第2話 非常識なお見合い
僕が20年間生きてきて抱いていた見合いに対する印象は、もっと互いに気を遣って、敬語でやり取りするものだった。しかし、こんなのは見合いじゃない。当の本人たちが不機嫌で一言も喋らず、親同士が勝手に会話しているだけだった。僕はただ目の前に出された料理を食べているだけだった。
「おい、孝介。お前も照れてないで何か喋ったらどうだ」
突然隣に座っていた父に話を振られた。照れるなんて冗談じゃないと思いながらも、なんとか渋面を隠して父のほうを向く。さっきから腕をつねられているのが痛かった。
喋ると言っても、この女と喋りたい話はなかった。オーソドックスに「ご趣味は?」なんて聞いた暁には、「人の顔面を狙うこと」と返ってきそうだったので、僕は必死になって別の質問を探した。暴力女はともかく、彼女のおじいさんを困らせたくはない。
思いついた質問はやっぱりオーソドックスだった。
「えぇ・・・っと、得意な料理は何ですか?」
こういうときなんて答えられたら男はぐっとくるのだろう。イメージでは「肉じゃが」が1番定番のような気がする。
しかし、美咲とかいう女は一向に答えようとはしなかった。もぐもぐと料理を食べ続けている。無視されているとわかると、だんだん腹が立ってきた。
「いえ・・美咲は何でもできますから、得意な料理なんてないんですよ・・・」
おじいさんが必死になってフォローしている。僕の中で、ますます美咲の好感度が下がった。ここまで人間嫌いになったのは初めてだった。父には悪いが、こんな見合いをさっさと終わらせてしまおう。
それからも父と相手のおじいさんの会話が進む。時間がやたら長く感じられた。僕は早く時間がたつのを待っていた。
しばらくして、父がよいしょと腰を上げた。
「それでは、そろそろ私たちはおいとましましょう」
「そうですね」
ちょっと待て!僕は思わず父の裾を掴んだ。なぜだか父が涙目になって、きっと僕をにらみつけてくる。そんな顔をされたら、何も言うことができないじゃないか。
障子の向こう側に消えた父の姿を僕は未練がましく見続けた。
「お前」
まるでこのときを待っていたかのようなタイミングの声だった。僕はぎくっとなって振り返る。美咲がその服装、その顔に似合わない形相で見てきた。
「好き嫌いすんなよ」
「はっ?」
予想もしていなかった言葉に、一瞬面食らった。しばらくしてようやく、僕がしいたけの天ぷら等キノコ類を残していることを言っていることに気づいた。人の質問を無視するくせに、こういうことに目ざとく目を光らせているらしい。
「キノコ残すな」
「しょうがないだろ。キノコは全体的にダメなんだ」
そのとき、僕の左頬を何かがかすった。美咲の箸だった。
「だからって残したら作った人に申し訳ないだろ」
「だからって箸投げることないだろ!」
それが精一杯の反撃だった。確かに、美咲の言うことは最もだ。それ以上反論することもできずに、僕は美咲の投げた箸を拾うことでなんとかその場を取り繕う。だが、顔を上げたとき驚いてしまった。
どこから取り出したのか、目の前で美咲はつまようじで歯の掃除をしている。
「堂々とすんなぁ!!女だろ!!」
すると、彼女は心底うんざりしたような顔でつまようじを乱暴にテーブルに叩きつける。
「あんたって女ってモンを何だと思ってんの?綺麗な服着てスカートはいて、おしとやかににこにこしてるのが女だと思ってんの?寝言は寝て言いなよ。今時そんな人なんていないっつーの」
僕は言い返せなかった。無意識にかやくご飯の中に入っていたえのきを避ける。
「だーかーらー・・・残すなっつってんだろー!!!」
「わっ!」
何を思ったのか、美咲はテーブル越しに僕の胸ぐらをつかんでくる。なんていう怪力女だ。そのまま柔道のナントカ投げで僕は宙に浮いて背中から落ちる。受身の取り方なんて知らなかったから一瞬目の前が真っ暗になった。
なんとか起き上がるとすぐ目の前に着物が見えた。
「ちょーど良かった。こないだの決着着けようじゃないか」
何なんだ、この女は。僕は口をぱくぱくとさせていたが、何も言葉が出なかった。大学にだってサークルにだってこんな人を見たことがない。そもそも常識という言葉を知っているのだろうか。
しかし、殴り合いのケンカを始めると思っていた僕の予想は外れた。美咲は反対側の、つまり僕が座っていたほうのテーブルにまわり、袖をまくる。彼女の細い腕がテーブルに出された。ひじをついたその格好はまるで、
「腕ずもう・・・?」
心底間抜けな顔で僕は尋ねる。一方、美咲は真剣に怖い顔でこくんとうなずく。
「早くしろよ。まさか負けるのが怖いのか?」
「言ってろよ。後で泣いても知らないからな」
僕も右腕を出す。自慢ではないが、腕ずもうには負けたことがない、たぶん。
彼女の手を握った瞬間だった。僕が小さい手だなと思った約0,1秒後にいきなり腕ずもうが開始された。レディーゴーの一言もないなんて卑怯だと思いながらも僕もついつい本気になってしまう。相手はなかなか強かった。
そのとき、テーブルに全体重がかかってしまったのかもしれない。おそらく彼女も。テーブルの隅のほうで繰り広げられた激しいバトルに便乗してか、テーブルが一気に傾く。
「わぁっ!!」
支えを失った僕たちの体が畳に押し付けられる。同時に、テーブルの上にあった皿や小鉢が落ちてきた。テーブルはどしんと音を立てて、何事もなかったかのように元の状態に戻った。
しーんと静かになった。
しばらくして障子が開いた。父とおじいさんの姿がある。その光景を見て、まるで僕が美咲を無理やり襲った後のような光景だった。
「孝介ー!!お前って奴はー!」
僕は慌てて首を振った。父はつかつかと歩み寄ってくる。
「誤解だー!何にもしてない!」
むしろ被害者は僕のほうだと言いたかったが、そんなことを信じてもらえるはずがなかった。父は僕をぽかっと一発叩いてから、美咲のほうに向き直った。
「悪気があったわけじゃないんです!どうかこれからも長くお付き合いをお願いします!」
「ええ。今日はとても楽しかったです。私もまた会ってくださると嬉しいんですが・・・・・・」
かわいらしすぎる声で逆に僕は鳥肌が立った。この暴力・怪力女がこんな猫なで声で、しかももう1度僕に会いたいと言っている。絶対に裏がある。怪しい。関わっちゃダメだ。
しかし、僕の意思に反して、父とおじいさんは嬉しそうに顔をぱぁっと明るくさせた。
「ありがとうございます!良かったな、孝介!!」
僕はこのとき、どんな顔をしていたのだろうか。
とにかく、僕たちはそれからケータイの番号とアドレスを交換し、また次に会う約束をしてしまった。勝手に着信音も設定された。
「それじゃぁ、また後日」
父がその日何度目かになるかわからないくらい深々と頭を下げて、僕たちは別れた。帰りの車の中で、父はうきうきと歌を歌い、僕は怒る気力も失せてただぼーっと夜の道を走っていた。
見合いから3日後のことだった。サークル室でごろごろとしていると、突然ジョーズの挿入歌が流れた。どうやら僕のケータイが鳴っているようだった。たっぷり時間をかけてケータイに出る。嫌な予感がしていた。
『遅い!12コール目なんて非常識だ』
それを言うなら、君だって非常識だよ。僕は胸中で電話の相手に言い返した。




