第十話 プリリア王女殿下
スーリアの家を訪ねた翌日、アルフォークは友人で王宮の筆頭魔術師のひとりであるルーエンにこの不思議な花を見て貰おうと思い立った。空間の歪みはいつ発生するかわからないので、アルフォークの任務は空き時間の見通しが立ちにくい。すぐに見せに行こうと、まだ午前中のいつもに比べて人通りが少ない宮殿内を一人足早に歩いた。
魔法騎士団の待機所と魔術師の魔術研究所は共に宮殿内にある。しかし、宮殿はとても広いので、魔術研究所に行くには結構な距離を歩かなければならない。宮殿内の渡り廊下に差し掛かったとき、アルフォークは聞き覚えのある話し声が後方から聞こえた気がして更に足を早めた。話し掛けられるとやっかいだ。
「あら、アルじゃない。何処へ行くの?」
聞き覚えのある高い猫なで声をかけられて、アルフォークは肩をすくめた。無視するわけにもいかず振り向くと、そこには予想通りの人物、プリリア第三王女とその侍女と護衛の姿があった。
「アルがこんな朝から王宮のなかを歩いているなんて、珍しいわね。丁度いいわ」
王女は目が少し吊り上がってきつい印象を与えている目尻を下げてにっこりと微笑んだ。金の髪を豪華に高く結い上げて、コルセットできつく締め上げられた細い身体に合わせたドレスはふんだんな刺繍が施されている。彼女のその見た目は、誰から見ても極上の美人の範疇に入るであろう。
「そっちは丁度よくてもこっちは丁度よくない!」と言いたい気持ちにぐっと蓋をして、アルフォークはその顔に美貌の微笑みを浮かべた。
「これはご機嫌麗しゅう御座います。プリリア王女殿下」
アルフォークは身体を向き直し、すぐに丁寧腰を折って王女の前に跪いた。無言で片手を差し出されたのでその手をとると指先にキスを落とした。その態度にプリリア王女は満足げに口の端を少し持ち上げた。
「リアって呼んで。わたくしとアルの仲じゃない」
「私などのような者には恐れ多い事です」
「これは命令よ、アル」
「仰せのままに、リア様」
最初猫なで声だった王女はアルフォークが自分を『リア』と呼ばない事に腹を立ててキツい命令口調で命じた。アルフォークが言い直したことに満足したようで、また元の猫なで声に戻りにっこりと微笑んだ。
アルフォークとこのプリリア第三王女の出会いはかれこれ五年前に遡る。国王陛下の末娘であるプリリア王女は、国王の寵愛を一身に受けている側妃の娘だ。側妃はその美貌で有名だった市井の踊り子を国王が見初めて召し上げた。側妃ゆずりの美しい見た目と国王の側妃への寵愛から、プリリア王女は周囲から蝶よ花よともてはやされて育った。だが、その環境はプリリア王女を自分の望んで叶わないものなど存在しないと考えるような我が儘な性格に育てることになった。
流行病による近衛騎士の欠員を補充すべく護衛のために初めてアルフォークがプリリア王女に会ったとき、アルフォークは十九歳の魔法騎士団の若手騎士、プリリア王女はまだ十四歳だった。若く美丈夫のアルフォークをプリリア王女は気に入り視察先でも必要以上に連れ回したが、アルフォークはまだ王女が子供のような年頃だったこともありその我が儘に笑って付き合った。
だが、その後もプリリア王女は事ある毎にアルフォークを護衛に指名するようになり、今や魔法騎士団長となったアルフォークに未だに視察のお伴をさせようとする。周囲がそれは近衛騎士の仕事だとやんわりとプリリア王女を戒めたりするが全くもって暖簾に腕押し状態だ。
プリリア王女はアルフォークを立ちあがらせると、すぐにその腕をアルフォークの鍛えた片腕に絡みつかせてきた。振り払うわけにもいかず、アルフォークは困惑する。
「アル、何を持っているの? まぁ、花束かしら? 小さいけど貰ってあげる」
プリリア王女はアルフォークの片手に握られていた花束を目ざとく見つけると有無を言わさずにその手からひょいと取り上げた。アルフォークは内心で舌打ちしたが、王女殿下から奪い返すわけにもいかない。ちょうど魔術研究所に向かっている途中にプリリア王女と鉢会うとは、自らの運の悪さを呪わずにはいられない。
「リア様。こちらの花ですが実は気になる事があり、別の者に渡そうと──」
「アル。わたくしが貰ったのだから、もうわたくしのものだわ」
「……。リア様の仰せのままに」
アルフォークが花を取り返そうと申し立て終わる前にプリリア王女はぴしゃりとその発言を遮った。アルフォークはぐっと言葉を飲み込んで、プリリア王女に頭を下げる。プリリア王女はアルフォークが自分に従ったのを見て満足げに目を細めた。
「ちょうど庭園の散策をしようと思ったところだったの。アルがエスコートして」
「ですが、それは近衛騎士が……」
「アル、私の言うことが聞けないの?」
「申し訳ありません。出過ぎたことを申し上げました。お手をどうぞ、リア様」
王女殿下の散歩のエスコートは近衛騎士の仕事だ。目の前の近衛騎士から仕事を奪うことになるが、魔法騎士の自分には王女の命令は絶対だった。アルフォークが手を差し出すと、プリリア王女の白く美しい手がそっと重ねられる。
「見て、アル。とても綺麗に咲いているわ。美しいと思わない?」
「そうですね」
「……それだけ?」
「美しいリア様にとてもお似合いです」
「まあ、ありがとう」
満足いく答えが返ってきたことてプリリア王女は美しい笑みを浮かべてころころと笑った。だが次の瞬間、前方を見たプリリア王女はその形の良い眉をひそめた。
「この花、萎れてきているわ。庭師は何をしているの? すぐに手入れさせなさい」
その花は花びらの一部がほんの少し茶色くくすんでいるだけだった。命じられた近衛騎士がその花を根元から引きちぎると、プリリア王女は満足げに微笑んだ。
──同じ『リア』でも、スーリアとは全然違うな。
庭園でプリリア王女の退屈な話を聞きながらアルフォークの頭に浮かんだのは、満面の笑顔で花の説明をするスーリアの姿だった。
「アル、この後はお茶にしましょう。いいでしょ? よい茶葉が手に入ったの」
小一時間も庭の散策に付き合わされて、さらにお茶に付き合えと言われてアルフォークは困惑した。出来れば遠慮したいが、プリリア王女が納得するとも思えない。言われるがままにプリリア王女に従って歩いていると、今度はドスの利いた低い声に呼び止められた。
「アル。何をしている? この俺をどれだけ待たせる気だ??」
視線の先に不機嫌そうな顔をしたエクリードを見つけ、アルフォークはまたしても肩を竦めた。
***
目の前の王子の指が机にあたり、コツンコツンと音が鳴る。アルフォークはその音を聞きながら、やっと助かったと胸をなで下ろしていた。
「それで、勤務時間におまえは何をしている? リアとお茶とは呑気なものだな」
「面目ございません。救出して頂き感謝しています」
無事にプリリア王女に解放されたところでエクリード第二王子殿下に皮肉を言われ、アルフォークは項垂れた。エクリード殿下はそんなアルフォークを見てはぁとため息をついた。
「どうせリアに我が儘を言われて付き合わされていたのだろう? お前はリアの近衛騎士では無いのだぞ?」
「返す言葉もなく……」
「あの我が儘な妹などさっさと周辺国に嫁に出せばよいものを。父上は何をしているのか。顔だけが取り柄だからな、あいつは。政略結婚には喜ばれるはずだ」
同意するのはさすがに不敬にあたる。アルフォークは無言で苦笑いをしてエクリード殿下を見返した。
「あのまま行くと、リアはお前が欲しいと父上におねだりするぞ。アルはリアを引き受ける覚悟はあるか?」
「俺では身分が足りない筈ですが?」
アルフォークは伯爵家次男であり、継げる爵位は無い。だからこそ魔法騎士団に入団し、若くして騎士の道を志した。爵位なしの騎士に王女が嫁ぐなどあり得ないことだ。
「それくらい、なんとでもするさ」
「恐れ多すぎて自分にはとてもとても……」
仏頂面で眉をしかめるアルフォークを見てエクリード殿下はぶぶっと噴き出した。
「酷い顔だ。あの見た目で王女の端くれ。欲しがる男は星の数ほどいる。光栄な話では無いか?」
「星の数ほどいる方々にその大役はお譲りします。私のような小者は謹んで幕外に下がりましょう」
「アルらしい答えだな。国政への欲が無い。それでこそお前だ」
けらけらと笑っていたエクリード殿下は一通り満足するまで笑うと真剣な顔でアルフォークを見つめた。
「ところで、なぜリアにつかまっていた? なにか別の用事があってあの場にいたのだろう?」
この王子殿下ははやり頭の回転が速いとアルフォークは舌を巻いた。隠しても無駄だろうと、スーリアに貰った花の事をエクリード殿下に話した。
「なるほど。確かにあの時、アルはサンダードラゴンの攻撃から一瞬で防護壁を作って身を守っていたな? そんな力のある花があるとすれば、本当に凄いことだ。ルーには今から会いに行くのか? 俺も行こう」
「そうしたいところなのですが、肝心の花をプリリア王女殿下に取られてしまいまして……。私の執務室に昨日貰った花があるので取って参ります」
「アル……お前はとことんなってないな。魔獣対策の他にリア対策を考えた方がよいぞ?」
魔獣対策の方が数段簡単だとアルフォークが頭を抱えたのを見て、エクリードはけらけらと笑ったのだった。