第12話 いきなり結納
とうとうこの日がやって来た。美咲が僕の家に来てからちょうど1週間後の日曜日、今度は僕が美咲の家に行く番だった。
先週の美咲の気持ちがわかる。前に来たときよりももっと緊張する。
なんせ今日は「お嬢さんと結婚させてください」と言うことになるのだから、一発二発は覚悟しなければならないだろう。
「そんな緊張しなくったっていいよ。このまえとは違うんだから」
真面目な顔でそんなことを美咲に言われた。
「・・・美咲、すごく今さらだけど、なんで俺スーツなの?そりゃぁ挨拶に行くんだからちゃんとした格好がいいのはわかるけど・・」
事前に美咲に言われたのだ。日曜日はスーツで来たほうがいいかもしれないと。そのときは、やっぱり彼女の両親に結婚の許可をもらうためなんだからと納得したが、今日美咲に会ってみると、彼女は白いセーターにジーパンというあからさまな普段着だった。
「まぁ備えあれば愁いなしってヤツ?ウチの父さん、明日から海外出張なんだ」
何の話だろうか。僕はこの後の自分の運命が恐ろしいものに思えてきた。
そして、美咲の家が見えてくる・・・・・
案内された部屋は前回とは違って、家の離れだった。そこはこの和風の家には似合わないような洋風な家具が詰め込まれた小さな家で、これはこれでなんだか落ち着かなかった。それにしてもどれだけ美咲の家は大きいのだろうか。
美咲に座るように言われたソファは僕の家のものよりずっと綺麗で豪華でふかふかだった。
「父さんまだ帰ってないみたい。もうちょっと待ってて」
そう言って美咲までもが部屋を出て行く。1人にしないでほしいと我ながら情けないことを思っていると、すぐに離れの扉が開いた。美咲が戻ってきたのかと期待したが、入ってきたのは彼女ではなかった。
「あ・・・君は・・・・」
大学祭のときに見た、美咲の妹だ。ショートカットがよく似合う子で、確か美花という名前だっただろうか。
「あー・・・・・美咲の彼氏のー・・・・・」
やや顔をしかめて記憶をたどっている美花に僕は笑顔で挨拶をした。
「葉山孝介です。よろしく」
「妹の美花です・・・・・っと、こないだはすいませんでした。勘違いで胸倉掴んじゃって」
「え?ああ!」
大学祭のときに、美咲が吐いたと言って掴みかかってきたときのことを思い出す。
美花は言いにくそうに目をそらして言葉を探していた。
「美咲を心配してやったことなんでしょ?気にしてないよ」
美花のしゅんとした態度を見ると、なんだか微笑ましくなる。そういうところが姉に似ているかもしれない。なぜか美花はダッシュで逃げていったが、またすぐに扉が開いて、今度は忘れていた分余計に緊張してしまった。
美咲の父親の登場だ。
会社帰りなのか、スーツ姿でお父さんは現れた。この姿を見ている限り、典型的なカカア天下の家族には見えなかった。むしろ亭主関白に見える。
と、美咲がその後ろからなぜかお嬢様のような服に着替えているのが気になった。
「さて、今日は何の用ですかな?」
ソファにどっしりと構える美咲のお父さんはやっぱり威厳たっぷりだった。僕はごぐりと唾を飲んでから、1度隣に座る彼女の顔を見た。神妙な顔でうなずくのを見て僕の中で覚悟が決まった。
「今日は頼みたいことがあって来ました・・・・・・お願いします!美咲さんと結婚させてください!!」
ばきっと何かが壊れるような折れるような音がしたが、僕は構わず頭を下げ続けていた。しばらく反応がなかった。まだ言葉が足りなかったんだと思って慌てた。
「一生大事にします!絶対幸せにします!だから・・僕たちの結婚を認めてほしいんです!」
僕の決死の告白もむなしく、やっぱり返事はなかった。しかし、おそるおそる顔を上げて上目遣いにお父さんを見ると、なんとほろりと一筋の涙を流していたのだ。さすがに驚いて目を見張ってしまった。
情けないにもほどがあるが、僕はおろおろとして美咲を見た。すると、彼女も予想外の反応をして僕を見ていた。目が合うと、露骨に目をそらされる。顔を赤くしてずっと見られていたらしい。今はもうツンとした態度がツンデレに拍車をかけている。
「とうとうこの日が来るとはな・・・いや、美咲に会ってほしい人がいると言われたときからこうなることはわかっていたんだ」
ひとり言をつぶやいてから、お父さんは僕に向き直った。
「寂しいが、美咲をよろしくお願いします。君なら娘を幸せにしてくれると信じてるよ」
目の前が開けたような気がした。僕は初めて正式に彼女のお父さんに認められた。たったそれだけのことがこんなに嬉しいことだったなんて知らなかった。
ちなみに、さっきの折れた音は、お父さんが握っていたシャープペンシルを折った音だと後で知った。
そして、僕は今美咲の家で、美咲と美花、2人のお父さん、お母さん、おじいさん、なぜか僕の父と母と妹の彩と一緒に食卓を囲んでいる。
美咲のお母さんの話によると、「旦那が海外出張に行く前に、結納だけでも終わらせておきたいの」ということだった。結納といっても、形式にこだわらない両家がただ単純に一緒に食事をするというだけのものだった。
「この度は、ご結婚おめでとうございます」
そんなことを誰かに言われてしまって、僕も美咲も焦ってしまった。乾杯で合わせたシャンパングラスを手持ち無沙汰にゆらゆらと揺らす。
「孝介、一言挨拶したらどうだ?」
父の言葉で、僕はおずおずと口を開いた。
「えっと・・・今日は僕たちのために集まっていただきありがとうございました。今日を持ちまして、僕と美咲は正式に婚約することができました。思えば、ここまでの時間はすごく短かったようで、中身の濃い時間を過ごさせていただいたと思います。僕は今幸せです」
一息つくと、今度は美咲のお母さんが美咲に何か話すように促している。彼女は照れくさそうな顔をしたが、みんなに注目されたので、ようやく話し始めた。
「私もすごくすごく幸せです。好きな人と婚約できたこの日を私は一生忘れません」
そこまで言うと、美咲のお父さんがわぁっと泣き出した。この様子では結婚式の当日には大泣きするんだろうなと思う。なだめる美咲の姿を見て、僕は結婚式当日のことを考えた。お父さんには申し訳ないが、早くその日が来てほしい。美咲のような人にはもう二度と会えないと思うからだ。
「それで、結婚式はいつくらいにするつもりなの?」
母の素朴な質問だった。
「まだ決めてないんだ」
「春くらいにはしたいな」
美咲の意見を聞くのは初めてだった。なんとなくどきんと心臓が高鳴った。
「そうね。春なら服合わせやすいけど、今から式場の予約が取れるかしら」
と美咲の母。
「大丈夫でしょう。今ならまだいい日が取れるでしょ」
と僕の母。
こういうときに会話が弾むのは母親なんだと僕は気づいた。
この日の結納を持って、僕たちは正式に婚約することができた。
それから、式場の予約をしてみた結果、僕たちの結婚の日取りが決まった。
4月24日。美咲と会ってからちょうど1年目の日だった。
「指輪っておそろいだよね?」
美咲に聞かれたとき、僕はきょとんとしてしまった。僕の左手薬指にも輝いている指輪は美咲に贈ったものと同じものだった。それから、ミサンガもおそろいだ。
「そうだよ」
「そっか」
何が聞きたかったのかはわからない。ただ、そのとき嬉しそうな横顔を見ただけで、僕は満足した。その表情はすぐにいつものなんだよ顔になったが、そういう感情の変化を見ているのは面白いなと改めて実感した。同時に人間臭さに苦笑する。
この人と一生一緒にいたい。