得力が違うんだと分かる事例でござるなあ」


 碧と卯月の言葉に俺はちょっと傷つく。だって良いこと言ったと思ったんだもん。


「誰が言おうと言葉は言葉だろ。誰が言ったかは関係ない。受け取る側の問題だ」


「せめて学内一位を維持できるようになってから言って欲しいでござる。正直、ポイントがカツカツなんでござるよ」


「卯月とひとみには多めにポイント渡してるだろ。開発はポイントがすげーかかるからって」


「人は一度吸った甘い汁を忘れられないんでござるよぉ!」


「なるほど。言葉って上手く伝えることが大事なんだなっていま理解した」


 だが真面目な話、卯月のポイントが足りていないのは問題だ。彼女が無駄遣いしているわけではないことは知っている。彼女が精力的に俺に合わせた装備を開発してくれているお陰で、今の順位で済んでいるとも言えるのだ。


「俺の個人ポイントを渡そうか?」


「援助に感謝して労働(からだ)でお礼するね」


「公共の場でいかがわしい感じにするのやめろ!」


 俺はすでに悪い意味で有名人なので悪評を伸ばすのは本当にやめていただきたい。ただでさえ秋津瑞穂に黒星を付けたくせに、アンダーティーン上位に上がれない雑魚扱いなのだ。秋津島学園の三日天下と言えば俺のことである。そういうお前ら何位だよって話だ。まあ、大体そういう発言してるのは順位に関係ない、チームにも所属していない一般生徒なのだけど。


「とにかく明日には連中が到着する。まずは見せてもらおうぜ。世界一位とやらを」




                 2115年7月15日(月)「秋津島学園」

                          空港エリア ラウンジ内



 いま俺たちは空港エリアのラウンジのひとつでジェファーソン記念校のアンダーティーンの到着を待っている。

 ジェファーソン記念校との交流に参加できるのはアンダーティーンとそのチームメンバーだけだ。そもそも秋津島学園におけるアンダーティーンという制度と呼び名は、ジェファーソン記念校から伝わったものである。交流の成果のひとつというわけだ。

 この姉妹校交流は交流戦という団体戦が待ち構えていることからも分かる通り、将来のバトルダンス界を担う両校の優秀な生徒同士で交友を深めましょうだなんて甘っちょろいものではない。今のうちから将来のライバルを叩き潰して、序列をはっきりさせておこうというものだ。少なくとも交流戦に出場する生徒はそれくらいのことを思っている。

 そうでもなければ秋津島学園でアンダーティーンを維持なんてできやしないのだ。ジェファーソン記念校という仮想敵を前にしても、俺たちは大体チームメンバーで集まっている。自分たち以外はみんなライバルなのだ。

 だがライバルだからと言って友だちになれないわけではない。


「やあ、青羽。調子はどうだい?」


「見ての通りだよ。アンダーティーンには引っかかってる」


「もっと落ちるかと思ってた。流石は青羽だ。でも最近は挑戦してくれなくて寂しいよ」


「心配するな。すぐに追い抜く」


「追い付くじゃないところが青羽らしいなあ」


 瑞穂は苦笑して俺のチームメイトを見回した。


「そう言えば青羽のチームメイトと会うのは初めてだね。紹介してくれよ」


「いいぜ。そっちの背の高いのが曽我碧。一般入試組だがダンサー志望だ。将来、アンダーティーンに入るくらいの素質はある」


「へぇ、曽我さん。よろしくね」


「よ、よろしくおねがいします。秋津先輩!」


 碧はいつになく緊張した面持ちで瑞穂に頭を下げた。


「こっちが鵜飼ひとみ。開発者(エンジニア)志望だが、優秀すぎる通信士(オペレーター)だ」


はじめまして(・・・・・・)、鵜飼さん」


「こちらこそ、はじめまして(・・・・・・)、秋津先輩」


 瑞穂は笑顔を浮かべ、ひとみはそんな瑞穂をじっと前髪の奥から見つめている。妙な緊張感があった。まるで至近距離から銃を向けあっているような。なにか間違えばどちらも大怪我で済まないような気配。


「んで、俺の後ろに隠れているのが太刀川卯月。開発者(エンジニア)整備士メカニック。俺のチームで一番苦労をかけてるし、一番苦労させられる」


「どうも、青羽の妻です」


「おまえが爆弾ぶっこむのかよ!」


「ふふふ、面白い子だねえ」


 瑞穂が素早く手を伸ばして卯月の頬をつねりあげた。


「いだだ、あ、これ、マジなヤツだ。うべべべべ」


「おまえ、ホント、一度ちゃんと痛い目見たほうがいいぞ」


「それにしても見事に女の子ばかり集めたものだね」


 瑞穂が卯月の頬をつねったまま言う。流石に可哀想だからそろそろやめてあげてください。


「あの状況で選り好みしてられなかったからな。卯月は声をかけてきてくれたけど、後の二人は俺から勧誘した。それでもよく加入してくれたもんだよ」


「なるほど。私と争う気概を持った子たちなわけだ」


 ようやく瑞穂は卯月の頬から手を離した。卯月の頬は赤く腫れている。あーあ、これからレセプションだって言うのに。まあ、どうせ卯月は俺の後ろに隠れてるだけだろうから、いいか。


「私のチームメイトも紹介しておこう」


 そう言って瑞穂は自分のチームメイトを俺たちに紹介する。通信士(オペレーター)整備士メカニック開発者エンジニアの基本を抑えた三名だ。みんな女の子で、なんか俺だけ場違いじゃない? まあ、女性ダンサーはあまり男性をチームに加えないものだ。あるいは逆で、男性ばかりを集める女性ダンサーもいるみたいではあるが。

 瑞穂と重装甲型との戦いについて話している間にジェファーソン記念校の生徒たちが到着したようだ。俺たちは雑談を止め、入り口に注目する。足取りもバラバラに人種の豊かな男女がラウンジに入ってきた。秋津島学園の生徒が拍手で出迎える。秋津島学園の校長の挨拶があって、ジェファーソン記念校の引率の教師による挨拶があった。

 現代ではPAさえ起動して耳にイヤホンを突っ込んでおけば言語の壁はほとんどない。リアルタイム翻訳アプリは相手の声質さえ真似して言葉を翻訳してくれる。お互いに母国語でコミュニケーションが取れるのだ。

 挨拶の内容は両者とも当たり障りの無いものだった。両校の優秀な生徒同士で交友を深め、お互いに高め合いましょう、という感じだ。

 その後は自由時間になり、ラウンジ内の軽食に手を付けてもいいと許可が出る。腹減ってたんだよね。ずっとお預けで辛かった。チームメンバーも同様だったようで、ここぞとばかりに皿に料理を盛り付ける。

 軽食を口に運びながら生徒の様子を見てみるが、積極的に他校の生徒に話しかけに行く者、チームメンバーで集まったまま動かない者など、バラバラだ。そんな中、秋津島学園の積極的な生徒によって話しかけられているものの、素気なくあしらっている金髪碧眼の女生徒の姿が目に入る。

 俺は料理を盛った皿を置いて、彼女に向かって歩いていった。ちょうど人の波が途絶え、彼女は深い青色の瞳を伏せ、小さくため息を接いたところだった。

 そんな彼女に俺は言葉を投げつけた。


「よう、世界一位。お前の戦い方つまんねーよな」


 彼女、ホワイトナイト、ヤツ、エリザベス・ベイカーは自分のPAに目を落とした。翻訳アプリがきちんと動いていることを確認したのだろう。ログを確認し、俺がなんと言ったのかを音声ではなく、表記で確認する。

 間違いなくお前の翻訳アプリは正常だぜ。

 彼女もそう気がついたのだろう。目を瞬いて、俺を見た。


「あなた、誰?」


「俺は三津崎青羽だ。お前を倒して、マスカレイドで優勝する男だ」


「そう、でも私は負けない」


「負けないんじゃなくて、負けたくないんだろ。ホワイトナイト」


 俺はずっと胸の内で燻っていた思いを吐き出す。


「ガチガチの重装甲、敵を遠ざけるための面射撃、安全安心で確実な立ち回り。瑞穂を倒す試合映像を嫌というほど見たぜ。この俺が嫌になって見るのを止めた。お前、バトルダンスを楽しんでないだろ?」


「これは戦争。楽しむものじゃない」


「いいや、遊びだね。楽しまなきゃ意味がない」


 バトルドレスは兵器だ。秋津島学園を国が支援するのは、将来の自衛隊の人員や装備を早期に育てることが目的のひとつだ。視点を広く持てば、俺たちはすでに戦争の道具だと言えるかも知れない。

 だがバトルダンスはスポーツだ。ショービジネスだ。観客を楽しませることが目的だし、ダンサーも楽しまなければならない。少なくとも楽しそうだと他人に思わせる義務がある。そうでなければバトルダンスという競技そのものが衰退していくだろう。

 俺はもっと遊びたいし、多くの才能がバトルダンスに集まることで、より強い相手が現れることを望んでいる。

 だからお前みたいにつまらなそうな顔をしてるヤツが世界一位なのが絶対に許せない。


「あなたが何を言っているのか理解できない」


「すぐ分からせてやるよ。舞台の上で、な」


 エリザベス・ベイカーは首を傾げる。


「あなたと戦う予定はない。私が戦うのは交流戦の一回だけ。そういう約束で来た。私と戦うのは秋津瑞穂、でしょう?」


「瑞穂なら俺が倒した」


 その後、速攻倒し返されましたけどね。

 でも俺の言葉をどう受け取るかは彼女次第だ。


「そう、でも誰が来ても同じ。私は負けない」


 彼女の心は揺れない。本心からそう思っているようだ。どんな敵でも自分の戦い方をすれば負けない。彼女はそう言っている。でもそれって独りで踊ってるのと何が違うんだ?

 バトルダンスは二人で踊る舞踏だ。対戦相手は倒すべき敵だが、一緒に踊るパートナーでもある。バトルダンスを踊っていると、対戦相手の心の動きが読めるようになる瞬間がある。その動きが、タイミングが、言葉にならない心を伝えてくるのだ。試合の映像を見ても、少しは感じる。おそらくダンサーでなくとも感じる。それが人々をバトルダンスに熱狂させる理由のひとつだ。

 だけどエリザベス・ベイカーのダンスからは何も感じられない。氷のような冷静さで感情を抑えているのとは違う。それなら冷たさが伝わってくる。彼女にはなにもない。空っぽだ。中身を入れ忘れたピニャータだ。


「覚悟しておけ。俺が叩き割ってやるからな!」


 彼女の中に本当になにも入っていないのか。叩き割れば分かることだ。




                   2115年7月16日(火)東京湾海上

                                  高速艇



 ちなみに世界一位、エリザベス・ベイカーに喧嘩を売る俺を秋津島学園の生徒は、ああ、またやってるって感じで見てた。瑞穂やチームメイトにしても同様だ。以前と違うのは、それが炎上に繋がらなかったことである。レセプションがアンダーティーンだけで行われたこともあるが、動画を撮っていた誰かがいたとしても、それを拡散するようなことはしなかった。

 いや、ジェファーソン記念校側の学内SNSはどうなってるのか知らんけど。


「青羽だなあ」


「青羽くんらしいです」


「そのうち格上に喧嘩を売る新語になるぞ。青羽るとか言って」


 姉妹校交流の日程は一週間だ。とは言っても移動日が二日あるため、実質五日間。その最終日に交流戦があって、対戦の組合せ表が発表されるのがその二日前。一日前はセットアップに使う。

 まあ、分かりやすく書くと、

一日目 7月15日(月) 移動日 レセプションパーティー

二日目 7月16日(火) 東京観光

三日目 7月17日(水) 自由行動

四日目 7月18日(木) 午前 島内自由行動 午後 組み合わせ発表

五日目 7月19日(金) セットアップ日

六日目 7月20日(土) 交流戦 フェアウェルパーティー

七日目 7月21日(日) 移動日

 という日程だ。交流という名目があるため、本日の東京観光には俺たち秋津島学園のアンダーティーンも同行する。とは言っても日本全国から生徒が集まってくる秋津島学園の生徒が東京に詳しいなんてことはないし、観光案内ならPAにさせたほうがよっぽど詳しい。むしろ一緒に観光を楽しんでるくらいだ。

 反応炉の普及によって加速した温暖化の影響で海面の上昇速度は増し、わずか十年で東京府の中心部分は多くが水没した。かつての観光名所はもう残っていない。一部の建物や電波塔が海面から顔を覗かせているその光景は、人類の愚かさを俺たちの胸に刻みつける。

 俺自身も海面上昇によって引っ越しを経験した。俺には故郷が残されていない。幼い頃の思い出の場所はみんな海の底に沈んでしまった。

 海面が上昇を続けることで陸地が減ることへ人類が出した答えのひとつが秋津島学園のような浮遊人工島である。海に浮かぶ人工島は海面の上昇に影響されない。エネルギー問題も反応炉によって解決されている。ほとんどの浮遊人工島には食料を生産する工場もあり、島ひとつで自給自足できる態勢が整えられている。秋津島学園の場合は学園施設が占める割合が多すぎて、すべてを自給自足とは行かないのだが。

 よって東京観光と言ってもその実は、東京湾に浮かぶ浮遊人工島巡りと言っても過言ではない。海面に沈む前に浮遊人工島に移された文化財も少なくない。寺社仏閣は大体水没前に移設されたし、アメ横と呼ばれる商店街も新設されている。一方で新しいレジャー施設なども少なくない。水没し、首都ではなくなったとはいえ、東京が日本の経済の中心地であることに変わりはないのだ。

 陸地の広いアメリカでは浮遊人工島は珍しかったようで、ジェファーソン記念校の生徒たちは歓声を上げて観光をしている。はしゃいでいないのはエリザベス・ベイカーくらいのものだ。そして彼女がそんな様子なのはいつものことのようで、ジェファーソン記念校の生徒たちは気にも留めていない。

 外を見ることもなくPAに視線を落としている彼女に思わず声をかけた。


「面白くないか?」


「町を見て回ることに意味があるとは思えない」


 エリザベス・ベイカーはPAから視線も上げずに答える。


「お前、友だちいないだろ」


「必要ないから」


「チームメイトは?」


「私に気を使ってちゃんと楽しんでる」


「なるほど?」


 アメリカだからビジネスライクな付き合いなのかね? 秋津島学園にもそう言う関係のチームが無いわけではない。仕事はきちんとするけど、プライベートは別ね。というような。

 俺には考えられないな。

 卯月だから、彼女の作り上げるバトルドレスに全てを預けられる。

 ひとみだから、彼女の指示に従って弾丸の雨に飛び込める。

 碧だから、その経験に賭けられる。

 それは彼女たちを俺がよく知っているからだ。平日だけでなく、休日まで一緒に過ごしているからだ。誰よりも深い関係を俺たちは築いている。それが俺の強さだ。

 もちろんビジネスライクな関係を否定はしない。それが最大効率を生むことだってあるだろう。事実、エリザベス・ベイカーはマスカレイドを制覇している。彼女は彼女なりに自分のチームメイトを信じているはずだ。でなければ戦えるはずが無い。


「まあ、いいか。せっかく東京に来てるんだ、楽しめよ」


「なにを?」


「観光でも、食でも、バトルダンスでもなんでもいい。お前、好きなこととかないの?」


「……ある。でも教えない」


「そうか」


 こいつにも好きなものがあると分かって、何故か少し嬉しかった。

 俺は思わずその金色の髪に手を伸ばして癖のある髪をくしゃくしゃと撫でる。

 すぐに手で払いのけられた。


「私、子どもじゃない」


 ジト目で睨まれる。が、瑞穂のような迫力はない。卯月ほどではないが、彼女は小柄だ。頭を撫でてしまったのも、ちょうど目の前のいい位置に頭部があったからだ。


「知ってる。今度三年生だもんな」


「あなたは一年生だと聞いた。学内五位だとも」


「そうだ。でもそっちとはちょっと事情が違うぞ。日本は四月入学だからな」


 アメリカは九月入学だから一年生でも七月時点で一年生としてのカリキュラムを終えている。四月入学の俺をジェファーソン記念校の一年生と同じ扱いで見てもらっては困る。俺は入学後わずか三ヶ月ほどで学内五位を維持しているのだ。

 逆に言えば九月入学のアメリカの高校生一年生が十二月のマスカレイドに出場するのは、そのタイムテーブル上不可能だろう。実際、エリザベス・ベイカーがマスカレイドに登場したのは去年が初めてだ。初出場で優勝。俺が同じことをやってももうインパクトはそんなに無いわけだ。先人が可能性を示してくれるというのは有り難いが、悔しいね。


「去年の交流戦に一年生の秋津瑞穂がいたから普通だと思ってた」


「いや、瑞穂は普通じゃねーから」


「遠回りに自分を褒めてる?」


「俺も普通じゃねーからな」


「変な人」


「ちょっとは俺に興味が出てきたか?」


「そんなことない」


 ぷいっと顔を逸らされる。ありゃ、対応を間違えたかな。


「なあ、バトルダンスが楽しくないなら、なんでドレスに乗るんだ?」


「……国のため。みんなのため。私には才能があった。だから――」


「嫌々続けるのか?」


「その手には乗らない。私がバトルダンスを辞めれば秋津瑞穂が優勝できる。だから、あなたは――」


「ちげーよ。俺が言いたいのは楽しむ努力をしたのか? ってことだ。最初から嫌々やってるだけで、バトルダンスの楽しみに目を向けてこなかったんじゃないか?」


「バトルダンスが楽しいわけがない。分かってないの? マスカレイドは国家間の代理戦争。もし戦争になればこんなダンサーが敵に回るぞって宣伝するための舞台。負ければ外交で不利になる。私は絶対に負けられない」


「だからお国のためってか。ちゃんちゃらおかしいね。お前みたいな女の子一人の肩にアメリカとその国民が乗っかってるわけないだろ。お前の肩はどんだけ広いんだよ。お前の思うアメリカはそんなに小さいのか?」


「分かってないのはあなたの方。マスカレイドにはそれだけの影響力がある。スポーツなんかじゃない。本物の戦争」


「いいや、違うね。バトルダンスはスポーツだ。世界最速の遊びだ」


「好きに思っていればいい。私の答えは変わらない」


 エリザベス・ベイカーはそう言ったきりPAに視線を落として、こちらには一瞥もくれなくなった。俺はため息を吐いてその場を離れる。

 だが彼女の戦いから感じる空虚さの理由は少し分かった気がした。おそらく彼女は自分の意思で戦っているのではないのだ。それは戦う理由もそうだし、戦い方もそうだ。なにひとつとして彼女自身の意思から生まれたものがない。

 誰かが彼女の才能を測り、誰かがそれを最大限効率化した戦い方を指示し、誰かが国のためにそうしなければならないと思い込ませた。

 彼女が戦っているのではない。彼女の背後にいる誰かが戦っているのだ。

 そりゃ、そんなのつまんねぇよな。

 だけどそれとバトルダンスの面白さは別だ。

 エリザベス・ベイカーに俺は勝つ。当然勝つが、ただ勝つだけでは駄目だ。

 彼女にバトルダンスの面白さを教えてやる。

 お前の心に火を灯してやるぞ。エリザベス・ベイカー!




                 2115年7月17日(水)「秋津島学園」

                          喫茶店フォックステイル



 今日はジェファーソン記念校の生徒は自由行動で、島外に出ても良いことになっている。自由行動ということで秋津島学園の生徒が強制的に同行するようなことはない。もちろん誘われれば同行してもいいが、俺は誘われてない。

 さて、エリザベス・ベイカーはどうしているのかね?

 彼女の感じからして、自由行動だからと言って遊びに出かけるようには思えない。学内で訓練とかしてそうな感じだ。俺みたいに訓練を楽しんでいるのであればいいが、負けないために必死に訓練しているであろうことを考えると痛ましいほどだ。


「青っちが新しい女に夢中な件について」


「あ、それ、私も感じてました」


「感じるも何も、見れば分かるだろ」


 まーた俺の悪評を広めようとしてるな。この三人は。

 最近、フォックステイルの店員さんが俺を見る目が冷たいのは気の所為ではないだろう。

 なお卯月自身がチームメイトは下の名前で呼び合うと言い出したにも関わらず、いつの間にやら本人だけが青っちと俺のことを愛称で呼んでくる。でも時々青羽って名前で呼んできたりして、一人称と同じように安定しないヤツだ。


「そりゃ世界一位だ。気になるさ」


「えー、でもいつもの青っちならどうすれば倒せるかって話に終始するところなのでござる。その内心にまで踏み込むのは、らしくないでござるよ」


「今のエリザベス・ベイカーとはっても面白くない。最適行動をプログラムされた無人のバトルドレスと戦ってるようなもんだ。そりゃダンスじゃねーよな。俺は世界一位と踊りたいんだ」


 モーニングのゆで卵の残りを口の中に放り込んだ。学食の朝食も悪くはないが、たまには別のところで食べたくなる。夏休みということもあって色んなところを食べ歩いているが、フォックステイルのモーニングはボリュームもあって食べ盛りな俺たちの胃に優しい。


「根本的に組み合わせが発表されるまで誰と試合することになるのか分からないってことを忘れてないか?」


 碧の言葉に俺は首を横に振った。


秋津島学園うちの意向としては交流戦としての勝利だろ? 五人出て三勝がマストだ。瑞穂をエリザベス・ベイカーにはぶつけられないさ。客観的に見れば前に碧が言ったように、俺を捨て駒にするのが一番正しい。大将は俺だ」


「向こうがチームオーダーを出してくる可能性は?」


「いや、それは無い。ジェファーソン記念校の監督が今の監督になってから五年間の交流戦の記録を卯月に調べてもらった。綺麗に学内順位通りに並べてくるよ。エリザベス・ベイカーも自分が秋津瑞穂と戦うことになるって言ってた。大将に置かれるって知ってるんだ」


「ということはこちらの監督次第か」


「秋津島学園はここ何年か負けが続いてる。今年はホームということもあって是が非でも勝ちたいだろ。とにかく俺たちはエリザベス・ベイカーと戦うつもりで準備する」


「とは言っても最近の課題と変わらないでござるな。敵は重装甲型バトルドレス。こちらの火力不足は如何ともし難いでござる」


「卯月、ホワイトナイトの蓄熱装甲を全損させるまでにエネルギーブレードを何回当てればいい?」


「八十%で七回か、八回、と言ったところでござろうな。ホワイトナイトは放熱板も展開式で大きいでござるから、排熱限界も高いでござるよ」


 卯月の答えは淀みない。ちゃんとエリザベス・ベイカーと戦うつもりで情報を集めてくれているのだ。彼女のこういうところは本当に尊敬する。それ以外のところはアレだけど。


「多めに見てぶっ倒すまで十二回、重装甲型を相手に至近距離を維持してエネルギーブレードを当て続ける訓練だな」


「その相手をあたしがするわけか。ひとみをどっちにつける?」


「仮想エリザベス・ベイカーでやるなら碧につけるしかないだろ」


「世界一位になりきらなきゃいけないわけか。ひとみがいてもきついな」


「悪い。だけど必要なんだ。他の二人にも悪いと思っている。夏休みなのに、ずっと俺に付き合わせてるよな。遊びにだって行きたいだろうに」


「いえ、そんな、私は――」


「待つでござる、ひとみ殿」


 ひとみの言葉を遮って、卯月がぐいっとテーブルの上に身を乗り出した。


「そう思うんなら、青っち、交流戦が終わったらあっしらに時間をくれ。一人に一日ずつ。どう使うかはパートナー次第で」


「そりゃ構わないが、そんなことでいいのか?」


「約束だぞ。いいな! 他の二人もそれでいいな?」


「え? でも、そんなに急に言われても……」


「あたしもそれでいい。青羽を一日好きに使えるんだろ?」


 重労働に従事させて上前はねるとかはやめてね。


「じゃあ、私もそれで……、それが、いいです」


 ひとみがそう言って、とりあえず三人はそれでいいようだった。まあ、確かにそれなら三人はフリーな二日と俺を自由にできる一日を得られるわけで、悪い話ではないのか? 単に休んでもらうより、いつものお礼ができる分、俺もありがたい。


「今週は交流戦があるから学内戦はお休みだけど、来週からは再開されるから連続三日は無理だぞ。週に一人ずつで頼む」


「ラジャー! 日程はこっちで決めとくね!」


 卯月がいい笑顔で言って、デザートのパフェを口に放り込んだ。デザートって朝から食べるものでしたっけねえ?




                 2115年7月18日(木)「秋津島学園」

                               1年1組教室



 PAに通知があって呼び出された俺たち秋津島学園のアンダーティーンとそのチームメイトは一年一組の教室に集められた。座席が足りていないので、机類はすべて床に収納されている。

 定刻になってすぐに教室の扉が開き、秋津島学園のバトルダンス監督が姿を現した。まあ、この教室に集められていることから分かる通り、さつきちゃんなんだけどね。

 さつきちゃんは教室の一番前に立つと、俺たちを一瞥した。


「よーし、おまえら、揃ってるな。これから交流戦の組み合わせを発表する。まずはこちらの出場者からだ。先鋒は長島直弥(ながしまなおや)


 学内四位、先の日曜日に俺を倒した相手だ。三年生。俺をメタるために重装甲型バトルドレスに乗っていたが、本来は戦闘機型の乗り手だ。戦況判断が早く、熱量管理がべらぼうに上手い。流石の三年生だ。


「次鋒は船瀬昭文(ふなせあきふみ)


 学内三位、生粋の重装甲型バトルドレス使い。三年生。でかい放熱板に圧倒的な火力で短期決戦を仕掛けるのが得意。被弾しながら、先に相手を落とすタイプだ。当てられる数よりたくさん当てればいいと思っている。重装甲型の基本だな。


「中堅は平田亮二(ひらたりょうじ)


 学内二位、戦闘機型バトルドレス使い。三年生。もともとは重装甲型の乗り手だったらしいが、瑞穂に感化されて戦闘機型に乗り換えた。まあ、俺と戦うときは重装甲型だったんだけど。操縦技術が高く、回避が上手い。瑞穂に影響されたと公言するだけのことはある。

 こうして見ると秋津島学園は本来は戦闘機型の乗り手が多いんだな。俺をメタるために重装甲型に乗り換えた相手に負けていると思うと悔しい。


「副将は秋津瑞穂」


 もはや説明の必要もないだろう。学園最強の戦闘機型バトルドレス使い。二年生。回避、射撃、熱量管理、戦況判断、どこを見ても高いレベルで完成されている。秋津島学園の在校生では唯一のマスカレイド出場者。二年生になってからは俺以外には一度も負けていない。

 さてこうなればチームオーダーが出たと考えるのが必然だ。秋津島学園はチームとして勝つために星をひとつ捨てる気でいる。


「大将は三津崎青羽だ。なぜこうなったのかは分かるな?」


「俺しか世界一位に勝てないからでしょ」


「アホは置いといて、選ばれなかったメンバーもなんらかの事情があれば急に出場ということもありうることは念頭に置いておいてくれ。我々は勝つぞ。三津崎に出番を作らせるな」


 とは言っても交流戦は交流を目的とした試合なので、勝敗が決まった後も試合は行われる。だからこっちが四タテして俺の出番とかでもいいのよ? でもできれば二勝二敗で出番が回ってくるのが望ましい。でなければエリザベス・ベイカーを追い詰めることが難しいからだ。

 国を背負っていると思いこんでいる彼女に現実を分からせるためには、その背負ってる国ごとぶっ飛ばしてやるしかない。それでアメリカという国が小揺るぎもしないことが分かれば、彼女も肩の荷を下ろせるだろう。


「向こうも出場者の発表が終わったようだ。組み合わせが出るぞ」


 PAの画面に目を落とすと、すでに組み合わせが表示されていた。

 興味があるのはただ一点。俺の相手。ジェファーソン記念校の大将だ。

 エリザベス・ベイカー。

 当然、その名前がそこにあった。




                 2115年7月19日(金)「秋津島学園」

                            バトルドレス格納庫



「さて、諸君、みんな大好きセットアップの時間だよー」


 卯月が両腕を組んで得意げに言う。

 交流戦を明日に控え、俺たちはドレスの最終調整を行うべく、格納庫に集結した。


「これまであっしとひとみで開発してきた青っちの専用ドレスパーツは色々あるが、対世界一位(エリザベス・ベイカー)で通用し得る構成を最終的に判断するのは青っちだ。あっしらは青っちがやりたいようにやれる環境を作り出す。それが仕事だ。青っち、コンセプトは決まったかい?」


 考えた。考えたさ。卯月。エリザベス・ベイカーを燃え上がらせるようなダンスを踊るために、俺にできることの全てを考えた。そんで諦めた。始めから答えなんて決まりきっていたんだ。


「エリザベス・ベイカーはバトルフィールド中央、地に足を付けて戦う全距離砲撃型だ。俺の得意とする近接型でこれに対抗するには答えはひとつしかない。超至近距離高速戦闘だ。張り付いたまま動きを止めることなく避け続け、当て続ける以外に道はない。ステップを使うぞ」


「ステップはまだ練習中だろ? 実戦で使い物になるのか?」


 碧が唖然として言う。

 ステップというのはバトルフィールドを床も含めて覆うように展開されたシールドを利用した移動法だ。シールドには慣性無効フィールドが張られているので、触れると慣性が消える。エリザベス・ベイカーはそれを自分が固定砲台となるための足場として使っているが、俺は踊るためのステージとして利用するつもりだ。

 つまりブーストで加速し、任意の地点でシールドに触れて動きを止める。自前の慣性無効装置を使うのに比べて、熱量の上昇を半減できる。逆に言えば倍の間隔でカウンターブーストが使える。

 単に一度だけカウンターブーストの代わりに使うというのは上級者なら誰でもやるテクニックだが、まるでステップを踏むように連続でそれを利用するというのは、マスカレイドでも上位に残るようなランカーしか使わない。いや、使えないのだ。

 自分の意思で起動する慣性無効装置とは違い、シールドとの接触による急停止は、思ったようなタイミングで発生させるのは難しい。思っていたのより早く、あるいは遅く、慣性が消えた場合でも、自分の認識を修正して次の行動に移れる状況判断の早さが必要とされる。


「やる。やれなきゃ世界一位とは踊れない」


「ステップを使うにはメインブースター四基を扱えるのが最低条件だぞい。ここのところ四基で戦ってはいるでござるが、まだぎこちない」


「感覚的には掴めてきてるんだ。四基でやる。戦いながら慣れるしかない」


「傍から見てるとよちよち歩きの七面鳥でござるよ。カモより悪い。碧から見て四基の青っちはどうなんでござる?」


「飛んでるときは酷いね。でもステップが上手く行くときはとことんハマる。どうしたって捉えられない。ひとみの指示は的確なんだけど、あたしのほうがついていけないんだ。だけど十二回当てるまで上手く行き続けたことはまだ一度もない。劣化世界一位(エリザベス・ベイカー)のあたしでさえ、その条件下でひとみがいれば青羽を倒せる。……難しいだろうね」


「そうでござるよなあ。青っち、今回はアレは封印するべきでござる。それでも青っちならステップは踏めるし、エリザベス・ベイカーにだって勝てるでござるよ。拙者たちの誰もそれを疑ってないでござる」


「駄目だ。ただ俺は勝つんじゃない。あいつの心を燃え上がらせる。そのためには、以前の俺の戦い方じゃ駄目だ。刃のように鋭く、灼けた鉄のように熱く、絹のドレスを扱うように繊細に踊らなきゃいけない」


「まったく、それだけ想われてるエリザベス・ベイカーが羨ましくなるね。分かった。整備士(メカニック)の仕事はダンサーの性能を引き出すことだ。今の青っちの性能を最大限に引き出してやるよ」


 卯月は急に真面目にそう言ってパーツを選択し始める。


「いいか。現状でDRESS.の反応感度はすでに初期設定値の三割増しにしている。こいつを五割増しに上げる。より繊細なコントロールが必要になるが、青っちが今の自分を使いこなせるならいける」


「いいね。じゃじゃ馬の扱いには慣れてきたんだ」


「素体は軽装系。熱量は上がりやすいが、冷えやすい。敵の攻撃は食らわないことが大前提だ。放熱板は風洞実験をした流線型のものを使う。空気抵抗は低いが排熱効率はそんなに良くないぞ。メインブースターは四基。姿勢制御スラスターは高出力なものを使う。ちょっと力を入れすぎると独楽のように回ることになる。だがステップを最大限活かすためにはどうしても必要だ。アクセルブースターは低出力で効率のいいものを。ステップを使った超至近距離戦闘では音速を超える必要はないからな」


「スペックだけは音速突破できるアクセルブースターでいいんじゃないのか? 出力を調整しながら使えばいい。そりゃ効率は悪くなるんだろうが、いざというときに超音速まで加速できるかは大きい」


「今の青っちでは無理だ。四基のメインブースターに意識を割かれながら、アクセルブースターの出力調整まではできない。言っただろ。お前の性能を最大限に引き出す、と。今の青っちにアクセルブースターの出力調整までさせると確実にオーバーワークだ。せめて四基のメインブースターを手足のように扱えるようになってからだ。青っちならいずれできる。でも今は逆に性能が落ちる。いいか、お前が全開で戦うためのセットアップを考えているんだ。単に機体のスペックを上げればいいというものじゃない」


「初心者向けのセットアップってわけか」


「何を言ってる。青っちの性能が高いからこういう提案ができるんだ。もし青っちの可能性が世界一位に届かないのなら、一点突破だ。とにかく機体のスペックを上げて、たまたま上手くハマる可能性に賭けるしかない。だけど、そんなのは青っちのダンスじゃない。だろ?」


「お前には敵わないな。卯月」


 そう言うと卯月はその横顔を少し赤らめる。ちょっと真面目になりすぎたからな。キャラ作りを忘れてたことに気付いたんだろう。


「ニシシ、続いては武装でござるよ。エネルギーブレードは出力を限界の七十%まで落とすでござる。冷却せずに三回攻撃が可能になるでござるよ。攻撃ごとに一秒の冷却時間を挟めば六回までいけるぞい」


「いっそ定格出力で使うというのは? 冷却を意識せずに振り続けられるんだろ?」


「青っちの戦い方では機体のエネルギーが足りなくなるでござろうなあ。バトルドレスの熱量も振り切れてしまう。適時休憩を挟んで機体を冷却させ、エネルギーを回復させなければならんのでござるよ。攻撃と回避のリズムが重要になってくるでござる」


「回避しながらエネルギーを回復させ、熱量を下げろってか。言ってくれるぜ」


「できないのか?」


 挑戦的に卯月は言ってくる。


「分かった。回避に専念する時間がどうしてもできるなら、エネルギーブレードの冷却時間が必要になることは問題じゃない」


「まあ、本来はエネルギーブレードの冷却も放熱板への熱誘導でやるものでござるからな。機体熱量を下げる時間はどうしても必要になるでござる。もっとも秋津瑞穂戦では誘導せずに加熱したブレードを捨てるとか言う暴挙を見せてもらったが」


「あのときは熱量がギリギリだったからな。ああする以外に無かった」


「今回はそうならないようにするでござる。決めたと思って決まってなかったら終わりでござるよ。んで、右手にはエネルギーブレードを持つとして、左手はどうするんでござるか?」


「ショートバレルのショットガンを持とうかと思ってる」


「扱いが難しいでござるよ。サブマシンガンじゃ駄目でござるか?」


「サブマシンガンだと多少当てても熱量はそんなに上がらない。それじゃ世界一位にプレッシャーを与えられない。食らったらヤバいと思わせる獲物が必要だ」


「とことんまで世界一位を踊らせる気でござるなあ。とりあえずそういうことで、っと」


 ロボットアームによる改修作業が終わり、バトルドレスを試験場に移動させる。各パーツの個性も含め全てのデータは卯月の頭に入っているんだろうが、全部を組み合わせた時には調整がどうしても必要だ。

 出力のバランス取りという面倒くさい作業も終わり、世界一位と踊るためのバトルドレスが完成した。格納庫に戻し、青を基調としたカラーリングと、青い羽のエンブレムを入れる。デザインはひとみの手によるものだ。バトルドレスのデザインがしたいと言った彼女の才能は、その性能うんぬんという部分より、見た目を整えることに特化している。卯月が性能を考え、ひとみがデザインした新しいバトルドレスは美しい曲線を持った美術品のようですらあった。


「試験データはアップロードしてあるから、もういつでもシミュレーターで使えるでござるよ」


「よし、やるか、碧。今日中に十二回当ててやるからな」


「本気で邪魔するからね」


「そうでなくっちゃ意味がない。碧とひとみのコンビに勝てないようじゃ、どうせ世界一位(エリザベス・ベイカー)には届かない」


 俺たちの挑戦が始まろうとしている。




                 2115年7月20日(土)「秋津島学園」

                            第1バトルアリーナ



 交流戦は公開戦だ。ネットで中継もされるし、バトルアリーナの観客席も一般に開放されている。世界一位が踊るということもあって、その注目度は抜群だ。夏休みということもあり、観客席は満員には程遠かったが、それでも島内に残っている生徒はそのほとんどがこの場にやってきていた。まあ、全校生徒が集まってきてもこの広さのバトルアリーナの観客席が満員になることなんてないんだけども。

 赤いバトルドレスが超音速でバトルフィールド内を飛び回る。対戦相手の蓄熱装甲がひとつ剥がれ落ちるごとに歓声が上がった。そりゃそうだ。戦っているのは秋津島学園の最強女王、秋津瑞穂で、ここまで秋津島学園は一勝二敗と追い詰められている。観客は交流のためにやってきたジェファーソン記念校のアンダーティーン以外はすべて秋津島学園の生徒だ。圧倒的なホームなのである。


「流石に瑞穂は安定しているな。ジェファーソンの学内二位を相手にまったく寄せ付けない」


「マスカレイドへの出場経験の差は普通の学内順位では表れないほどに大きいんでござるよ。なにせマスカレイドでは国内の大手メーカーがサポートに付くんでござるからな。バトルドレスの完成度が違うんでござるよ」


「子どもの喧嘩に大人が出てくるようなもんか。だけど子どもが大人に舐められっぱなしとは限らないぜ」


「事実、青っちは秋津瑞穂を一度倒しているんでござるからな。バトルドレスの性能差が決定的な戦力の差ではない、ということでござる」


「勝てるかどうかはダンサー次第、ってな」


 そんなことを話している間に瑞穂の試合が終わる。一度も被弾しない、蓄熱装甲を全部残した圧倒的な勝利だった。これがマスカレイド出場者とそうでない者の違いであるというのなら、世界一位に立ち向かうのが学内五位の捨て駒だと皆が思っているというのなら。


「面白いじゃねぇか。最高のショーを見せてやるぜ」


 赤いバトルドレスに乗った瑞穂が待機室に戻ってくる。シールドがあるためにバトルフィールドが傷つくことはないが、蓄熱装甲などのパーツがバトルフィールド内に落ちているため、清掃のため次の試合までは三十分間のインターバルがある。


「青羽、最高の舞台を用意したぞ」


 ドレスを脱いだ瑞穂がチームメイトから受け取ったスポーツタオルで汗を拭きつつ話しかけてくる。


「実況中継してる野郎は、秋津瑞穂が圧倒的な力を見せてくれて良かった。残念でしたが、エリザベス・ベイカーが卒業した後の来年に期待しましょうって締めくくりかけてやがるけどな」


「そいつの名前を後で寄越せ。学園にいられないようにしてやる」


「本気でできそうだから、それは止めといてやれ。何も知らない第三者ならそう思うのが当然さ。だが瑞穂の試合が終わって席を立った奴は後で後悔することになる。一番いい試合を自分の目で見逃したんだからな」


「ふふっ、期待しているよ。青羽」


「ああ、度肝を抜いてやる」


 固めた拳をぶつけ合わせ、俺たちは笑う。

 わずかにあった緊張も、行き過ぎていた気負いも無くなった。瑞穂と遊んでいた幼い頃と何も変わらない。これは遊びで、楽しむことが正解だ。それをあいつに教えてやるために俺は踊るんだと決めた。だから俺が楽しまなくちゃいけないんだ。


「青っち、時間だぜ」


 卯月に言われ、俺は固定台に乗った格納状態のドレスを装着する。体が固定され、神経接続スーツがドレスと繋がった。


「行ってらっしゃい。アナタ。――いたっ、いたいれふ」


 瑞穂に頬をつねられる卯月を見ながら、レールに運ばれ始める。


「青羽、あんたならできる。あたしが知ってる」


 疲労の色を残した碧に見送られて、俺はバトルアリーナへの通路を抜ける。第一バトルアリーナの中へ。半径五百メートルの広大なフィールドが目の前に広がる。二百五十メートル進んだところで停止。向こう側からも白銀色のバトルドレスが運ばれてきた。


「青羽くん、エリザベスさんはいつも通りのセットアップのようです」


 頭の中でひとみの声が響く。


「いいニュースだ。もうひとついいニュースがある」


「なんですか?」


「今の俺の状態は最高だ。負ける気がしねえ」


 通信機の向こうでひとみが控えめに笑った。


「エリザベスさんは比較的見えやすい相手ですが、私の指示を待たないで下さい。って言っても、青羽くんは分かっていますよね」


「ああ、任せておけ」


 電子音とともにカウントダウンが始まった。

 バトルドレスが固定台から解放される。

 このタイミングだけは決して外さない。

 イグニッション!

 反応炉が開放され、エネルギーを発生させ始める。それと同時に俺は前に足を踏み出した。ほぼ同時にエリザベス・ベイカーも前に向け走り始める。走る程度のことではエネルギーはほとんど消費しないし、臨界までの時間も変わらない。だがバトルフィールドは広く、開始位置は遠い。走る程度で得られる場所の利などほとんどない。しかしエリザベス・ベイカーに限ってはそうではない。彼女がバトルフィールドの中央に向けて一歩進めば進むほど、彼女の勝利が近づく。

 開始地点からバトルフィールドの中央までは二百五十メートル。普通ならバトルドレスで走れば三十秒かからない距離だが、床にシールドが張られている関係でそうもいかない。普通に走るように地面を蹴りつけても、慣性無効フィールドでその勢いは殺されてしまう。シールド上を走るのは、普通に走るのとは違う、また別の歩法が必要なのだ。そしてシールドの上をわざわざ走るというような奇妙な行動に関しては、エリザベス・ベイカーに一日の長がある。重装甲型バトルドレスであるにも関わらず、俺よりも速い!

 残り二秒。

 走りながらエリザベス・ベイカーが両手に持った銃を俺に向ける。彼我の距離は四十メートルほど。このまま射撃戦に入れば勝ち目はない。だがこうなることは織り込み済み!

 残り一秒。

 俺は反重力装置を起動させると、斜め前方に向けてアクセルブースト! エリザベス・ベイカーのすぐ隣で足をシールドに接触させ、急停止。流石世界一位。反応してくる。

 だけど、武器制限解除までは十分の一秒残ってるんだよなあ。

 斜め後ろ方向にアクセルブースト。眼前を拡散レーザーが切り裂いていく。メインブースターを全力噴射して、慣性を打ち消す。俺の体は一瞬だけ後ろにすっ飛んだかと思うと、小さな弧を描いてエリザベス・ベイカーの反対側に回る。足をシールドに触れさせて停止。――すでに斬ったぜ。エリザベス・ベイカー。ホワイトナイトの放熱板が目で見て分かるほどに熱を持った。


「このっ!」


 近すぎて声さえ聞こえる。エリザベス・ベイカーは俺に銃を向けようとするが、すでにそこに俺はいない。銃口の下を潜り抜け、正面を抜けて、反対側に戻る(・・)。二度目の斬撃がホワイトナイトを燃え上がらせる。アクセルブーストでその場を離れ、るように見せかけて、ステップで元に位置に戻る。三度目の斬撃がホワイトナイトを捉えた。

 マズいと思ったのかエリザベス・ベイカーはホワイトナイトのアクセルブースターを使う。だけどな、お前の逃げる方向。俺はすでに聞いて(・・・)いる。ほぼ同時にアクセルブースターを使用。拡散レーザーが俺の一瞬前に居た場所を薙いだ。ショットガンを撃つ。が、エリザベス・ベイカーは足元のシールドを使って急停止。これを躱す。俺も咄嗟にステップを踏む。だが亜音速での十分の一秒はあまりに長い。三十メートル近く離される。アクセルブーストで斜めに接近しようとしたが、銃口がこちらを向くほうが早い。ひとみの指示に従ってステップで回避。拡散レーザーの端っこが俺のドレスを掠める。エリザベス・ベイカーは引き金を引いたまま銃を振る。拡散レーザーが振り抜かれる。ステップを踏んで、前へ(・・)

 ドレスを焼かれながら、しかしそれでもエリザベス・ベイカーへの再接近に成功する。エネルギーブレードを振る。ステップで避けられる。エリザベス・ベイカーのヤバいところは、重装甲型バトルドレスに乗りながら、これだけ回避が巧みであるところだ。最初の奇襲で五発は当てるつもりだったが、目論見を外された。

 だが嘆いている暇はない。踊りだしたのだから止まれない。

 エリザベス・ベイカーは次の射撃を俺が避けたのを見ると、再びアクセルブーストで俺から距離を取ろうとする。その動きは知っている。ステップを踏んで、アクセルブースト。十分の一秒の遅れが致命的なら、百分の一秒にするだけだ!

 速く! 早く! 速く! 早く!

 動きが噛み合い始める。心の声が聞こえてくる。困惑しているな。エリザベス・ベイカー。学内五位だと聞いて、口だけ野郎(ビッグマウス)だと侮っていたな。いつも通りに処理できると思いこんでいたな。

 銃口の動きを読んで、聞いて、ステップではなく、メインブースターを巧みに操作して避ける。至近距離なら拡散レーザーと言ってもその攻撃範囲はさほど広くない。銃口さえ向けられなければ問題はない。最小限のアクセルブーストで、場合によっては姿勢制御スラスターを移動に使い、四つのメインブースターを巧みに操って世界一位に食らいつく。

 以前の俺ならもっと早かった。速かった。だがこれほど巧みには動けなかった。こうして至近距離を維持して、世界一位のその動きに食らいつくというような、上手い動きはできなかった。

 エネルギーブレードがホワイトナイトを捉える。アクセルブーストによる回避を強要されているホワイトナイトは熱量を下げる時間が無い。あらゆる行動が蓄熱装甲に熱を溜める。ドレス全体が熱を持って、空気が揺らぐ。次々と蓄熱装甲が剥がれ落ちていく。


「なぜ! どうして!」


 叫び声を上げながらエリザベス・ベイカーは銃口を振り回す。動きは速く、的確で、しかしそれゆえにひとみには読みやすい。エリザベス・ベイカーが最適行動を取れば取るほど、ひとみによってその動きは看破される。他人によってプログラムされた彼女には、俺への対処行動が取れない。彼女は彼女の才能を最も効率良く運用するための動きをする。ただそれだけの自動人形だ。

 なあ、おい、エリザベス・ベイカー。それじゃつまんねぇだろ。

 二回連続でエネルギーブレードが当たる。すでにホワイトナイトの蓄熱装甲は半減している。まだ半分だと思う自分と、もう半分かと思う自分がいた。集中力を酷使しすぎて頭が痛い。手の指どころか、足の指の一本一本までもが、ドレスの操縦に割り当てられている。指を曲げようとする力の強さでブースターの出力は変わる。力加減を間違えれば思っているのとは違うところにすっ飛んでいく。緊張することすら許されない究極の集中。バトルダンスがスポーツの最高峰にある理由。

 これがフルマニュアルの世界ッ!


「何故笑っている! 何故笑っていられる!」


「決まってる! 楽しいからだッ!」


 体中を糸が貫いて引っ張られているような苦痛。それに耐えながら亜音速から急停止、再び亜音速へと切り替わる世界を、認識し、屈服させる。つらい。苦しい。重い。熱い。熱い。熱い!

 楽しいッ!

 何故分からない。エリザベス・ベイカー!

 それだけの操縦技術を持ちながら、何故分からないッ!

 俺たちは自由だ!

 重力の軛から解き放たれ、音速の壁を超えられる俺たちは、世界で一番自由に動き回れるんだぞ!

 なのに、なんでそんなにつまらなさそうなんだよ!

 なんで他人の言うがままに動いてんだよ!

 拡散レーザーが顔を掠める。首を振らなければ当たっていた。上手い。バランスを崩された。姿勢を戻そうとすれば追撃が来る。俺は姿勢制御スラスターを吹かせて、横に一回転する。回転中にエネルギーブレードを振る。追撃のために構えていたエリザベス・ベイカーは避けられない。当たる。

 もしエリザベス・ベイカーがレーザーを撃ちっぱなしで振れば少しは俺に当たっていただろう。エネルギーブレードを振る余裕も無かったかも知れない。だが彼女は自身の排熱限界を超える攻撃は最小限に抑えるようにプログラムされている。


「自由意思で踊れよ! エリザベス・ベイカー!」


「あなたに何が分かるッ!」


 彼女の自動プログラムによるソロダンスに、俺とひとみが呼吸を合わせることでデュオが成立している。激しいステップに、射撃と斬撃の応酬。

 刃は届いた。力あることは示した。


「お前の操り主はアメリア・キースだろ」


 後は言葉が届くかどうかだッ!


「コーチは関係ない!」


 エネルギーブレードが熱量限界に達し、六秒の冷却時間を必要とする。ドレスの熱量も排熱限界を少し超えている。冷やす必要がある。世界一位(エリザベス・ベイカー)と至近で踊りながら、最小限の動きで、熱量を上げない動きで、その銃口を避け続ける。


「本気でそう思ってるならおめでたいな、エリザベス・ベイカー! 心当たりはないか? 疑問を感じたことはないか? マスカレイドでのサポート企業を決めたのは誰だ?」


「盤外戦術だッ!」


 近接戦をするに当たって、ついやりたくなる行動に、対戦相手の背後に回り込むというものがある。バトルドレスの視界は広いので背後にでも回り込まない限りは、対戦相手から見えなくなるということはない。冷却時間を稼がなければならない俺にとって、相手の視界から消えるというのは魅力的だ。

 だがそれは決してやってはいけない行動のひとつだ。忘れてはいけない。ドレスの背後にはメインブースターとアクセルブースターという、とてつもない熱量を生む装置があるのだ。至近距離からフルブーストの熱量を浴びせかけられれば、蓄熱装甲の全損で済めば御の字。一瞬で敗北するということも考えられる。

 つまり俺はエリザベス・ベイカーの視界からは逃げられない。彼女の泣きそうな瞳に見つめられながら、銃口を躱し続ける以外に無いのだ。

 まったく、言ってくれるぜ。卯月。

 あんな風に言われたら、やるしかないじゃないか。

 ここに来てフルマニュアルの操作は、動かすという感覚から、動くに変わってきた。世界一位との激しいダンスが、かつてない速度で俺にフルマニュアルを馴染ませているのだ。百分の一秒の感覚の遅れが、千分の一秒になって、遅延というものをまったく感じなくなる。俺は思うようにこのドレスを動かせる。


「アメリア・キースは不審な人物と接触はしていなかったか? 異常に金回りが良くはなかったか?」


「そ、んなことは、ないッ!」


 俺は反重力装置を切った。重力を利用することでより速くステップを踏める。熱量の上昇を抑えられる。シールドすれすれをブーストで飛んで、自由落下に合わせて足を出す。ステップ! 銃口の正面を通って逆サイドへ。エリザベス・ベイカーがレーザーを撃つが遅い。もうそこに俺はいない。宙返りしながらエリザベス・ベイカーの頭上を超えて、また逆サイドへ。

 エネルギーブレードの表示がレッドからグリーンへ。冷却が終わったのだ。ドレスも十分に冷えた。計算上、ミスをしなければ一秒毎の六回攻撃で世界一位は燃え落ちる。

 勝つ。勝ってしまう。

 だが、ただの自動人形に勝ったところで何の意味があるってんだ。

 この自動人形こそが世界一位? そんなもんは今はもうどうでもいい。


「俺は自由に飛ぶお前と踊りたいんだッ! エリザベス・ベイカー!」


 エネルギーブレードがホワイトナイトを捉える。ホワイトナイトの蓄熱装甲は残り二割というところ。もうエリザベス・ベイカーに後はない。牽制にショットガンを撃つ。当たる。――当たった?

 次の瞬間、ホワイトナイトがフルブーストでこっちに突っ込んでくる。ひとみの予測には無かった行動だ。意識していなかった。避けられない! 衝突の衝撃は慣性無効フィールドで打ち消されたが、ホワイトナイトはフルブーストを止めない。俺たちは顔を突き合わせたまま、空中に打ち上げられる。


「うわああああああああああ!!」


 エリザベス・ベイカーが絶叫し、銃を振り上げる。咄嗟にアクセルブースト。遅れて反重力装置を起動。拡散レーザーが体を掠める。そのままエリザベス・ベイカーはシールドまですっ飛んでいって、シールドの壁に足から着地した。そしてシールドで出来た壁を駆けて、跳ぶ。天井の中央へ。

 距離を離された。対応できなかった。収束に変わったレーザーが俺を狙って放たれる。回避、回避、回避! 回避しながら前に出ようとするとやや拡散気味のレーザーが待ち受けていた。横にアクセルブースト! それでもなお避けきれない。バトルドレスを焼かれながら前へ。五十メートルを詰めた辺りで、ホワイトナイトは天井中央という立ち位置をあっさりと捨てた。後退しながらの射撃。本来の世界一位(エリザベス・ベイカー)の戦い方では無い。俺という脅威を認識し、対応した動き。今ようやく彼女はソロダンスを止めたのだ。

 ひとみが回避先を伝えるので精一杯になっている。エリザベス・ベイカーを先読みできなくなったのだ。形勢逆転。一瞬でこちらが追い詰められている。

 彼女が天井を足場にしている理由は明らかにこちらのステップを警戒しているからだ。平坦な地面側と違って天井側は湾曲している。天地を逆さまのしてのステップは難易度が跳ね上がる。だがな、できないとは言ってないぞ。世界一位(エリザベス・ベイカー)。天井を足場にしたステップで距離を詰めていく。

 上下の反転程度では俺の動きは鈍らない。エリザベス・ベイカーも同様だ。だが湾曲した天井シールドを利用したステップは訓練していない。百分の一秒でも反応が遅れればそこを咎められる。避けきれない。被弾する。食らったからと言って自棄を起こせば、そこで終わりだ。アクセルブーストで被弾時間を最小限に抑える。今は声の届く範囲に近づけ!


「アメリア・キースは――」


分かってる(・・・・・)ッ! 本当は気付いてた!」


 バトルダンスで絶え間なく攻撃が降り注ぐというようなことはあまり起きない。当然ながら攻撃によっても熱量が上昇するからだ。当て続けられるのであればともかく、外せば自分だけが一方的に熱量上昇する。それでもなお攻撃を続けるというのであれば、それは相手に接近されたくない場合だ。今の世界一位(エリザベス・ベイカー)がそれに該当する。排熱限界を超えた攻撃量によって、俺を近づけまいとしている。


「向き合いたくなかった。気付かない振りをしていたかった」


「今は俺を見ろ! 俺だけを見ろ! エリザベス・ベイカー!」


「あなたは絶対に許さない」


 口元が思わず歪む。

 そいつはとびっきりの告白だぜ。エリザベス・ベイカー。

 避ける。避ける。避ける。避ける。避ける。撃ちながら避ける。食らいながら避ける。あっという間にこちらの蓄熱装甲は一割を切った。ホワイトナイトも似たようなものだ。ジリ貧だ。このままだと負ける!

 なんとかレーザーを掻い潜って接近し、エネルギーブレードを当てるしかない。自身の感覚を研ぎ澄ます。細く、鋭く、硬く、長く!

 まだ、まだ、まだ、まだ――。

 ここだッ!

 レーザーに向かって突っ込んでいく。蓄熱装甲を全損させながらもレーザーの中を抜けて、ホワイトナイトを切り払う。カウンターブースト! 二連撃! 慣性無効装置を使い、姿勢制御スラスターで縦回転する。三撃目! 冷却が必要になったが、卯月の忠告に従い、エネルギーブレードは捨てない。かと言って熱誘導もできない。俺のドレスの熱量は敗北ラインのわずかに下だ。熱量を生むような行動はなにもできない。

 アクセルブーストで離脱したホワイトナイトに向けてショットガンを撃つ。弾は出た。ホワイトナイトの熱量は敗北ラインを超えていない。弾はいくらか当たったようだが、雀の涙だ。距離がありすぎる。ホワイトナイトの銃口がこちらを向く。俺はもうアクセルブーストさえ使えない。熱量が限界なのだ。使った瞬間俺が負ける。必死に機体を振る。銃口から逃れようとする。だがアクセルブーストを使われたせいで彼我の距離は百メートルほどある。拡散レーザーの攻撃範囲は広い。

 最後まで諦めるな! 機体を冷やせ! 時間を稼げ!

 さっきまでレーザーを乱射していたエリザベス・ベイカーが撃ってこない。いや、撃てないのか? 彼女もまた熱量が限界なのでは?

 俺は銃口から逃げるのを止め、ホワイトナイトに向けてメインブースターを吹かす。エリザベス・ベイカーはメインブースターのみで機体を振る。銃口はこちらを向いたままだ。必要なだけ機体が冷えたらあそこからレーザーが飛び出して俺を焼き尽くすだろう。真っ直ぐに接近しながらショットガンの狙いをつける。

 エリザベス・ベイカーが獰猛な笑みを浮かべた。

 その瞬間、反重力装置を切って入れる。ドレスは複合金属の塊だ。反重力装置が無ければ当然落ちる。ドレスの位置が下にずれて、レーザーが頭を掠める。エリザベス・ベイカーの目が見開かれる。

 レーザーの下を駆け抜けてエリザベス・ベイカーの真下へ! エネルギーブレードの表示はまだレッドのまま。冷却は終わっていない。ドレスの熱量も高い。冷やしきれていない。ショットガンを振り上げている暇はない。いま行動を起こさなければ負ける!

 勝利に向けて俺は手を伸ばす!

 ホワイトナイトの脚部を引っ掴んだ。慣性無効装置が干渉しあってお互いの動きが止まる。


「うおおおおおおおお!!」


 メインブースターを全開にして回転する。ホワイトナイトをぶん回す。エリザベス・ベイカーにしてみれば慣性無効装置を起動するのが正解だ。エリザベス・ベイカーならすぐに気付く。だからその前に地面に向けてホワイトナイトをぶん投げた。

 地面に向けて落下するホワイトナイトがその途上で静止する。慣性無効装置を使ったのだ。そうだよな。そうするよな。だがその判断はもう遅い!

 俺の方からぶん投げたのだ。そのまま距離を取るのが正解だった。別に床に叩きつけられたところで張られたシールドによってダメージは無いのだ。中途半端な距離で静止したエリザベス・ベイカーは真横に向けてアクセルブーストした。とにかく回避。その判断は正しい。だが正しい故に一手遅い!

 上方から反重力装置を切った俺が落下する。ホワイトナイトの回避方向に向けてアクセルブースト。方向はひとみから聞いていた。


「届けぇぇぇぇぇぇ!」


 冷却の終わったエネルギーブレードでホワイトナイトを上から下に叩き斬る。熱量の余裕を完全に使い切り、俺は床のシールドまで落下する。着地の衝撃を吸収して、反応炉熱量が敗北ラインを超えた。

 ブザーが鳴る。

 ホワイトナイトも反応炉熱量はギリギリだったはずだ。

 どうだッ!?

 次の瞬間、眼表モニターに試合結果が表示される。

 先に熱量限界を超えたのはホワイトナイトだ。つまり勝ったのは俺だ。


「いよぉっしゃああ!」


 メインブースターを吹かして起き上がる。

 ホワイトナイトが降りてきた。エリザベス・ベイカーは何の感情も感じさせない能面のような表情に戻っている。


「あなたのお陰で私は終わり。命令を無視した上、負けた私にもう価値は無い」


「でも楽しかったろ?」


「ええ、楽しかった。ありがとう。さようなら」


 そう言ってエリザベス・ベイカーは行ってしまおうとする。その背中に声をかけた。


「待てよ。マスカレイドでまたやろうぜ。今度は最初から全力全開のお前と踊りたい」


「命令を聞かない駒なんて役に立たない。私は棄てられる」


「棄てられるのはどっちかな?」


「……?」


 エリザベス・ベイカーはきょとんとした顔を浮かべた。


「戦いながら散々話したろうが。アメリア・キースは色んな不正に手を染めていた。こっちにゃその証拠がある。というか、今頃はもうネットに拡散しているはずだ。そういう手筈だからな。アメリア・キースはもう終わりだよ」


「そんな……」


 エリザベス・ベイカーは立ち尽くす。


「何をそんなしょぼくれた顔してんだよ。お前が汚い金を受け取っていないことも分かってる。お前は自由になったんだ。これからは自分の翼で飛ぶんだよ」


「でも、でも、私は……」


「今日のダンス、楽しかったろ? これからは毎回こんな風に楽しいんだぞ。大丈夫だ。何かあれば連絡しろよ。俺と、俺の仲間が必ずお前の支えになる」


「どうして? あなたはどうして私のために?」


「俺も楽しかったからだよ。お前ほど俺を熱くさせてくれるダンスパートナーは滅多にいない。だからまた踊ろうぜ。今度は世界の舞台で、さ」


 エリザベス・ベイカーは少し呆けた顔をして、それから笑った。


「今度は負けない。ううん。勝つ。あなたに勝つ」


「その意気だ。エリザベス・ベイカー。だが次も勝つのは俺だ」


「じゃあ、マスカレイドで」


「ああ、マスカレイドで踊ろう。約束だ」


 俺とエリザベス・ベイカーは背を向けてお互いの居場所に戻っていく。その途中で俺は右手を振り上げた。総立ちになっていた観客が歓声を上げる。

 どうだ! やってやったぞ! 俺は、勝ったぞ! 世界一位(エリザベス・ベイカー)に!

 待機室に戻ってドレスを脱いだ俺は興奮した出場者たちにもみくちゃにされる。賛辞の声がこそばゆい。彼らは手のひらを返したわけではない。俺と順位を争ったアンダーティーンたちは俺が順位を落とすことを悪く言ったりはしなかった。彼らは俺が瑞穂を倒した後、フルサポートからフルマニュアルに切り替えたことを知っているのだ。それに気付かないような連中じゃない。彼らはこの土壇場で俺がフルマニュアルを使いこなしたことを称賛しているのだ。

 しばらくされるがままにしていたが、人の輪を抜け出して、待っていた瑞穂に歩み寄る。


「勝ったぞ。瑞穂」


「青羽ならやると思っていたさ」


 拳をぶつけ合う。


「世話をかけたな」


「なぜ青羽が言う? 私が世話を焼いたのはエリザベス・ベイカーだ」


「瑞穂のお陰で次は最初から全力全開のあいつと戦える」


「ふっ、マスカレイドの組み合わせ次第だということを忘れるな。あの舞台でエリザベス・ベイカーを倒すのは私だ」


 それから瑞穂の陰に隠れていた卯月を覗き込む。この二人だけ駆け寄ってこなかったのだ。碧? 普通に俺をもみくちゃにしてましたよ。


「卯月もありがとうな。お前のお陰でエリザベス・ベイカーに勝てたし、アメリア・キースの悪事も暴けた。感謝する」


「わ、私たちはチームメイトだ。協力するのは当然のことだ」


 この場にいる全員の注目を浴びているせいか、卯月はそうとだけ言って瑞穂の後ろに隠れてしまう。あれだけ虐められてたのに、いつの間に懐いたのかね?


「碧、ギリギリまで練習に付き合ってくれてありがとうな。お前がいなきゃステップは完成しなかった」


「卯月が言ったろ? あたしたちはチームメイトだ。力を合わせるのは当然だよ」


「それでも感謝はさせてくれ。お前たちは最高のチームメイトだよ」


 そして俺はもう一度拳を振り上げる。


「勝ったぞ! おまえら!」


 みんなが押し寄せてくる。傍にいたので瑞穂も卯月も巻き込まれた。みんなでもみくちゃになりながら笑う。最高の気分だった。まるで世界の頂点に立ったかのようだった。いや、立ったのだ。これは交流戦で公式戦じゃない。だが世界一位を落としたのは事実だ。世界一位と同じ舞台で踊り、競り勝ったのだ。


「バトルダンスは最高だぜ!」




                 2115年7月20日(土)「秋津島学園」

                                生徒指導室



「で、だ。なんでここに呼び出されたかは分かっているよな」


 さつきちゃんが腕を組んで、半目で俺たちを一瞥する。

 ここにいるのは、俺と卯月と瑞穂だ。

 他のアンダーティーンの面々がジェファーソン記念校のフェアウェルパーティーに参加しているはずの時間である。


「エリザベス・ベイカーに勝ったからお褒めの言葉をいただけるのかなぁ?」


「はぁ、勝ったのはいい。よくやった。それについては文句はない。なんならアメリア・キースの悪事を突き止めたことも褒めてやってもいい」


「マジかよ。もう怒られることなんて無くね?」


「阿呆め! 秋津、三津崎、太刀川、なぜ私に相談しなかった? なぜアメリア・キースの悪事を証拠付きで公開して拡散した? 秋津、お前が居ながらなぜこんな暴挙を許した?」


「お言葉ですが、先生。両校の学長はお互いに内々で事を収めようとしたのではないですか? アメリア・キースは厳重注意。その程度の処分で終わるところだったのではないですか?」


「そうやってお前らが大人を信用できなかった結果、大炎上だ。そりゃそうだ。世界一位のダンサーに絡む金銭問題だぞ。メディアが煽って燃料投下を始めてる。第三国まで巻き込んでの大騒動だ。お前ら、この騒ぎの責任が取れるのか?」


「責任を取れと言うのなら、アメリア・キースに言うべきでしょ? あいつが企業から裏金を受け取っていなければこんなことにはならなかった」


「悪人だと思ったからといって、私刑にかけて、火をつけてもいいということにはならないんだよ。三津崎。日本もアメリカも法治国家だ。個人が己の感情で悪を決めつけてはいけないんだ」


「それは理想論でござ……でしょう? こうしてネットで拡散しなければ、秋津島学園とジェファーソン記念校の間でなんらかの取引が行われて、それで手打ちになったんじゃないですか?」


「大人が汚いから、自分たちも汚れていいということにはならないんだよ。太刀川。世の中は確かに綺麗事だけで動いちゃいない。汚いことに手を染めずにいれば必ず報われるなんて言う気もない。だけどな、物事は正しい手続きを踏むべきなんだ。手段を探すのはいい。大人になれば誰も何も教えてくれなくなる。自分で調べ、探すことはとても大事なことだ。だが自分を守るためにも手段は選べ。お前たちはいま正しいことをしたと思っているのかも知れないが、それは間違いだ。こうやって叱られている間に気付け」


「正しいか、正しくないかなんてどうでもいい。俺はエリザベス・ベイカーを解放したかった。そのためならなんだってする。太刀川や、秋津先輩は俺に巻き込まれただけです。責任を取れと言うのなら、俺が取ります」


 さつきちゃんの目が俺を睨む。マジでお怒りのやつだ。


「阿呆が。なんでもするとか、責任を取るとか、軽々しく口にするな」


「さつきちゃん、俺は本気で言って――」


「なお悪い! この騒動の発信元がお前らだと世間に知れたら、公式戦への出場停止処分では済まないかも知れないぞ。退学ということだって十分有り得る。いいか、お前らはそれだけのことをしでかしたんだ。幸い、太刀川が上手くやったせいで、今のところ情報の発信元が秋津島学園の生徒であるということは知られてない。学内でお前らに処分を下せば、その原因はなんだ? という話になる。至っては秋津島学園のスキャンダルだ。お前らは大人の汚い事情によって守られる。不服そうだな。そう思うんなら、次はまず私に相談しろ。その上でもっとちゃんとやれ。誰にも文句を言わせない手段で、きちんと物事を処理するんだ」


 さつきちゃんの言うことは正論だ。正しいことだ。だけどそれじゃどうにもならないことだってあるだろう? 目の前で誰かが殺されそうになっていても、暴力はいけないからって警察を呼んで成り行きを見てるだけで済ませろってのか? 被害者はどうなる? 六法全書を説けば、加害者は改心するのか? 正しい行いってのはなんだ? 法律を守ることと、人としての尊厳を守ることは別だ。


「秋津島学園はバトルドレスに関係する人員を育成するための学校だ。そしてバトルドレスは兵器だ。それを扱うということがどういうことかよく考えろ。お前たち、特にダンサーには適性値には表れない適性が必要だ。特に三津崎。世界一位(エリザベス・ベイカー)に勝ったお前は、間違いなく世界最強のダンサーだ。その座に相応しい人格というものについて考えろ。力あるものが好き勝手に振る舞える、そんな世界で本当にいいと思うのか? フェアウェルパーティーが終わる時間までこの部屋で待機を命じる。よく考えろ。それが罰だ」


 そう言ってさつきちゃんは生徒指導室を出ていく。後に残された俺たちを顔を見合わせた。


「一応、無罪放免ってことなのかな?」


「大人の事情とやらに救われた形でござるなあ」


「すまない。ふたりとも。私がもっと実家と上手く付き合っていれば他にもやりようはあったかも知れない」


「瑞穂の事情も仕方ないさ」


 気がついている人はとっくに気がついていると思うが、瑞穂の実家は秋津島学園の設立に大いに関わっている。秋津家と言われてもピンと来ないかもしれないが、四羽(よつば)のロゴマークを知らない人はいないだろう。トンボの羽をモチーフにしたあのロゴマークだ。瑞穂は日本最大級の財閥系企業体のお嬢様ということになる。

 だが瑞穂と実家の折り合いはあまりよろしくない。秋津家は瑞穂がダンサーをしていることを快く思っていないのだ。それでも今回の件に関して、瑞穂は実家の力を使ってくれた。いくら卯月が優秀なハッカーだとしても、秋津家の情報網が無ければアメリア・キースの裏金の流れまで追うことは難しかっただろう。


「さつきちゃんの言うことももっともでござるな。連邦警察に情報提供するに留めるべきだったのかも」


「エリザベス・ベイカーのためにはあのタイミングしか無かった。正しくなかったとしても、やってよかったと思ってる。二人を巻き込んでしまったことは、失敗だったけどな」


「そういうことではござらんのだよ。青っちは世界一位(エリザベス・ベイカー)を倒した。交流戦は公開戦でござる。世間の注目は青っちに集まるでござるよ。そんな青っちの脛に傷があれば、面白がってその情報を拡散しようとする者が必ず現れるでござる。そんなくだらないことで足を引っ張られたくはないでござろう?」


「世界一位になるためには強さだけじゃなくて環境も必要だってことか」


「少なくとも出場停止処分になれば世界一位どころか、マスカレイドにも出られないでござるよ。今後は行いに気をつける必要があるでござろうな」


「それは確かに問題だな。分かった。要は自衛しろってことなんだな」


「そういうことなんだろうな。その上でうまくやれ、ということなんだろう」


「結論が出ちまったなあ」


 フェアウェルパーティーが終わるまではまだしばらく時間がかかるだろう。勝手に部屋を出ていったら、今度こそさつきちゃんのカミナリが落ちる。ここは大人しくしている他になさそうだ。


「この機会に聞いておきたいんだが……」


 なんだか歯切れ悪く瑞穂が言った。


「なんだ?」


「その、お前たちは、付き合ってるのか?」


「はぁ?」


「ふぇっ!?」


「だって、太刀川は青羽の嫁だとか言うし……、すごく信頼しあってる感じだし……」


「マジに受け取るなよ。卯月の冗談を真に受けてると持たないぞ」


「でもまあ、青っちはロリコンだからな。私くらいの女の子にしか欲情しないん、ぶべっ」


「お前、流石に言っていいことと悪いことがあるぞ。あと思ったよりガチに入った。それはすまん」


「うぅ~、痛いでござるぅ」


 卯月は俺に殴られた頭を押さえて(うずくま)る。


「まったく、瑞穂も馬鹿な想像しなくとも平気だぞ。もしも彼女ができたとしても俺たちの関係は変わらない、だろ?」


「それは、まあ、えー、そうくるかぁ」


「秋津殿、青っちにそういうのを期待するのが間違いでござる」


「なんだよ、お前ら。俺が悪いみたいに」


「「青羽が悪い」」


 えー、どういうことなの?

 そんな感じでわいわいやっていると、控えめに扉がノックされて、一人の女生徒が生徒指導室に入ってくる。癖のある金髪に深い蒼色の瞳。フェアウェルパーティーに出ているはずのエリザベス・ベイカーだった。


「おう、どうした? お前も怒られにきたのか?」


「違う。青羽たちがいないから聞いたらここにいるって」


「そうか。パーティーはもういいのか?」


「みんな気を使うから」


「あー、負けた上に炎上してるからなあ。って大体俺の所為だな。すまん」


「それはいい。監督に謝られた。あの人のこと気付けなかったって。これからは自由に踊っていいって。それは青羽のお陰、だから」


「気にするな。俺が俺のためにやったことだ」


「でも、嬉しかった。だからお礼」


 そう言ってエリザベス・ベイカーは俺の手を掴んで引いた。思わず前のめりになった俺の頬に柔らかいものが触れる。


「「あーっ!」」


 瑞穂と卯月の叫び声が響き渡る。


「次、勝てたらもっとすごいことしよ。勝てたら、ね」


 そう言い残してエリザベス・ベイカーはさっさと部屋を出ていってしまう。後に残されたのは、頬に残った柔らかい感触と、手を取り合って震える瑞穂と卯月だった。


「き、気付いたでござるか。秋津殿」


「あ、ああ、あの女……」


「「どっちが勝ったらって言わなかったッ!」」


 波乱の予感を含みつつ、交流戦は幕を下ろす。国内選考戦はもう近い。俺たちは立ち止まってはいられない。マスカレイドに向け、戦いは加速する!

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