丹羽 美羽【告白:36回】
俺は月曜日の夕暮れの教室へとやってきた。最愛の女性ーー霞 沙都香に与えられた試練に挑むためだ。俺があの人を呼び出したのは今日の放課後であるため、今日中と言っても、残された時間は少ない。
霞さんは、隣の席の女子をオトせ、と言った。あの人が意図して言ったのかは分からないが、俺の隣の机にはまだ、鞄が置きっぱなしになっていた。彼女は今も校内にいるようだ。
そこで俺は自分に与えられた能力を思い出す。彼女の席へ歩み寄ると、鞄を開けて中を調べた。告白するにあたって、手がかりとなる事があるかもしれない。運悪く誰かに見つかったら時を戻せば良い。
鞄の中にあった物。まずは制服の上下。鞄の主は今、部活中らしい。更衣室で着替えたが、荷物の置き場が無かったのかもしれない。
次に財布。中には学生証が入っている。名前は丹羽 美羽。羽が二対もある変な名前だ。スポーツクラブの会員証もあった。どうやらテニス部のようだ。
結局、誰も来なかったが、元通りに戻すのが面倒なので一分戻した。つくづく便利な能力だ。しかし、ヒントになるような物は何も無かったな。何か特徴的な物があれば、話のきっかけくらいにはなっただろうに。
そこで俺は、彼女が戻って来るのをしばし待つ。今の内に、彼女へ伝えるべき言葉を考えておく必要がある。文章では駄目だ。言葉でなければ。
一分間の内に告白の成否が分かる必要がある。失敗したなら、やり直さねばならないからだ。故に、長すぎては駄目だ。
しかし、ストレートな言葉はこの場合逆効果だ。丹羽さんと俺はほとんど話した事もないような仲だ。怯えさせ、反射的に拒否される展開は避けねばならない。故に、短すぎては駄目だ。
俺が告白の文言に頭をひねっている間にも、刻々と時間は進み、気付くと窓の外で陽が沈み始めていた。
不意に、音を立てて教室の扉が開いた。目をやると、そこに立っていたのはまさに、俺の隣の席の女子、丹羽 美羽だった。俺は体内で一分間のタイマーをスタートする。
「あっ……」
誰かいるとは思わなかったのか、小さく声を上げる。そう言えば、教室の明かりを点けていなかった。しかし、自分に用があるとは思わなかったようで、無言のまま自分の席へと向かった。
「……丹羽さん」
「えっ……?」
「話があるんだ。聞いてくれるかな……?」
「あ、うん。千里君? どうしたの急に……もしかして入部希望?」
俺はゆっくりと彼女に歩み寄る。申し訳ないが彼女には、俺と霞さんを繋ぐ架け橋の人柱になってもらう。
「俺、実はずっと君の事が好きだったんだ」
「……え」
「君の優しい所とか、一生懸命な所が大好きだ。活動的なのも俺好みだ」
「えっちょ、ちょっと、待って……?」
丹羽さんは唖然としている。当然だ。今までろくな会話の一つすらなかった奴にいきなりこんな事を言われたら、俺だって似たような反応をするだろう。
ちなみに、前半は適当に月並みな文句を、後半はテニス部である事と日焼けしている事から考えて、褒められたら嬉しいポイントだと推測した。本当はクールを履き違えて、体を動かすより心を動かす方が人生にとって有意義だと思うがね、とか言っちゃうような女の子が好みだ。
夕焼けをバックに、俺は最後の言葉を投げる。
「どうか、返事を貰えないか?」
「……千里君には、わたしよりずっと良い子がいると思うよ」
「そんな事はない。君しかいないよ」
「ううん。わたしみたいな平凡なのじゃ、きっと千里君には合わないと思う。だから、ごめんなさい……」
「そうか……」
やはり、いきなりでは難しいか……好きだという主張に、説得力を持たせられていない。時間は……あと13秒か。
「ちなみに、どこがいけなかったんだ?」
「ううん。千里君がいけない訳じゃないよ。ただ、わたしはきっと、あなたの期待に応えられない……わたしは優しくもないし、努力家でもない。それに、わたしよりもテニスが上手い人もたくさんいる。だから、ーー」
一分経った。俺は時間を巻き戻す。どうやら彼女はコンプレックスを感じやすい性格のようだ。それを踏まえて今一度挑戦してみよう。
「あっ……」
「……丹羽さん」
「えっ……?」
「話があるんだ。聞いてくれるかな……?」
「あ、うん。千里君? どうしたの急に……もしかして入部希望?」
「俺は知ってる。君はそんなに優しくないし、努力家でもない。テニスも実は、そんなに上手くないんだ」
「……えっえっなんでわたしいきなりディスられてるの?」
「それでも俺は、平凡な君が好きだ。君のそんな、どこにでもいそうな所とか最高にタイプなんだよ」
「……はぁ……」
「俺と付き合ってくれないか?」
「うんごめん。それは無理」
廊下で吹き出す声がした。どうやらしっかり見てくれているようで安心したが、貴女のためにやってるんですからね?
「えっと……なぜ……?」
「じゃあなんで千里君はわたしのこと好きになったの?」
「………………」
「……ね?」
俺は黙って時間を戻した。
「あっ……」
「丹羽さんっ!」
「えっ……?」
「聞いてくれ……! 俺、丹羽さんの事が好きだ!」
「えっ……! あ、う、うん……」
「丹羽さんといると、こう、他の人にはない人間味と言うか、温かさに触れた気持ちになるんだ……!」
「あ、そ、そう……?」
「だから頼む! 俺の彼女になってくれ!」
「……彼女ってさ、どんな事するの?」
「え、そりゃあ、二人で遊びに行ったり、くっついていちゃいちゃしたり、好きだよって言い合ったり……じゃ、ないか?」
「うーん……」
彼女の表情を見るに……おそらく、何か足りない、って感じだ。
「……なんっか、足りないんだよね……」
言われてしまった。丹羽さん、結構思った事をはっきりと言うタイプの人だ。
「……何か、やりたい事があるのか?」
「いや、具体的にはないんだけど、ただ、せっかく付き合うなら、普通じゃ出来ない事がしてみたい、みたいな……?」
なるほど。丹羽さんはアブノーマルなプレイをご所望のようだ。アプローチを変えてみよう。
しかし結局、それから何度告白しても、丹羽さんが受け入れてくれる気配は無かった。強いて言えば、理屈よりも勢いだという事が分かったくらいか。
どうやら一番の問題は、丹羽さん自身、自分が恋人に求めるものが何か分かっていない事のようだ。俺は早々にめんどくさくなって、回数のカウントをやめた。
「あっ……」
「……丹羽さん」
「こんにちは、千里君。あなたも部活?」
丹羽さんは、柔和で健康的な笑みを俺に向けてくれる。まだ何度も話した事のないはずのこの俺に……こんなに優しい子がずっと隣にいたなんて、今まで全然気付かなかった。
「いや、ちょっと、丹羽さんに訊きたい事があってさ」
「え、なに? 勉強以外だったら、何でも訊いてよ」
「ありがとう……丹羽さんさ、今悩んでる事とかない?」
「えっ……?」
丹羽さんは予想外の質問に狼狽えていたが、やがて訥々と、零すように語り始めた。
「……わたしね、平凡な事が悩みなの」
「知ってる」
「えっ、そうだっけ?」
「続けて?」
「あ、うん。昔から、ああなりたい、っていう目標はあるの。けど、自分とそこまでの間に絶望的なギャップがあるのが分かるんだ。はっきり、分かる」
淡々としていた声は、いつしか絞り出すように続いていた。
「そうすると、なんか急にできる気がしなくなっちゃって……自信も、なくなっちゃって、諦めちゃうの。きっとこんな駄目なわたしは、誰にも見つけてもらえないんだって思うと、なんだかすごく悲しくて……寂しくて……」
……そうか。彼女は平凡な自分を認めてほしかったんじゃない。自分の弱さを、無能を……そして彼女自身の諦めを、否定してほしかったんだ。ただ一言、君ならできる、って言ってほしかったんだ……
「ご、ごめんね! こんな話急にしちゃって、変だよね……?」
「……ねぇ、丹羽さんは将来の夢とか、あるの?」
「……笑わないでね?」
丹羽さんは遠くを見て、思い出し笑いをするように言った。
「……お嫁さん」
「あっ……」
「……丹羽さん」
「こんにちは、千里君。あなたも部活?」
そうか、なら俺が取るべき行動は、最初から一つだ。
「……いや。君を待ってた。迎えに来たんだよ」
「えっ……?」
足早に歩み寄り、彼女の手を取る。丹羽さんは拒まなかった。当然だ。これこそ彼女が、無意識のうちに求めていた非日常なのだから。
「君を、俺のお嫁さんにしに来たんだ」
「……はぁあああ!??」
「……驚かせてしまったね。ごめん。でもどうか聞いてほしい。俺が知ってる、君の話だ」
「わたしの、話……?」
俺は丹羽さんの手を取ったまま、彼女の前に片膝を付く。いわゆる王子様スタイルって奴だ。あと40秒。
「君はとても優しいんだ。君自身は気付いていないけれどね。自分の実力が足りないせいで、周囲の人が悲しむのが耐えられない」
「あ……」
「君はまた、大変な努力家でもあるんだよ? だから、目標に向かって努力できない事にもどかしさを感じてる」
「……違うの……わたしはただ、逃げてるだけ……普通で、平凡で……」
「……そう。君は普通の女の子だ。とても優しくていつも一生懸命な、普通の女の子。だから、俺が君を、特別な女の子にしてあげるよ」
「えっ……?」
「そのために来たんだ」
にっこりと笑う。彼女を安心させてやるんだ。俺といれば何も心配はいらない。あと20秒。
「……お姫様。どうか俺に口づけを下さい。その代わり、俺はあなたをもっと、美しい世界に連れて行って差し上げましょう」
彼女は沈黙している。あと10秒……
「俺ならきっと、貴女を羽ばたかせてみせる。その二対の羽は、美しい妖精の羽なんだ! きっと魔法のような奇跡だって起こせる……!」
あと5秒……
「……馬鹿ね。顔を上げてくれなきゃ……返事、できないでしょ……?」
俺はタイマーのカウントをストップし、顔を上げた。窓から差し込む強い西日が、彼女の顔に影を作る。表情を見ようと、思わず目を細めた。彼女にはそれが合図に見えたのだろう。腰を屈め、俺の唇にそっと唇を触れさせた。
夕日でモノクロになった教室で、片膝立ちの王子様と中腰のお姫様の、不恰好な契約のキスだった。
「……なんで二対あると思う?」
「……」
「にわ、だからだよ」
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