第9話 プロポーズ
最初に言っておくが、僕のケガは右手首の骨折だけだ。
一口に骨折と言っても、この苦しみは本人にしかわからない。昔はなぜか骨折に憧れていたこともあったが、実際に骨折するとその不便さはたまったもんじゃない。特に利き腕だったから、余計に不便さは増すばかりだ。
でも、こんな腕でもやれることはある。僕は今日美咲に告白をする。
その前に、ここまでの経緯を簡単に説明しておこう。
車にひかれた後、僕は意識を失ったわけではなかった。確かに背中を打ったので、しばらく息が詰まってその場にうずくまっていたら、車から美咲が降りてきた。声を出さずにただうなっているだけの僕に、美咲は半泣きになりながら揺さぶってきた。
「孝介!やだ・・・しっかりしろ!」
「ん・・・・・だいじょーぶ」
なんとか体を起こすと、美咲がよかったと深く息をつくのがわかった。幸いどこからも血は出ていなかったが、体を支えている右腕が異様に痛かった。見ると、赤く腫れあがっているのがわかる。
「手・・・折れてんじゃないか?」
美咲が心配そうに手を触ろうとしたが、僕は腕をぶんぶんと振って大丈夫なことを伝えようとした。余計に痛くなっただけだったが。
少し落ち着いてくると、僕は美咲の後ろに岸本徹の姿を見つけた。彼は表情こそなかったが、その顔が誰かに似ていると思った。この人は最低だと美咲もおじいさんも言っていた。僕も今まではそう思っていた。しかし、たった今のその表情を見て考え方が少し変わった。
「美咲、どうしてこの人と別れようと思ったの?」
堂々とそんなことを聞いたのは、美咲の反応と岸本の反応を見るためだった。案の定、2人は驚いたように固まってしまった。美咲は嫌そうな、そして岸本はまるで子供のように怒ったような顔になる。
「・・・・・・キレるからだよ。自分の思い通りにならないと相手が誰だろうと暴力をふるう。逆らうと、もっと殴られるから・・・・・」
それは美咲にとって、とても辛い記憶であることがわかる。僕はそんな美咲を見ているのが辛かった。聞いてはいけないことを聞いてしまったと思った。
僕は岸本を通り越して、その後ろにいるボディーガードたちに話しかけた。
「あなたたちから見て、それは本当の話なんですか?」
挙動不審にソワソワとしている反応を見ただけで、それが日常茶飯事に行われていたことがわかる。
「違う!!」
不穏な空気を遮ったのは、他ならぬ岸本だった。今までの余裕のある態度はどこへ行ったのか、今はひどく焦っているように見える。
「俺の言うことが絶対だ!俺は間違ってない!周りが俺についてこれないだけじゃないか!」
その言葉を聞いて、ようやく岸本が誰かに似ていると思った理由がわかった。本人には言えないけれど、美咲に似ているのだ。性格ではない。時々垣間見せる人間らしい一面が妙に新鮮に思えるのだ。
この人はただ子供っぽいところがあるだけなんだ。
「仕事を有利に進めるためにこの女との結婚を考えていたが、俺を理解しないヤツのほうが最低じゃないか」
「はぁ?あんたを理解なんてできるわけないだろ!」
美咲が怒り狂って叫ぶが、僕はそれを遮って岸本に言い放った。
「まぁ、確かに美咲は凡人なので岸本さんの考え方にはついていけないかもしれませんね」
美咲が僕をにらんでくるのがわかったが、構わず続ける。
「俺には美咲が必要なんです。だから・・・」
「そんな理解不能女、こっちから願い下げだ」
簡単に言えば、僕が岸本の心をあおった結果だった。それでも、本気でそう思っていたのか、あの後本当に婚約解消をしてくれて僕は堂々と美咲とつきあえるようになった。美咲にしてみれば、大嫌いな相手にあそこまで言われて面白くないようだが、もう一緒にいなくて済むのだからやっぱり嬉しそうだった。
ちなみに、この事件には裏がある。美咲のおじいさんだ。僕の事故のことで本来なら岸本は法的に何か言われるところなのだが、おじいさんはそれをネタに僕にも美咲にももう二度と関わらないと約束させたのだ。確かに、僕は岸本の車にひかれたが、あれは僕も悪い。それをこんな形で終わらせるなんておじいさんはある意味最強キャラなのかもしれない。
とにかく、もう気兼ねなしに美咲とつきあえる。それがすごく嬉しかった。
しかし、嬉しさのあまりデートの当日に寝坊してしまい、あわや30分も遅刻して待ち合わせ場所に向かった。
美咲は頼りなげにそこに立っていたが、僕を見つけると一瞬ほっとしたような顔になるとすぐに僕の股間に蹴りがクリーンヒットした。ひょっとしたら折れた右腕より痛いかもしれない。
「遅い!!!30分も私を待たせるなんて・・・!!ありえない・・・」
「ごめん・・寝坊しちゃったんだよ」
「バカヤロー!!」
今日のデートはただ紅葉を見に行くだけだった。しかし、たったそれだけのことが特別に思えて楽しい。まるで初めてのデートのようなどきどき感があるようだ。
だけど、今日の僕はズボンの左ポケットに入った大事なものをいつ美咲に渡そうかそればかりを考えていた。バイト代で買った指輪。美咲は受け取ってくれるだろうか。
「孝介、こういうの好きか?」
お土産店で唐突にそんなことを聞かれた。美咲の手には、銀色の小さなアクセサリーのついている青色と水色の糸を編みこんだミサンガのようなものが握られている。
「好きだよ。高校のときとかつけてたときあるし」
「じゃぁ2つ買おっと」
すたすたとレジに行く美咲の後姿を見て、僕は彼女が何を言いたいのかわからなかった。しばらくして戻ってくると、彼女は買ったミサンガの片方を僕に差し出して言った。
「あげる。迷惑じゃなかったらつけててよ」
おそろい。その言葉が浮かんできた。ミサンガも嬉しかったが、おそろいのものを買いたいと考えた美咲の心がもっと嬉しかった。
「ありがと。大事にする」
おうっと美咲が精一杯平静を保とうとしている姿も見ていて面白かった。
夕方、僕はそれとなく美咲を海の見えるほうへ促すと、気がつけば僕と美咲がつきあいだす場所となった展望台の近くまで来ていた。ここは夜はもちろんそうだが、この時間でも人がいないらしい。僕にとってはチャンスだった。
しかし、潮風を肌に感じながらどう切り出そうかと考えていたとき、
「私、たぶん13だよ」
美咲にそんなことを言われてしまった。一瞬何の話かと思った。美咲は僕のほうを見ることなく言い放つ。
「指輪の・・・サイズ」
「うっそ!?9号買っちゃったよ!」
これで僕のサプライズ計画は終わってしまった。おろおろとしている僕に、美咲は苦笑している。情けない・・・理想のプロポーズじゃない・・・
「じーちゃんが今日のデートで指輪だって言うから試しに聞いてみた」
あのじーさん・・・最強のボスキャラかもしれない。
「あーぁ・・・これじゃぁ俺のプロポーズ大作戦が台無しだよ・・だけど・・・・・美咲、聞いてくれる?」
「聞く」
美咲はやっぱり海を見つめている。僕も同じように眺めて、息を吸った。
「結婚してくださーい!!!」
僕の大声の告白は広大な海の前ではとても小さなものだった。これが僕の精一杯だ。今さらながら、心臓がどくんどくんと高鳴ってきた。
美咲も大声でイエスかノーで返事してくれると思ったのだが、僕の考えとは裏腹に小さな声でぼそっとつぶやいた。
「私と孝介、お互いにどっちが好きになったほうが早いかって聞かれたら絶対私だと思うよ。だからさー・・・・・」
美咲は大きく息を吸う。
「オッケー!!!」
彼女の告白の返事は海にも僕のもとへも大きく響いた。美咲が頬を赤くして僕を見る。そんな彼女を僕は抱きしめた。今は左手でしか彼女を抱きしめられないけれど、腕が治ったら彼女を両手で抱きしめたい。僕は強くそう思った。
その日から美咲の左手の薬指で指輪が光るようになった。ちなみに、サイズはぴったりだった。