12 〜トイレの花子さん〜
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「もぐもぐ・・・・・・ごくっ。よぉ、久しぶりだな。絶叫女子高生ゴリウーマン」
「なっ! 何ですか、その売れそうもない漫画のタイトルみたいな名前は!」
「え、可愛く・・・・・・ないか?」
「可愛いのセンス狂ってんのか、あんたは! 私の名前は、青山裕佳梨です!」
「光太郎さん、ダメですよ。そんな言い方したら————はぁむ、もぐもぐ」
あれから一週間が過ぎ、遥は久しぶりに闇雲光太郎の家を訪れていた。
牛鬼との戦いで、半壊したトイレや廊下、はたまた穴だらけになってしまった校庭が一夜明けると、そこには広がっていた。
これを見た、教職員、生徒は半ばパニックになり、「やっぱり、怪奇現象だー!」「トイレの花子さんがお怒りなんだわー」と騒ぎ、その後神童学園は、一週間の休校になった。
裕佳梨は内心、この事について警察や学校側から問い詰められないか、ヒヤヒヤ、ビクビクしていたが。同じ事件の当事者である闇雲は、特に気にする様子もなく「姫奈さんが、手回ししてくれっから平気ー」と呑気に言っていた。
どうやらそれは、本当であったようで、謎の校舎破壊事件として、警察は別の悩みを増やされ捜査会議が難航している————という事を先日電話で教えてもらったが・・・・・・目の前でショートケーキを頬張ってニコニコしている若井姫奈という女性は、本当に何者? という疑問が裕佳梨の頭の中をグルグルと回り始め、しばらくは気になって夜も眠れなさそうだった。
「————それで、今日は何の用があって私を呼び出したんですか? まさか、変なあだ名を付けて遊ぶためじゃないですよね?」
「その————ま・さ・かぁ・・・・・・」
「コラ。いい加減にしなさい」
「いて」
ぺシッ! っと、頭を若井に叩かれた闇雲は、手を擦り合わせ、小さく頭を下げていた。
最初は、美男美女のカップルと思ったが、向かいのソファーの光景を見るに、親子の方が合ってるかも・・・・・・と思わず笑いそうになった・・・・・・ってか、私にも謝れ。
「ごめんなさい、青山さん。あれから、なぜ牛鬼があの旧校舎に住み着いていたのかを調べていたのですけど、その結果が分かったので、一応ご報告しようと思いまして————」
その事は裕佳梨も気になっていた。あんな恐ろしい妖怪がなぜあの旧校舎にいたのか。
「青山さん、あの旧校舎の裏って森になっていますよね」
「はい。フェンスが張ってあって入った事はないですけど。結構深い森だから、入っちゃいかん。と事務の先生に言われた事があります」
「実は、あの森の奥には小さな祠があって、そこに過去、牛鬼が封印されていた事が分かったんです」
「えっ、本当ですか!」
初耳だった。そんな事は生徒はおろか教師陣、もしかしたら、この街のほとんどの人が知らなかっただろう情報を、この人は見つけたというか事か、と改めてこの女性は本当に何者? という文字が頭の中を高速回転し始める。
「はい。昨日、光太郎さんと実際に森に入って確認して来ました。どうやら、戦国時代頃の霊能者によって封印されたようで、祠の残骸が残っていました」
「残骸?」
ショートケーキを食べ終え、コーヒーを美味しそうに飲んでいた闇雲は、テーブルの上にあった新聞を裕佳梨に差し出してきた。
「その新聞は、四十六年前のものなんだが、どうやら当時この街一帯で大規模の地震があったみたいでな」
少し色が黄ばんだ新聞に目を通すと、確かに、この街の写真が載っていて沢山の家屋などが倒壊していたことが分かった。小さくだが、学校裏の森も一部で崖崩れが起きていたと記されている。
「その地震の影響で祠が壊れて、封印されていた牛鬼が外に出てしまった————という、まぁ単純な理由なんです」
四十六年前、つまり四十五年前、あの旧校舎の女子トイレで殺されていた、女の子も牛鬼に・・・・・・。
その事実を考えると、何ともやるせない気持ちになった。まだ幼く、将来があり、これから沢山の楽しい事や辛い事を経験して大人になる————そんな未来を彼女は。
「・・・・・・あの花子さ————女の子は、ずっと守っていたんですね。もう自分以外、犠牲を出さないように・・・・・・とても、優しい子」
「そうだな」
そうポツリと呟いた闇雲の、眼鏡の奥の瞳が少し悲しそうだった。
「それから、青井さん。本当に、ありがとうございました」
話の途中いきなり、若井姫奈はソファーから腰を上げて頭を深く下げてきた。
何故、自分が感謝されているのか分からず、裕佳梨は慌ててしまい、手をパタパタと無駄に振ってしまう。
「へっ? えっ、あの何で私に感謝を? むしろ解決してもらったのは、こっちですよ!」
そう言う裕佳梨の言葉に小さく首を振りながら、若井はゆっくりと口を開く。
「だって、青山さんは光太郎さんの命の恩人ではないですか。聞きましたよ、大声を出して牛鬼の注意を引きつけ、光太郎さんを救ったと」
「あぁ、えっとー あれはー、そのー」
今思うと、校門の前といい牛鬼の時といい、恥ずかし過ぎる。でも、無意識に出てしまったもので、裕佳梨にはどうする事も出来なかった。
全く、一歩間違えば死んでいたかもしれないのに、自分ときたら————。
「小学生の時も、いじめられていた絵美さんを、同じような行動をして助けたそうじゃないですか、凄いですね」
「んっ?」
確かに、小学校時代まだ赤井絵美とそんなに親しくなかった頃、クラスの男子達が彼女をいじめているのを見て。大声を出して追っ払った時があり、それがきっかけで、絵美と仲良しになったのだが。若井が何故その事を知っているのだろう? そういえば、闇雲もあの夜の旧校舎内で同じように自分の昔の話を————。
裕佳梨の反応を見て、何かに気がついたように隣に座る闇雲に若井は言った。
「もしかして光太郎さん。西村さんにまだ話していなかったんですか?」
「い、いやだって、教えても結局コイツには見えないわけで、それに・・・・・・」
ソファーに背中を預け、両手を後頭部に回しながらリラックスしている闇雲は罰が悪そうに、目を背ける。
「それでも言ってあげるべきだと、私は思いますよ」
「う、うー」
しばらく隣に座る若井と目の前の裕佳梨を交互に見て、困った表情をしていたが、やがて眼鏡をを外し、裕佳梨の目を見て口を開く。
「・・・・・・聞いたんだよ」
「聞いたって、誰にですか?」
母親とかだったら、色々面倒なので憂鬱な気分になりそうだったが、この一週間、特に何も言われていないので、その線は無いだろうな・・・・・・。
小首を傾げる裕佳梨に、後頭部をガリガリと掻きながら、急に眼鏡を外した彼の視線が、自分の後方に移ったような気がする。そして、彼は一つ咳払いを入れて間を開けると、ゆっくりと言葉を発した。
「・・・・・・赤井絵美だ」
「えっ?」
この期に及んで、まだ自分におふさげでもしているのだろうか。だって、そんなはずは無い。
なぜなら裕佳梨は絵美が殺されてしまったから、この闇雲光太郎という男に相談に来たのだ————それなのに絵美に聞いた、だなんて不可能だ。
「殺されてからも、ずっとお前と一緒にいたんだよ。霊になってもお前が心配で」
「!」
後ろを振り向いたが、そこには何もいなかった。
いや、自分には見えていない・・・・・・のか。
「初めて、ここに来た時もうるさかったぜ。お前を止めてくれって。何かあったら呪ってやるぅぅ! って騒いでよ。この俺に向かって、どんな脅しだ」
「友達思いの、良い女の子じゃないですか。ね、青山さん」
「・・・・・・っ」
「? 青山さ————」
急に目の前が霞んできたので、右手を目元に持っていくと濡れていた。止めどなく流れる涙を必死に抑えこもうと思ったが、ダメだった。
「・・・・・・えぐ。くっ、うっ、うっ・・・・・・」
「どうぞ」
必死に頭を下げてお礼を伝えつつ、宝子が差し出してくれたハンカチを使うと、その色鮮やかな水色は、すぐに色濃くなってしまう。
————なるほど、これで色々納得した。
しばらく室内では、裕佳梨の嗚咽だけが響いていてその間、闇雲も若井も黙って落ち着くのを待ってくれていた。
「・・・・・・絵美ちゃんは、まだ居ますか?」
ようやく、話せる状態まで落ち着いた裕佳梨が鼻を啜りながら闇雲を見た。
彼は少し視線を落としながら、目の前のコーヒーカップを手に取り、口を開こうとするが、一瞬止まってしまう。
「・・・・・・」
「? 闇雲さん?」
「・・・・・・いや、牛鬼が消えた時、一緒に逝ったよ。心配事がこれで消えたって————よ」
「そうですか」
無理だと分かっていても、会いたかった。
もう一度、あの子の笑顔を見たかった。
笑い合いたかった・・・・・・でも、もう二度と叶う事はない。
そんな現実を突きつけられたようだった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
肩を落とす裕佳梨の背後と、裕佳梨自身を交互に見た後、闇雲はゆっくりとコーヒーカップを机に置いた。
「・・・・・・これは、赤井絵美が勝手に話していた事で、別にお前に伝えてくれとも、何も言われなかったんだけどな————」
そう言った闇雲は、立ち上がり。背後にある窓のカーテンを一気に開け放ち、空を眺める。
「あの時・・・・・・いじめられた時、助けてくれたお前が本当にヒーローに見えて、お前のようになれるように頑張ったけどダメだった・・・・・・」
「え」
初めて聞いた。あの時はただただ必死で、泣いている女の子を助けたくて、叫んだだけだ。とてもヒーローなんかには見えない、むしろヒーローと言うなら、絵美の方だ。
正義感が強く、困っている人を放っておけない、友達思いな、そんな絵美の方なんだ。
「私なんて、全ぜ————」
「それが、残念。でも————」
「・・・・・・」
闇雲邸の庭に生えている大きな木に、二羽の小鳥が仲良く枝に止まり、羽を休ませる姿があった。
その様子を闇雲も見ているか分からないが、彼はずっと窓の外に目を向けながら、最後に力強く言葉を発した。まるで、託された強い想いを、確かに伝えるように。
「お前と友達になれて、とても幸せだった・・・・・・ありがとう。そして・・・・・・さようなら。だとよ」
羽を大きく広げ、今まさに二羽の小鳥は天高く青い青い大空へ舞い上がり、気持ち良さそうに飛んでいった。
「本当に・・・・・・本当に、闇雲光太郎さん。ありがとう・・・・・・ございました」
「・・・・・・あぁ」
眩しい眩しい太陽に向かい、どこまでもどこまでも無邪気に飛んで行くその姿に、あの頃の自分が重なった。




