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おしどり夫婦へ  作者:
5/22

第5話 雷雨の夜に

「ただいまー」

 最初にその言葉を言ってみたとき、一体どんな反応が返ってくるか興味津々だったが、相手は意外にもあっさりとしていた。

「ああ。おかえり」

 夏休みを利用して始まった奇妙な同居生活。そのことを父と母に話すと、見合いがうまく進んだことを喜んでいた。いきなり息子の同居を聞かされた親の反応とは思えない。世の中本当にわからないことだらけだ。

 わからないことと言えば、武藤ファミリーも謎だ。親バカな父親と同居を提案した母親、それから暴力女。1番常識があるのはおじいさんかもしれないとなんとなく思う。同居生活を通して何かを試されるらしいが、毎日マッスルボディが自慢の人間に襲われることは覚悟していなければいけないかもしれない。

 同居の舞台となったのは、美咲の家から少し離れた所にある一軒家を使わせてもらうことになった。正確には、おじいさんの趣味で建てられたアトリエらしい。アトリエといっても、キッチンもあるし、トイレもある。生活していくのに十分だった。

「あのさ、ご飯あるけど食べる?」

 バイトから帰ってきた僕に、美咲は困ったように顔をしかめながら言う。失礼ながら一瞬何の冗談かと思った。

 リビングのテーブルの上にはチャーハンとお吸い物とサラダが乗っていた。なんとなく感動を覚えたのも束の間、すぐに見たくもないものを発見した。

「えのきにしめじにしいたけ!!!キノコ入れるなよー!」

「うるさい!好き嫌い言わずに食え!もし残したらー・・・・・」

「わ、わかった。食べます!」

 放っておいたら右ストレートでも飛んできそうだったので、慌ててスプーンを手に取る。味はおいしかった。やっぱりキノコは好きになれないが、美咲の作る料理を僕はすぐに好きになった。見合いのときに、おじいさんが料理が得意と言ったこともあながちウソではないかもしれない。

 結婚初夜のような緊張感はあったが、すぐに慣れた。美咲とこんな日常的なことをするなんて意外でおかしい。風呂に入って、テレビを見て、12時くらいにもう寝ようと思った。試しに、

「一緒に寝る?」

 とニヤニヤしながら聞いてみると、美咲は顔を赤くして僕のみぞおちに蹴りを入れてきた。クリーンヒットだった。


 一緒に暮らし始めてわかったことがある。

 美咲は高校卒業後、企業に就職したが、上司のセクハラめいた口調に嫌気が差して辞めてしまったらしい。今はバイトを探している状態だから、本人曰くニート。これも本人が言っているのだが、普段は本性を出さずに行動しているらしい。僕と会ったときはちょうどその本性が出ているときだったから、今さら気を遣うこともないと言っていた。

 そして、おそろしく照れ屋だった。僕が何気なく、

「美咲って学生時代はモテたんだろうね」

 とつぶやくと、美咲はふるふると首を振った。

「今まで誰ともつきあったことないんだ」

 へーと僕は思った。じゃぁ僕が初めての恋人なんだ。なんとなく嬉しくなって顔がほころんだらしい。美咲がじっと僕の顔を覗き込んでくる。

「孝介は?まさか何人もの女を相手にしてきたわけじゃないだろうな?」

 誰かとつきあったことがないと言ったらウソになるので一瞬だけ言葉につまると、すぐに右ストレートが飛んでくる。僕はなんとかそれを避けた。

「こんのー・・・浮気者がー!!!」

「誤解だって!全然つきあってないって!」

 その日1日は口を利いてくれなかった。今まで2人の女の子とつきあったことがあるということは伏せておくことにした。

 しかし、怒ってもすぐに機嫌を直してくれることにも気づいた。


 幸せだった。こんな幸せは今まで味わったことがない。

 失礼な話だが、僕は今まで女性とのつきあいの中で、こんな幸せを味わうことなんてないと思っていた。僕は妙に気を遣うところがあって、勝手に疲れてしまうのだ。そんなところがたぶん顔に出るんだ。いつも僕はフラれた。

 美咲の場合、出会い方から異常だ。今さら気を遣えというほうが無理な話だ。

 だから、同居をしてみても美咲の新たな一面が見えて楽しい。ずっとこのままでいたいとも思った。美咲と一生一緒にいたい。

 美咲がどう思っているかはわからないが。


「風呂空いたぞー」

 同居生活を始めて3週間がたったある日、風呂から出た僕はリビングにいる美咲にいつものように声をかけた。彼女はテレビをつけっぱなしにしながら、窓の外を興味深そうに見つめていた。外は雨。何が見えるのだろうか。

「孝介、光った。ほら」

 外が一瞬白く光る。割とすぐにごろごろと雷鳴がする。雨はそんなにひどいようには思えないのだが、雷が鳴っているらしい。僕も美咲の後ろから外を見た。また光った。

 今度はとても大きな音で雷が鳴る。

「ウチの妹なんか雷超苦手だぜ?今頃布団にくるまってるかも。美咲は怖くないんだ」

 妹の姿が想像できておもしろい。

「私に怖いものなんてない」

 そのときはそれもそうかもと思ったが、怖いものがない人間なんていないのだ。それに気づいたのは、その日の夜のことだ。あの後すぐに寝ようとベッドに入ると、突然何の前触れもなしに部屋の扉が開いた。

 驚いて飛び起きると、美咲が僕の腕をがしっと掴んできた。

「美咲・・?どうしたんだよ」

 月がないから、美咲がどんな顔をしているのかわからなかった。ただ、その様子が尋常ではないことはわかる。体が微妙に震えていることもわかった。

 美咲はゆっくりと息を吐いてから、おそろしく低いトーンでつぶやいた。

「て・・・停電、したんだ」

「停電?」

 僕は部屋を真っ暗にして寝るので気づかなかった。てっきり美咲も寝てしまったと思っていた。

「豆電球で寝るんだ・・・・・真っ暗は怖いから・・・・」

 あっさりと怖いものを言っている。さっきは怖いものなんてないと言っていたくせに、今はそんなことを考える余裕がないらしい。試しに電気のスイッチを点けてみたが、電気が点く気配はなかった。なるほど、豆電球が消えたから、停電に気づいたのか。

 僕は安心させるために、彼女の頭をぽんぽんとなでた。

「大丈夫。きっとすぐに点くよ。点くまでなんか喋ってよっか」

 手探りでケータイを探したが、その手を急に掴まれた。驚いて美咲を見ると同時に、僕の頬に何かが当たった。それがキスだと気づくとき、美咲は泣いていた。顔はよく見えなかったが、確かに泣いていた。

「・・・なんで・・・・・泣いてんの?」

「泣いてない」

 ぐすっと鼻水をすする音が聞こえた。僕らはどちらからともなく互いにキスをした。まるで互いがそこにいることを確かめ合うような、そんなキス。

 しばらくして明るくなった。思っていたよりも早く電気が点いたが、僕は停電していたことを忘れていた。美咲はどうなのかはわからない。涙の痕がしっかりとついていた。唇を離した。

「電気・・・復活したね」

「ん・・・・・」

 美咲は目をこする。僕はリビングに行って電気を点けてこようと思ったとき、美咲にまた腕を掴まれた。今度はまっすぐな意志を纏った目で僕を見つめてくる。なんとなく不安な気持ちになった。

「孝介、前に言ったよね?俺を選べって・・・・・・ほんとは気づいてた。最初から選んでたと思う・・・・・・お願いだよ、傍にいて」

 外ではさーっと雨が降っている。雷はもう鳴っていない。

「電気は点けとく?」

 僕は尋ねた。

「消して」

 こんな気持ちは初めてだった。美咲が何を考えているのかわからなかったが、これだけははっきりとしていた。

 これは美咲が望んだ結末だ。


 翌日、はっとして目を覚ますと、隣に寝ているはずの美咲の姿がなかった。急に心細くなって辺りを見渡す。昨夜、美咲がこの部屋に来た形跡が全くなかった。嫌な予感が頭によぎる。僕はジーパンだけ履いて部屋を飛び出した。

 しかし、すぐに美咲は見つかった。

「おーおはよ・・・・」

 美咲はいつものように挨拶した後、僕の格好を見て固まった。心底嫌なものを見る目だった。

「服を着ろー!!!」

 フライ返しが飛んできたが、僕は紙一重で避けてそのまま美咲に抱きついた。普段の自分では想像できない行動だった。後ろから抱きつかれた美咲は成す術もなく止まっている。

「よかった・・・いなくなったかと思った」

 自分でもこんなに独占欲が強いなんて思わなかった。こんなに大切な人に会えるなんて思ってもみなかった。それは美咲も同じだと思っていた。

 しかし、彼女は僕の腕を乱暴に振りほどいた。

「これ、弁当作っといたから昼に食べて」

「美咲?」

 様子がおかしい。また昨日の不安感に襲われた。そういえばなぜ美咲は泣いていた?普段の美咲らしくない行動も昨日は見せた。暗闇が怖いのは本当だろうが、なんとなく違和感を感じた。

「お前・・・どうしたんだよ?」

「ごめん、な」

 それだけ残して美咲は家を飛び出していった。慌てて追いかけたが、上半身に何も着ていないこの状態では外に出ることができない。頭の中が混乱していた。

「美咲ー!!」

 彼女を呼ぶ声だけが8月の朝の空に響き渡った。

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