第16話 約束
岸本徹に尾行を命じられて、忠実に美咲を尾行し続けていたあの男がなぜ彼女と一緒にいるのだろうか。その疑問が僕の頭の中でぐるぐるしていた。
「小笠原さん。通称おがちゃん。私をつけてたけど、悪い人じゃないんだ。私が勝手な行動してもいつもかばってくれた」
その人を君は倒したじゃないか。まぁ倒せと言ったのは僕だったが。
美咲はぱんぱんとコートの砂を払う。
「いろいろあって家で働いてもらうことにしたんだ」
「いろいろって・・・」
僕は真正面からじっと美咲を見つめると、彼女はぎょっとしたような顔で目を背ける。一瞬不安になったが、美咲が少し赤くなって顔を隠しているのがわかった。それが照れ隠しだと気づいて、僕自身も急に恥ずかしくなってうつむいた。
「あの、ウブコントはそれくらいにしておいてもらいたいのですが」
小笠原がごほんと咳払いをする。
「いいところを邪魔してしまったことは謝りますが、こんな寒い中、いつ人が来るかもしれない場所で何してるのですか・・・」
「いや・・・ツリーを見に・・・・・」
別にウソは言っていないのだが、僕らは微妙にたじろきながら答える。ちなみに、小笠原がここへ来た理由は僕たちと同じで、自分の奥さんと一緒にここからツリーを見るためだったそうだ。たぶん僕たちが先にいるのを見つけて、まぁしていたことがしていたことだったため、思わず隠れてしまったそうだ。奥さんは階段の中腹で照れたように立っていた。
こうしてクリスマスが終わった。
冬休みの間に結婚の準備は順調に進んでいった。婚約指輪を購入し、衣装も決めた。式場との打ち合わせも本格的にし出し、いよいよ結婚というものが身近に感じられてきた。新婚旅行の計画も立てられた。僕としてはどこでも良かったので彼女に意見を求めると、
「タイがいい。知り合いがいるんだ」
と言われた。タイなら時差ボケもそんなにひどくならないだろうし、割と近かったので経済的に助かる。僕もそれを承諾することにした。
「そういえば、知り合いって?」
「すっごくいい人なんだ」
美咲が嬉しそうに話すので僕も会ってみたいと思った。
新婚旅行先が決まり、1番悩んでいた仲人を誰にやってもらうかもようやく決まった。
「私なんかでよければ喜んでやらせていただきます」
小笠原さんだった。
冬休みが終わり、大学がまた始まる。
僕は大学内を歩くとき、無意識に牧原千絵を捜すようになった。しかし、学部が違うとめったに授業がかぶることはない。3年生にでもなるとさらにそうなる。どうせ見つけることは無理だろうな思っていると、見つけた。世の中こんなものである。
「牧原」
ちょうど授業が始まる2分前、たまたま全学部がとれる心理学の授業で女友達と談笑している牧原を見つけた。笑っていたので安心したのか、僕はみんなの目の前で堂々と話しかけてしまった。
「ちょっと話があるんだけど、今時間大丈夫?」
今さら笑顔になんてなれなかった。牧原はしばらく感情の読みづらい表情をしていたが、やがて小さくこくんとうなずいた。僕が歩き出すと、黙ってついてきてくれた。牧原の友達がひしひそと話し込み何か誤解しているようだが、構わずに歩く。僕らは外に出た。
「彼女とはどうなったの?誤解は解いた?」
やっぱ誤解だったんだなと内心安心しながら僕はこくんとうなずく。
「今日はお願いがあって来たんだ。美咲をつけまわすのをやめてほしい」
僕はまっすぐに牧原を見て言い放つ。女性に対する態度ではないかもしれなかったが、僕はクリスマスのことを許すわけにはいかなかった。しかし、当の本人は何のことだかわからないようにきょとんとしてしまった。今さらしらばっくれる気だろうか。
「もう気づいてるよ。牧原が美咲をつけてるっていうことは。よく家の近くで視線を感じるって言ってた」
「違う・・・私じゃない!美咲ちゃんちなんて知らない!」
え、と僕が驚いている間に彼女は僕の服にがしっとしがみついてきた。
「確かに、私はイブに孝介君を酔わせて自分ちに連れてったよ?孝介君、私に何にもしなかったけど!でも、美咲ちゃんをつけたりなんてしてない!」
僕は何も答えられずにただ黙っていた。牧原のその表情で本当のことを言っていることがわかる。僕はそれを信じたい。次に何を言うべきかしばらく迷っていると、牧原は僕の態度を疑惑と受け取ってしまったようだ。
しばらくして、牧原はポケットから何かを取り出した。それから、僕の左手を掴んであろうことか指輪を取られてしまった。
「あ!」
「こんなの・・・!」
牧原の手からそれは弧を描いて、手入れのされていない草むらに入っていった。
草むらに入り、四つんばいになって地面を探す。牧原が投げた何か。ちらっと見えたが、あれはひょっとしたら・・・・・
そのとき、草で指先を切ってしまった。右手人差し指に一筋の血がにじんできたが、無視してまた探し出す。
授業の始まりと終わりのチャイムを4回聞いた。
このときの僕は絶対に探し出さなきゃという想いにかられながら、中学生のときのことを思い出していた。
中学3年生のとき、当時隣の席だった牧原にこんなことを言われたことがあった。
「孝介君のミサンガってかっこいいよねー!」
そのとき僕がつけていたらしい黄色いミサンガはクラスの男子の間ではやったものだった。そんなことを言われたことがなかったので、僕は嬉しくなった。なにより牧原千絵に言われたのだ。
「だろ!これ超気に入ってんだよ」
「いいなー・・・私もこういうのほしいな」
牧原がミサンガを羨ましそうに見るので、僕はあることを思いついた。
「それ、あげるよ」
「え、でも・・・」
「俺は別のがあるからいいよ。その代わり、大事にするって約束できるんなら譲る」
にっと笑うと、牧原はしばらく僕を見てただじっとしていた。
「なんだよ・・・いらないんなら別にいいよ」
「ううん!いるよ!絶対大事にする!・・・・・ありがとう、孝介君」
「もう8時過ぎてるよ。まだ探してんの?」
後ろから牧原の近寄る気配がしたが、僕は振り返らなかった。あれから何時間も探しているのに、まだ見つからなかった。冬だから、暗くなるのが早い。ケータイの液晶画面で照らしているのだが、電池が切れかかってきてそろそろやばい。
「・・・指輪なら投げてないよ。返すから・・・もうやめてよ」
「あ」
僕は探していたものをようやく見つけて、拾い上げる。それを目で確認して振り返った。牧原の前にぐいっと差し出す。黄色いミサンガだった。
「大事にしろって言っただろ」
僕は苦笑して牧原に握らせる。彼女は驚いた顔で固まっていた。
「なんで・・・?」
「指輪は投げてないってわかってた」
「知っててなんで・・・!?」
「言っただろ?それあげるときに大事にしろって。本人の目の前で捨てないでよ」
僕は指輪を受け取って、左手の薬指にはめる。そして、牧原を見た。
探しながら、ようやく僕は気づき始めた。以前彼女に告白をされたとき、それは美咲に対する対抗心からだと思っていた。だけど、僕でさえ忘れていたミサンガをずっと大事にしてくれていたことを知ってわかった。牧原は本当に僕のことが好きだったんだ。
「ごめんな・・・ずっと気づかなくて」
その言葉で牧原が泣き出してしまった。嗚咽を押し込んだような苦しい泣き方。僕は最近女性を泣かせてばかりだなと頭の中で思う。
「・・・嫌われたくなかった・・・・・嫌いならもう優しくしないでよ!」
「嫌いじゃないよ。友達としてこれからも付き合っていきたい。でも、一生友達以上には見れないんだ。ごめん・・・」
牧原はもう何も言おうとはしなかった。僕は彼女の肩に軽く手を置き、ぽんぽんと頭をなでた。それしかできなかった。
牧原を家まで送っていくと、彼女は去り際にぽつりとつぶやいた。
「今まで迷惑をかけてごめんなさい・・・でも、美咲ちゃんをつけてないってことは信じてほしいの。それから・・・これありがとう」
美咲は左手首のミサンガを顔の高さまで上げる。僕はうなずいた。
「式、招待状送ったら来てくれる?」
「行くよ」
「約束な」
僕は笑顔でその場を離れた。
だけど、気になることがまだあった。美咲の感じていた視線は誰だったんだろうか。彼女に何もなければいいと思いながら僕は1月の夜を歩いた。