第3話 俺を選べ
人を待つことと待たせること、どちらが嫌かと聞かれたら、僕は後者を取る。だから、待ち合わせ時間にはだいたい5分前には行くようにしている。例え相手がどんなに非常識で怪力で暴力女だとしても、僕は少し早めに待ち合わせ場所に向かった。
驚いたことに、待ち合わせ相手はすでにそこで待っていた。僕を見つけると、笑顔のかけらも見せずに、
「遅い!レディーを待たせるなんて人間失格だ」
君に言われちゃおしまいだよ。もちろん口には出さない。出せば余計ややこしいことになるとこの短期間の経験で思い知っている。
「で、どういう風の吹き回しだよ。今度は何企んでんだよ」
僕は美咲の服装を観察しながら尋ねた。ブーツカットのジーパンに白っぽい七部袖。春らしい格好だった。この性格と口調がなければ、学校ではモテモテだったんじゃないかと思う。そういえば、僕は父の上司を美咲の父親かあのおじいさんかと思っていたのだが、見合いが終わった後父に聞いてみるとそうではないらしい。詳しい話は聞かなかった。
「ただのデートだっつの。電話で何度も言っただろ」
説明するのも面倒くさそうだ。
「へー・・・てっきり嫌われてるのかと思ってましたけど」
「嫌いだよ。でも、頼める相手が他に思いつかなかったからさ」
「頼み?」
きょとんとして聞き返すと、真顔で美咲はうなずいた。綺麗な黒髪が風になびく。
「私、もうすぐ大会社の跡取り息子ってヤツと結婚すんだ。その前に1度でいいからデートっぽいことしてみたかったんだ」
素っ頓狂な声が出そうになるのを僕はなんとかこらえた。父もおじいさんもそんな話一言もしていなかったじゃないか。もしこんな光景を見られた日には、まるで僕が不倫相手みたいだ。
「なんで見合いなんてしたんだー!」
「あれはじーちゃんが勝手に準備して、私は騙されて来たんだよ!見合いなんて知ってたら来ない!第一、跡取り息子との結婚だって父さんが勝手に決めたんだ。これでアンタとの浮気がバレて婚約が破談になるんなら、そっちのほうが好都合」
なるほど、それを狙ってたわけか。僕はようやく納得した。おじいさんが何を考えているのかはわからなかったが、僕としてはこのままデートをするわけにはいかない。
そのときだった。僕は背中に誰かの視線を感じた。昔からこういう悪質な視線にはなぜか敏感だった。なるべく頭を動かさないように目だけで振り返ると、視界の片隅にこちらを窺っていると思われる男性の姿が目に入った。
「気づいた?」
何でもないことのように美咲は言う。尾行という文字が頭の中に浮かんできた。
「お前、知ってたのか?」
「こんなのあいつと初めて会ってからずっとだ。たぶん婚約者の行動を四六時中監視してないと気がすまないんだろ。よく部下が交代して私を張ってるよ」
ふぅとため息をつく。もう慣れっこのようだった。僕だったらノイローゼになってしまいそうだ。誰かにずっと見られている生活なんて。ひょっとしたら、そんな美咲を気の毒に思って、おじいさんは新たな見合いを考えたのかもしれなかった。
「・・・・・ねぇ・・・婚約者のこと好き?」
それは確認の意味を込めた質問だった。美咲は何を今さらというような顔で、
「大っっっっっっっ嫌い!!!!!」
はは、と僕は笑ってしまった。少なくとも僕よりも嫌いらしい。
「いいよ。デートすっか」
そのとき、なぜデートしてもいいという気持ちになれたのかはわからなかった。同情したわけでも、好きになったわけでもない。たぶん初めて美咲の人間らしいところを見て興味を抱いたんだと思う。そんなどうでもいいきっかけだった。
僕だって20歳なんだから、デートの1つや2つしたことがあるが、それにしても今回のデートは人生で最も恐ろしかった。
とりあえずデートといえば遊園地と美咲が言い出して行ってみたものの、どのアトラクションに乗っても2,3組後に必ず尾行男が1人でジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷に入ったり、試しにコーヒーカップに乗ってみたら、やっぱり1人で乗っていた。
1番驚いたのは僕がトイレに入ったときだった。何気なく鏡を見ていたら、突然後ろに尾行男が現れたのだ。驚いて振り向くと、男は僕のほうなんてまるで見ていなかったかのようにすーっと通り過ぎていった。
しかし、それでもこんなに楽しいデートは初めてだった。僕は女の子とのつきあい方が下手で、いつも変に気を遣ってしまってすごく疲れるのだ。今回の美咲の場合、お互いに本性をさらけ出しているので、今さら気を遣うことなんてなかった。わがままも文句も簡単に言える。
それに、美咲がただのアイスクリームを食べておいしそうな顔をしている姿はなんとなく微笑ましかった。今まで奇声をあげて暴力をふるっているところや、綺麗な着物を着ているくせに柔道の技をかけてきたところしか見たことがなかったので、妙に新鮮だった。
「なにアホ面してんだよ」
まぁ、中身は全然変わっていないが。
「してねーよ。アイスおいしいんかなーって思って」
「うまいよ。食ってみる?」
何気なく差し出されたアイスカップを僕はこけしでも出されたように見つめた。僕は人間不信になりそうだった。世の中わからないことだらけだ。
僕はおずおずと手を伸ばして美咲のカップを手に取る。自分のスプーンで一口食べてみた。バニラの味が口の中に広がっておいしかった。
「うまい」
率直な感想だった。そんな僕の反応を見て、
「だろ?」
美咲も笑った。何かを企んでいた笑みではなく、純粋な笑顔を見たのは初めてだった。暴力女といえども、やっぱり女の子だ。
だんだん武藤美咲という人間に興味を持ち始めている自分に気づいた。
午後7時ごろ、僕たちは遊園地を出た。もう少し待っていればパレードが始まるのだが、僕も美咲もパレードを見るために場所取りをしておくほど熱がなかった。アトラクションに乗るだけ乗って、すっかり満足してしまった。
せっかくのデートだ。僕は海の見える展望台に寄ろうと提案してみた。嫌だと言われればそれまでだが、意外にも彼女はすんなりとオッケーしてくれた。ひょっとしたら、彼女は気を許した相手には素直になるのかもしれない。
失敗したことに気づいたのは、展望台に登った後だった。この時間、海は真っ暗なんだ。
美咲は見ても面白くない望遠鏡を覗いている。
「今日はありがとな」
覗きながら、美咲はぽつりとつぶやいた。身を乗り出していた僕はそのお礼の言葉に驚いた。
「アンタは嫌いだけど、今日は楽しかった。ムカつくけど、デートにつきあってくれたこと感謝してる。言いたくないけど、ありがとう」
一言どころか、三言くらい余計な気がするけれど、僕は素直にお礼を受け止めた。と、同時に少しだけ悲しくなった。その美咲の言葉でなんとなくわかった。もう僕たちは二度と会わないだろうということが。僕がこれに答えてしまったら、もうお別れだ。
「そういうことでしたか・・・さぁ、美咲様帰りましょう」
答えたのは、僕ではない。今まで尾行してきたあの男だった。なぜかわからないが、途中からすっかりその存在を忘れてしまっていた。まさかこんな所にまで現れるとは・・・
「今日のことは見なかったことにしてさしあげます。もう十分でしょう。早くお戻りにならないと、部長がご心配さないます。さぁ・・・」
僕は言い返そうとしたけれど、美咲はあっさりと男の言葉に従った。その反応に驚いた。いつもの美咲なら相手をぶん殴ってでも黙らせるはずだ。ドッペルゲンガーじゃあるまいし、一体どうしたのだろうか。今日は、ただ男と一緒に去ろうとしている。
そのとき、美咲がくるりと僕を振り返った。いつものように無表情だった。
「じゃーな。覚えとけ」
何をだよ。僕はそう思いながら最後の美咲の顔を見た。ほんの一瞬だった。なんとなくだったが、美咲が泣きそうに見えた。胸が痛んだ。
「待てよ!」
無意識に叫んでいた。それに反応して尾行男が振り返る。違う、アンタに振り返ってほしいわけじゃないんだ。僕はそこの暴力・怪力・自分勝手女に振り返ってほしいんだ。
「ほんっと自分勝手で、すぐ暴力ふるうし、非常識だし、こんな女ごめんだよ・・・・・もう最後にしたい。選べよ。その大会社の息子と結婚して後悔するか、ここにいる人全員ぶっ倒して自由になるか・・・・・俺を選んで一生後悔するか」
美咲が驚いたような顔をして振り返った。彼女の困惑した顔が新鮮で面白くて見ていて飽きない。僕はただそれだけを考えていた。
風が鳴る。潮の匂いが鼻をくすぐった。
「俺を選べ!美咲!」
瞬間、尾行男が仰向けに倒れた。別に僕の言葉が面白くてずっこけたんじゃない。美咲に顔面フックをくらったんだ。美咲は僕の腕を掴んで、そのまま猛スピードで展望台の階段を下っていった。僕は足がもつれそうになるのをなんとか堪えた。
「あーあ・・・・・これで私の人生めちゃくちゃだ」
走りながら美咲はため息をつく。だったら思わせぶりな顔するなよ、と僕は胸中で悪態をついた。運動不足で息があがった今の状態では何も言い返せないが。
階段を下り終えると、突然彼女が立ち止まって振り返った。
「責任とってもらう」
「もういいよ。君には何言われたって驚かない」
「今度私の父さんに会ってもらうから」
驚かないなんて無理だった。話が飛躍しすぎではないだろうか。僕は口をぱくぱくとさせたが、美咲は真剣な顔で僕の返事を待っている。本気だ、彼女は本気だ。
僕はただ笑えてきた。人間どう転べばこんなことになるのだろうか。