第1話 最悪な出会い
僕と彼女の出会いは最悪だった。
今まで20年間生きてきたが、特に変わったこともなく普通に過ごしてきた。しかし、桜も散った春の日、僕は彼女と最悪な形で出会った。
大学生になって3度目の春、その日は僕の所属するサークルの新歓コンパが行われていた。大学近くの焼肉屋をほとんど僕たちが占領して、数少ない客に迷惑とも思えるほど大きな声で騒ぎまくった。
9時を過ぎて、酔いが回った連中は自分勝手に一気飲みをし始める。僕はそれを遠巻きに笑って見ていただけだったが、唐突に僕の目の前にビールジョッキがどんっと置かれる。
同じ3年生の三田篤志だった。女たらしで軽い男だったが、不思議と気が合って、僕たちはサークル以外のときでもよくつるんでいた。
「孝介も飲めよ。あんま今日飲んでねぇだろ」
飲まないことには理由があった。酒は好きだが非常に弱く、酔うととにかくおしゃべりになるのだ。新入生が入ってきたばかりだっていうのに、初めから自分の印象を悪くさせることは避けていた。しかし、勧められると断れないのも僕の性格だ。
「じゃぁ、1杯だけ飲むよ」
それで済むのなら話は簡単だ。結局僕は勧められるがままに飲み続けてしまった。
10時過ぎ、さすがに飲みすぎて頭がクラクラしてきた。気分も最悪に悪かったので、三田に一言言って、先に帰らせてもらうことにした。
「顔赤いぞ。飲みすぎたか?」
去り際に三田にそんなことを言われた。
「お前が飲ませたんだろ」
本当の話だから、三田も否定はしない。
僕は眠くなるのを必死で抑えて、電車に乗り継ぎ、駅に停めてある自転車を引いた。明日は絶対二日酔いだ。それを考えると憂鬱になる。まだ酔いは醒めていなかったが、頭だけは妙にはっきりとしていた。
ちょうどトンネルに差し掛かったときだ。目の前に突然人が降ってきた。正確には、人気のないトンネルから誰かが吹っ飛んできたのだ。
何が起こったのか、慌ててトンネルを見ると、数人の人影が見えた。なんとなくシルエットで女の人が1人いるように見えた。最悪な事態が頭の中に浮かんできて、僕は自転車を放り投げて駆け寄る。
しかし、駆け寄ってみてすぐに異変に気づいた。女自身が尻餅をついている男を蹴り飛ばしているのだ。彼女はさらに追い討ちをかけようとする。僕は無意識に体が動いた。
女の動きが止まったのは、僕が彼女の手首を掴んだからだった。そのとき、初めて目が合った。意志の強そうな目、薄い唇、ポニーテールに縛られた綺麗な髪の毛、暗いトンネルの中でもわかる。かなりの美人だ。
瞬間、その女の腕が襲い掛かってきた。僕は間一髪でなんとか避ける。同時に、後ろにいた男たちが逃げていくのがわかった。
「邪魔すんな」
それが、その人の第一声だった。彼女の足が僕の顔面を狙ってくる。僕は一歩退く。
「あんたこそ何してんだよ!暴力だろ・・・・!」
「先に手を出してきたのは向こうだ。あっちが悪い」
よくやく解放してくれたと思ったら、そんなことをあっさりと言ってのけた。確かに、それは事実なのかもしれないが、3倍返しにも程がある。
彼女の立ち姿から、第一印象が猫のようだと思った。別に猫顔というわけではない。ただ、警戒心の強そうな態度がそう見せたのかもしれない。
「だからってやり過ぎだよ。こんなのただの暴力だ」
僕はいつになく強い口調で言う。女が鼻ではっと笑った。
「じゃぁ、向こうが手を出してきたのは暴力じゃないっていうの?」
「そうじゃない。女の子なんだから3倍返しみたいなことするなって言ってんの」
なぜ僕は見知らぬ暴力女に説教しなければならないのだろう。普段の自分からは想像もつかなかった。大学でもサークルでも、どちらかというと僕はあまり喋らないほうだった。だから、今日の僕はどこか変だったのだ。
「3倍返しじゃない、10倍返しだ。それから、女だからとかそういうこと言うのやめろ」
そのとき、女がファイティングポーズをとると同時に襲い掛かってこようとする。
冗談じゃない。何なんだこの女は・・・
僕は180度向きを変えて一目散に逃げ出していった。これ以上関わり合いになるのはごめんだった。意味不明な叫び声をあげて追いかけてくる彼女を振り切って、とにかく自転車をこいだ。酔いなんてとっくに醒めていた。
これが、僕と彼女との出会いだ。
とにかく第一印象はお互いに最悪だったと思う。だから、誰がこのとき予想できただろう。
僕と彼女が1年以内に結婚して夫婦になるなんて。
4月も終わりに近づいた頃、いつもは8時以降にならないと帰ってこない父が、久しぶりに仕事を早く切り上げてきた。ちょうど、土曜日で大学も休み。母も特売をやっているスーパーに買い物に出かけたから、家に父と僕の2人だけになった。
その父がいつになくソワソワとしている。そういうときは何か言いたいことがあるときだ。ソファーに座って新聞を読みながら、ちらっと僕を見ている。
「何?言いたいことがあるならいいなよ」
観念して僕から口を開く。父の顔がぱぁっと明るくなった。嫌な予感がした。
「いやぁ・・・実はこんなこと・・・お前に頼むのは、悪いとは思ったんだが・・・・・」
「やべっ!用事思い出した」
僕はすくっと立ち上がってリビングを後にしようとする。
「ちょっと待ってー!!」
ずるずると僕の足にしがみついてくる父。
「俺の一生がかかってるんだ!頼む!少しおとなしくしててくれ!」
「はぁ?どうしたんだよ!?」
僕の意見なんて聞かずに、父は僕を玄関まで引きずっていき、そのまま怪力で家の目の前に停まっていた車の後部座席に放り込む。父も続いて乗り込んだ。
「待ってよ!どこ行くんだよ!」
運転席には、買い物に行ったはずの母がすでに座っていた。車は勢いよくスタートする。
その尋常ではない態度に、さすがの僕も不安になってきた。もしかしたら、親戚の誰かの身に何かあったのかもしれない。だから、2人ともパニックになっているのだ。今学校の部活に行っている妹に連絡するのを忘れているのかもしれない。
しかし、着いた所は病院ではなかった。高級料亭のようだ。
「これに着替えて」
母がおもむろに渡してきたのは、なぜかスーツだった。見た感じでは喪服には見えない。
「どういうことだよ?ちゃんと説明しなきゃわかんねーよ」
「いいから。着替えなさい」
そんな母の強い口調は初めてだった。仕方なく車の中でいそいそと着替えた。父に連れられて、料亭内に入っていく。なんだか嫌な光景が頭の中に浮かんできた。
掃除の行き届いた廊下を僕たちは歩いていく。前を歩く父が口を開いたのはこのときだった。
「孝介、聞いてくれ。お前には今から見合いをしてもらうから」
「はっ?何言ってんだよ!?冗談やめろっての!」
僕の足が止まった。父が怖い顔してくるりと振り返った。
「頼む!俺を助けると思って・・・相手は上司の娘さんなんだ。べっぴんだぞ」
そういうことを言っているのではない。僕は話にならないと思って帰ろうとするが、父に後ろ襟を掴まれる。
「俺の出世がかかってるんだよ」
僕の頭に一気に血が上った。
「冗談じゃない!!!」
その声を出したのは確かに僕だったが、僕とは別にもう1人そう叫んだ人がいたらしい。ちょうど同時に声が重なった。
すると、前方数メートル先の障子が開いた・・・というより押し倒されてはずれた。すぐに着物姿の女性が飛び出してくる。女性は一旦部屋の中にいる誰かに向かって大声をあげた。
「タダ飯食わせてくれるって言うからこんな格好までしてここに来たんだ!お見合いなんて聞いてないよ!!」
ん?どこかで聞いたことのある声だ。
女性がくるっと向きを変えたところで、初めて僕たちと目が合った。今やっと僕たちに気づいたらしい。彼女は驚いた顔で立ち止まった。
それにしてもなんて綺麗なんだろう。僕は今まで怒っていたことを忘れてしまった。着物美人とはこういう人のことをいうのだろう。それにしてもどこかで見たことがあるような気がするのは気のせいだろうか。
「・・・・・思い出した。こないだの最低男・・・・・・・・・・」
低い声だった。それがきっかけかどうかはわからないが、ようやく僕もその人が誰だかわかった。
「トンネルの暴力女!」
「うるさい」
そのとき、暴力女の後ろからおじいさんが出てきた。彼は父を見てにこやかな笑みを浮かべてくる。
「これは葉山さん。今日はよろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ。あ・・息子の孝介です」
父が媚を売るような態度でぺこぺこと頭を下げる。この態度の急変ぶりには驚かされた。僕は後頭部を押されて、しぶしぶ頭を下げることになった。
「はい、孫の美咲です」
そのとき、ようやくわかった。僕の見合い相手はこの暴力女なんだ。
まさに最悪な形での再会だった。